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蠱毒  作者: 不覚たん
表象編

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14/56

なんだ夢か

 互いに無言でいると、やがて権兵衛と小梅が戻ってきた。

「ダメだ。ひとっつも釣れやしねぇ。山ならなぁ。俺やっぱ山なんだよなぁ」

 権兵衛はいつもの調子で言い訳を始めた。

 山には明日にでもつくだろう。そしたらまた鹿肉でも食わせてもらうとしよう。


 小梅はまだ不服そうな表情のまま、焚き火の前へ来た。

「話は終わったの?」

「ええ」

 鈴蘭の返事はそっけない。

 なにを聞かれても答える気はないと言わんばかりだ。

 おかげで小梅の視線は俺へ向けられた。卑怯にも、瞳が泣き出しそうにうるんでいる。こういう目を向けられて、平気でいられる人間がいるのか。

 おかげで俺は、つい聞かれてもいないことを答えてしまった。

「なに、大層な話じゃない。君のお姉さんは、少し疲れているんだろう。気にする必要はないし、俺も気にしない」

 鈴蘭から抗議の咳払いが出た。

 だが本当のことだ。彼女の提案は、どう考えても正気じゃない。いますぐここから連れ去ってくれだなんて。また餓鬼につかまるだけだぞ。破滅願望があるとしか思えない。


 権兵衛はかたくなに会話に参加しようとしない。兵糧丸をかじり、俺にもひと粒よこしてくれた。


 *


 その晩、徹夜で見張りをしていたにもかかわらず、餓鬼どもは襲ってこなかった。あまいにおいをさせた女が三人もいるというのに。あいつらは腰抜けだ。もしのこのこやって来たら、絶対に手足を切り落としてやる。


 そして徹夜をしたせいで、俺はリヤカーに載せられての移動となった。おかげで小梅は徒歩。なのに文句も言わずに代わってくれた。

 例の戦闘から一睡もしていないから、俺の心と体は自覚できるほどすり減っていた。なのに、気持ちが高ぶりきっていてまったく眠れそうもない。

 だから俺はタイヤのゴロゴロ転がる音を聞きながら、柵にもたれかかって白いだけの空を眺めた。

 そこにはなにもない。

 ひたすら白いだけ。奥にはおそらく太陽と、そして宇宙がどこまでも広がっているのだろう。しかし俺の人生にはたいして関係のない話だ。それは世界の大部分であるにもかかわらず、無視していても問題のない存在だった。


 鈴蘭がこちらを見ていたので、目が合ったついでに尋ねた。

「俺は、君を叩いたことがあるのか?」

 すると彼女は、どういうつもりか鼻で笑い、こう応じた。

「あるとも言えますし、ないとも言えます」

「どっちなんだ」

「もしあったとして、それがなんだと言うのです? 私はあなたと一緒にいたいと思っている。なにがあっても。叩こうが蹴ろうが、好きにすればいいではありませんか」

 まあたしかに、こんなことを言われ続けていれば、暴力衝動のようなものも少しは芽生えてくるのかもしれない。しかし普通、そうなる前に距離を取るはずだ。そうしない人間もしばしばいるが。少なくとも俺は、殴りたいほどムカつく相手と一緒にいようとは思わない。

 こんな法も秩序もないような世界だからって、なにをしてもいいわけじゃない。この道理が分からないのは餓鬼と同レベルだ。

「ただ事実が知りたいだけだ」

 どうせ答える気はないんだろうと思い、こちらも投げやりになって応じた。

 が、観念したように鈴蘭は溜め息をついた。

「そんな顔をしないでください。お答えしますから。あなたは、たしかに私に暴力をふるったことがあります。しかしそれは夢の中の話」

「夢か……」

 じつの母かは分からないが、かさねを自称する女も夢の中に介入してきた。娘の鈴蘭にも同じ能力があるのだろう。

 彼女は静かに続けた。

「過去の世界から人間を連れてくる前に、面接のようなものがあるのです。選出された人間の中から、私たちはひとりを選んで夢の中でお話します。もちろん夢の中ですから、誰しも平時の態度とは異なる姿を見せるものですが……」

 で、俺はそんな乱暴なことをしたってのか。

「うっすら記憶に残ってる。ただ……。自分で言うのもなんだが、品のない生き方は好みじゃない。あんな抑制の効かないサルみたいな姿が本当の自分だとは思いたくないもんだな」

 彼女はふっと笑った。

「本当の自分? いえ、違いますよ。本当の自分は、いま現在の、覚醒状態の姿です。夢の中の自分というものは、なりたいと思う姿か、あるいは抑圧すべきと思う姿か、そのどちらかでしょう。もし後者の場合、したくないことほど、してしまう」

「それで君を殺したのか……」

「私が柔順であれば性的に搾取し、もしそうでなければ執拗に追い回して、腕や髪をつかんで引き倒しさえしました。それから引き裂くようにして、力任せに殺すんです」

「……」

 記憶にある。

 綺麗な女が夢に出てきて、仲良くなったり、対立したり、いろいろした。その「いろいろ」の中には、犯罪行為も含まれている。


 殺害の途中で我に返ることもある。鈴蘭はすでに瀕死になっているが、まだ呼吸を続けており、生かすこともできる状況。なのだが、ここまでやってしまったのだから途中でやめてもムダだという妄執に襲われ、結局は殺してしまう。

 そのときの俺は、わがままで自分勝手な、忌むべき下等な存在でしかなかった。飛び起きて、自己嫌悪におちいることもあった。


 彼女は目をつむり、記憶を巡らせながら続けた。

「私が死体になると、それを隠蔽しようとして、細切れに引きちぎったり、崖から投げ捨てたり、とにかくいろいろなことをしました。本当に短絡的で、その場しのぎの、乱暴な方法。知能というものがほとんど感じられない行為」

「もういい。分かった。なのに君は、俺を選んだのか」

「はい。理由は教えませんけれど」

 いちばん聞きたい情報が伏せられてしまった。

 となると推測するしかないが。やはり彼女には破滅願望でもあるのかもしれない。


 神経がすり減っているときにこんな話になったものだから、俺にも遠慮がなくなっていた。

「もしかして君は、死にたいのか?」

 いちおう周囲に聞かれないよう、小声で尋ねた。

 鈴蘭はうすい笑み。

「はい。あなたの手で、そうしてくれますか?」

 思いつめた様子には見えない。ウソとも思えない。表情からは本気かどうかも分からない。ただ、あまり俺には期待していないようで、ちょっと確認してみただけという顔をしている。

「断る。夢の中ならともかく、意識がハッキリしている以上、そんな空虚な行為に手を貸すことはできない」

「空虚……」

 彼女はどういうわけか、愉快そうに身を震わせた。声も出さずに笑っているようだ。

「空虚だろう。殺してくれだなんて」

「そうでしょうか。その手前までは結構うまくいくんですよ。夜伽のさなかに、私の首をしめてくれる人間はいくらでもいましたし」

 この女、とんでもないプレイをしてるんだな。

 付き合いきれない。

「あら、引いてしまいました? 夢の中では、もっと酷いことをしていた人が」

「なぜだか分かるかな? じつはいま、俺は起きてるんだ。寝てない。よって夢も見ていない」

 シンプルな結論だ。俺のような常識人は、そういう話には乗れない。

 とはいえ、眠気が高まりすぎていて、自分でも起きているかどうか怪しい状態だが。体は疲れ切っているのに、興奮がぶり返して目が冴えてしまっている。アクセルとブレーキを同時にベタ踏みしているような状況だ。

 鈴蘭はシラけたように遠くを見やった。

「あなたは期待はずれだったかもしれません。大多数の人間と同じことをして満足しているだけの、薄っぺらくてスカスカの男……」

「ご理解いただけてなによりだ」

 おめでとう、鈴蘭。君は正解にたどり着いたぞ。

 クソ。

 俺だって、できれば自分を特別な存在だと思いたかったよ。だが生きていればイヤでも分かる。特にそんなことはないってな。そうなると、あとはできる範囲で、できることをするしかなくなる。いっそ分かりやすくていいが。


 ともあれ、これで俺がここにいる理由もなくなったわけだ。

 できれば元の世界に帰して欲しいものだが。


 *


 次に気がついたとき、俺は家の中にいた。

 自宅じゃない。

 権兵衛の家だ。すでに日が暮れているらしく、囲炉裏の火だけがうっすらと周囲を照らしている。よほど熟睡していたらしく、一瞬でワープしたような感覚だった。途中の記憶がまったくない。夢さえ見ていないと思う。

「あ、起きた? よく寝てたね。お茶飲む?」

 囲炉裏の脇には風呂上がりでびしゃびしゃの小梅がいた。

 ほかにはいない。

 俺は毛布をよけ、上体を起こした。

「ありがとう。一杯もらおうかな」

「うん、待ってて。少しさますから」

 かいがいしく立ち上がり、鉄瓶をおろした。

 髪を結っていない彼女は鈴蘭と瓜ふたつ。俺は夢の中で鈴蘭をいたぶっていたらしいから、餓鬼を殺害している最中に小梅の顔がフラッシュバックしたのも、いまなら理解できた。あれは正確には小梅ではなく、鈴蘭だったのだ。

「すずさんは?」

「お部屋に寝かせてる」

 気のせいか、小梅はやや不機嫌そうに応じた。

「なにかあった?」

「ないよ、なにも」

 あきらかになにかある。怒ると頬をふくらませるからすぐに分かる。

 が、追求はすまい。

「権兵衛さんは?」

「たぶんお風呂」

「じゃあ、もうひとりの子は?」

「姉さまの隣で寝かせてる」

「まだ喋らない?」

「うん。ぜんぜん反応ないよ……。餓鬼につかまると、ああなっちゃうんだね……」

 みずからの精神を徹底的に殺さなければ耐えられないような状況だったんだろう。

 小梅を餓鬼どもに引き渡さなくてよかった。手足を切り落とされて、腹を叩かれて、好き放題に使われて……。そんな状態になっていたかと思うと、想像するだけで怒りが湧いてくる。

 鈴蘭は、そんな環境に十年もいたのだという。

 そのわりには言動がしっかりしているように見えるが。これも権兵衛の懸念通り「ように見える」だけであって、実際は完治していないのかもしれない。ムリした結果、ひずみが生じている。


 受け取った茶を、熱さに気をつけながらすすった。

 ずっと高温で煮出しているせいか強烈に苦い。嗜好品というよりは薬品だ。においは俺たちの知っているありふれた煎茶だと思うのだが。

 おかげでカッと目が醒めた。

 小梅は自分では飲まず、ただじっとこちらの様子をうかがっている。

「どうした?」

「ん? ううん、なんでもない……」

 なんだか気遣うような態度に見えなくもない。

 姉妹間のことならともかく、俺に関係していることなら聞いてもよさそうか。

「なにか言いたいことあるなら、言ってくれると嬉しいんだけど」

 すると小梅は、唐突に目を泳がせた。

「あ、そのぅ……。違うの。べつに、あんたのことつまらない人間なんて思ってないから。助けてもらえて嬉しかったし。小梅は人間のこと好きだよ?」

 いきなりフォローされてしまった。

 つまらない人間、か。そういえば鈴蘭から「薄っぺらくてスカスカの男」と評されたばかりだったな。きっと彼女がなにか言ったんだろう。

 俺は怒る気にもなれず、むしろ笑ってしまった。

「ありがとう。でもいいんだよ。人にはそれぞれ持ってるものと持ってないものがあって、可能な範囲でやるしかないわけだし。評価もいろいろだよ。気にしてたらキリがない」

「けど、姉さまの言いぐさは酷いよ」

「なんて言ってたの?」

「えっと、そのぅ……。もういらなくなったから、小梅の好きにしていいって」

「……」

 つまり俺は、彼女を殺す役目から解放されるってことだ。むしろ歓迎すべきことじゃないか。まったく腑に落ちないという俺の気持ちに目をつむれば。

 つまりこういうことだ。俺は一方的に面接されて、一方的に連れてこられて、一方的に捨てられた。

 とんでもない女だ。こっちだって願い下げだよ。

 と、言ってやりたいところだが。やっぱりすぐには納得できない。

 つい溜め息が出た。

「人間、落ち込んでる?」

「たぶん」

「あの、じゃあ……。もしも、だけど。小梅が姉さまの代わりになるの、あんまり嬉しくない? 小梅じゃダメ?」

 ダメじゃない。嬉しいに決まってる。だが、それ以上に哀しかった。こんなに気を遣わせてしまって。

「ありがとう。嬉しいよ。ただ、いろいろ考えるのは、直接すずさんと話をしてからにするよ。このままじゃ、なんだか踏ん切りもつかないし」

「うん……」

 鈴蘭にフラれたから小梅にする、などと簡単に切り替えることはできない。カッコつけるならば、だが。しかしどちらも選ばなかった場合、俺はメシを失う。

 いや、いっそのことメシは権兵衛から頂戴してもいい。ここに住み込んで畑を手伝いながら生きるのだ。どうせ元の環境には帰れそうもないし。


 助け出した相手に、いきなり捨てられることになるとは。

 世界とは、かくも理不尽にできているものなのか。


(続く)

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