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蠱毒  作者: 不覚たん
表象編

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13/56

Rapid Eye Movement

 さいわいと言うべきか、落とし穴以外に罠はなかった。

 もし仮にくまなくトラップが敷き詰められていたならば、餓鬼たちだって通れないだろう。ガバガバなのにも理由がある。


「ほう、なかなかの手並みだな。あんた、もしかしてこういうの詳しいのか?」

 権兵衛がしきりに感心しているが、こちらとしては特別なことをしたつもりはない。タフさに任せて考えなしに進むのをやめれば、必然的にこうなる。

「いえ、注意深く観察しただけですよ」

 これじゃあまるで、異世界に飛ばされて現地住民から賞賛を受ける人間みたいだ。


 あるいは巨体の権兵衛にとって、あの程度の罠は「ちょっと痛い」だけで済むのかもしれない。足に穴が空くのを「ちょっと」で済ませられるならば、だが。

 人間から見た「蜘蛛の巣」のようなものか。小さな虫にとっては命に関わるトラップだが、人にとっては鬱陶しいだけだ。権兵衛にとっても、落とし穴とはその程度のものなんだろう。


 少し進むとひらけた場所に出た。

 というより、すでに餓鬼のテリトリーに踏み込んでいたようだ。

 期せずして遭遇してしまった。

 見張りは槍を手にした二匹。そのちょっと奥に、無数の餓鬼どもがひしめき合っている。学校の一クラスほどはいるだろうか。無言で、もちゃもちゃとなにかを食っている最中。

 そいつらが、一斉に俺たちを見た。


 血の気が引いた。

 数匹ずつならともかく、そこには両手で数えきれないほどの餓鬼がいる。こいつら全員と殺し合いをして、無傷で生き延びるのは不可能だろう。

「ちと暴れてくる。ふたりはそこで見ててくれ」

 権兵衛がまるで怖じた様子もなく歩を進めた。

 その巨体に、餓鬼たちも圧倒されている。

 もしかしてこれは、奇襲になっているのではなかろうか。よく見ると、槍を持っているのは見張りの二匹だけで、残りの連中の手は食事でふさがっている。


 あんぐりと口を開いたままの見張りを、権兵衛はナタでスパッと叩き切った。二匹の餓鬼は同時に頭部を失い、声をあげる間もなく即死。雪だるまの頭部がごろりと転げ落ちたようだった。

 残りの餓鬼どもはパニックを起こし、ギャーギャーわめきながら右往左往しだした。ランチタイムが終わったことにようやく気づいたのであろう。あるものは槍を手にとり、あるものは身を伏せて頭を抱え、あるものは逃げた。


 武器も持たずにこちらへ走ってきた一匹の餓鬼が、はじめて俺たちの存在に気づき、慌てふためいてUターンした。俺はその背を追いかけ、一瞬の迷いはあったものの、奥まで槍を突き込んだ。げぶと肺から空気の抜ける音が、振動となって手元へも伝わった。

 俺は死体を蹴飛ばして槍を抜き、次の敵に備えた。が、ほかには来ていない。


 主戦場では、権兵衛が文字通り大ナタを振るっていた。リーチがあるため、数匹をひとなぎで殺害できた。しかも腕力が桁違いだから、刃は餓鬼の体を容赦なく両断し、周囲をまたたく間に屍山血河へと変えた。

 血の海、というよりは、血の沼だ。血液が土に混じって泥となっている。権兵衛はそこへ強く踏み込み、汚泥を蹴立て、真上からさらに餓鬼をかち割った。

 大虐殺だ。

 権兵衛は表情を変えない。ただ黙々と、薪割りのように作業を繰り返している。さわいでいるのは餓鬼だけ。


 餓鬼はもはや勝負をあきらめ、手前勝手に四散しだした。

 こちらへも何匹か来た。武器を手にしているものもいるが、ほぼ素手だ。俺は槍を横に構え、フルスイングで切り裂いた。が、一網打尽とはいかない。二匹ほど裂いたところで刃が止まり、残りの三匹には届かなかった。

 そう。

 その三匹は、俺の後方へ逃れた。そちらには小梅がいる。

 彼女はそれでも、なるべく声を我慢したのだろう。「ひゃうっ」と飲み込むような悲鳴をあげたのみで、その場にうずくまってしまった。

「いま行く!」

 俺は死体から刃を引き抜き、全力疾走で餓鬼を追い立てた。

 すると餓鬼どもは小梅の横を素通りし、奥へと逃走した。一匹が穴に落ち、残りの二匹が草に足をとられて転倒。俺はすぐに追いついて、一匹目の背へ槍を突き立てた。引き抜いて、もう一匹にもトドメを刺す。

 いや、まだ死んでいない。だからまた刺した。

 明るいから見える。こいつは餓鬼だ。小梅じゃない。殺していい相手だ。

 しかしなかなか絶命しない。そいつは口から血を吐き、目に涙を浮かべながら、ただ無抵抗に転がっていた。すべてをあきらめた顔だ。早く殺してくれと言わんばかりの。

 俺は刺した。

 餓鬼は、鼻の奥から苦しそうな声を漏らす。

「なんで死なないんだ! こいつ!」

「ぐぎぃ」

 いや、悪いのは俺だ。次第に手が震えてきて、狙いが定まらくなっていた。そんなつもりはないのに、まるでいたぶるかのように、腿や肩口ばかりを突いてしまう。

 攻撃を続けなければ。

 放っておけば死ぬのは分かりきっているのに、俺は確実に死を見届けねばならぬという妄執に取りつかれていた。

 刺していると、後ろからドスドスと権兵衛がやってきた。

「そいつはもういい。先へ進もう。すずがいるかもしれない」

「……」

 俺は返事もできなかった。

 が、彼の言う通りだ。この餓鬼は助からない。


 もぬけの殻となった餓鬼の巣には、じつにさまざまなものが転がっていた。

 大量の槍はもちろんのこと、寝床となる雑草の束や、食事に使ったとおぼしき串、食い散らかされた白骨、雨よけの板など。

 火を起こした痕跡はない。

 かなり原始的な生活を送っていたようだ。


 奥には岩場があり、小さな洞窟となっていた。洞窟といっても探検できるほどの大きさではなく、ちょっとした穴ぐらのようなものだが。

 鈴蘭はそこに座らされていた。

 表情がうつろだったから、人形のような置物にも見えた。

 羽衣を剥ぎ取られ、四肢を切り落とされ、椅子にロープで縛り付けられていたのだ。腹部には、見るも無残なアザの数々。きっと床に転がっている木の棒で叩かれたのだろう。強制的にシチューを吐かされたに違いない。

 のみならず、好き放題に慰みものにされたらしく、下腹部にも痕跡が認められた。


 小梅は「姉さま……」とつぶやいたなり、完全に黙り込んでしまった。受け入れるにはあまりに悲惨な状況だ。

 代わりに権兵衛が歩み寄り、ナタを使ってロープを切断。無反応となった鈴蘭を、そっと抱きしめてやった。


 俺も言葉がなかった。

 ただショックというだけではない。以前、どこかでこれと同じ光景に目にした気がするのだ。

 はじまりは些細な口論だった。激高した俺は、鈴蘭を引き倒し、腕をもぎ、上から踏みつけたような気がする。いや背骨をへし折って、上半身だけ引きずり回した気もする。

 たぶん夢だ。それも、まだここへ連れて来られる前の。

 もちろん俺には人体を引きちぎるような力などない。というより、鈴蘭と出会ったのもここへ来てから。だから現実の記憶じゃない。ないはずだ。たぶん。


 権兵衛はなかなか戻ってこなかった。鈴蘭がなにか訴えているのを、必死に聞き取ろうとしている様子だ。

 彼の視線が動いた。

 俺もつられてそちらを見た。

 引き倒された椅子に、もうひとりの女が縛り付けられていた。鈴蘭と同じように手足を失い、アザだらけにされている。かなり若い。見た目だけなら十代後半といったところ。

 俺はすぐに駆け寄り、槍の先端でロープを切った。

 むっとするほどあまいにおいを放っている。これが彼女たちの体臭なのかもしれない。それでも虫が寄ってこないのは、特異な能力によるものか。

「この子も保護しましょう」

「もちろんだ」

 見捨てるわけにはいかない。

 その少女は少し痩せ気味で、ひょいと持ち上がってしまった。ずいぶん軽い。鈴蘭が来る以前から、餓鬼の食い物にされていたのだろう。無表情で、どこも見ていない。死んでいないとは思うのだが……。


 *


 俺たちは草原を抜け、民家の前まで戻った。

 リヤカーもそこにある。

 荷台には鈴蘭と少女、そして小梅を載せ、俺は歩いてついていくことにした。

「よし、帰るぞ」

 権兵衛がゆっくりとリヤカーを引き始めた。


 俺は槍を手に、リヤカーの後方に回った。

 鈴蘭は目を半開きにし、虚空を見つめている。となりの少女もほぼ同じ。

 さぞ耐え難い思いをしたことだろう。あるいは、死ぬよりつらい状況ではなかったろうか。こんな状態になってまで、それでも生きているとは。ちっともいい話じゃない。

 いや、俺たちが助けに入ったことが間違いだったと言いたいわけじゃない。ただ、受け入れがたいだけだ。そもそも最初から、こんな状況にすべきじゃなかった。


 餓鬼が憎い。

 生きるためだかなんだか知らないが、だったらイモでも掘って食いつなげばいいのだ。女をさらって、あんなふうに食い物にするなんて。

 もし先にこの惨状を見ていたら、俺は餓鬼の群れに突入し、手当たり次第に怒りをぶつけていたかもしれない。いずれにせよ冷静ではいられなかっただろう。


 見ていられなくなって、俺は権兵衛の横に並んだ。

「すずさんの体、もとに戻るんですよね?」

「ああ、そのうちな」

「そのうち……」

 どの程度の期間だろうか。彼女たちは寿命が長いようだから、いくら時間がかかろうとも困らないのかもしれないが。

 そんな俺の懸念をよそに、権兵衛はこう続けた。

「体は治る。ただ、心のことまではなんとも言えん。治ったように見えても、どこか引きずってるように思えてな。あんたさえよけりゃ、しばらく家にいて、娘を元気づけてやって欲しいんだが」

「はい、そうさせてください」

 鈴蘭の、一見穏やかなようで、タガの外れたような言動を見ていると、やはり心が少し壊れていたのではないかと思う。

 いや、生まれつきああなのだとしたら、これは失礼な話だけれど。

 できれば小梅には、同じ目にはあって欲しくない。もしまた旅に出ることがあれば、そのときはなんとしてでも留守番していてもらわないと。


 *


 夕刻が近づいてきたので、俺たちは河川敷で足を止めた。

 もってきた薪を並べ、その上に拾い集めた枯れ枝などを置き、小梅が呪具で火をつけた。

 ここは安全とは言えないが、ほかに手頃な家屋も見当たらなかった。しかしもし夜になったとして、俺が寝ずの番をすればいいだけの話だ。来た餓鬼は例外なく皆殺しにしてやる。


 毛布を巻いた鈴蘭と少女を、小梅が火の近くに寝かせた。

 ふと、鈴蘭が、小声でなにかを言ったようだった。

「なに、姉さま?」

「……」

 少し離れたところで座っている俺には聞き取れない。

 小梅は耳を近づけて、うんうんうなずいた。かと思うと鈴蘭の頭を抱え、そっと唇を重ねた。軽くえずいて、慎重にごはんを流し込む。


「ちょっと薄いわね」

「姉さま……」

 鈴蘭は思ったより元気そうだ。それが第一声かよとは思うが。

 いや、こういう振る舞いに騙されてはいけない。彼女はきっと傷ついている。それを表に出さないようにしているだけだ。

 実際、鈴蘭はつらそうに目を細め、笑みにも苦いものをにじませている。

「父さま、玉田さん、おふたりにもお礼を申し上げます。私なんかのために、わざわざ危険をおかしてまで……」

 これに権兵衛は複雑そうな顔でうなずいたきりで、返事をしなかった。娘の回復を素直に喜んでいるようには見えない。やはり心を気にしているのか。

 代わりに俺が形式的な相槌を打った。

「見つかってよかったよ」

「……」

 あまりに形式的すぎたせいか、鈴蘭は露骨につまらなそうな顔で会話を切り上げてしまった。代わりに、小梅に向き直った。

「小梅、彼女にも食事を」

「うん」

 その「彼女」とやらは、本当に死体のような無表情だった。呼吸はしている。しかしそれだけだ。なんらの意思表示もしない。

 小梅がシチューを注ぎ込むが、軽く口に含んだだけで、大部分をこぼしてしまった。それを小梅は手で拭ってやる。もし人間だったら助からない状態だろう。

 おかっぱというよりは、もっと丸みを帯びたショートボブのような髪型だ。かなり痩せこけて、あばらが浮き出している。食べなくても死なないはずだが、それでもあれだけ強引に吐かされ続けていれば衰弱していくものなのかもしれない。


 権兵衛が腰をあげ、「ちょっと釣りでもするか」とひとりで行ってしまった。

 釣れないことなど分かりきっているのに。

 しかしあまり悪く言う気にもなれない。きっと娘の姿を直視できなかったのであろう。

 鈴蘭は、やや非難がましい目でこちらを凝視していた。が、彼女は俺にではなく、小梅に向かってこう告げた。

「小梅、あなたも父さまと一緒に釣りをなさい」

「えっ?」

「姉さまは、人間と大事なお話があります」

 すると小梅は、途端に不安そうな表情になった。

「それって小梅には言えない話?」

「そうです」

「小梅だけ仲間はずれなの? それとも、あとで教えてくれる?」

「教えません。これは大人同士の話なのですから。分かったら向こうへお行きなさい」

「……」

 小梅は返事もせず、不服そうな顔で立ち上がった。しかしこの状態の姉に反論するのも気が引けたのだろう。言われた通り、権兵衛のもとへ行ってしまった。


「さて、玉田さん」

「はい?」

「あなたには本当に感謝しています。旅の途中、大変なこともあったでしょう。じつは前回、餓鬼につかまったときは、十年近く発見されなかったこともあり、案内すべき人間とはぐれたまま再会もできないという結果に終わってしまいました。ところが今回、さほどの時を経ぬうちに迎えに来てくれましたね。こんなに嬉しいことはありません」

 だが言葉とは裏腹に、喜んでいるようには見えない。

 これはただの前置きだろう。

 俺が黙っていると、彼女はさらに不審そうな目を向けてきた。

「その上で、なのですが。なぜ小梅が同行しているのか、ご説明願えませんか」

「みんなで決めたんだ」

「みんな、とは?」

「俺と、お父上と、小梅本人だよ。なにか問題でも?」

 実際は小梅がうるさかったから、俺や権兵衛では止められなかっただけなのだが。

 鈴蘭は不快そうに溜め息をついた。

「ずいぶん仲良くなったように見えますね。もしかして、ヤったのですか?」

「は?」

「弱みに付け込んで純潔を奪ったのでしょう?」

 なにを言い出すんだ。

 みんなの気持ちも考えずに。

「ふざけるな。そんなことするかよ。こっちは必死だったんだぞ。俺だけじゃない。小梅だって本気で君を心配してた。なのに、そんなこと……」

「そんなこと? 私にとっては大事なことです。ヤりまくりでガバガバになった私ではなく、手付かずでうぶな小梅の体をもてあそびたいのは分かります。しかしあなたの案内人は、あくまでこの私。あなたの世話は私だけがするのです。そこを守っていただけないようでしたら、こちらにもそれなりの考えがあります」

 これは間違いなく頭をやられてる。

 被害妄想もはなはだしい。

「手は出してない。もし疑うなら、小梅の体を確認してみるといい」

「よくもそんなやらしいことを……」

「じゃあどうするんだ? ほかに証明のしようもないぜ」

 すると彼女は、やや腐ったような笑みを浮かべた。

「もし天に誓えるのでしたら、いますぐここから私を連れ去ってくださいな。またふたりきりで旅を続けましょう」

「……」

「どうしました? できないのですか?」

「言ってることがまともじゃない。よって、まともに応じる気にもなれない。正気に戻ったらまた聞くよ。それまで、この話はしないでくれ。聞きたくないからな」

 こっちもだんだんイライラしてきた。

 ひどい目にあって頭が混乱しているのは分かるが、なにもこんな話をすることはないだろう。小梅に少しも惹かれなかったわけじゃない。しかし俺は、できるだけ鈴蘭のことだけを考えてここまで来た。必死になってたのがバカみたいじゃないか。


 彼女はかすかに笑った。

「叩かないのですか?」

「えっ?」

「いつもそうしていたように、私のことを、乱暴に……」

 なにを言っているんだ。

 あれは夢の中の話だろう……。


(続く)

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