人力ロードムービー
かくして旅が始まった。
懸念していた親子ゲンカは発生せず、どういうわけか権兵衛は小梅の同行をすんなり許可した。
おかげで、いま俺と小梅は、権兵衛の引くリヤカーに乗って南を目指している。
小梅は変装していない。髪をさらし、羽衣だけの薄着だ。
「ねえ、父さま! もっと速くできる? びゅーってして、びゅーって」
「あんまりはしゃぐんじゃない。このオンボロは雑に扱うと車輪が外れるんだ。おとなしくしていなさい」
「えーっ! つまんなぁーい!」
注意を受けたばかりなのに、鉄柵につかまってガシガシゆする始末だ。
彼女があえて薄着なのには理由がある。
においで餓鬼を寄せ付け、とっ捕まえて巣の場所を聞き出すのだ。といっても、餓鬼はいろんな場所に分散して住んでいるから、いま餓鬼を捕まえてもハズレくじを引かされるだけだが。
小梅は自分の体をくんくんと嗅いだ。
「ねえ、人間。小梅の体ってそんなににおいする? ちょっと嗅いでみてよ」
「えっ?」
無邪気にバンザイをした。
袖のところに切れ目が入っているから、つるりとした腋のラインが丸見えだ。
「どんなにおいなの? 変じゃない?」
「変じゃないよ。かすかにあまったるい感じがするだけで」
「待って。なんでそんな適当なの? ちゃんと嗅いでから言って!」
「いやいや、近寄らなくてもだいたい分かるから」
わざとやってるのかと言いたくなるくらい、無防備に攻め込んでくる。
ここでヘタを打てば、俺は生きて帰ることが難しくなる。
権兵衛も振り返りはしないが、溜め息混じりだ。
「おい、小梅。あんまり玉田さんを困らせるんじゃない。お前はまだ子供だが、いちおう嫁入り前の娘なんだからな」
「なんで? 自分がどんなにおいか知りたいだけじゃん!」
「言うこと聞けないなら家に帰すぞ」
「ぶーっ!」
お義父さん、もっと厳しく言ってやってくださいよ。この子、いーっつもこうなんですから。
*
その後も南進したが、餓鬼が襲ってくる気配はひとつもなかった。
もし仮に小梅のにおいに気づいたとして、近くにこんなデカい男が見えたら餓鬼だって警戒するに決まっている。
権兵衛が空腹を訴えたので、河川敷にリヤカーを置き、食事を兼ねての小休憩となった。
看板によれば利根川の支流らしい。ただし表記は英語である。漢字もあるが、おそらく中国語だろう。まったく読めない。ここはもはや俺の知っている日本の姿ではないようだ。
「こいつは特性の兵糧丸だ。ひと粒で腹を満たすことができる」
権兵衛が、干からびた団子のようなものを見せてくれた。
メシは現地調達だとばかり思っていたが、どうやら事前に準備してきたようだ。
袋には数十粒が入っている。権兵衛はひと粒とって口に放り込んだ。体長三メートルの男に比べれば豆粒のようなサイズだが、本当に足りるのだろうか。
彼は奥歯でガリガリ齧り、「うむ」とうなずいた。
「ダメだ、全然足りん」
そりゃそうでしょうよ、お義父さん……。
小梅がつまらなそうな顔で近づいてきた。
「ごはんが欲しいならそう言ってよ。いくらでも出すから」
「待て。その必要はない」
権兵衛はなぜか切羽詰まった表情。
娘のメシを、ここまでマジな顔で拒否するとは。ゲロをすするのは不服か。
彼は腰にくくりつけていたナタを取り、周囲を見回した。
「食えそうな動物を探す。それまでおとなしく待ってろ」
「はぁーい」
源兵衛はドスドスと足音を立てながら、いずこかへ向かって歩き出した。
アテがあるのかどうかは分からない。
ただ、俺が見る限り、あの巨体を満足させられそうな獲物はどこにも見当たらなかった。
*
三十分ほど待っただろうか。権兵衛が手ぶらで帰ってきた。汗だくで、疲れ切った表情だった。
「戻ったぞ」
出迎える小梅はリヤカーに腰をおろし、ニヤニヤしながら足をぶらぶらさせている。
「お帰り。ごはんの用意できてるよ」
小梅の白濁したゲロが、鍋いっぱいになみなみと満ちている。俺のぶんと、権兵衛のぶんと。凄まじい量だ。
それを見る権兵衛の目は、なんというか、光を失っていた。かと思うと、彼は唐突に土下座をした。
「すまん! いまごろになって兵糧丸が効いてきた! それはふたりで食ってくれ!」
「……」
おい、オヤジさんよ。てめぇ、自分がなに言ってんのか分かってんだろうな……。
量を見ろよ、量をよ! ふたりぶんってレベルじゃねぇぞ。てめぇの巨体に合わせて、小梅が大量に吐き出したんだよ。とにかくとんでもねぇ量なんだよ!
すると小梅も、ジト目になって応じた。
「小梅、食べないよ」
「えっ?」
俺は自分でもびっくりするほどマヌケな声を出してしまった。
小梅、食べない。
それすなわち、俺がひとりで食べる、ということだ。
彼女はかすかに嘆息した。
「自分で出したごはんだよ? 自分で食べるっておかしくない?」
一理ある。
いや、ない。
出したなら、全部食べてくれ。俺は兵糧丸で腹を満たしたい。
オヤジは土下座したまま、ひとつも食う気がない模様。完全に押し付ける気だ。
俺はねぇ、こいつの頭に鍋の中身をぶちまけてやりたいよ。
鍋の中のシチューは、ほかほかと湯気を立ちのぼらせ、食欲をそそるかおりを漂わせている。口の中に入れればデンプンのほのかなあまみが広がるはずだ。実際、そういう食べ物なのだろう。
だが、くどいようだが、出すところをこの目で見ている。
腹は減っているのに、まったく手が伸びない。
小梅はやや脅迫するように、斜め下からこちらを見つめてきた。
「まさか、捨てないよね?」
「す、捨てない」
「食べるよね?」
「食べるよ……」
これは命の源だ。俺の体は、この食料に生かされている。
百歩譲って自分でとったものならまだしも、人様に用意してもらったものだ。粗末にすることは許されない。小梅だって、悪意をもって用意したわけではない。苦しい思いをして、涙目になってまで出してくれたものだ。
捨てるわけにはいかない。
が、どう見ても食いきれない。
「あのー、これは保存とか聞くのかな? もしそうなら半分は夜に回したいんだけど……」
「ムリだよ。おいしいものは傷みやすいの。新鮮なうちに食べて?」
「はい」
出処はともかく、れっきとしたメシだ。この世界で生きようと思うなら、早くなれなければ。郷に入りては郷に従えと古人も言っている。
*
リアルに吐きそうになりながら、なんとか食い終えた。
胃袋が水風船みたいになっている。
その間、小梅は花冠をつくるのに夢中だったし、オヤジは釣りに没頭していた。しかも釣れたならまだしも、完全にボウズだ。このオヤジ、もしかしてあまりサバイバルの経験がないのでは。
俺は川で鍋を洗った。
水は清冽なのに、生き物がまったく見当たらない。鈴蘭は虫を寄せ付けないとかいう話だったから、もしかすると小梅も同様なのかもしれない。魚が釣れないのもそういう理由か。
頭に花冠を載せた小梅がやってきた。
「ちゃんと食べ切ったね」
「ごちそうさま」
「食べ物を粗末にしないのはえらいよ。小梅、褒めてあげる」
「ありがとう」
俺を褒めたついでに、ダメなオヤジにもピシャリと言ってやって欲しいところだが。
そのオヤジはエサもつけていない木の棒を投げた。
「ダメだ。ちっとも釣れやしねぇ。山ならなぁ。俺どっちかってぇと山なんだよなぁ」
ひとりで言い訳を始めた。
まあ鹿肉を食わせてくれたくらいだし、得意なのは山なんだろう。今回の旅ではあまりアテにできないことが分かった。
俺は権兵衛に告げた。
「次は俺も兵糧丸をいただいても?」
「ああ、いいぜ。まだまだいっぱいあるからな」
「ご自分で作ったんですか?」
「まさか。故郷から持ってきたんだ。腐る心配がねぇから、いざってときのためにとってある」
この世のものではないということか。
まあそれはいい。
俺は小声でこう尋ねた。
「あの、権兵衛さん、娘さんのごはんは……」
「な、なんだよ」
「食べたことは?」
「ある」
「気が進まないように見えましたが?」
すると彼は露骨に目を泳がせ、ごまかすような態度を見せた。
「だからよ、腹いっぱいだって言っただろ」
「もし空腹なら?」
「兵糧丸があるだろ」
「それもなくなったら?」
「食うよ」
「そうですか」
そりゃ餓死するよりはマシだろう。
つまりは俺と同じ気持ちということだ。
*
ふたたびリヤカーでの移動が始まった。
車体が跳ねるたび、胃がチャポンチャポンと音を立てる。これは吐くかもしれない。
いちおうアスファルトで舗装されてはいるのだが、誰もメンテナンスしていないからボロボロだったし、ときおり瓦礫を乗り越えないといけなから、道は平坦とは言いがたかった。
こっちは苦しんでいるというのに、小梅は元気いっぱいだ。
「ねね、人間! 見て見て! この花冠、綺麗じゃない? ていうか小梅、いつもの倍かわいくない?」
「ん、ああ、似合ってるよ」
「また適当! ちゃんと見てから言って!」
「顔が近い」
「なに? 照れてるの? 小梅がかわいすぎるから? ふぅーん、そうなんだぁ」
俺が注目したのは、小梅自身よりも、むしろ頭に載っている花だ。
その花の正体が分かれば、季節くらいは分かるかもしれない。
「なんの花?」
「これ? たぶんカタバミかな」
「季節は?」
「夏に決まってるでしょ」
「そ、そう……」
決まってるとか言われても、こっちは花のことなんて知らないのだ。
いや待てよ。
夏?
夏にしか咲かない花ということか? つまり、いままさに夏だと?
こんなに涼しいのに? いや肌寒くすらあるのに?
予想では春か冬、それも冬に近い時期かと思っていたのだが……。空に謎のもやがかかっているせいで、あまり気温があがらないのかもしれない。
永遠に晴れない霧のようなもやだ。
あれはただの雲なのだろうか。それとも別のなにかか。
ふと、リヤカーを引いていた権兵衛が口を開いた。
「そうだ。念のため、いまのうち言っておくが……。つかまった鈴蘭は、たぶん、かなりひどい目に遭わされてる。だが、あまり感情的にならないでくれ。どんな怪我を負っていても、そのうち直るからな。生きていれば、だが」
「……」
想像するだけで神経が高ぶってきた。
普通に目撃すれば、ショックを受けるような光景ということだ。餓鬼どもに囲まれて、きっと孤独に、なすすべもなく、ひたすら傷つけられている。
恐怖なんて蹴散らすくらいの怒りが湧いてくる。もしその姿を目撃すれば、俺は躊躇なく餓鬼を殺すだろう。
だが、いま権兵衛から感情的になるなと言われたばかりだ。
俺は自分をコントロールせねばならない。冷静さを欠けば必ずミスをする。心構えをしておいたほうがいいだろう。せっかく権兵衛が事前に指摘してくれたのだ。
すると、空気を読まない小梅がぼやいた。
「父さまが右腕を失ったのも、感情的になったせいなの?」
いくら家族同士だからって、あまりに無遠慮だ。
が、権兵衛は「ガハハ」と豪快に笑った。
「こいつぁただの不注意だ。餓鬼の罠にひっかかってな。腕が挟まって仕方ねぇから、自分で切ったんだ。かなり痛かったぞ。お前らはマネすんなよ」
「自分で切ったんだ……」
さすがの小梅も引いている。
だが、冷静な権兵衛のことだ。状況を見極めて、最善の選択をしたんだろう。
彼はこう続けた。
「たぶんまだ岩の中でピクピクしてんじゃねぇかな。餓鬼は男の腕は食わねぇからな! ガハハ!」
笑っていいのか判断に困るな。
本人が気にしていないならいいんだが。
俺はこの流れに便乗し、かねてから気になっていた質問をぶつけた。
「じゃあ、その六本の腕は?」
「これか? 餓鬼の死体から拝借したんだ。押し込んだらくっついたから、まあいいかなって思ったんだがな。ちっと小せぇもんで、二本、三本ってつけてるうちに、最終的にこんなになっちまった。けど不便だぜ。それぞれ別々に動かせりゃいいんだが、どれも同じようにしか動かせねぇ。八面六臂なんていうが、ありゃウソだな」
脳が対応していなければ、余計な四肢も自在には操れまい。こんな非常識な存在に人間の常識を当てはめるのもなんだが。
ともあれ、これだけ強い男でも腕を失うことがあるのだ。餓鬼との戦いでは、じゅうぶんに気をつけねばならない。
冷静に、慎重に、そして勇敢に。
まあ石を投げて遠くからサポートするのがせいぜいだと思うが。
なお、蔵から出してくれた埴輪の鎧は、試着の途中でぶっ壊れた。内部まで完全に錆びていたのだ。伝説の武具どころか、ただの腐食した鉄くずでしかなかった。
現在、完全に無防備である。
どこかに銃でも落ちていないだろうか。撃ったことはないが、素手よりはマシだろう。
あるいは、交番あたりから防刃ベストでも回収できればいい。耐用年数を考えると、期待した効果を発揮してくれない可能性もあるが。
いま現在、どこかで誰かがなにかを生産してくれているといいんだが……。しかし人類が絶滅した以上、その「誰か」は俺ということになる。まあムリな話だ。
せいぜい頭を使って、それらしい戦術を考えるしかない。俺でも役に立てそうな、それでいて安全な戦術を。
(続く)




