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蠱毒  作者: 不覚たん
表象編
1/56

メシがない

「聞き間違いでしょうか? いま、ヘビを食べると?」

 女は端正な眉を遠慮がちにひそめた。

 羽衣というのか、重力を無視しているとしか思えない薄布をまとっただけの、とにかく外見はそれらしい女だ。いろいろ省くが人間ではない。

 名は鈴蘭。自称「案内人」。それ以外のことはまだよく知らない。

 長い黒髪を風にさらし、かすかにほほえんでいる姿は、神々しいくらいに美しい。


 俺はあらゆる釈明を飲み込み、ひとまずうなずいて話を進めた。

「俺さ、イギリスの冒険家がサバイバルしてる番組、けっこう観てたんだよね」

「はぁ」

「その人、昆虫とか見つけ次第、生で食うワケよ。だけどヘビだけは、ちゃんと火を通して食うんだよね。ああいうの見てると、なんかヘビってのがマシな食料に見えてきてさ。ホクホクの焼き魚みたいなんだよ」

 すると彼女はひどく目を細め、なじるような視線を向けてきた。

「できる限りあなたの意思を尊重したいとは思いますが、それだけは賛同できませんね」

「でもメシがさ……」

「食事なら私が用意しているではありませんか」

「いや、それはそうなんですけども……」

 つい敬語になってしまった。


 日本神話にオオゲツヒメというのがいる。スサノオに頼まれて食事を用意したのに、ぶち殺されてしまった可愛そうな女神だ。

 なぜ殺されたのかは……。彼女が自分の体から食事を出したからだ。大変なご馳走だったにもかかわらず、「汚い」という理由で殺された。なんともひどい話だ。


 ともあれ、それと同じことを、目の前の女もする。

 すでに世界は滅んでいるから、ここには俺と彼女しかいない。いやほかにもいるが、どうやら人間ではないようなのでひとまず考えないことにして。

 生活能力のない俺は、空腹のたびに彼女のゲロをすすることになった。彼女の両手にたっぷりと満ちた、なまぬるいシチューのようなメシだ。はっきり言ってうまい。コクもあってうまいのだが、とにかく胃がムカムカする。食器もないから彼女の手からもらうことになる。

 ちょっとした地獄だ。人としての尊厳というものを忘れる。


 俺は深呼吸をし、遠方を眺めた。

 ビル群が、上から叩き潰されたように崩落していた。たぶん東京なんだろう。いまはただの瓦礫の集積場にしか見えない。いったいなにをどうしたらこうなるのだろうか。

 ともあれ世界は滅んでいる。俺はメシを調達しないといけない。

「ヘビ以外でしたら許容できますが……」

 彼女は心底から嫌悪するような顔をしていたので、俺も逆らわないことにした。

「分かったよ。けど、イヌやネコってのもな」

「木の根でも齧ったらよろしいのでは?」

「食えるのかな」

「私の供する食事には劣ると思いますが」

「まあ、たぶん……」

 問題は味じゃない。


 俺は手近な岩に腰をおろし、まっしろな空を見上げた。

 太陽は見えないが、ベールのように世界を覆うもやがまぶしいくらいに輝いている。曇っているのに晴れている、とでもいうのか。とにかく白い空だ。世界が白に閉ざされているかのよう。いっそ夢なら覚めて欲しいところだが。

「あのー、すずさんや。この世界はなんなんです?」

「えっ?」

「なんでいきなり滅んだんです? 俺、つい数日前まで、ふつうに寝起きしてたはずなんですが」

 この問いに、彼女は小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

「悔いても過去は変わりませんよ」

「悔いるもなにも、すべてが理解不能でしてね」

「あなたが望んだからです」

「世界の終わりを?」

「いいえ。世界は終わりませんよ。あなたが死んでも、私が死んでも、世界が滅んでも」

 哲学でも講義してくれようってのか。

 俺はつい嘆息した。

「俺が望んだから滅んだと?」

「というより、滅んだ世界へ、望み通りあなたを連れてきた、という形になります」

「そんなこと望んだっけ?」

「私は知りません。天がそのようになさったということは、おそらくそうなのでしょう」

 俺はつい笑った。

「知らなかったよ。天が人の望みを聞き入れてくれるなんて。てっきり言葉の通じないヤツなんだろうって思ってたのに。いや、通じないからこんなオーダーミスが通っちまったのか」

 彼女はガキでも見つめるような余裕の顔で、こちらにほほえみかけてくる。五歳児がサンタクロースの存在に苦慮している姿にでも見えるのかもしれない。

「しかしヘビどころか、虫の一匹も見当たらないってのはどういうことなの? ホントに木の根でも齧るしかないのか」

「私の力で、不浄な存在を寄せ付けないようにしています」

「不浄? 料理したら俺のメシになるのに?」

「清浄な食事は私が用意します」

「……」

 ここでウソでも「要らない」などと言おうものなら、そして彼女がそれを真に受けようものなら、俺は本気で食料の供給源を失うことになる。だから本来であれば、俺は土下座をしてでも彼女の脚にしがみつくべき立場だ。

 なのだが、素直にそう致しがたい。


 折悪しく、腹が鳴った。

 彼女はほほえんでいる。「いつでも出せる」とでも言わんばかりに。

 俺は雑草を引きちぎり、風に流した。

 この滅んだ世界で、俺は一生を終えるのだ。テレビもない、ラジオもない、ネットもない、AVもない、この暇すぎる世界で。

 しかも簡単に死んでしまわないよう、「案内人」までつけられて。

 空虚というほかない。

 また雑草を引きちぎり、においを嗅いでみた。青臭くて食える気がしない。においが完全にただの葉っぱだ。当たり前だけど。じゃあ別の草をと思って探してみるが、どれが食えるのかも分からない。


「おげげげげぇっ」

 まだオーダーさえしていないのに、彼女は口からごぼごぼとシチューを出した。見開かれた眼球は血走り、つやめく唇からは粘液が滴り、まっしろな手で作られた器には白濁した液体がでろでろと注ぎ込まれた。

 彼女は苦しそうに数度呼吸をし、笑顔をつくってこちらへ向き直った。

「さ、お昼にしましょう」

「うん……」

 湯気がほかほかと立ちのぼっている。シチューというか、粥のようなものが、指の隙間から糸を引いてひっきりなしにこぼれおちている。早くすすらないと目減りしてしまうだろう。

 あんなに苦しそうに出してくれたのだ。ムダにすべきではない。

 空腹と裏腹にまるで食指が伸びないが、受け入れるしかない。俺にはこれしかメシがないのだ。餓えるのはつらい。

「いただきます……」

 しゃがみこんだ彼女の前に、俺は膝立ちになり、手の器へと顔を近づけた。異臭はない。かすかにデンプンのにおいがするのみだ。口をつけてすすると、まずはまろやかな舌触り。どろりとしている。ほのかなあまみが来る。なんとか飲み込むと、コクを感じる。それだけ。不快感は、精神的なもの以外はない。


 心を無にして食事を終え、俺は「ごちそうさまでした」と頭をさげた。

 このあとは、頭を抱えて受け入れる作業に入る。

 彼女にはまったく非がないし、それどころかむしろ感謝しかないのだが……。ある日突然こんな生活に切り替えるのはとても難しい。

 彼女はにこにこしたまま遠方を見つめているが、せっかくメシを用意したのに相手がこんな態度では、やはり嬉しくあるまい。

 自力でメシを用意できれば、それが一番いいのだが。


 すると彼女は、つんつんと俺の肩をつついてきた。

「どうした?」

「誰か来ます」

「はっ?」

 俺は辺りをキョロキョロし、適当な棒切れを拾い上げた。


 この世界には、俺たち以外に二種類の連中がいる。

 ひとつは、空で殺し合いをしている天使のような連中。白と青のチームに分かれて光の矢を撃ち合い、サバゲー感覚で殺し合っている。地上に興味はないらしく、俺たちを襲ったりはしない。しかし上から死体が降り注ぐため、巻き込まれると危ない。

 もうひとつは餓鬼。鈴蘭たちの種族を「餌」とする連中らしく、こっそりと近づいては誘拐してゆくのだとか。男と人間には興味がないらしいので、俺が襲われることはない。狙われるとしたら鈴蘭のみ。そのときばかりは俺も餓鬼スレイヤー的な立場になることを強いられるだろう。まだ遭遇したことはないけど。


「姉さまーっ! やっと見つけたーっ!」

 羽衣の少女が裸足で全力ダッシュしてきた。

 どこからどう見ても餓鬼ではない。

 黒のツインテールというかおさげというか、とにかくふたつ縛った髪型だ。妹なのだろうか。顔立ちはやや幼い気がする。

 彼女は全力疾走で駆け寄ってきたかと思うと、どっと鈴蘭に抱きついた。

「なんで小梅を置いて勝手に行ってしまうのですかっ!」

「えぇっ? きちんと言いましたよ」

 鈴蘭は困惑顔。

 妹はしかし承諾していない。胸に顔をうずめ、ぐりぐりとおしつけている。

「聞いてない! 聞いてない! 聞いてなぁーい! 姉さま、小梅が寝ている間に行ってしまったもの!」

「いえ、ですから、起こしては悪いと思って……。けれども、以前から言っておいたはずですよ? 天命がくだったと」

「当日に『行ってきます』して欲しかったの!」

「それは姉さまが悪かったけれど……。まさか、それを言うためだけに来たの?」

「うん」

「……」

 ずっと訳知り顔で「案内人」を演じてきた鈴蘭が、こんな困った顔を見せるとは。なぜか俺に助けを求めるような態度だ。

 小梅も俺を見た。

「またこんなつまらない人間の相手なの?」

 つまらない人間とは……。

 鈴蘭も眉をひそめた。

「小梅、いけませんよ、そんなことを言っては」

「だって姉さま、こいつちっともイケメンじゃない」

「見た目も内面も特に言うことのない人間なのは事実ですが、悪い人ではないのですよ。少なくともいまのところは」

 おい、フォローするならちゃんとフォローしろ。ギャン泣きするぞ。いまこの場でな。

 小梅は目を細め、疑うような眼差しを向けてきた。

「人間なんて、どうせ小梅たちのこと都合のいい女としか思ってない」

「実際、都合のいい女ではありませんか」

「やだやだやだっ! 姉さまのそういうところ好きになれないっ!」

「困りましたね、この子は……」

 ああ、分かるぞ。しかし一番困ってるのは俺だということも忘れないでくれ。なにせ「案内」してもらわないことには、この世界のことはなにも分からないんだからな。ずっと住んでた世界のはずなのに。

 小梅はさらに姉の胸を堪能しながら、わがままを口にした。

「姉さま、こんな人間置き去りにして帰ろ? 小梅、姉さまがいないとお風呂も入れないんだから」

「父さまがいるでしょう」

「えっ? それ本気で言ってるの?」

「なにが問題なのです?」

「姉さまのバカ! バカ姉さま! 恥ずかしいからいやなのっ!」

「バカはやめなさい。姉さま傷つくわ。かといって母さまというわけにも……」

「母さまは物理的にムリでしょ」

「ムリねぇ……」

 どんな母親なんだよ。

 小梅はもう露骨に鈴蘭の胸にしがみついた。というか鷲掴みだ。

「ねっ? だから姉さま帰ってきて? 朝ごはんとお昼ごはんと晩ごはんとお風呂とお手洗いと寝るのと起きるのと、ぜんぶ姉さまに世話して欲しいのっ!」

「あなた自分で生活する気ないでしょう」

「あるっ! あるけど姉さまと一緒がいいのっ! だから帰ろ? ねっ?」

 いま置き去りにされると、こっちはたぶん三日で死ぬんだが。

 鈴蘭もいちおう気にしてくれているらしく、何度も俺に申し訳無さそうな顔を見せてくる。

「小梅、これは天命なのよ?」

「逆らったらどうなるの?」

「たぶんうるさく言ってくるだけで、特に罰はないと思うのだけれど……」

「じゃあいいじゃないっ!」

「けどね、小梅。姉さま、ほかにすることもないのよ。家にいても暇ですし」

「小梅の世話っ!」

「それでは小梅の承認欲求は満たされても、姉さまの承認欲求が……」

 すると小梅は口をへの字にして、怒ったような泣きそうなような、複雑そうな顔を見せた。

「やっぱり! やっぱり姉さまそういう考えなんだ! こんな無力な人間に頼りにされて、それで満足しちゃうダメ女なんだっ!」

「ちょっと小梅、姉さまへのアタリがキツいわ……」

「なんで! ホントのことじゃない! 男から『お前がいないと生きていけない』的なこと言われて、すぅーぐ『あらあら仕方ないわね』みたいな気持ちになっちゃうんだっ! 安い女なんだっ! どうせ最後は結ばれないのにっ!」

「人間と天女の関係というのは、だいたいそういうものですし……」

「オチまで分かってるのに暇つぶしで続けてるうちにズブズブの関係になっちゃうなんて、バカげてるよっ! 姉さまのバカ! バカ姉さま!」

「バカはやめなさい。姉さまはバカではないのだから」

「うるさい! バカバカ! バカ姉さま! 姉さまのバカ! おっぱいしか取り柄のないおっぱいバカ!」

 うむ。

 まあ、終わったら呼んでくれ。こっちはメシのせいでまだ胃がムカムカしているからな。

 だがその場を離れようとすると、鈴蘭に袖をつかまれた。

「あの、助けてください」

「はっ?」

「まさか逃げる気ではありませんよね? 妹をなんとかするのを、手伝ってはもらえませんか? それに、私がバカでないと証明するのも」

「まあ、ご要望とあらば」

 しかし可能なのか、そんなことが。前者はともかく、後者は。

 いや、彼女をバカだと言いたいわけじゃない。互いのことをよく知らないのだから、擁護のしようもないじゃないか。もしかしたら実際、妹の言う通りかもしれないし。


 ともあれ、俺はこの問題をとっとと片付けたい。晩メシを調達する必要があるからな。

 女のゲロをすすって生きるのはごめんだ。


(続く)

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