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CANVAS  作者: 一歳真誉
高校二年の年
9/12

喧嘩

 私が百絵もえさんとああいった話をした日以降、梨葆りほは何かと私に構うようになりました。

 構うというのは遊んでくれるとかそういった類のことではなくて、「何か悩みがあるの?」とか、「お姉ちゃんの最近の出来事を教えて」とかいう感じの、ちょっとしたお節介みたいな。

「悩みがあるなら、梨葆が相談にのる」

 こんな風に、私が本をリビングで読んでいたりすると突然前に立ってそう言ってきます。

 心配してくれるのでしょうか。嬉しくないこともないですけど、私の問題は梨葆には直接の関係はありません。

 それに、私が不登校気味だとかそれを両親に黙っているだとかいった問題が表面化すると厄介ですから、私は流していました。

「悩みなんてない」と。

「でも」と梨葆。「あの時あの人となんか話してたじゃん。悩み事みたいな、難しい話」

「あれは」と私は髪をかきあげながら言います。「ちょっと自分の絵について、自分が思ってなかったことを言われてしまったからショックを受けたっていう他愛もない話よ。もう、なんてことない」

「ほんと?」

「本当」

 梨葆は訝しんでいます。

 私は適当にお道化どけました。

「でも、そうね。強いて悩みがあるとすれば、それは梨葆が二日に一辺、空から降ってくることかな」

 私達は一日置きにベッドと床寝とで交互に寝る確約を結んでいましたが、梨葆がベッドの日は必ず上から落ちてきます。それで私はいつも叩き起こされるみたいになります。結構悩みのタネです。

 梨葆は真っ赤になりました。

「今は梨葆の話してないっ。お姉ちゃんの話をしてるの」

「だから、平気。なんてことない」

「嘘くさい」

 どうしてこういうときだけ勘がいいのでしょう。

 梨葆の前で百絵さんとああいった話をしたのは迂闊だったかも知れません。

 内面を誰からも干渉されたくないという点で見れば、失敗でした。


 ある日、そんな私は梨葆に余計な気を使わせてしまいました。

 私はそれが気に入らなくて、無下にしてしまうのですが。

 八月十九日、土曜日の夜。

 梨葆りほが塾から、一枚のちらしを持って来ました。

 花火大会のちらしでした。

「花火大会だって。誰かと行ったら、きっと楽しいね」

 リビングで本を読んでいる私に向かって、梨葆は不自然にそうアピールします。

 私は「そうでしょうね」と適当に返します。

澄水澤すみずさわの花火大会は、結構本格的だしね。楽しいんじゃない」

 梨葆は「そうじゃない」と言わんばかりの顔をします。

「お姉ちゃんは花火大会、行かないつもりなの?」

「行きたいけれど」と私は言います。「その日は塾の統一テストがあって、行けない」

 梨葆が「えっ」と表情を変えます。

「そんなの、休めばいいじゃん。楽しんだほうが、お姉ちゃんには良い」

 私は首を横に振りました。

「学校の成績が振るわないから、ここできちんとやっておかないと色々まずい」

 統一テストは全国的に実施されるもので、これを受けると結果が送られてきます。結果というより評価に近いですが、これが今の自分のレベルを知る良いきっかけになります。学校はまともに行っていない私ですが、だからこそ塾の方はしっかりと参加したいと思っていました。なので私はこの統一テストを受ける気で居ます。これを受けておかないと私は本当に今のレベルを知る機会を数ヶ月後の統一テスト実施日まで失ってしまうことになりますし、何より夏期講習はこの日の為にやって来ているみたいな雰囲気がありますから、不参加はしにくいです。講師の先生に何を言われるか分かりません。

 というより、夏休みの間何のために塾に行ったのか分からなくなります。

 なので私は、テストを退けてまで花火大会に行くつもりはありません。

 梨葆は私を気分転換か何かの為に連れて行きたいようですが、私は行きません。

 梨葆はそれが、納得いかないようでした。

「だめ。花火大会行こ」

「一人で行ってきて」

「やだっ。お姉ちゃんと一緒に行かなきゃ意味ない」

 梨葆は顔を赤くしながら、私と行く旨を言いました。

 梨葆が私を連れて行く前提でわざわざ花火大会などの話を目の前でしていたのは理解しています。ですが私にとって花火大会は都合が合いません。

 ここは梨葆の珍しいまでの素直かつ温情的な好意を断らなければなりません。

「気を遣ってくれるのは嬉しいけれど、でも、今年は駄目。私に構ってないで、夏期講習に集中したら?」

 梨葆は怒るような、違うというような顔で私に必至に食いつきます。

「そうじゃなくて。気分転換、しようよ」

「どうして?」

「だって、お姉ちゃん、何か悩んでるみたいだから」

「別に悩んでなんて。また同じことを言わせるつもり?」

「そういうわけじゃないけど……」

 梨葆は手詰まり感に困っています。指を握った手を口に当て、考え込んでいます。

 やがて梨葆がつぶやくようにして言いました。

「お姉ちゃん、何か、梨葆に隠し事してる気がするんだもん」

「隠し事?」

「そう」

「なんでそう思うの?」

「なんとなく」

「曖昧ね」

「でも、そう感じる」

「気のせいよ」

「嘘」

「嘘なんかじゃないわ」

「嘘っ。梨葆、知ってるんだから。お姉ちゃんが嘘をつく時、必ず髪をいじりながら、別の行動して絶対に目を合わせないこと」

 私は梨葆の顔を見ました。

 梨葆も私の目を見ています。

 私は本を読んでいました。

 でも、内容が飛んでしまいました。

「知って、どうするつもりなの?」

「相談する」

「してどうするの?」

「分からない」

「じゃあどうしようもないじゃない」

「どうしようもなくない。今はわからないけれど、でもきっと、梨葆はあの人みたいに、お姉ちゃんの力になれるもん」

 ああ、と私は思いました。

 梨葆は私に頼られたいみたいでした。

 百絵さんの時と同じように、何かしらを打ち明けて、そうして話してほしいみたいでした。

 子供が大人の真似をするようでした。

 中学生はどうも傲慢なところがあります。

 自分ならきっと正しくて、そうして世の中の問題をどうにか出来ると考えている。

「私は相談が嫌い」

 梨葆には曖昧な態度だと通じないところがあるので、私はなるべくはっきりと言う事にしました。

「誰かに悩みを打ち明けることが、弱みを見せることが嫌い。いとこのあなたなら、尚更気が引ける」

「じゃああの人にはいいの?」

「百絵さんは、違うから」

「何が?」

「あの人になら、何となく打ち明けられる」

「梨葆じゃ駄目なの?」

「だめ」

「なんで?」

「だって」

 人に適応出来ず、自分のことは全く分からず、そうして学校に行かずにぷらぷらとしているだなんて、恥ずかしくて身内に言えるはずもないではないですか。

 私は不登校気味です、だなんて従妹に言える訳ありません。

 今現在、毎日学校に問題なく行っている梨葆に向かって。

「私に構う必要はないわ。梨葆は勉強してればいい。それが一番最善で最適よ」

「梨葆の話は今してない」

「私の話だってしなくていいって言ってるの。余計なお世話をされるのは嫌いだからやめて、って言ってるの」

「梨葆のこれが、余計なお世話?」

「そうよ。余計でしょ? いいって言ってるのに」

「でもお姉ちゃん、自分じゃなにも出来ないじゃん」

「黙って」

「黙らない」

「黙って!」

 私は自分に驚きました。

 気づいたら、梨葆に向かって大きな声を張り上げていました。

 梨葆は強気な表情から一転、目を見開いて、そうして怯えた顔をしました。

 私は梨葆を睨みつけます。梨葆の身体がびくつきました。

「自分じゃ何も出来ないって、今のは許せない」

 それだけ言うのみでよかったのですが、後から考えたら抗議の言葉がすらすらと出てきて、それが舌の直ぐ側まで上ってきて、我慢するのも気持ち悪くて、吐き出しました。

「傲慢な態度が過ぎるんじゃない? あなたに何が出来るの? 私をどうにか出来ると思ってるの? 自惚れないで。中学生に心配されるほど、私は落ちぶれても居ないし、やわでもないわ」

 私の最低の言葉に、梨葆は泣きそうな顔になりながらも、粋がる表情を無理に維持しようとしていました。

 それで、梨葆の表情はぐちゃぐちゃになりました。

「梨葆が、梨葆が馬鹿なお節介で、それでいてただの役不足だっていうの? ただの中学生の、生意気だっていうの?」

 梨葆の瞳から、涙が滲み出ました。そしてそれが、目尻からぽろりとこぼれ落ちました。

 梨葆はあふれ始めた涙を拭いながら、なおも力強く言おうとします。

 震える声が私に届きます。

「梨葆は、お姉ちゃんの力になりたいのに。だけど、お姉ちゃんは梨葆を、取るに足らない、何の解決にもならないただの中学生だって、そう言いたいの?」

「そうよ」

 つい怒りに任せて、相手の言葉を肯定してしまいました。

 梨葆は俯いています。

 私は去るに去れなくて、そんな梨葆とじっと対峙していました。

 時間が止まったみたいです。

 点けっぱなしのテレビから、笑い声が虚しく響き渡ります。

 全く楽しい気分でないのに、テレビからは場違いな笑い声が溢れます。

 時計の針の音が聞こえ、遠くの車の暗い住宅街を抜ける低いエンジン音が聞こえ、そしてどこからか、救急車のサイレンが聞こえては彼方へと通り過ぎていきました。

 音はありますが無音のそれによく似た奇妙な部屋に、梨葆の声がぽつりと零れました

「お姉ちゃんなんて知らない」

 俯きから一転、梨葆は私を一睨みすると、震える声で、しかしはっきりとした口調で言いました。

「お姉ちゃんなんて知らない。勝手にどうにかなっちゃえばいい。誰にも何も言わないで、そうして一人で、勝手に失敗しちゃえばいい。お姉ちゃんは昔から、そういう人なんだから。だから梨葆はもう、知らない。中学生だから役不足だなんて言うお姉ちゃんなんて、もう知らない!」

 梨葆は花火大会のちらしを丸めると、それを私に投げつけて、そのまま二階へ駆け上がっていってしまいました。

 私は足元に転がった紙くずを、じっと眺めていました。

 テレビの音が、やけに不快です。

 リモコンを取って、それをすぐに消しました。

 いらいらが収まりません。私は何かを蹴飛ばしたい衝動にかられながら時計を睨みつけます。

 二十三時五十二分。

 まだお風呂にも入っていません。

 塾から帰ってきた梨葆に一番風呂を、と好意で沸かした風呂ですが、今となってはそんなことはどうでもよく、いや、今はむしろそんなものくそくらえで、さっさと自分が入って、さっさと寝ようと思いました。

 どうせ梨葆は私の部屋とは違うところで寝ようとします。今頃布団を和室の客間にでも持っていこうとしているでしょう。その間に風呂に入り、和室だかどこだかに篭っている梨葆を無視して、早いところ寝ようと考えました。

 案の定、階段の方からドスドスと足音が聞こえました。

 布団が廊下の壁に擦れる音がします。私の思った通り、梨葆は一階の客間で寝るようです。

 布団とバッグの下ろす音がします。そして次の瞬間には、梨葆が乱暴に襖を閉めるスパンという音が聞こえて、それで私は尚の事不快な気持ちになりました。

 なんのアピールでしょうか。おぞましいほどにむかっ腹が立ちます。

 私は「静かにして」と叫びたくなる衝動を抑え、眉間にしわを寄せながら脱衣所に向かい、浴槽には入らずシャワーで済ませ、自室に戻りました。入ろうと思ってはいたのですが、もう気分がそれどころではありません。

 私の部屋にあった梨葆の物は、全て無くなっていました。

 部屋には元来の私の私物しかありません。

 私はそれが清々しました。

 邪魔な梨葆が居なくなって、それがこうもすっきりするのかと思うと笑いそうになりました。

 怒りのあまりの笑いで、笑っている方も気持ち悪くなります。

 私は髪を乾かすと、すぐにベッドに入りました。

 梨葆の甘い匂いがまだ残っていて、それが無性に苛立ちました。

 そもそも、勝手に押しかけてきたのは梨葆の方です。それがどうして、あんなことを言われるしか無いのか。いくらでも文句が湧いてきて、私は終始イライラしながら目を閉じていました。頭のなかで勝手に、梨葆と激論を交わしていました。


 頭のなかでぶつぶつ文句を言っていたら、いつの間にか寝ていました。

 目覚めて、そうしていつもの癖で床を見たら、そこに布団はありませんでした。

 昨日あったことをにわかに思い出し、気分が悪くなります。

 私は階下に降り、適当に朝食を済ませ、着替えて亜里紗ありさの家に行きました。

 亜里紗は朝からやって来た私を見て、目を白黒させました。

「なによ、急に」

 亜里紗が自分のベッドに腰掛けて言います。

 私は部屋に置かれているどこかのお土産らしい置物を見ながら答えます。

「たまには、遊ぼうと思って」

「遊ぶ?」

 亜里紗が変な声を上げます。「みなもが?」

「変?」

「変すぎ。明日は雪か雹だわ」

 私はそれには反応せず、適当な場所に座り込みました。

 亜里紗はそれをみて、ますます不審そうな顔をします。

「なんか飲む?」

「お願い」

 亜里紗の家に来たはいいものの、することがなく、私は途方に暮れました。

 私が何をするわけでもなく居る間、亜里紗はテレビゲームを始めました。

 私はそれに興味を示しました。

「それ、なに?」

「イカスミ大戦」

「どんなゲームなの?」

「シューティング?」

「へえ」

「やりたいの?」

「まあ」

「めずらし」

 亜里紗はコントローラーを一つ私に寄越しました。

 一人っ子なのに二つもコントローラーを持っているだなんて変なの、と私は思いました。

「これ、どうやって操作するの?」

「みなもとゲームする時って、いっつもそうなるよね。はい。これ、チュートリアル」

 私は言われた通りのことをしました。多少、操作できるようになりました。

「覚えた?」

「大体は」

「じゃあ実戦ね」

 NPCと書かれた敵二人と亜里紗が、私の前に立ちふさがります。

 私は必死にステージを駆け回るのですが、どこからともなく撃たれ、そうして死にました。

 私は段々と、戦う気力が失せてしまいました。

「みなも、弱すぎ! でもまあ、やったことないなら仕方ないか」

「亜里紗が強すぎるの。ゲームの天才なんじゃない?」

「え? そう? まあゲーセンとかで鍛えられてるしね」

 調子に乗った亜里紗が可笑しくて、私はつい笑いました。

 亜里紗は頬を赤く染めて、急に恥ずかしがって黙ってしまいました。

「なんか、みなも、らしくない」

「そう? 自分では分からない」

「なんかあったの? うちに来てさ。そういえば、いとこは?」

 急に梨葆の事を思い出させられて、私は顔をしかめました。

 楽しい時間に突然上から冷気が降りてきたように感じました。

 つまらない。

 そう思いました。

「別に。ちょっと喧嘩しただけ」

「喧嘩?」

 亜里紗がコントローラーを置いて訊きます。

 私は適当に頷きました。

「そう。喧嘩。取るに足らないくだらない話」

「それでうちに来たの?」

 今思えば、そうです。

 でもそうだとは言いたくなくて、私はだまりました。

 そんな私を見て、亜里紗は急に興が冷めたみたいな顔をして、「はぁ」とため息を吐きました。

「つまんないの」

「何が?」

「別に」

 亜里紗はベッドに横になって、漫画を読み始めました。

 私は一人ゲームに取り残されて、そのまま座っていました。


 夕方になって、私は家に帰りました。

 リビングに行くと、梨葆は居ませんでした。

 家はしんとしていて、人の気配はありません。

 どこかに行ったのか、と思い、自室に戻ろうと階段を上がったら、梨葆が私の部屋から飛び出してきました。

「あっ」

 はっきりとした声を上げる間に、梨葆はすごい勢いで私の傍を通り過ぎ、そうして階下に降りていきました。

 忘れ物でもしたのでしょうか。

 まあ、どうでもいいことです。

 自室に入ると、ベッドが乱れていました。

 まさかここで昼寝でもしてたのかと思うと、不快になりました。

 ベッドじゃなきゃ眠れないとでもいうのでしょうか。

 夕食の時間になって、私は勝手に料理を作り、それを食べて早めの風呂に入り、二階へと戻りました。

 梨葆はどこからか食べ物を調達してきたらしく、客間で食べているようでした。

 食事まで一緒になろうとしないなんて、と私は梨葆の徹底ぶりに嫌気が差し、好きにすればいいと鼻を鳴らしました。

 一応梨葆の分も、作っておいたのに。

 ベッドに入るとやっぱり梨葆の匂いがして、それがまた昨日の出来事と今の関係を強く意識させ、嫌になりました。

 今日一日はこんな感じで、梨葆と話をしませんでした。


 喧嘩している間、私は梨葆が何をしているのか分からなくなりました。

 八月二十日、二十一日と続いて口を利いていません。今日は二十二日になります。

 梨葆が持ってきた花火のちらしには、開催が二十七日とありました。夏休みももうじき終わるというあたりです。

 夏休みが終わったら、梨葆は実家に帰ってしまいます。もうそんな時期が近いのかと、私は夏休みの日付の回る早さに唖然としました。

 このまま喧嘩が続いたら、梨葆はどうするのでしょうか。

 ある日を境に、いつの間にか帰っている?

 そんな事もあるかもしれないと、私は思いました。

 いずれにせよこのままでは、あまり良い別れ方は出来そうにありません。

 今の私はそんなことは正直割りとどうでもよかったのですが、しかし喧嘩別れになることは意識していましたし、分かっていました。それが後味にどう影響するかも、理解しています。

 この二日間、梨葆は私を徹底して避けていました。

 廊下で鉢合わせすると、梨葆はぎょっとして、すぐに去っていってしまいます。

 私が作った料理にも手を出していないようでした。ラップが掛かった食事が、そのまま置いてあるからです。もったいないので私が食べるのですが、それをすると例えば夕食用に作っておいた梨葆への料理を、翌朝に私が食べることになります。夕、朝と同じものを続けて食べる生活は少し嫌ですが、しかし梨葆に食事を出さない訳にもいかないので、我慢して食べます。

 私は梨葆が気になって、つい聞き耳を立てていました。

 梨葆は基本的に客間で過ごしているらしいのですが、ごそごそと音がしたり、しなかったり、掃除機を掛けているらしい音が聞こえたかと思ったら、またしんと静まり返ったり、一体何をして過ごしているのかいまいち分かりません。

 というか、梨葆に勉強を教えるという私の役目が果たせなくなってしまいました。塾にはほぼ毎日行っている梨葆ですが、補佐をしなくてもいいのだろうかと、私はちょっと悩みました。

 まあ、尤も今話しかけたら、きっと「出ていって」の一点張りでしょうけれども。


 二十二日も過ぎ去り、二十三日、水曜日になりました。

 私は朝から出かける準備をしていました。

 久しぶりにみるると遊ぶ約束をしたのです。

 携帯でやり取りはしていたのですが、みるるが遂に遊びたい限界点を超えたと騒ぐので、私は付き合うことにしました。

 みるるは今までの夏の間、アルバイトをしていたようです。それで少しは私に対する遊びの要求も減っていたのですが、しかしみるるにとって一人であろうと私がいようと遊べない日々が続くのは苦痛らしく、我慢していた分が私とのメッセージのやり取りで爆発したようです。一方的に私に日時と集合場所を伝え、そうして楽しそうに電話越しではしゃいでいました。

「みなもちゃーんっ」

 例のごとく、私は出会い頭にみるるに突進されました。

 みぞおちあたりにみるるからの衝撃が入ります。

「みなもちゃん、元気してた? 暑中見舞い申し上げるよ」

「その調子だと、みるるも元気そうね」

「元気だよ、みるるは。元気すぎて退屈なくらい」

 私とみるるは喫茶店に入ったり、カラオケに行ったり、買い物をしたりして過ごしました。久々のみるるとの外出は良い気分転換になりました。

 夜になっても私はいつまでも帰ろうとせず、遅くなってしまいました。

 二十三時くらいになっていて、住宅街はもう大体の家が寝る準備をしている感じがしました。

 私は一人、外灯の点々と続く暗い路地を歩き、そうしてようやく自宅に着きます。

 来る途中に亜里紗の家を見たのですが、彼女の家はもう真っ暗でした。

 私の家も真っ暗で、梨葆が居るのか居ないのか、寝てしまったのか出ていってしまったのか、それすらも分かりませんでした。

 もし仮に居て寝ていたら悪いと思い、私はそっと玄関の戸を開けました。

 玄関も廊下も真っ暗です。

 私は暗闇に躓きそうになりながら、梨葆を起こさないように(居たらの話ですが)、そっと抜き足差し足で脱衣所に向かいました。

 途中、梨葆の閉じこもっていたはずの一階の客間の方から、声が聞こえました。

 今のは、梨葆の声?

 私は歩を止め、じっと耳をそばだてます。

 声とは言っても、それは話し声とか、独り言とか、そういった感じの声ではありません。

 まるで息の詰まっているような、嗚咽を上げるような。

 私はふっと、立ち止まってしまいました。

 梨葆は泣いていました。

 きゅっと締め付けるような感覚が胸を襲います。

 いつもは低いトーンで話している梨葆の上ずった声が、変に新鮮で、生々しくて。

 それが私に罪悪感と、言いようのない後ろめたさを与えました。

 今まで一度も聞いたことのない、従妹の泣き声。

 梨葆は咎められるようなことをした訳ではない。

 なのに、自分の軽率な言葉で、後先考えないで放った言葉で、何の罪もないヒトが一人、泣いている。

 私はその場から離れました。

 離れて、何とかばれないように、極力足音を立てないでそっと階段を登り、そうしてやっと自室に着きました。

 今の梨葆の姿を想像したら、急に感情が高ぶりました。

 哀れで、愛おしくて、悲しくて。

 私は自分がした行為の重さに気持が沈み、そのままベッドに身を投じました。

 ベッドからは梨葆の匂いがしました。

 それが、今の私には強い罰に思えました。

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