みるるとの数日
「えっ、なにこれ!」
夕方になって、私はみるるに獲ってもらったゲーム機を亜里紗に渡しました。
時刻は十七時をちょっと過ぎた頃。ゲームセンターから帰ってきて、亜里紗の自室でゆっくりとしている時でした。
「以前から、欲しいって言ってたでしょ」
亜里紗はゲーム機の箱と私の顔を交互に見ながら、なんとか首を縦に振りました。
「そうだけど……。でも、今日、誕生日とかじゃ」
「貰ったの」
私はいろいろな出来事を省略して言いました。
「私はゲームとかは、あまりやらないから、あなたにあげる」
「あげるって!」
亜里紗は飛び跳ねます。
「これ、本体なんだけど? いいの?」
「いい」
亜里紗はぽかんとしました。
まあ無理もありません。
私だって、誕生日でもない日にいきなり高額なものをぽいと渡されたら、困惑します。
「よ……よくわかんないけど、貰っとく…………」
そう言って亜里紗は、そのゲーム機の入った箱をそっと、テーブルの上に置いたのでした。
私は困惑する亜里紗の姿がなんだか可笑しくなって、つい笑みがこぼれました。
七月十九日。
私は学校を休み、いつもの河川敷の公園に来ていました。
今日は久々に、しっかりと絵を描こうと思い、公園にある物を時間を掛けて描いていました。
夏休みももう近いです。ようやくはっきりとした理由と立場で学校を休めるわけですが、みんなも同じように休めるわけですから、特別な感じはせず、少し残念に思えます。
あの亜里紗も、学校を休みます。亜里紗からさぼることを咎められることはなくなり、静かになるのはいいですが、しかし亜里紗が居るということが結果うるさいので、どちらにせようるさいのは残念です。
さて、ベンチに座って、水飲み場の絵を描いていたら、突然スマートフォンが振動しました。
なに、と思いましたが、それは電話でした。あまり使わないので、突然のアクションに一瞬戸惑ってしまいました。
「もしもし」
私が電話を取ると、スマートフォンの小さなスピーカーから、つい最近の聞き覚えのある声が私を呼びました。
「もしもーし。みるるだけど」
「ああ、猫撫目さん」
「そうじゃなくて、みるる」
ちょっと怒ったような声で、みるるが言い返します。
私はいけないと思い、訂正しました。
「こんにちは、みるる」
「こんちわー。ね、今日時間ある?」
私は一旦耳からスマートフォンを離し、画面に小さく表示された時刻を見ました。
時刻は十時と二十三分。
別段今からでも後からでも問題はありません。
今日は塾、休みですし。学校は言わずもがな。
「いいけど」
「うそ? 今日平日なんだけど」
「そういうあなたも今日は平日よ」
みるるは電話越しに「えへへー」と笑って、もじもじしてそうな声で言います。
「学校、さぼっちゃった」
「私も」
「意外。でもやったっ」
「どこに行けばいいの」
「うーん。じゃ、駅前の東口で!」
「分かった」
私は電話を切ると、スマートフォンを学生鞄に入れ、スケッチブックと筆記類を片付けました。
断っても良かったのですが、断る理由がないですし、これからの用事も特にないので、いいかなと思い、彼女の誘いを受けました。私がさほど乗り気でなくとも、元気な彼女が次々にどこどこへ行きたいなど言いそうなので、お互いに話す話題がなくなり、気まずくなるということもなさそうです。
亜里紗は学校ですし、三つ巴の面倒くさい事態にもならなそうでした。
私は静かな河川敷から一転、音のあふれる市街地へと入りました。
駅への道は簡単です。大きく、広い車通りの多い道をずっと歩いていけばいいのです。私がこの街に来て一番最初に覚えた道ですから、とても親しみを感じます。
絵のことを考えて歩いていたらあっという間に駅に着きました。
彼女は東口と言っていましたが、私の立つ方が既に東側なので、反対側に行く面倒はなさそうです。みるるは東口としか言っていなかったので、この広い駅前のどこに彼女が居るのかは分かりません。ですが、彼女の格好はとても派手なので、直ぐに分かりました。
みるるは駅前のコンビニエンスストアの前に立っていました。
「こんにちは」
私が声をかけると、みるるはコンビニに貼られたポスターから目を離し、私を見ると「あっ」と明るい顔をして、跳びかかってきました。
「みなもちゃんっ」
突然のことに、私は目を白黒とさせました。
まるで体当たりか何かでもされたようです。
「いつぶり?」
みるるが聞くので、私は答えます。
「およそ一週間ぶり」
「おー、結構経ったね」
全くそうは思いません。
なにせ彼女は、私がいままで経験したこともないくらいの頻度でスマートフォンからメッセージを送ってくるのです。
昨日も寝る前はおやすみの挨拶をしました。
私からしたら、つい昨日の夜会ったようなものです。彼女はそうは思っていないようですが。
「取り敢えず、お久しぶり」
「うんうん。おひさしおひさし」
おひたしみたいな言い方で、みるるはうんうん頷きます。
私より一回りも二回りも背の小さいみるるは、まるで妹か何かのように感じました。おそらくは高校一年生か、二年生だと思うのですが。
「今日はなにしよっか」
言いながら、みるるは後ろで手を組みます。
今日の彼女の格好は、この間あった時とは大分違いました。パンクなのはパンクなのですが、ゴシック要素がそこそこ抜け、ロック寄りになっています。みるるの頬にはタトゥシールが貼られており、亜里紗とは大分違った方向でおしゃれです。ポーチやカチューシャなどの小道具からは、ゴシックと共に猫のテーマが排除されていました。その代わり、彼女は蝙蝠や蜘蛛といったダークなテーマを身に着けているのでした。
「どしたのー?」
みるるが首を傾げます。
「いえ。今日もおしゃれだなって、思って」
私が感想を言うと、みるるは頬を染めて、もじもじとしました。くねりくねり、とも言います。
「いやあ。それほどでもあるよぉ」
「あるのね」
「うんっ」
私たちは駅のホームへと入っていきました。みるる主導のもと、駅構内のカフェにでも行くのかなと思ったのですが、みるるは隣街の地元で私と遊びたいということで、それに付き合うことになりました。曰く、地元の方が色々やりやすいそうです。案内とか、どこで遊ぶのかとか。
みるるの街は、私が住む峰市の上りにありました。ここから数駅上った先に、峰市よりも更にごちゃごちゃとした都会の街、澄水澤市があります。みるるはそこの中心街付近に住んでいるのでした。
「澄水澤には、来たことある?」
電車の中で、みるるは壁に背もたれしながら小声で問いかけてきます。
私は寄りかかるみるるを注意すると、答えました。
「何度か行ったことはあるかな。大概は、その先の街に行ってしまうのだけど」
「みんな大体、そうだよね」
みるるは膨れて言います。
澄水澤市の先には国内屈指の大都市があるのです。この電車を使う人はだいたい、そこを目指しているのでした。
「ま、いいけどね。今日はこうして、みなもちゃんを捕まえて案内できるわけだし」
私は悪い気はしていませんでした。殆ど回り尽くしたと言っていいほどの地元より絵の題材がごろごろと転がっていそうだったからです。
私たちは電車を降り、澄水澤市に降り立ちました。
澄水澤市は峰市よりもごちゃごちゃとしていました。すべてのものが狭く、小さく、そして大規模でした。謂わば窮屈な都会という感じで、私の地元はそれなりにゆとりがあるのですが、こちらはすし詰めという感じです。
「面白い街」
私が開口一番に言うと、みるるは「うんっ」と頷いて、私の制服の袖を引っ張ります。
「ね、ね。まずはカフェ行こうよ。新作のお菓子あるんだって。ね、行こ」
「わかったから、引っ張らないで。制服だし、伸びちゃう」
「伸びろ伸びろ」
みるるのチョイスで、私たちは一件のカフェに入りました。
私の入ったことのないカフェです。勝手が分からないので、ちょっと楽しみです。
みるるはダークブラウンのメニューを本のように立てて開くと、ふんふん言いながら吟味します。
「これ、見たこと無い。ブリュレなんとか」
「私、それにする」
「じゃあみるる、ここは無難にケーキで」
「私に毒味させるつもりかしら」
「ばれた」
私はそれとコーヒー以外は頼みませんでした。お年玉と月のお小遣いには限度があります。
それに、みるるはここ以外にもはしごしそうな気配があります。なるべく出費を抑えようと思ったのでした。
「みなもちゃんてさ」みるるがケーキを頬張りながら言います。「真面目そうに見えるけど、みるるみたいに学校、さぼるんだね」
「まあ」
いつも飲むコーヒーとはだいぶ違うそれを啜りながら、私は答えます。
「頑張って行くときは行くけれど、でも、たまにこうしてさぼる時はさぼる」
「ふうん」とみるる。「みるるは大体、さぼってる」
「単位は? 出席日数とかも、まずいんじゃない?」
みるるは苦虫を噛み潰したみたいな顔をすると、首をぶんぶんと横に振りました。
「いいんだもん。みるる、限度をみてぎりぎりのところをやってるから」
「私と同じ」
「一緒?」
「うん。私も、そうやって様子見してさぼってる」
「仲間だーっ」
みるるが跳ねます。それでテーブルが振動して、私の頼んだコーヒーのティースプーンやら何やらがガチャンガチャンと音を立てました。
私は自分と同じようにしている年の近い学生と出会って、色々と興味が湧いてきました。
自分のようにしている学生はそうそういません。私はこうしているが、あなたはどうしているのかとか、そういった事を聞きたくなってきました。
みるるもそうだったようです。私が尋ねる前に、彼女自身が私も抱えそうな疑問を飛ばしてきました。
「みなもちゃんの親って、なんて言ってる? 今の、さぼってるの」
少し痛いところです。さぼっている時はなるべく考えないようにしていますが、こうして訊かれるとどうしても自分の行動を実感します。
「知らないの。私がさぼってるの」
「そうなんだ」
みるるは頷きます。
「あなたは?」
「うーん。みるるのお母さんはね、丁度みなもちゃんみたいな感じで、好きにしたら、みたいな感じ」
「お父さんは?」
みるるが一瞬の間、黙ってしまいました。
訊くべきところではなかったのかも。
私がどうしようか思い悩んでいると、みるるが静けさを振り払うように、言いました。
「お父さんは、いないんだ。浮気性で、ある日どっかに行っちゃった」
「ごめんなさい。妙なことを聞いてしまって」
「ううん、いいの。みるる、お母さんが居れば、それで」
「お母さんは忙しいの?」
「うん。朝から晩まで働いてる」みるるは爪の先をいじって言います。「だからね、みるるが晩御飯、作ってあげようって思うんだけど、でも、あんまりにも遅いから、お母さんは外で済ましてきちゃうの」
「お母さん思いなのね」
「…………うんっ」
みるるは気を取り直すように、ケーキをむしゃむしゃと食べ始めます。
私も辛気臭い話題はやめて、コーヒーと新作のブリュレなんとかを口に運びました。
私の知らない味がしました。
後から分かったことですが、この猫撫目みるるには、身の回りに殆ど人が居ないのでした。
学校に行っても一人。学校に行かず、街を歩いている時も一人。
ただいまと、家に帰っても一人。
彼女は一人っ子で、兄姉弟妹はおらず、縁戚関係も希薄で、多忙な母とは疎遠でした。会っても、疲れ切った母は娘との会話には専念できず、そのまま休息に入ってしまう。みるるは母の大変さを分かっているから、そんな母にわがままを言えない。そんな中でどうしても、解消されない靄々《もやもや》が溜まってしまうのか、はたまた他人とかかわらなくても自分はしっかりと生きていけるという、孤独から生まれた虚勢の自己防衛を働かせてしまうからか、みるるは大概、他人には素っ気なく、いつも一人を自ら選択しているのでした。
何故みるるは私にこうも絡んでくるのかというと、それは単純に自分と同じように学校に行かない境遇が一緒な事に親近感を覚えているらしいのと、あと、私の性格や態度が、彼女のお母さんにどことなく似ているから――――らしいのでした。
彼女は自身の孤独を埋めてくれる、いつもは決して長くは話せない自分の母を、私に重ねているのでした。
本当はみるるは、寂しがり屋なのです。
「今日はカラオケ! ね、いい?」
「うん」
私はみるると共に、カラオケに入りました。そこでは私は大した歌が歌えなかったのですが、みるるは仰げば尊しとか国歌とか、良くて合唱曲くらいしか歌えないそんな私を面白がって、親身になって私に時勢の歌を教えてくれました。
「ねえ、まぁーだぁー?」
「まだ。もうちょっと待って」
七月の二十五日、火曜日。私とみるるは、大きな書店に来ていました。
そこで私は、最近のファッションが載っている雑誌(私の格好はお世辞にもおしゃれとは言えません。亜里紗とみるるがおしゃれなので、私もそれなりの格好をしようと思いました)と、自分が兼ねてより気になっていた本を、探し始めました。
みるるはというと、今日も――――というか、七月の十九日以後、幾度も彼女の頻繁な遊びの誘いに付き合い、散々カフェとか、カラオケとか、ラウンドなんたらとかに行って、ほぼ遊び尽くしたと言えるまでに遊び尽くしたにも関わらず、本日も例外なく、休憩を挟もうとせずにまた次、また次へと騒ぐのでした。
いい加減書店にでも入って、一呼吸置くべきだと思うのですが。
「ねえ、何見てるの?」
みるるが心底つまらなそうに、そしてだるそうに、私の持っている本のページを覗き込みながら言います。
私は背の低いみるるの頭が目の端でちらと入ったのも気にせず、端的に言いました。
「星の本。最近、新しい星が見つかったらしくて」
「うぇー」
みるるは吐き気を催したような声で唸ります。
みるるは勉強とそれに付随するものが大嫌いなのです。
私も好きではありませんが、かといって特別嫌いなわけでもありません。気になったことは気になるので、こうして調べます。
みるるはそんな私を、ばかまじめ、と言います。でも私から言わせてもらえばあなたも十分にばかまじめです。毎日そんなにおしゃれな格好を、手間暇惜しまずしているのですから。
みるるは親の品物選びに痺れを切らして、ついに床でじたばたし始める子供のような状態になりかねない様子で言いました。
「ねえ。みるる、カラオケ行きたいんだけど」
「昨日行ったでしょ」
「昨日は昨日で、今日は今日なの」
「せっかく塾休みの日だったのに。わざわざ夜の時間を割いてまで、付き合ってあげたのは水の泡だったのかしら」
「なにそれ! みるるのカラオケ行くの、飽きさせる気?」
「そうなって欲しかった」
「ねーえ、やーだぁ、カラオケ、ラウンドぉ」
ついに寄りかかってきたので、私はさっと避けて本を守りました。
みるるはべしゃっと、床に転びました。
「大丈夫?」
みるるがしばらく起き上がらないので、私はやっと声を掛けます。
みるるは床の汚れに顔をすすけさせながら、唸ります。
「本屋以外のところがいぃ」
「じゃあ、隣のツタなんとかは?」
「ツタヤ? 行く!」
向こうにも本があるので、結果オーライです。
というか最初からそっちに行って、みるるを捌いて置くべきでした。
「ねえ、何か借りるー?」
「何かって?」
「DVDとか、CDとか、漫画とか!」
いずれも興味ありませんが、話は繋げます。
「いいけど、どこでそれ、観るの?」
「みなもちゃんのおうち」
残念ながら私の部屋でDVDを再生できる機器はノートパソコンしかありません。テレビは父から譲り受けたものはありますが、再生機器までは持っていないのです。
「うちだとDVDとかブルーレイとか、再生できないんだけど」
「えー!」とみるる。「みなもちゃんち、テレビないの?」
「あるけど、そういうのを再生できる機器が、自分の部屋にない。リビングにはあるけれど」
「人のおうちのリビングで観るのは、抵抗ある」
みるるが後ろで手を組んで、厚底のブーツで空を蹴る仕草をします。
「だったら、あなたのお家は?」
みるるは急に手のひらをぶんぶんと振って、拒否し始めました。
「だ、だめ! みるるのおうち、汚いもん!」
「古いアパートか何かなの? そういうの、気にしないけど」
「そうじゃなくて、部屋がごちゃごちゃなの!」
信じられません。今日だってこんな、猫をテーマにしたブーツやらスカートやらポーチやら、猫の手をかたどった袖通しできるアクセサリーまで(この暑いのに)付けているにも関わらず、部屋がごちゃごちゃとは。
てっきり私は、部屋までおしゃれかと思いました。
「じゃあ、DVDは諦めましょう」
「えー!」
「だって、どちらも観られる環境にないんでしょ?」
「そうだけど。あっそうだ、映画!」
「見たいものが今季にないし、そもそも出費がかさむわ」
「みるるが出すよ!」
「あなたバイトしてないでしょ? 私と同じような財布事情なのにそれは悪いから遠慮しておく」
「ねーえー!」
何でも拒否する私にみるるが大きな声をあげます。
「分かった、分かったから。静かにして」
私は根負けしました。一冊本を買った後(映画より本が欲しかったのは内緒です)、みるるの言う通り、カラオケに行きました。
今回の場所はカラオケというより、歌えるカフェレストランみたいな変わったところで、みるるが一人ではしゃいで新しいものを楽しんでいるので、私は黙って本を読むことが出来ました。
「ねえ、何歌う?」
「仰げば尊し」
「君恋ね」
みるるが勝手に、近頃私に教えた歌を入れます。
私は本を読んだまま、特に何の反応を示しません。
歌うときに歌えば、みるるは静かなのです。
ところで彼女は、だいぶ処世術というか、世の中を捌くのに慣れていました。
注文や利用案内を店員さんに訊くのは実に自然かつ的確に。サービスを受ける上で何か不具合があったら、それも素早く店員さんに報告し、変えを貰ってきます。私と亜里紗なんかは、そういうことがあったら仕方ないか、とそのままにすることが多いのですが、みるるはきちんと、そういうものに手を打ちます。なんとも、抜け目ない性格です。
また、みるるはその見てくれからか、所謂ナンパというものに結構な頻度で引っ掛かりますが、それも上手く躱しています。いざとなったら、実力行使。今日までに吹き飛ばされた男性は二人は見ました。
それと、基本一人で居る割にはとても遊び好きで、会話好き。こう見えて、人の状態はきちんと伺っています。あまりそれをこちらが蔑ろにしていたりすると、我儘を言い始めますが。前述の本屋のそれがいい例ですけど、これはどう考えても私が悪いですね。
私はちょっとうらやましかったです。実に自然にいまを生きている、みるるが。
彼女は私と同じように、学校こそさぼっているものの、それに関してあまり深くは考えていないようでした。
一度みるるに、将来について直接訊いたことがあります。
「あなたは将来、何になりたい?」
「え?」
ボウリングでストライクを当たり前に決めるみるるが、私の質問に振り返ります。
「将来。なにか、決めていることでもある?」
「んー」
みるるは私の隣の席に座ると、いつもの厚底の靴を脱いでボウリングシューズに履き替えている脚をぶらぶらとさせながら、言います。
「特にない。でも、お金を稼げて、毎日を楽しく生きられたら、それはそれでいいかなあ」
「将来の夢がないことに、引け目は感じない?」
「引け目? なんで?」
「それは、えと」
なんで、と言われると、少し困りました。
「だって、回りの同い年くらいの子は大体、将来の夢を決めているでしょ?」
「うん」
「焦らない?」
「別に?」
実にあっさり。
「みるる、ゲーム好きだし。ゲームセンターの職員にでもなれたら、楽しいな。あ、ボウリングとか映画館とか、カフェ、カラオケの店員さんでもいいな」
「学校は?」
「学校は適当に卒業するもん」
みるるは不機嫌そうな顔でぶーたれます。
彼女の前では基本、学校の話題はNGです。学校の話をすると、彼女は急に顔をしかめ、そしてぶつぶつ文句を言います。みるるは高校一年生でしたが、入学早々これでは先が思いやられます。
私が言えた義理ではありませんけれども。
「お洋服屋さんもいいなぁ。みるる、おしゃれ好きだもん」
私は少し、つまらない気持ちになりました。
みるるも所謂、明確な将来こそ決まっていないものの、数多の好きなことから仕事が見つけられて、かつ本人もそう出来たらそれでいいと考える人間の一人でした。
私のように、特に思考停止とか、無理解、躊躇い、迷いはないようでした。
私からすれば、みるるも将来に何の不安も感じていない安泰の人間に見えました。
恨み言のつもりではありません。憧れに似た羨ましさなのです。
「みなもちゃんは? 将来」
こう切り返されて、私は答えに困りました。
いつものように、分からないと答えるほかはないのですが。
「分からないわ」
「分からないの?」
「うん」
「どして?」
「それが、分からない。私には、絵しかない」
「じゃあみなもちゃんは絵でいいと、みるるは思うけど」
私は顔を上げました。
「だって、みなもちゃん、絵、上手いもの。絶対、成功する」
「どんなふうに?」
「それはちょっと、分かんないけど……。でも、みるるはみなもちゃんが、絵で何かしら食べていくことは出来ると思う」
「何をすればいいの?」
「イラストレーターとか」
「何をするのかしら」
「いっぱいだって」みるるがスマートフォンで調べながら言います。「広告にあるイラストとか、冊子に使われる絵を描く仕事とか。あと、ゲームのキャラクターや背景を描いたり、本や映画の表紙を描いたり。いっぱいありすぎて、よく分かんない」
表紙、広告、ゲーム、本。
彼らは、私を必要としてくれるでしょうか。
「私の絵を、ほしいって言ってくれるかしら」
「言ってくれるよ」
みるるは脚をぱたぱたとさせながら言います。
「良くわかんないけど、みるるだったら、取り敢えずやってみて、それで駄目なら、普通の仕事に就いちゃう。それなら、みるるの好きな遊びも趣味で続けられるし、仕事は普通に安定してるし、いいと思わない?」
「確かに」
「みなもちゃん、将来の夢、ないの?」
私は頷きました。
「ない」
「したいことは?」
「ない」
「ちょっと気になることも?」
「ない」
ボウリングのターンが私の番になって、私がいつまで経っても投げないので、みるるが代わりに投げました。
私の平凡なスコアに一つ、大きな点が入りました。
私がじっと黙っていると、みるるがそっと隣に来て、静かに言いました。
「みなもちゃんが学校行かないの、それが気になってるから?」
私は暫く黙っていましたが、やがて小さく頷きました。
他にも理由はあります。一概にそうとは言えません。ですが、将来への真っ白な不安も理由の一つでした。
みるるからすれば、やっと聞き出せた私の内情だったようです。
彼女にとって私は、なんでこの人は学校に行かないのか、と思う謎の存在だったみたいです。自分や、他の遊び好きの学生と姿勢を大体同じくして学校に行かない人達とは、少し違うと感じていたらしいみるるは、私に直接訊くことはなかったにしろ、盛んに不思議がっているそぶりは見せていました。彼女自身、自由なスタイルなので、私の内面に直接干渉こそしないものの、気にはなっているようでした。
それを、私の口から聞いて、みるるは少し納得したようです。
「うーん。そっか」
みるるは自分の玉を取って、指をはめ込みます。
「みなもちゃん、いっぱい考えちゃうんだね」
自分ではそうは思いません。何も考えていないから、分からないのではないかと煩悶します。
でも、みるるは言います。
「もし、どうしても困っちゃったら、その時はみるると遊ぼ。みるる、勉強はいまいちだし、ばかだけど、でも、みなもちゃんの相談には、一生懸命に乗るから」
みるるは気持ちのよい音でストライクを決めました。
私は、みるるの言葉に少し嬉しくなりました。
「ありがとう」
みるるは、にこっと笑いました。