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CANVAS  作者: 一歳真誉
高校二年の年
12/12

初めて誰かに

 夏休みも、今日を入れてあと四日ほど。

 私と梨葆りほの間には引きのようなものが生じ始めました。

 昨日のお祭りみたいです。

 梨葆はあまり喋らなくなり、自分の洋服とか持ってきたものを淡々と片付け始めました。

 帰る準備というか、着実に終わりに向かっている雰囲気があります。

 私はそれを見ていて何とも言えない気持ちになりました。

 帰る準備なんて、喧嘩とは違って咎めたりああだこうだするものではないです。

 ただ見守るしかない、普通のこと。

 だから、それが妙にわびしい。

 いつも散らかっていたリビングの教材や、梨葆の持ってきた筆記具やカードが、もうどこにもなくなってしまいました。

 そのうち洗濯籠の中身や玄関先の靴などもなくなってしまうでしょう。

 従妹がいなくなってしまう。

 家に帰ってきたら、誰もいない日常に戻る。

 すべては、夏休みの始まる前にかえってゆくのです。

「お姉ちゃん」

 呼ばれて、私ははっとします。

 読んでいた本をたたみ、顔を上げて返事しました。

「なに?」

「どこかお散歩、いこ」

「散歩? 今から?」

「うん」

「どこに行きたいの」

「どこでも。みね市の行ったことないところ、適当に歩きたい」

 私たちは簡単なものだけ持って外に出ました。

 特に目的地もなく、話すこともなく。めかしこんでいる訳でもなく、なんてことない格好で外をぶらぶらと歩きます。

 梨葆は市内をあまり知りません。

 私の家と、そこから駅と塾くらいしか分からないので、まあ散歩も私よりは楽しいかもしれません。だけど、それにしたって奇妙な感じです。

 まるで昨日の花火大会を二人して取り戻そうとしているかのようです。

 消えてしまったものを探しているような。

 そういう、ちょっと虚しさの入った散歩。

「どこに行こうかしら」

「どこでもいいよ」

「そう言われたって。じゃあ、河川敷のほうでいい?」

「うん」

 梨葆は黙って歩きます。

 私も静かに、いつもの道を歩きます。

 梨葆がいるのが変な感じがしました。

 年下の従妹と一緒に、高校か何かへと向かおうとしているみたい。

 自分の“いつも”に家族がいるのが、おかしかった。

 いつも一人の場所なのに。

 ひた隠しにしている、秘密の道のりなのに。

「お絵描きの道具、持ってきたの」

 梨葆に話しかけられて、私は頷きました。

「久しぶりに何か描こうと思って」

「なんか、かっこいい」

「かっこよくなんかないわ」

 土手を越えて、いつもの河川敷に着いて、私は一息つきました。

 すごい久しぶりな感じがしてまごつきます。

 河川敷はいつも通りのようで、どこか違います。

 人が多いし、台風やら何やらで景観も少し変わっている。

 何より、亜里紗ありさ百絵もえさん以外の、三人目とこの公園に来ている。

「なんにもないね、お姉ちゃん」

「ただの河川敷だしね。でも、街のものはすべて遠くに見えるでしょ」

「うん。ここで絵を描くの?」

「え?」

「今から絵、描くのかなって」

「ああ」

 びっくりしました。

 梨葆に、いつもここで絵を描いているのって訊かれたのかと。

 それはそれで、もういい気もするんですけどね。

 何かを隠し続けるのって、気持ちよくないです。

 瞬間的に何もかも話してしまおうかと思いましたが、すんでのところで止めます。

 やっぱり恥ずかしいので。

 私はいつもの味気ないベンチに座ります。

 梨葆は公園内の少ない設備をうろうろしながら眺めています。

 ちょっとの植木と、何に使うか分からない変な形の運動用遊具と、水飲み場くらいしかないのですけど、そこに梨葆がいるのが変な感じ。

「なに描いてるの」

「ひみつ」

「見せてよ」

「だめ」

 梨葆がむくれます。

「なんで」

「何でも。いいからその辺、歩いてなさいよ」

「一緒に来たのに、なんで一人で歩かなきゃいけないの」

「いいから。ほら」

 納得いかなさそうな顔をして、梨葆は向こう側に行ってしまいました。

 私はスケッチブックに鉛筆を走らせながら、ぶらぶらと歩く梨葆を見てました。

 自然と頬が緩みました。


 夏休み最後の日になって、私と梨葆は朝早くにリビングに降りてました。

 降りて、荷造りの準備を手伝ったり、いろいろなものに始末をつけます。

 家の中は人一人分の物がなくなっただけだというのに、随分とこざっぱりした印象に変わります。

 テーブルの上も洗濯機の中も、干された服だって私の物しかありません。

 いつものモデルハウスみたいな感じが戻ってきて、興覚めです。

 梨葆は大きなバッグを居間の隅っこで弄っています。

 私はそれを後ろから眺めました。

「宿題って全部終わらせたんだっけ?」

「終わったよ。見せたじゃん、お姉ちゃんに全部」

「そうだった」

 二人で玄関へと向かう中、私は振り返って問います。

「忘れ物ない? 教材とか忘れたら、せっかくちゃんとやったのに未提出扱いよ」

「ない。多分」

「私が届けるのは嫌だからね」

「けち。いいじゃん」

「嫌よ」

 門を出るとき、梨葆は立ち止まって振り返ってました。

 私は大きなバッグの一つと自分の手提げバッグを持ちながら、動かない従妹に声を掛けます。

「早くいきましょう」

「……今行く」

 一緒に街を歩く中で、私はにわかに最初の日のことを思い出しました。

 あの日は小雨が降っていて、久しぶりに会ったいとこの態度はぎこちなかった。

 でも今はあの日みたいな固い感じはなく、柔らかい。

 それだけに、この道を逆に向かって歩いているのが嫌です。

 あのわがままの梨葆が、今では本当の妹のよう。

 あの日の梨葆と今の梨葆は、全然違う別人のようにすら感じるのです。

 いとこと別れるときって、どうしてこうなるんでしょうね。

 会う前は「いいよ、別段会いたくもないし」みたいな心境なのに、別れる時となったらもうすっかり仲良くなっていて。 

 梨葆はあまり喋りませんでした。

 私も喋らずに、静かに歩きます。

 沈鬱ですらある空気の中、私たちは駅にたどり着きます。

 あの、雨の日とは全く違う風景。

 晴れていて、人が多くて、とっても暑い真夏の最後の時間。

 蝉の声溢れる、正午でした。

「バッグ、もういいよ」

 声をかけられて、私は「ああ」と返事します。

 重い重いバッグを渡して、急に身軽になった身体が途端に涼しくなりました。

 大事なものが離れてしまったみたいでまごついてたら、梨葆が目の前にじっと立って、もじもじし始めました。

 私も何かを言おうとしたのですけど、思い浮かびませんでした。

 こういう時に限って、大切な言葉が出なくなります。

 梨葆は私の言葉を待っているみたいですけど、こちらはそれをうまく言えません。

 急にこそばゆくて、恥ずかしくなって。

 私は最後に、どうしても梨葆に渡したいものがありました。

 口下手で、大事な時に何も出来ない自分だけど、それを超えたところに行かないと、誰にだって気持ちを伝えることは出来ません。

 多少不便に思いますけど、でも、今の自分に最大限伝えられることがあったらいいなって。

「梨葆。あの」

「……なに?」

 急に変な調子で呼び止めたので、梨葆はちょっと意外そうな顔をして私を見ました。

 自分で呼び止めておきながら真正面から注目されてひどく落ち着きません。

 こんなに緊張したのはいつ以来だろう。

 私はガチガチになった腕で手提げバッグからスケッチブックを取り出すと、それを梨葆に渡しました。

 梨葆はきょとんとした瞳で言います。

「これって」

「絵」

 え、としか言えなくて、もう本当に恥ずかしいんですけど、でもそれ以上は何も言えなくてだめです。

 梨葆の指が、スケッチブックの端に触れました。

 ああ、見られる、だなんて渡しておきながら焦燥感に駆られて顔が赤くなりました。

 梨葆はスケッチブックの一番最初のページを開きます。

 最初のページ以外には何も描かれていない、新品のスケッチブック。

 河川敷と、その中に描かれている後姿の女の子を見て、梨葆は顔を上げます。

 私は目をそらしました。

「これ……」

「受け取って。私、そんなことしか出来ない」

「お姉ちゃんが、描いてくれたの……?」

 頷く私。

 お礼をしたかった。

 明るい夏の、楽しい毎日を与えてくれたいとこに。

 梨葆はしばらく絵を見ていました。

 ほんのちょっとの間だったのかも知れませんが、自分にはとても長く感じました。

 思いの丈を誰かに向けたのって初めてなので、それが正攻法なのか、それとも滑稽なのか、よく分からないのですけど――。

 梨葆があまりにも長い間じっと絵を見ているものですから、私はたまりかねて逃げ出したくなりました。

 だってこんな、周りに人がいっぱいいる場所で。

「じゃあ、また」とか言ってさっさと撤収しようかと思ってたら、突然梨葆が飛び込んできました。

 ばふって突っ込んできて、転ぶかと。

 あまりにも勢いがあったので、一瞬攻撃されたのかと思いました。

 凄い力でぎゅーって締め付けてくるし、何も言わないし。

 勿論そうじゃないって分かったら自分も寂しくなって、梨葆を抱き締めました。

 頭をそっと撫でるとますます頬を寄せてきて、もう何だか子供をあやすみたいです。

 でもそれが、梨葆の最大限の思いの伝え方なんです。

 それが分かったら、いっそう梨葆が愛おしく思えました。

 夏休み最後の日。

 駅構内のアナウンスと、ゆっくりと車両の進んでいく音を聞きながら、私は去っていく従妹を見送りました。

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