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放置国家  作者: 水芦 傑
9/23

―一週間―4

 期限の一週間も明日と迫り、草場は漸く裁きを下す為に動き出していた。それまでは最後になると思っている子供達との遊びを楽しんでいた。

 そして、時刻が丁度正午を迎える頃、草場は天を仰ぐようにオフィス街の一つの高層ビルを見上げていた。このビルにはある大企業の本社が置かれている。

 勿論のことなのだが、その手には日本刀が握られていた。

「ここ…ですね」

 一人呟いた言葉は人を切り捨てようとしている人とは思えない程、穏やかなものだった。そして、中へと足を踏み入れる。

 受付に行くと、二十代前半の綺麗な受付嬢が出迎えた。

「いらっしゃいませ」

「すみませんが、ここに杉村さんはいらっしゃいますか?」

「アポイントはお取りでしょうか?」

「アポはないんですが、草場が会いたいとだけ伝えていただけますか?」

「??」

 受付嬢は不思議がりながらも内線を繋いだ。

「すみません。草場様とおっしゃられる方がお見えですが……はい、はい、分かりました」

 受付嬢が内線を切り、未だに不思議そうなままだったが、自分の仕事を全うする。

「会っていただけるそうです。では、五十四階の重役室へどうぞ」

「ありがとうございます」

 草場は丁寧に感謝を伝えると、エレベーターで三十八階に向かった。三十八階に着くと、草場は迷わずにその歩を進めていった。

 その先には確かに重役室があった。草場はその前で踏みとどまり、一呼吸置いてからノックした。


コンコンッ


「どうぞ」

 招き入れる声に草場は両開きの扉を開いた。

 重役室らしく広い部屋は向かい合ったソファーの奥に重厚感漂う大きな机が置かれていて、壁に掛けられた絵画や花瓶に活けられた花は部屋を華やかにしていた。

 そこに待っていたのは偉そうに足を机に上げて椅子に腰かけている杉村とその机の両横にスーツの上からでも分かるような筋肉質な体つきをした二人の男は見た目通りのボディガードだった。

 その杉村の風貌は半年前とは様変わりし、まるで別人だった。杉村は派手さが高級だということを主張しているかのようなスーツと煌びやかな貴金属を身に纏い、口には葉巻をくわえている。

しかし、半年前との一番の変化は体型だった。前は不健康そうに痩せ細っていたその体も今では恰幅がいいと表現するまでになっていた。

それは草場でさえも目の前にいる男が本当に自分の患者だったあの杉村かと僅かな疑念を抱いた程の変化だった。

「お久しぶりですね。杉村さん」

「久しぶりだな。草場」

 杉村は態度や言葉遣いまでもが違うせいで、更に別人さが増していた。

「ところでなんの用だ?あのくそ面白くない世間話でもしに来たのか?そんなのに付き合うつもりはないぞ。俺は見ての通り、忙しいんだ。用件ならさっさと済ませてくれ」

 杉村が机に足を上げて葉巻を吸っている様子を見る限り、忙しさは欠片も窺えそうにはないのだが。

「そうですか。では、手短に。杉村さんは奇跡の囀りをお読みになりましたか?」

「結局世間話か。まぁいい、せっかくの再会だ。少しくらいは付き合ってやるよ。奇跡の囀りってのはあの本のことか?」

「えぇ、そうです」

「もうどこに行ったか覚えてないな。少しは読んだんだが、あんたの世間話と同じで面白くなかったからすぐに読まなくなったな」

「そうですか。あれは杉村さんに読んでもらいたかったんですが残念です」

 言葉通り、草場の表情には残念そうな色が見えた。

「まさかとは思うが、用件はそれだけか?」

「いえ、違います。では、そろそろ本題に行きましょうか」

 草場は日本刀に手を掛け、引き抜いた。その鮮やかな刀身は杉村が身に付けている貴金属よりも輝いていた。

「貴方がこの地位を得るまでに数々の犯罪に手を染めてきましたね」

「さぁ、なんのことだがさっぱりだな」

「惚けるのは勝手ですが、私が調べた限りでもかなりあるということが分かりました。それにこの企業の急成長とたった半年で自宅勤務だった男が重役まで上り詰めているこの現実が確固たる証拠でしょう?」

 草場は杉村を問い詰めた。

「あぁ、そうだ。あんたの言う通りだ。だからどうした?」

 杉村は開き直ったのか、草場の質問を全て認め、ふてぶてしく煙を吐いた。

「俺はな、気付いたんだ。半年もあんたのつまらない世間話に付き合ってるだけじゃ何も変わらないってな」

「そうですか…」

 草場は僅かに表情に陰りが見えた。それは、自分自身の治療が間違っていたことに落ち込んでいるのか、それとも杉村が犯罪に手を染めてしまったことに責任を感じているのか。

「そして、もう一つ気付いたことがあった。それはな、結局世の中金なんだってことだ。だから俺は人を心で信用するんじゃなく、金で支配することにしたんだ」

「それは違います。それは―――」

「うるせぇ!」

 今まで冷静だった杉村が急に声を荒げた。いや、本当は冷静でいるように見せていたのだけなのかもしれない。

「あんたに何が分かる!?俺がどんな目にあったのかを話したってあんたに俺の気持ちなんて理解できないだろ!どうせ、あんたは仕事だから適当にあしらってたんだろ!?」

「そんなことはありません。この半年、私はあなたのことを誰よりも心配してましたし、どうすれば貴方が私に心を開いてくれるのかをずっと考えていました」

「嘘吐くんじゃねぇ!お前も俺を見捨てただろうが!」

 杉村は机を両手で叩き、立ち上がった。

「分かってもらえないのは悲しいですが、少なくとも私は本気でした」

「だったら、なんで何も言わずにいなくなったんだ!?半年も放っておいたくせに、急に現れて都合がいいと思わねぇのか!?」

 杉村の言葉には、少なくとも草場のもとに通っていた頃は草場を頼っていたのだろうということが窺い知れた。どの程度かということは抜きにしても、草場も自分が信頼されていたことを痛感していた。

「それは申し訳ないと思っています」

「そうかよ。だったら、教えてやるよ。おれに起こった出来事をな。俺はな、小学校の頃から仲の良いダチがいたんだ。高校まで殆ど毎日一緒に過ごしてきた。だけどな、高校も卒業しようとしてた時だった。あいつに呼び出されていった場所にはあいつはいなくて、死にかけた男だけがいた。俺は状況が理解出来ないままの時に警察がやってきて、捕まったのさ。その後に現場から出てきた証拠は全て俺が犯人だと示していた。その時に全部分かったよ。あいつが仕組んだんだってな。あいつは昔から頭だけはきれたから。俺はあいつに裏切られて、罪をなすりつけられた」

 杉村は拳を握り締め、机を叩いた。それは、その拳は怒りで作られたのではなく、悲しみが先行した結果だったのかも知れない。

「そうですか。そんなことが…」

 草場がそれ以上、言葉を紡ぐことはなかった。草場にはかける言葉が見当たらなかった。それは草場も杉村と同じように悲しみを感じていたからだった。まるで自分の出来事のように。

 草場にはそうすることでしか、杉村に対しての答えを出せなかった。草場の両目は涙で潤んでいたが、涙が流れることはなかった。

「もういい。お前はもう死ね」

 杉村は椅子に腰を下ろし、二人のボディガードに指示を下した。

「よろしいんですか?」

「あぁ、隠ぺいに関しては俺がきっちりやる。だから殺せ。今すぐに、だ」

「分かりました」

 二人のボディガードが銃を取り出し、その銃口を草場に向ける。

「貴方達に用はありません。傷付けたくないので、出来れば退室願えませんか?」

 草場は銃を向けられた状況でも動揺せず、まるで自分が死ぬわけがないと確信しているような冷静さを持っていた。

それは超人的な身体能力からの自信なのか、或いは草場にとって想定内のことだったのか。

「いいですよ。但し、貴方に銃弾を撃ち込んでからになりますがね」

「無理な相談でしたか。では、仕方ありませんね」

 草場は鞘を置き、両手で日本刀を握った。ある程度はしっかりとした握り方をしているので形にはなっているが、知識では知っていても剣道の経験が全くない草場はまだ多少おぼつかない面もあった。

 そして、草場の雰囲気が変わる。それをすぐに感じ取った二人のボディガードは引き金を引き絞った。


バンッバンッ!


 銃弾が向かった先には草場の姿はなかった。

「なっ……!」

草場は二人が引き金を引くより一瞬早く動き出していた。二人は草場が消えたような感覚に陥り、驚愕する。そして、それが一瞬の隙を生んだ。

草場は片方のボディガードに近付くと、銃を上に弾き飛ばした。草場はそのボディガードの首元に日本刀の刃先が宛がい宙に舞った銃を器用に受け取ると、その銃口をもう一人のボディガードに向けた。

草場は日本刀を宛がっているボディガードの後ろに入り、盾にするような態勢を取った。

「もう一度聞きます。退室していただけますね?」

「撃て。俺に構うな」

 首に日本刀を宛がわれたボディガードは無口だったボディガードに淡々と告げた。無口なボディガードは何も言わず、そして躊躇することなく銃弾を放った。

 銃弾はボディガードの頬を掠り、壁に当たった。本来なら、草場の頭に直撃する筈だったが、草場の方が反応は早く、やはりそこには草場の姿はなかった。

 草場は重厚感のある机にのぼり、日本刀で無口なボディガードの銃を叩き落とすと、その日本刀を無口なボディガードの首元に、銃をもう一人のボディガードに向けた。

「その仕事への姿勢には感服しますが、今度こそ退室していただけますね?」

「くっ…」

 無口だったボディガードは悔しさからか、声を漏らした。しかし、無口なボディガードの睨みつけるような目つきにはまだ諦めるつもりがないようだった。

 無口なボディガードは片手で日本刀を握り締め、日本刀の動きを瞬間的に封じた。その代償として掌からは血が流れ落ちる。そして、机に飛び乗ると草場に殴りかかった。

草場はそれをかわし、日本刀の柄で無口なボディガードのみぞおちを叩いた。無口なボディガードは一瞬怯む。

それと殆ど同じくして、もう一人のボディガードが机の前に落ちていた銃を拾おうとした。草場は無口なボディガードに蹴りを入れるのともう一人のボディガードの腕に銃弾を撃ち込むのを同時に行った。

無口なボディガードは机から蹴り落とされ、もう一人のボディガードは撃たれた腕を手で押さえていた。草場は机から降りると、再び二人を牽制した。

「私は一人、貴方達は二人という数的優位に立ちながら私に抑え込まれていることを考えれば、貴方達に勝ち目がないことは分かるでしょう?もう、諦めていただけないですか?」

「あんた、何者だ?」

「そんな大層な人ではありませんよ。私はただの臨床心理士です」

「そうか。おい、出るぞ」

「はい」

 ボディガードの二人は扉へと歩いていく。

「お、おい!ちょっと待て!お前らには高い金払ってるんだぞ!?なのに、依頼人の俺を見捨てるつもりか!!」

 杉村に先程のような余裕のある態度は欠片もなく、二人のボディガードに縋るように手を伸ばしていた。

 無口なボディガードが部屋を出て、もう一人は一度振り返った。

「すみません」

 一礼し、そのボディガードも部屋を後にした。

「ふざけるな!じょ、冗談だろ!?おい!おい!!」

 怒号は虚しくも散り、杉村は一人取り残された。

「くそっ…くそぉ!」

 杉村は机を二度叩き付けた。

「言い忘れていましたが、私はあなたに謝らなければなりません」

「な、なんでだ?」

 杉村は怪訝な様子で聞き返した。

「あの時に貴方の治療に関して私は迷っていました。自分は間違っているんじゃないのか、と。それで、今の貴方を見て確信しました。やはり、今の貴方を作ってしまったのは、私の責任です。私が貴方をしっかりと助けられていれば…このような事態は避けられたかも知れません」

 日本刀を持つ草場の手に力が入る。それには、自嘲と後悔の意味が込められていた。

「それについては、気にしてない。だ、だから助けてくれ。何が欲しい?金か?金なら幾らでも払う。それとも、地位か?権力か?それなら、この会社の重役としてお前を、いや、貴方を迎え入れることもできる。女だってなんだって貴方が欲しいもの手に入れてやるから命だけは助けてくれよぉ…お、俺を殺したって、い、一円の得にもならないだろ?」

 杉村は恐怖で言葉に詰まり気味になっていた。

「私は得や損の為にこんなことをしようと思っている訳ではありませんし、結婚してます。勿論、地位や権力が欲しい訳でもありません」

「だ、だったら何が望みなんだ…?」

 杉村は怯えながらも尋ねた。

「私は責任を取りに来たのです。貴方という責任を」

 草場は杉村に歩み寄った。

「や、やめてくれぇ……」

 杉村は椅子から崩れ落ちるように下りると、地面に座ったまま後退っていく。草場もそれを追い、ゆっくりと歩を進めた。

 そして、杉村は部屋の隅に追い込まれた。

「私のせいでこんなことになって本当にすみません」

 草場は言葉と共に日本刀を振り上げた。

「い、いや……やめ、ろ…」

 杉村の呼吸は恐怖によって荒くなり、草場から視線を逸らして縮こまっていた。しかし、いつまで経っても草場が振り上げた日本刀が振り下ろされることはなかった。

日本刀を振り上げたままの草場の両手は小刻みに、しかし、激しく震えていた。草場が躊躇っていることはその様子から明らかだった。

草場は杉村とはまた別の恐怖を自分の中で感じていたのだ。

人を殺すという恐怖を。

――人を殺すということが幾ら国家権限で正当化されていても、それは間違っているんじゃないのか…?でも、私がこうすることで、少なくとも救われる人がいる筈。いや、それさえも定かではないのに私は……

その迷いが躊躇を生んでいた。

あれだけ冷静だった草場の表情に、初めて人間的感情が現れていた。

――本当にこれでいいのか?

ここに来る前に、しっかりと決めていた覚悟が揺らぎ始めていた。草場の中にはこのまま立ち去るという選択肢も出てきていた。

葛藤という輪廻は草場の中でいつまでも回り続けていた。

「へっ…?」

 杉村は腑抜けた声を出し、恐る恐る目を開いた。杉村が見たものは、小刻みに震えている草場だった。

「お…おい……」

 草場はその杉村の声で我に返った。

「ま、迷ってるならやめようぜ。こんなこと。絶対に意味ないって。寧ろ、こんなことをしたって貴方が罪を負うだけだって。な?」

 杉村は草場を諭すように言葉を掛けた。助かる為ということが見え見えだが、今の草場にはそれが本当のことのように思えていた。しかし、杉村も嘘を言っている訳ではない。

 これは答えのない問いなのだから。

「そうなのかも、知れませんね」

 草場は振り上げていたままの日本刀を下ろした。

「た、助かった…」

 杉村は四つん這いのままで草場の脇を抜け、机の前まで進んだ。草場は思い詰めた表情のまま、立ち尽くしている。

 ――私にとっての正義……臨床心理士になったあの時ははっきりしていたのに。今はもう…

 草場が臨床心理士になったのは、犯罪を減らしたいという純粋な想いがあったからだった。警察のようにただ捕まえ、裁くことで犯罪を減らすというのは何故だが、性に合わなかった。

 犯罪を行うまでの過程ではなく、ただ結果だけで裁いているように見えたそれはまるで犯罪者を突き放しているように思えたから。だから、草場は犯罪を減らすのではなく、犯罪者を減らしたかったのだ。

 そして、辿り着いた答えが臨床心理士だった。精神的に不安定な、或いは、精神病の人を救えれば、その人が犯罪者にならずに済む。

 地道ではあるが、そうすることで少しでも誰かの役に立てれば、それで良かった。

 それが今までは草場にとっての正義だった。

 杉村はただ立ち尽くす草場を見て口元を歪ませた。そして、目の前に落ちている銃を手に取ると、立ち上がった。

 杉村はその銃口を草場に向ける。

 ――そうじゃない。これを受けると決めた時、確かに私にとって正義になると確信できたから、これでならもっと多くの人を救えると思ったからだった。そして、責任を取る為ということできっと彼も救えると思うから。

 草場が答えに辿り着いたかどうかは分からないが、少なくとも納得のできる明確な意志を確認できていた。

 杉村は引き金に指を掛けた。そして、引き金を引こうとした―――――刹那。

 草場は日本刀を薙ぎ払い、その刃先が銃身を捉えた。銃は杉村の手から零れ落ちはしなかったものの、弾かれた。


バンッ!


 放たれた銃弾は標的である草場からかけ離れた位置の壁に当たった。杉村は草場が自分の行為に気付いていたということに、そして、瞬間的に銃を弾いたことに驚愕し、再び恐怖に陥った。

 今度こそ、自分は殺されると確信して。

「やっと、整理がつきました。すみませんね。長引かせるような事をしてしまって。確か、忙しいんでしたよね?」

「あっ…あっ…」

 杉村は気力を失ったかの如くその場に座り込んだ。

 草場は杉村に歩み寄り、日本刀を振り上げる。

「今度こそ、躊躇いも迷いもありません。痛みのないようにすぐに終わらせますから」

 そして、日本刀は振り下ろされた。

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