―一週間―3
「ただいま」
草場は宇宙旅行のその後、これからをどうするかが頭から離れず、気付けば家に着いていた。草場は答えをすぐには出さなかった。確かにこれ程のことをすぐに答えを出せる人間は少ないだろうが、理由はそれだけではなかった。
一人身ではない草場は自分の考えは二の次にし、家族が一番不幸にならない選択をするつもりだった。そうするならば、答えは自ずと出てくるのだが。
その片手には鞄、もう片手には日本刀、虎徹が握られていた。
虎徹。
地鉄が緻密で明るく冴えていて、鑑賞面にも優れ、切れ味鋭い名刀としてその名を知られている。虎徹は人気が高いが、その人気ゆえに江戸時代には『虎徹を見たら偽物と思え』という鉄則があるように、虎徹は贋作が多いことで有名である。
廊下の奥から駆けてくる足音が聞こえた。
「パパー!お帰りー!」
「お帰り!パパ」
無邪気に駆けてきたのは男の子と女の子の二人の幼い子供だった。子供達は駆けたままの勢いで草場に抱き付いた。
「パパ。寂しかったんだぞぉ」
「寂しかったよぉ」
女の子は今にも泣き出しそうな表情で目に涙を溜めている。確かにまだ四、五歳であろう子供が半年も父親と離れ離れになれば、こういう反応は当然のことだろう。
「ごめんよ、卓哉、奈々。でも、明日は休みだから一日中一緒にいられるし、一杯遊ぼうか」
二人の子供を目の前にした草場はいつもの知的な雰囲気とはまるで違い、しっかりとした二児の父親だった。
「ホントに!」
「うん!」
二人は嬉しそうに笑うと、草場から離れて喜びを爆発させていた。子供達に少し遅れて、長い髪をなびかせながら女性が小走りにやってきた。
「お帰りなさい」
「あぁ、ただいま。真央」
草場が真央と呼んだ女性の表情にも僅かに寂しさが窺えたが、子供達のようにそれを全面に出すことはなかった。
「どうだった?宇宙旅行は」
「まぁ、疲れはしたけど楽しかったよ」
「そう、良かったわね。それで、ご飯とお風呂、どっちにする?」
「そうだなぁ…とりあえず風呂に入ろうかな」
「それだと助かるわ。これから夕食を作るところだったから。それより…それ、一体なんなの?」
真央の視線は草場が持っている日本刀に注がれた。
「なぁに―それぇ」
「かっこいいなぁ」
子供達の興味もその日本刀に向けられた。
「あぁ、これか?」
草場は日本刀を目と同じ高さまで持ち上げる。
「これについては後で話すよ」
「そう」
草場は真央を軽く納得させると、子供達の目線に合わせるように今度はしゃがみ込んだ。
「いいか?これは危ないものだから、絶対に触っちゃいけないよ。分かった?」
「はーい」
「うん!」
「よし、いい返事だ。それじゃあ、パパと一緒にお風呂に入ろうか!」
「うん!」
「やったぁ!!」
子供達は返事をすると、待ち切れないのか、急いで風呂場に走っていった。草場も家に上がると、鞄と日本刀を真央に預けて子供達の後を追った。
「真央、子供達にはその刀は触らせるなよ」
「分かってるって」
「それと、後で大事な話がある」
「…はい」
草場は風呂からあがり、夕食を食べ終えてからゆっくりとした家族の時間を楽しんでいた。
「パパー。見て見てぇ」
卓哉が草場に駆け寄ってきて、一枚の絵を見せた。そこに描かれていたのは、子供ながらにも一生懸命に描いた草場の姿だった。
「今日、幼稚園でパパの絵を描いたんだぁ」
「そうか、そうか。良く描けてるじゃないか。将来は画家になれるかもな」
草場が冗談交じりに親馬鹿な発言をした。
「ホント?えへへ…ママにも褒められたんだぁ」
「良かったな」
「まぁ、私は画家になれるとまでは言わなかったけど」
「いや、夢は大きく持った方がいいぞ。な、卓哉」
「うん!でも僕、将来は正義のヒーローになって悪いやつをやっつけるんだ!」
――正義のヒーロー……か。
草場にはその幼げな夢が心にずっしりとのしかかった。
「パパ、どうかしたの?」
「あなた、大丈夫?」
考え込む草場の表情は妻の真央だけではなく、子供にまで心配を誘うものだった。
「えっ、あぁ。いや、なんでもない。それより、もうこんな時間だぞ。卓哉も奈々もお休みの時間じゃないか?」
「確かにもうそんな時間ね」
「えぇー、まだ大丈夫だよ」
「そうだ、そうだ」
子供達は反発するも、時間はもう十一時を過ぎていた。
「ほら、部屋に行って寝なさい。早く寝ないと明日起きられなくなるわよ」
「大丈夫だよ。明日は休みじゃん」
「卓哉、早く寝ないと明日に遊ぶ時間が減っちゃうぞ。それでもいいのか?」
「それは嫌だけど…」
「さぁ、早く寝るわよ。奈々も」
「はーい」 「はーい」
子供達は嫌々ながらも返事をし、真央に連れられて二階に上っていった。十分後に真央は二階から少し疲れた顔で下りてきた。
「寝たか?」
「えぇ、少しだけダダをこねたけどね」
「そうか」
真央が草場の向かいに腰を下ろすと、沈黙が流れた。しかし、長年一緒にいる二人の間に気まずさなどは感じられなかった。
草場が話を切り出そうとした時に真央から話し出した。
「大事な話があるんでしょ?」
「あぁ。実はな、半年間宇宙旅行に行ってきただろ?」
「もしかして、土産話とか?」
真央が茶化すように笑った。
「そうじゃない。帰ってきてからの話だ。そもそも、あれはただの宇宙旅行はじゃなかったんだ。確か、経済的犯罪対策用人員の訓練プログラムとか言ってたな。信じられないかも知れないが、そのせいで私は超人的な能力を身に付けたらしい」
「信じるわよ。だって、あなたは真顔で冗談を言うような人じゃないって知ってるもの。それで?」
「半年前の法改正で経済に関する犯罪が急増したらしい。それで、この能力を活かして経済に関する犯罪を取り締まって欲しいと言われたんだ。その時にあの日本刀も一緒に渡された」
「なるほどね。でも、あなたはもうどうするか決めているんでしょ?」
「私はやりたいと思ってる。だが、これは私のわがままだ。子供達のこともあるし、真央がやめろと言うなら―――」
草場の言葉が遮られる。
「嘘ばっかり。私がなんと言おうとやるつもりのくせにさ。昔から妙に頑固なところがあるわよね、あなたは」
「すまない。真央」
「謝らなくてもいいのよ。だってそんな必要ないでもの。それで、まだ何かあるんでしょう?」
真央が草場の心を見透かしたように問い掛けた。
「あぁ。真央、離婚して欲しい」
「そう」
真央の反応は意外にもあっさりしていた。草場がこう言うことが分かっていたのだろうか。
「犯罪を取り締まる立場にいる以上、真央や子供達にもしものことがあるかもしれない」
「それもそうね。でも、あなたのわがままを聞くんだから、私のわがままも一つだけ聞いてくれる?」
「あぁ。私にできることならなんでも聞くよ」
「私のわがままはあなたと別れないこと。それだけは絶対に譲れないわ」
「だが、真央。それだと―――」
「分かってるわ。でも、私は危険だとしてもあなたとは別れない。子供達は私が守っていくから。私もたまには頑固になるのよ」
草場は戸惑い、もしも家族に何かあった時のことを考えると決意が鈍りそうになった。だからこそ、説得を続けた。
「真央、私は君のことを愛している。別れてもそれは決して変わらない」
「うん」
「だから、別れてくれないか?これは真央の為でも子供の為でもあるんだ。それに私だってできるのなら別れたくないんだ」
「ねぇ、あなた。心理学の知識はあるのに女心が分かってないのね。私は嘘だとしてもあなたと別れたっていうことが記録上で残るのは嫌だし、あなたと私が夫婦であるということが形だけだったとしても残っていて欲しいのよ」
「子供に危険が及ぶかもしれなくても、か?」
「だから、私のわがままだって言ったじゃない」
「分かったよ。真央がそこまで言うのも珍しいし、離婚はなしにしよう」
「ありがとう…あなた」
真央の目から途端に涙が溢れ、零れた。その涙は真央がどれだけ草場のことを愛しているのかを物語っていた。
「でも、護がいなくなると寂しくなるなぁ。あと、子供達にもなんて説明すればいいんだろうね?」
「本当にごめん」
「いいのよ。話し合った結果だもの。ただ、ちょっとだけあなたを困らせたくなったの」
真央は意地悪そうな、しかし、冗談めかした笑みを浮かべた。
「護、愛してるわ」