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放置国家  作者: 水芦 傑
6/23

―一週間―1

「はぁ…」

 これで何度目の溜め息だろうか。久保は今日、溜め息ばかりを吐いていた。悩みの種は昨日の出来事だった。

 突然告げられた様々な変化。日本のこと、自分のこと、そして、正義のこと。

 それは世界の端で生きてきた久保にとっては大きすぎることだった。そして、久保の中では整理するだけで精一杯だった。

ただ、久保にはもう一つの答えが出かかっていた。

 ――やっぱり断ろう。僕には荷が重すぎるし、人を裁けるような人間じゃない。

 そこまでの結論に達していながら、久保にはまだそれを決意することができなかった。

それは、久保自身が悪を正すということに惹かれていたからだった。世界の端で見てきたものはあまりに納得のいかない、許せないことが多かった。

自分の周りで起こった出来事でも、赤の他人に降りかかった出来事でも。

 ただ変わらない事実としてあったことは、久保にできることは何もなかったということだ。

久保はそれを仕方ないと流して生きてきたのだ。だから、決意しきれていなかった。

しかし、それを決意する為に久保は実家に向かっていた。社会人二年目の久保に半年もの休暇が許される訳もなく、仕事は解雇され、することもなかった久保は五年振りに実家に帰ってきた。

 住宅街でも一際大きいその実家の前に着いた久保の両手には荷物と日本刀、童子切どうじぎり


 童子切。

 天下五剣の一つに数えられ、国宝に指定されている名刀。酒呑童子しゅてんどうじという鬼の首を切り落としたことから、その名が付けられた。童子切安綱とも呼ばれており、日本刀の最高傑作として知られる大平包おおかねひらと並び称され、最も優れた名刀として知られている。


 久保は一度実家を見上げると、その中へと足を踏み入れた。

「ただいまー」

 家の鍵は開いていたのだが、返事はない。

「誰もいないのかな?でも、開いてたし…鍵開けっぱなしってことだったら、不用心だなぁ」

 ぶつぶつと独り言を呟きながら、リビングに入った。リビングはダイニングとしての機能も持ち合わせている為、広く作られている。しかし、そこにも人の姿はなかった。

「あれ?本当に誰もいないの?」

 不安を覚えながらも久保は荷物を下ろした。しかし、童子切だけはその手から離すことはなかった。久保は一階にある父親の書斎に向かった。

「誰かー!いないのー!」

 久保が父親の書斎の扉に手を掛ける。

ガチャ

 中を確認すると、椅子に座っている父親の姿があった。

「なんだ。いたなら返事してよ、父さん」

「た、忠か?どうしたんだ、急に帰ってきて」

 久保の父親は僅かだが、額に汗をかいていた。ただ暑いだけなのか、それとも何かを焦っていたのか。

「父さん。母さんは?」

「母さんなら買い物に行ってるぞ」

「そう」

「忠、その刀はどうしたんだ?」

「えっ?」

 久保の手に握られた刀について父親の疑問がぶつけられた。確かに日本刀を持ち歩いているというのはそれだけで異様だった。実家に帰ってくる途中でも幾度となく他人から視線が注がれたことも事実だ。

「えっと、これは…趣味かな?勿論、本物じゃないよ。模造刀だからね」

「そんなことは聞かなくても分かってる」

「そうだよね」

 他愛のない会話を終えると、久保は二階の自分の部屋に向かった。久保が出ていった後に父親が安堵していたことを久保は知る由もなかった。

自分の部屋には懐かしいものがそのままの姿で残っていた。部屋自体は殺風景なのだが、そこには過ごしてきた者だけの思い出が詰まっていた。

「懐かしいなぁ…ここで十八年間過ごしてきたからなぁ」

 感傷に浸りながら、久保はベッドに横になった。学生時代のことを思い出しながら、久保は実家に帰ってくるまでの旅路の疲れが出たのか、眠気に襲われてそのまま眠りに就いてしまった。



「忠。起きなさい。忠!」

「ん、んー」

 目を擦りながら視界を開くと、暗くなった部屋で自分を起こす母親の顔が一番に見えた。

「あれ、母さん?おはよう」

「ご飯にするから、起きてきなさい」

 それだけを言い残すと母親は一階へと降りていった。五年振りの再会だというのに母親は実に自然体で接してきた。それが、社会人になってからずっと気張っていた久保には心地よく感じられた。

 久保は二階の自分の部屋からリビングに降りていった。未だにその手には日本刀、童子切が握られている。

 リビングの食卓には普段は並ばない豪華な食事が用意されていた。久保の好物の肉じゃがや鳥の唐揚げ、それに寿司まであった。

 久保が帰ってきたことで、母親が張り切ってしまったというところだろう。

「ほら、早く席に付きなさい」

「あっ、うん」

 久保は両親が座る席に向かい合って座った。

「いただきます」

 久保は並べられた料理に箸を伸ばしては口に運んでいく。

「それで、忠。いきなり帰ってきてどうしたの?帰ってくるなら、母さんに電話の一本でも入れなさい」

「ぼべんね」

 久保はごめんと言ったつもりなのだが、口一杯に料理を頬張っている為に何を言っているのか両親には聞き取れなかった。

「それに、これからはちょくちょく顔見せなさいよ。父さんも母さんも忠のこと心配してるんだから」

「わがった」

 今度の言葉は多少濁ったものの、両親にも聞き取れた。久保は口の中のものを一気に胃に流し込んだ。

「そう言えば、どうして急に帰ってきたりしたんだ?前に電話した時は忙しくて帰れそうにもないって言っていたじゃないか」

「うん。そうなんだけどね…実は二人に相談があってさ…」

「なんだ?仕事のことか?」

「いや、仕事は辞めたんだ。というかクビになったんだけどね」

 両親はそのことに驚きはしたが、特にその他の反応は示さなかった。両親は久保が仕事を辞めたことについてとやかく言うつもりはないということだろう。

「そうか。まぁ、お前にはその仕事は合わなかったということだろう。仕事は探しているのか?」

「いや、まだだよ」

「だったら、次の仕事が見つかるまではうちの会社で働けばいい。なぁ、母さん」

「そうね。父さんも私もいるからその方が安心だわ。それに何もやることが見つからなければ、そのまま会社を継いでくれてもいいし」

 久保の両親は会社を経営していた。そして、一人っ子ということもあり、久保は両親に大切に、いや、甘やかされて育った。しかし、その環境を嫌った久保自身が家を飛び出し、一人実家を離れて働いていたのだ。

「もし、やることがなかったらね」

 ――相談は…明日でもいいかな。まだ五日もあるし。

 そうして、路線変更した話を久保は戻すことなく、その日は一家団欒を楽しんでいた。

 こうしていられるのがこの日で最後だったとも知らずに。

そして、それを壊してしまうのが自分自身だということも知らずに―――――



「んっ、うーん」

 久保は自分の部屋で目覚めた。

こんなにすっきりと起きられたのは、そしてこんなにぐっすりと寝ていられたのはいつ振りだろうか。毎日時間に追われていたせいで、久保は休日もゆっくり眠っていたことはかった。

 そんなことをぼんやりと考えながら、久保は部屋に掛かっている時計に目をやった。時間は既に午後三時を過ぎていた。久保は実に十八時間も睡眠に没頭していたのだ。

 ――あぁ、もうこんな時間か。流石に起きないと。

 まだ、多少の眠気は残っていたが、久保は体を起こした。特に予定はないのだが、普段の習慣が身に付いているせいか、一通りの身支度を済ませた。

 そして、ふと頭をよぎったのはある小説だった。それが頭に浮かぶと、何故だか無性にその小説が読みたくなった。

 ――あの本、まだあるのかな。

 高校時代に読んだ小説、奇跡の囀り。それに久保は感動し、涙を流した。あんなに感動したのにその小説のことを久保は今まで忘れていた。

 ――あるなら、やっぱり父さんの書斎だろうなぁ。

 久保は父親の書斎に向かった。しかし、その手にはやはり日本刀が握られている。

久保はその日本刀を文字通り、肌身離さず持っていた。久保の未練がその日本刀を持たせているのだろうか。

相も変わらず殺風景な書斎。必要最低限以外のものは何も置かれていなかった。久保の部屋も同じように必要なもの以外はなく、部屋の飾りにこだわらないところは父親譲りというわけか。

 ――えぇっと、奇跡の囀りは……

 久保が本棚を探していくが、その小説は見当たらなかった。

 ――おかしいなぁ、あると思ったんだけど…まぁ、いいや。

 久保はその中で気になった本を適当に手に取った。手に取ったのは本棚の一番上の端にあった本だったのだが、その瞬間―――――


ゴトンッ


「えっ?」

 低く鈍い音が書斎を一瞬だけ包んだ。そして、その音と共に二つ並んだうち、片方の本棚が静かに動き出した。

「ええっ?」

 久保は何が起きたのかは分からなかったが、何か危険を感じて一歩後退った。本棚はどんどん横に動いていき、もう一つの本棚が間に入るくらいまでで止まった。

 その開いた奥に闇に包まれた地下への階段が姿を現した。

 ――す、スパイ映画の隠し部屋?それとも、地下にある古代遺跡への入口?ともかく、なんなんだろう…これ。

 陳腐な仕掛けのせいか、単純な久保の頭の中を色々な妄想が巡った。しかし、それはどれも現実離れした、ありえないことだったが、久保の思考にはそうであって欲しいという僅かな期待の意味も含んでいるのだろう。

 久保は不安に駆られながらもゆっくりと階段にその足を進めた。暗く先が見えない階段を覚束ない足取りながらも一歩ずつ確実に下りていった。

 階段の最後の一歩を踏み終えると、そこは既に光も僅かにしか届かない暗闇の中だった。そこから書斎を見上げると、書斎にあった入口は小さく見える程だった。

 ――大丈夫かな?

 不安に駆られながらも手探りで一歩踏み出た。すると、途端にその地下室の明かりがつき、日の光とは違う青白い光が暗室のように暗かった地下室を照らし出した。センサーか何かが反応すると、電気がつくという仕組みなのだろう。

「な、何……これ…」

 暗闇から現われたその光景は久保にとっては妄想していた事柄よりもありえないものだった。

 リボルバー、オートマチック、サブマシンガン、アサルトライフル、ロケットランチャ、手榴弾などの爆薬、それに銃弾の山。その広い地下室に並べられた銃器の数々。

確かに、マニア向けの役に立たない銃も中にある。しかし、ここにあるその兵器の量は小国と戦争を起こせる程の武力量だった。

 閑静な住宅街の地下にあったその殺戮の原動力。あまりにも場違いだが、もし住宅街の地下にあったとしても、それが自分の家の地下にあるということを久保は信じたくなかった。いや、知りたくなかった。

 久保はただ呆然とすることしか許されないという様子だった。しかし、その目にはどんどんと信じたくないものが流れ込み、焼き付いていく。

「どうして、なん、で…」

 様々の憶測が頭をよぎったが、一番自然で、一番妥当な憶測は一番信じたくないものだった。

 久保はその憶測を振り払うように頭を左右に振るが、思い出していくうちにその憶測が徐々に確信に変わっていくのを感じていた。

――どうしてこんなことになった?

心の中に重く疑問がのしかかる。

――僕が宇宙旅行に行ったから?それとも、元々こうなってしまうことは避けられなかった?

自分を責めるように思い詰めていく。

――僕はどうすればいい?

繰り返される問い掛けは誰かに答えを求められるものではなかった。

『君らの正義を信じたい』

何故だか不意に総理大臣の言葉が思い出された。

――正義って一体何?正義って…

「なんなんだよ!?」

声を荒げたとしてもその答えを教えてくれるものはいなく、言葉になったその疑問は何事もなかったかのように消えていった。幾つもの感情が胸の奥で交錯し、複雑なうねりを作り出していた。

 久保はその場で力尽きたように崩れ落ちた。


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