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放置国家  作者: 水芦 傑
4/23

―偶然の決意―3

 知的な顔立ちと雰囲気を持つ臨床心理士、草場護くさばまもるは机の上に開いた雑誌を眺めていた。

 昼休みに昼食を終えて、余った時間を次に応募する懸賞を考える時間に当てていた。

懸賞に応募することは草場の唯一無二の趣味だった。

 しかし、草場にとって懸賞の商品自体はどうでもいいのだ。草場の興味は当選するかどうかということと結果を待っている期間にあった。

 少し変わった感覚の趣味ではある。確かにこのことを話した友人には理解してもらえなかったこともあった。

 他人に迷惑を掛けず、一人で楽しめる趣味なのだから。

そう自分では納得していたから、草場はこの趣味を変だと思ったことは一度もなかった。

 そして、今日もどんな懸賞に応募するかを考えていた。草場の嗜好からすると、商品自体には興味がないのにもかかわらず、応募する懸賞はいい商品を選ぶことが多い。

 それはより確率の低い、当たりにくい懸賞に挑戦することだった。応募者も多い懸賞は当たらなくても当然という考えで挑む。しかし、それで当たった時に草場は何より喜びを感じていた。

 つまり、懸賞マニアといったところだ。

 草場が雑誌をめくろうとしたその時―――――


コンコン


「はい」

 草場の声に反応して扉が開き、女性がその奥から顔を覗かせた。

「先生、もうすぐ午後の患者さんが来ますよ」

「あぁ、もうそんな時間ですか。分かりましたよ」

 女性は草場の言葉を聞き終えると、顔を引いて扉を閉めた。草場は雑誌を閉じ、仕事の準備に掛かった。一通りの準備を終えると、再び扉が開いた。

「失礼します…」

 この部屋に入ってきたのは不精髭を生やし、痩せ細っていて常に視線を俯かせた遠慮というよりも怯えが窺える中年男性だった。

「お久しぶりですね、杉村さん。どうぞ」

「は、はい…」

 草場がソファーに座るよう促すと、杉村は遠慮がちに腰を下ろした。草場も杉村に向かい合うようにソファーに座った。

「その後どうですか?」

「特に変わりないです…」

 杉村は話している時も草場に目を合わそうとしない。

 杉村は対人恐怖症だった。その為、草場のもとを訪れたのだ。杉村がここに通い始めて半年。週に一回は草場に会っているのだが、未だに心を開くことはなかった。杉村はそれ程重症だということだろう。

「そうですか。仕事の方は順調ですか?」

「えぇ、まぁ…」

 言葉足らずな杉村に草場は笑顔を向けて世間話をするばかりだった。これまでにもこのように同じことを繰り返してきた。

 これは他の患者にも言えることなのだが、草場は幾ら杉村が心を開かなかったとしても諦めることだけはしようとしなかった。それが草場の仕事を多忙にしているのだが、その真摯に取り組む姿勢は患者達の信頼に繋がっていた。

「杉村さん。最近の調子はどうですか?変わりないですか?」

「はい…」

「どうです?外には出るようにはしていますか?杉村さんは仕事柄家にこもりがちになるでしょうから」

「い、いえ…してません…人と関わることを考えると…考えると……考えるとぉ……」

 杉村が言葉に詰まる。杉村は思い出すように視線を一度上げてから小刻みに震え始め、呼吸も荒くなっていく。それを抑えるように自分の身体に腕を回した。

 思い出したことは今の自分を作り出した出来事だろうか。

 そして、その過去には余程のトラウマになるような事があったのだろうか。

 すぐに異変に気が付いた草場に慌てる様子はない。これはいつものことだからか、今まで同じような症状を引き起こす患者を診てきた経験からか。

「杉村さん。落ち着いてください。一度、深呼吸してみましょうか。ほら、こうやって」

 草場は身振りで杉村に深呼吸を促した。杉村はそれを真似るようにぎこちなくも深呼吸を始めた。深呼吸を繰り返す度に杉村は落ち着きを取り戻していった。

「大丈夫ですか?」

「はい…もう大丈夫です…あの、先生。一つだけ、ずっと聞きたかったことがあるんですけど…」

 杉村は遠慮がちにも草場に尋ねた。

「よろしいですよ。何でも聞いてください」

「あの、失礼だったらすみません。一週間に一度、こうしているんですけど、こんな風に世間話をしているだけなのは意味があるんですか?」

「えぇ、勿論意味はありますよ。これは杉村さんが私に慣れる為ですよ。杉村さんは未だに私に対して少し怯えがあるんじゃないでしょうか?」

「………………」

 杉村は黙ったまま、伏し目がちな視線を更に伏せた。草場の言葉に負い目があるからだろう。

「ですから、まずは私を信頼して心を開いてもらわなければ、本格的な治療に移るつもりはありませんよ」

「そうですか…」

「まぁ、焦らずにじっくり治していきましょう。焦ってもいい結果は望めませんから」

 草場は柔らかな笑顔を見せた。杉村はその笑顔を受け入れられないのか、草場から視線を逸らした。

「そうだ。実は杉村さんに読んでもらいたかった小説があったんですよ」

「小説…ですか?」

「えぇ、ちょっと待ってくださいね」

 草場は立ち上がり、机の後ろの壁一面を埋め尽くしている本棚に歩み寄った。

本棚には主に心理学の専門書が並べられているのだが、その中には小説などの娯楽的な本もあった。それは草場の好みが大いに反映されたものばかりだった。

「えぇっと……確かこの辺にしまっておいた筈なんですが…」

 草場は本棚の本を端から順に探していく。草場の視線がその途中で止まった。

「あっ、ありましたよ」

 草場はその本を手に再びソファーに腰を下ろした。

「これなんですけどね、凄く感動してしまいまして、是非杉村さんにも読んでいただきたいと思っていたんですよ」

ソファーに挟まれたテーブルに草場が置いたのは『奇跡の囀り』という題名を持った本だった。

「きせきのさえずり…ですか?」

「確か、イギリスの実話を元にした物語でしてね、すごくいい話なんですよ。お貸ししますから是非読んでみてください」

「先生がそう言うなら読ませてもらいます」

「言っておきますが、これは治療とかとは一切関係ないですから、気軽に読んでくださいね」

「分かりました」

「それで、その本なんですけど―――」

 それからも草場と杉村の他愛ない世間話は続いた。



「もう時間も時間ですし、今日はこの辺にしておきましょうか。杉村さん」

「あっ、はい」

 杉村は立ち上がり、この部屋を出て行こうとする。草場が見送っていたその背中が途中で止まり、振り返った。

「それじゃあ、失礼します」

 草場に一礼した杉村にここに来た時の遠慮がちな、いや、怯えがちな態度は欠片も窺えそうになかった。それはもう杉村が対人恐怖症を克服しているとも思える程だった。

 しかし、これは毎回のことだった。一週間という期間が杉村を元の姿に戻してしまうのだろうか。

 杉村が出ていった後、草場は机に戻り、座ると同時に深く溜め息を吐いた。草場も杉村には頭を悩ませているとこがあった。

 ――私のしていることは間違っているのだろうか……

 草場はこれまでにも対人恐怖症の患者を何人も見てきたのだが、杉村のような患者は初めてだった。半年掛けても、一向に杉村が心を開くことはない。

しかし、草場はどの患者よりも杉村を気に掛けていた。杉村も確かに一言も話そうとしなかった最初の頃に比べれば、随分治ってきてはいた。

幾ら悩みを頭の中で巡らせても、この悩みが潰えることは今の所はなさそうだった。


コンコン


思考が遮られ、それによって悩みに没頭していた草場は我に返った。

「はい」

「失礼します」

 入ってきたのは先程昼休みの終わりを告げに来た女性だった。

「どうかしましたか?」

「先生封筒が届いてますよ」

「あぁ、すみません。ありがとうございます」

 女性は草場に歩み寄り、長方形の封筒を手渡した。女性は既に用を終えたのに、笑顔でその場を動こうとはせず、何かを待っているようだった。

「あの、まだ何か?」

「先生、その封筒ってまた懸賞じゃないんですか?」

「あぁ、この封筒ですか?そうかもしれませんね」

「先生、もしかして約束忘れてませんか?」

 ――約束?

 草場は女性の言葉に記憶を辿ろうとしたが、そのことをすぐに女性に察しられた。

「もぉ、忘れちゃったんですか?今度の音楽の商品券が当たったら、自分はあんまり音楽を聞かないから私にくれるって約束したじゃないですか」

「あぁ、そうでしたね」

「だから、早く中見てくださいよ」

 女性に急かされ、草場は封筒を破り開けた。そして、中を確認するが、封筒には一枚の紙が入っているだけだった。

「商品券でした?」

 女性は興奮気味だったが、草場はそれを意に介せず、封筒から三つ折りの紙を取り出して開いた。その紙には懸賞が当選したということとその当選した内容が書かれていた。

 ――これは確か以前に応募した―――――でもまさか……

 草場はその内容に真実味を感じられなかったのか、考え込み始めた。

「ん?」

 紙を覗き見た女性から疑問の声が漏れた。確かにその当選内容は首を傾げても不思議ではないものだった。

そして、女性がそれを口にした。

「宇宙旅行ですか?」


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