29、秘鑰
細く開けられた窓から風が入り込み、レースのカーテンを揺らす。
意識がなかなか戻らない天璃のそばを、瑠璃は片時も離れようとはしなかった。
秋の気配がし始めたある日、そんな瑠璃を訪ね、すばるがやってくる。
「少し、話してもいいか」
事件以来、何となく気まずくなってしまった二人だった。会うのもしばらくぶりである。
「これ、渡したくって」
それは一枚の楽譜だった。
「何か、頼まれちゃっていたんだよね。お前の誕生日プレゼントにするつもりだったみたいだけど、このおっさん、なかなか書けなかったみたいで」
悪ぶるすばるに、瑠璃は目を潤ませる。
「おいおい、そこ泣くシーンじゃねぇぞ」
慌てふためきながら言うとすばるは、ベッドの脇の椅子に腰を下ろし、鼻をフンと一度鳴らし、天璃を突っつく。
「いつまで寝てる気? 俺、あんたとの約束守ったんだから、いい加減、目を覚ましてはもらえませんかね」
「すばる」
「お前もさ、そろそろヴォイストレーニング始めてくんないと困るんだよね。俺はさ、作曲とかできるから何とかやっているけど、ベイやクンちゃんとかはさ、ローズヒップス一筋というか、それ以外の仕事、する気になれないって何も受けていないんだよね。それに幹夫なんてさ、ホストクラブでピアノ弾くバイト見つけたとかで、盛り上がっているけど、実のところ、みんなお前とやりたがってんだわ」
「でも私はもう」
「ああまたそれですか。とにかく、つべこべ言わないでその詞、読んでみん。このおっさん、相当悩んで書いたみたいだからさ。おそらく、ほぼ数日寝てないなこれは。だけどさ、こんな愛、見せつけられちまうとさ、やるせなくなるというか、つい応援したくなるというか、お前、これ歌わないってのは罪だぞ。せめてこれだけでも、このおっさんのために歌ってやれよ」
瑠璃は手元の楽譜に目を落とし、そのまましばらく動けずにいた。
おもむろに目を上げた瑠璃へ、すばるは優しく微笑み頷く。
ーーそして、のろのろと幾つもの季節が流れたある日。
枯葉が心地よい音色を奏で、道を転がっていく季節。
美希は窓の外に目をやり、小さな溜息を一つ吐く。
こっちに来てからめまぐるしく時が流れ、あっという間の月日が経ってしまっていた。
美希は何も知らずにいた。
慣れない土地での暮らしを案じ、比呂美は美希へ一人の女性を紹介をされていた。
心強いと友を得て、なんとかひとりでやってこれた、というのが美希の正直な実感である。
そんな友の来訪を知らせるチャイムに、美希は表情を明るくする。
「いらっしゃい。早かった……」
美希はドアの前に立つ天璃を見て、言葉を失ってしまう。
「ジャン、驚いた?」
「愛子さん、これは……」
「へへへ。テンちゃんがさ、いつまでも一人でいるって聞いたから、それなら私が一肌脱ごうじゃないかって思ってさ。ちょうどうってつけの女性がいるからおいでって、呼じゃいました。まぁそういうことです。ではお日柄もよく、いい出会いになりますようにってことで、邪魔者は消えます」
鈴木女史が手をひらひらさせながら去っていき、二人は無言のまましばらく見つめ合う。




