27、晴陰
瑠璃が待つマンションへと迎えに行く準備を整え、天璃は部屋を出る。
ここへは戻らないつもりでいた。
残りの処理を比呂美に託し、天璃は瑠璃と生きることを選んだのだ。
日時や行き場所は瑠璃に任せて欲しいとせがまれ、すべてを任した。
長期休暇を取れた身分ではない。
だが、下塚の計らいで、一年間、休むことが許される。
菅を引き合わせた償いだという下塚の顔を、天璃はまともに見ることができずにいた。
菅の送検が見送られた報せは、だいぶ前に受けていた。
もう二度とかかわらない相手だと、その時の天璃は過信していたのだ。
瑠璃の部屋についた天璃は、顔をしかめる。
「お前、荷物は?」
「ないよ。だって瑠璃、どこにも行かないもん」
「は?」
「瑠璃、来秋からまた歌、歌うことが決まりました」
一人絶賛し、拍手をする瑠璃に天璃は口をあんぐりとさせる。
「だっておまえ、あんなに喜んで、ええ? 復帰? 不破社長、激怒してただろ」
「うんしてた。みんなの前で記者会見するのが条件だけど、許してくれた」
「はぁ? で、なんでこうなるわけ?」
「だって瑠璃、その前に父しゃんと何があっても歌はやめないって約束していたし、それ守りたいなーって思って」
「守りたいなーって、ええーどうすんだよ。俺、会社に休暇一年も貰っちゃったぞ」
「大丈夫。りっちゃんはこれから成田空港に向かいます。そして美希ちゃんとランデブーするのです」
一人はしゃぐ瑠璃を、ただひたすらに顔をしかめる天璃である。
「何を言っているんだ?」
「良いから良いから」
瑠璃に無理矢理背中を押され、待たせてあったタクシーに天璃は押し込められてしまう。
「りっちゃん、自分のこと知らなすぎ。りっちゃんの心の中にいるのはうちじゃなか。美希ちゃんばい」
「それは」
言いかける天璃の口を瑠璃は人差し指で押さえ、にっこり微笑む。
「ばかちん。好きな人ば泣かしたらいけんよ」
天璃は何も言い返せなかった。
「運転手さん、この人を成田空港までよろしくお願いします」
遠ざかっていくタクシーに向かい、瑠璃がふざけて敬礼して見せる。
走り出してすぐだった。
一本の電話が入り、天璃は目を見開く。
「瑠璃、大丈夫か?」
物陰に隠れて見守っていたすばるが姿を現し、尋ねる。
「大丈夫なわけ、ない。やけど頑張ってりっちゃんから卒業しなくちゃならんでしょ。お父しゃんのためにも、お母しゃんのためにも。それにすばる、一緒にいてくれるんでしょ?」
瑠璃は泣き笑い顔で振り返る。
「おおお任せておけ。瑠璃が飽きるくらいずっとそばにいてやる。だからもう泣くな。俺が守ってやるから、瑠璃は安心して笑っていればいい」
すばるは瑠璃をギュッと抱きしめる。
「すばる」
「うん?」
「お腹が空いた」
「ムード壊すやつだな」
「部屋に戻ろうっか。すばる、何かおいしいもの作ってよ」
「俺がか? 目玉焼きぐらいしか、ああちょっと待って。社長から電話」
少し離れた場所へ移動し、話しているすばるを待ちながら、瑠璃は晴れ晴れとした気持ちで風に吹かれていた。
人の気配を感じ振り返ろうとして、瑠璃はそのまま植え込みへと躰を投げ飛ばされてしまう。
「おい、何してんだ」
何が起こったか分からないまま、すばるの怒鳴り声が耳をつんざく。
足元で倒れている天璃を見て、瑠璃は青ざめる。
「天璃さん、大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫、早く犯人を追って」
「りっちゃん、どうして?」
天璃の下腹部が赤黒い染みを作り広がり始めていた。
「どうして? 空港へ行ったんじゃなかったの?」
「これ、ずっと渡しそびれてて」
「お守りなんて、良かったのに……」
「そういうわけにはいかないよ。お前にはちゃんと、恋愛の神様に微笑んでもらわなくっちゃな。ああかわいい顔が台無しだ」
天璃は瑠璃の顔についていた泥をとってやり、そのまま唇を重ね合わせる。
「……りっちゃん」
「恰好悪っ。何やっているんだ俺。笑い話にもならない。瑠璃、また泣かしちゃったな。ごめんな」
瑠璃は思い切り首を横に振る。
「瑠璃、悪い、躰起こさせて」
躰を抱き起してもらった天璃はそのまま、唇を合わす。
「りっちゃん」
天璃は愛おしそうに、瑠璃の顔を 「何をやっているんだろうな俺。こんなことならもっと早く、自分の気持ちに正直に、鳴れば良かった。瑠璃、愛している。愛している。お前だけを……ずっと……愛……し……」
「りっちゃん? りっちゃん、嫌っ……」
指で撫で、ふっと小さく笑う。
「畜生。こんなことならもっと、早くに言っておけば良かった。瑠璃、愛している。愛している。お前だけを……ずっと……愛……し……」
「りっちゃん? りっちゃん、嫌っ……」
その頃、何も知らない美希は空港のロビーで、一人佇んでいた。
搭乗案内が変わり、アナウンスが流れる。
息を一度、小さく吐き出した美希はと常口へ向かって歩き出す。
「美希」
呼び止められた美希は、息を切らして走ってくる比呂美を見て、口元を緩ます。
「はぁ間に合った」
「比呂美さん」
「はいこれ」
比呂美に握りしめていたものを差し出された美希は、思わず泣きそうになってしまう。
「乳井室君には言わないつもり?」
美希は瞳をゆらゆらさせ、比呂美を見つめる。
「瑠璃の誕生日会の時、具合悪そうにしてたでしょ。もしかしたらって、私の女の勘も捨てたもんじゃないのよ」
「比呂美さん、違うんです。ただの胃炎だったんです。ストレスで生理が止まっていたから、私もてっきりそうかなって思ったんですけど」
声を詰まらせる美希を、比呂美は抱きしめる。
ひとしきり、比呂美の胸を借り泣いた比呂美は、吹っ切るように顔を上げ、微笑む。
「まったくおまぬけね私って。こんなんじゃ、ドラマにもなりゃしない」
「美希」
「行きます」
それが美希が出した答えなら、仕方がないこと。
比呂美は肩をすぼめ、踵を返す。
歩き出した比呂美の携帯に、不破から連絡が入り、振り返る。
そこにはもう美希の姿はなかった。




