2、沈黙
空港ロビー。
人だかりができる中、最上美希は爽やかな笑顔でそれに答える。
無意識のまま、作られるその笑顔の下、本当の私を何人の人が知っているというの?
毒づくもう一人の自分を押し隠し、天璃が待つ元へと、足を速める。
駐車場。
困ったような笑顔で出迎えてくれる天璃の胸に飛び込み、口づけを交わす。
「おいおい」
車中に居た不破に窘められ、最上は首を竦め舌を出し、おどけて見せる。
公認の仲。誰に見られても平気。
後部座席に二人で収まり、最上は再び頬を緩ませる。
二カ月ぶりの帰国だった。
ハリウッド映画に招かれ、夢のような時間を過ごして来た。しかしその傍らで、付きまとう不安。
事務所に到着した最上を出迎えたのは、ひと足先に、天璃によって送り届けられた瑠璃だった。
「おかえり。美希ちゃん、ご苦労様」
「瑠璃ちゃんも、大変だったわね」
メールで、一部始終は知らされていた。
ネットでも、だいぶ話題になったストーカー騒ぎ。それを黙って見過ごせなんて、誰が言えるのだろう?
あとからやって来た不破と天璃を顧みて、最上は大袈裟なため息を吐いて見せる。
「なんだよ」
「お腹空いた。社長、どこか美味しい店に、連れて行ってくださいよ。もう和食が恋しくって恋しくって」
「ええ~美希ちゃん、それだけ? 本当は」
ウフフフと笑いながら瑠璃に見られた天璃が、分が悪い顔をする。
「しゃーない。少し、早めだけど、昼食にしますか」
「だったら、比呂美さんも呼ばない?」
瑠璃の鈴が転がるような声に、顔を顰めながら、不破が答える。
「あいつは、いいんじゃない」
「随分な言い方ね」
観葉植物の陰から、顔を出す比呂美を見て、不破が慌てだす。
「来てたのか」
「悪い」
凄みある睨みに、不破が震えあがる。
すっかり本性をむき出しにされ、騙されたとぼやく不破の肩を、慰めるように天璃は叩く。
この他愛もない幸福な時間を、壊したくはない。
「りっちゃん、早く」
前を歩く瑠璃が振り向き、手招く。
確かに腕を組み、自分の横で歩いているはずなのに……。どうしてこんなに遠くに感じてしまうのだろう。覚悟していたことだったはずなのに。胸が苦しくなるのはなぜ?
眉を下げた天璃が、最上を見て微笑む。
「だいぶ、元気になったんだあいつ」
その言葉が、胸に突き刺さる。
言葉が見つからなかった。
顔が強張らないよう、自然な笑みを向ける。女優なら、そう女優なら自分の感情を殺し、そして極上の笑みを浮かべるなんて、容易い。
「良かった。ずっと心配だったんだ」
聞きたくはない。でも聞きたい。
「瑠璃ちゃん、まだ、天璃さんのマンションに居るの」
少し、顔色が変わった。
彼も気にしてくれている。
数秒間の沈黙。
心臓が痛いくらい鳴っていた。
「……ごめん。父が、煩くって。それにあいつ、強がっているけど、相当参っていたみたいだし。まぁ、あいつも忙しい身。月の半分は、地方へ出かけたりでいないことが多いから」
その先は言わなくても分かる。心配するなってことだろう。
最上は微かに唇だけを動かし、微笑む。
暗黙の了解。
「俺も、近々、下関へ出向しなければならなそうだから」
「下関?」
「ああ。社長の知り合いがやっている工場なんだけど、人が足りなくて参っているらしいんだ。こっちもかなり厳しいんだけど、どうしてもって頼まれたらしくって。一度、辞めた弱みもあるし、仕方がないさ。ひと月ほど手伝いに行って来るよ」
「そのこと、瑠璃ちゃんは知っているの?」
「まだ、話していない」
少し、心が弾む自分がいた。
大事な話を、誰よりも先に、この人は話してくれたんだ。そう思うとじんわりと込み上げてくるものがある。
「言い辛いよ。今までのことがあるから」
何を期待していたんだろう。揺れる瞳がばれてしまわぬよう、最上は天璃の腕を強く握り締める。
「大丈夫よ。瑠璃ちゃんも、もう子供じゃないんだから」
見つめる先、彼が微笑む。
嘘でもいい。そう言ったのは自分。分り切っていたこと。それなのに、涙が出そうになってしまう。
「もう、遅いよ。そこのお二人さん」
瑠璃に急かされ、二人は顔を見合わせ、小走りで近寄って行く。
こんな半端な気持ちから逃げたい。
二台の車に分けられ、都内を走り抜ける。
不破の車に、瑠璃は乗った。
二人きりの空間。
「天璃さん」
何の気なしに返事をする天璃の横顔を、最上はじっと見つめる。
「どうしたの?」
出かかった言葉を、自分の中に押し込めた最上は、何でもないと首を振る。
あなたが好き。誰よりも何よりも、私はあなたを愛している。
老舗割烹料理屋の看板が見えて来て、ふいに近付く天璃の顔に、最上はドキドキしてしまう。
助手席の背もたれに手を当て、バックさせる仕草。エンジンを切ってから、少しホッとした表情でハンドルから手を放す。
そして向けられる笑顔。
先に降り立ち、わざわざ助手席のドアを開いてくれる。
これはずっと変わらない、彼の優しさ。
滅多に、瑠璃ちゃんを助手席に座らせないと聞く。自分だけの特権。
楽しそうに先に店へと入って行く瑠璃の後姿を見て、優越感に浸る。そんな自分が嫌い。
そして、必ず瑠璃は振り返る。
最上には分かってしまっていた。
何でもないふりをして、笑う、瑠璃の心の声。
だけど、それに気が付かないふりをするのは、ずるい女だろうか。
きっと……。
最上は天璃の顔を見上げる。
この人も、気が付いているはず。
「りっちゃん、ここ凄く高くておいしいんだよ」
さりげなく伸ばされる手。
綻ぶ顔。
同じ笑顔のはずなのに、最上は思い知らされてしまうのだった。
この愛には勝てないことを。




