19、暗黙
急な雨に追われ、節子は普段絶対に入らない店へと飛び込む。
高級ブランドが並ぶ店で節子は天璃を見つけ、声を掛けようとしたが、すぐに思い直す。
仕事仲間に、無理やり誘われた食事の帰り道だった。
天璃と菅が楽しげにしている姿がそこにはあった。
生活云々を考えて、母子家庭であった方が有効な場合がある。そう言われ、天璃が借りてくれた部屋へと移り住んだのだが、何かと不都合があるといけないからと言って、引っ越しの手伝いに来てくれたきり、天璃は姿を見せなくなってしまっていた。裏切られた気分にさせられてしまった節子は、文句の一つでも言ってやろうと思い、近くまで行って足を止める。
大急ぎで踵を返し、二人に気が付かれないように離れた場所から写真に収める。
今の暮らしに不満がある訳ではない。むしろ天璃のお陰で充実している。昼間の仕事が決まり、働いている間、庄司が颯大の面倒を見てくれている。むろん、妊婦である庄司にもそれは限界がある。そこは連係プレイで、比呂美に任される。当然タダではない。微々たる金額ではあるが、天璃が支払うと申し出たのだ。そのことを、節子は知らない。理由を正す比呂美たちに、天璃は苦笑いをするばかりで、答えようとはしなかった。ただひたすら、頼むの一点張りで頭を下げるのだ。それは森岡や不破を交えての話し合いでも同様だった。
そして、瑠璃を家から遠ざけて欲しいと頼み込んだ。
この辺りは比呂美のみが理由を聞かされている。
胸の内を聞かされ、落胆するしかなかった。
当分の間は不破邸でという申し出を、瑠璃は断り、今はホテル暮らしをしている。
矢張り、襲われたマンションへ帰るのには、いささか抵抗があるのだ。
天璃は、瑠璃が一人になることを執拗に嫌い、まさかと耳を疑うことを言い出していた。
ボディガードを付けると言うのだ。
極端なことを言い出すのは、重雄の血筋であろう。
そうしないと心配で、夜もおちおち眠れないと大袈裟に言い、眉を下げる天璃を見て、瑠璃は泣きたくなる。
自分の気持ちが報われるものではないことは、重々承知している。そこまで遠ざけられるような真似をしたのも事実。解散をほのめかしたことも、天璃は怒っているのだ。自分が撒いた種だと分かっている。認めもする。だが、ここまで突き放されるのは、不条理に思えて仕方がないのだ。
すべてが納得いかないことだらけだった。
仙石から聞いた話を重ねても、何かを隠していることは充分考えられる。
瑠璃はこっそり、マンションへと向かう。
ツアーの途中で、おそらく天璃は瑠璃が沖縄に居るものだと思っているはず。
そっと玄関を開け、リビングのドアノブをゆっくりまわし、細くドアを開けた瑠璃は、唖然としてしまう。
仲睦まじく、菅と食事をしているのだ。
「りっちゃん、どういうこと?」
いきなり入って来た瑠璃を見て、天璃は思わず手元に置いてあったグラスを倒してしまう。
「あら瑠璃さん、お元気でいらっしゃって?」
のんびりとした口調で菅に訊かれるが、無視をする。
「りっちゃん、説明して。これはどういうこと」
「瑠璃」
「もう少し、穏やかに話しませんこと。そんなんじゃ、話にもなりませんわ。良かったらご一緒に食事でもしません。簡単なものしか作れませんけど」
「いいえ、結構です。それより、これから大事な家族会議をしたいので、遠慮してもらえますか?」
「まぁ何かしら? 大変。じゃあ、わたくしはこちらに移った方がよろしくってね」
そう言うと天璃の隣へと、菅は席を移す。
「だから、私が言った意味、解ります? お帰り下さいって言っているんです」
語尾を強調し話す瑠璃に対し、菅が涼しく笑う。
「あらわたくしにも聞く権利がありますわ。ねぇ天璃、ちゃんと言って下さっていないの?」
「天璃ですって」
発狂同然で叫ぶ瑠璃に、天璃は目を伏せがちに言う。
「俺たち、結婚するんだ」
「は?」
「ですから、前にも言いましたけどわたくしたち、来年早々にも式を挙げる予定なんです。今は瑠璃さんもバタバタとしていらっしゃるようだから、少し待ち遠しいですけど、そうしましょうって、決めましたの」
「りっちゃん、まったく意味が分からないんですけど。じゃあ。篠原親子の件はどうなったの? 颯大の将来を考えて一番最適な結果を出したいって、言ってたわよね。あれ、嘘だったの?」
「瑠璃さん、落ち着いてください。ちゃんと天璃さんは二人のために骨を折り、お友達の協力を得て、自立させてあげたんですよ。それだけでも充分でしょ。それ以上を求めたら、罰が当たるってものですわ」
「悪いけど、あんた、ちょこっと黙っていてくれません。うち、りっちゃんと話しとるんですけど」
目を合わせずに言う瑠璃に、菅は楽しげに指を組み、あらまぁまぁ、と目を細める。
「どげんしたらこうなるんか説明して欲しか」
天璃は俯いたまま答えようとしなかった。
「もういいじゃありませんか。お兄様の幸せを祝うのが妹さんの務め。それじゃ恋人同士の修羅場みたいじゃありませんか」
「何ですって」
怒りに肩を震わせた瑠璃が菅に掴みかかる。
「せからしか。俺はこん人と一緒になるとよ。そう決めたんやけん。おまえ、もうここには来るな」
瑠璃はショックのあまり、部屋を飛び出して行ってしまう。
青ざめた天璃の首に手を回した菅が、唇を重ね合わす。
「良くできました。はいごほうび。ゆっくりお食べなさい」
菅は自分の胸へと天璃の手を運び、再び唇を合わせる。
「……止めろっ。もう帰ってくれ」
天璃は無我夢中で菅を払いのける。
「あらあら大変。どうしましょう。ローズヒップスの瑠璃としても、乳井室瑠璃としても二度と立ち上がれなくなるけど、いいのかしら? あなただって、このままではいられないでしょうね。キャー想像しただけでも、こ、わ、い」
冗談をほのめかしながら菅に言われた天璃は、一度立ち上がった席に、がっくりと腰を戻し、うな垂れてしまう。
太刀打ちが出来ずにいた。
半笑いで天璃の首に菅が腕を回してくる。
天璃は動揺が隠せず、瞳を揺らすのだった。




