16、逡巡
久しぶりの集合に、誰よりも庄司が喜ぶ。
一足先に戻った森岡が作った料理を、仙石が運び、伊万里と梶山が酒の買い出しにあたっている。
柳井と巻下はそれぞれの謝辞を述べ、この会には参加していない。設楽に関しては、ことがことだけに、今回だけは声を掛けるのを控えた。
この会の主役である天璃はまだ会社に残り、溜まってしまった仕事を片付けえていた。
ドアがノックされ、天璃は時計を見上げる。
入って来たのは、思いがけない人物だった。
「比呂美さん」
ニコニコとしながら、比呂美が辺りを見回しながら中へ入って来る。
「へぇ。ここがに飯室君のオフィス」
「どうしたんですか。こんな所へ来るなんて」
「すいません。僕が連れて来てしまいました」
不破がひょっこり顔を出す。
「え? 不破さんまで?」
「先日、出産祝いを下塚副社長に頂いたもんで、そのお礼がてら寄らせて貰ったんです」
「宇宙と大地は?」
「下塚夫妻に貸し出し中」
「はっ?」
「実は頼まれたんだよね~」
比呂美の言葉に不破が頷く。
「娘さんとこ、実家に寄りつかないらしくって。満足に孫を抱かせて貰えないらしいだよね」
その話は、聞いたことがある。
夫妻には二人の娘がいて、一人は商社で働くエリートで、会社で知り合ったオーストラリア人と結婚し、あちらで暮らしていると聞いたのは、瑠璃の上京で混乱している時だった。四苦八苦させられ、へとへとになっている天璃を飲みに誘った、その席の話である。流れで重雄の話になり、うちも似たようなもんだと下塚が言い出したのだ。どこの親もバカが付くほど、自分の子供は可愛い。確かそんな話だった。特に奥さんに関しては、少し溺愛しすぎじゃないかと思うほど、娘を大事にしている。と下塚が苦笑いをしたのが印象的だった。言葉はないが、手を拱いているんだろうなと思いつつ、大笑いになった。
長女の結婚を機に、奥さんの愛情は下の娘へ注がれるようになってしまい、結局それが原因で、娘とは疎遠になってしまった。と結んだ下塚の寂しそうな顔を思い出し、天璃は納得をする。
「元気がない奥さんのために、誕生日プレゼントですって」
「それで、何で会社なわけ?」
「さぁ?」
肩を窄める不破の傍らで、比呂美がケラケラと笑い出す。
「良いだしがいたからよ」
きょとんとする天璃を見て、腹を抱え笑う。
「あの女性に疎い乳井室君が、女性問題を起こすなんて、前代未聞。友人としては心配で黙っていられない。婦女暴行事件に次ぐ、押しかけ女房事件が発覚。常々、父親のようにかわいがってくれている、上司である下塚さんに相談をしたいが、政権交代したばかりで、お忙しい身。矢も得ず会社へ伺った次第です」
語尾を強調して話した比呂美は、またケラケラと笑い出す。
「きっかけが欲しかったんですよ」
「きっかけって、俺?」
二人は同時に頷く。
比呂美に関しては好奇心の塊で、天璃と会いたかっただけのようだが。
まさか。こんな場所で話さなければならないとは思っていなかった天璃は、言葉を濁す。
節子や菅の話をする前に、二人には報告をしなければならないことが先にある。
緊張のせいで無意識に耳を引っ張り始めた天璃を見て、比呂美が不破へ目配せをする。
天璃の言葉を聞いた二人が、押し黙る。
嫌な沈黙である。
それを破るように、廊下から賑やかな声が聞こえ、比呂美が慌てて飛び出して行く。
泣き止まない幼子を抱いて、おろおろしている下塚夫妻の登場である。
二人で、近くのデパートまで行って来たと話す。
ベビーカーに目を落とすと、確かにいくつかの紙袋がぶら下げられている。
「ごめんなさい。つい買い過ぎちゃった。気に入らなかったら捨てても構わないから、貰って」
そう言う下塚夫人に、比呂美はにっこり微笑む。
「気に入るも気に入らないも、二人が決めること。こんな赤ちゃんに捨てるなんて出来ませんわ」
目頭をそっとハンカチで拭った夫人が礼を言う。
「いいえ。お礼を言わなければならないのは、こちらの方です。私の母がきっと二人の躰をお借りして、自分がしたかったことを、させてもらったんだと思います。本当にありがとうございます」
「こんな図々しいお願いしていいものか、妻と話していたのですが、もし良かったら、ちょくちょく子守をさせて貰えないだろうか」
「まぁ嬉しいです。是非、お願いします。ほら、あなたからも頼んで」
「良いんですかそんなことを言って。こいつ、本気で預けに行きますよ」
その言葉を受けて、天璃も大きく頷く。
少し驚いたように目を見開いた二人が、ケラケラと笑い出す。
話もそこそこに、下塚夫妻と不破夫妻は連れだって、食事へと出かけて行くのを見送った天璃は、森岡へ今から向かう旨を伝えるため携帯を開き、目を見張る。
梶山からのメールである。
は?
予定変更を余儀なくされた天璃は、自宅へと取り急ぎ向かう。
帰り際、菅に呼び止められた梶山が、場所を変更があったのも知らずに、天璃の家で集まることを喋ってしまったのである。
菅と席が近かったため、連絡が先延ばしにされてしまった惨事だった。
平謝りするメールである。
折り返し、森岡に連絡を入れた天璃は、安易な言葉を連ねられ、思わず舌打ちをしてしまう。
大丈夫じゃない。必ず菅はやってくる。ここ二日間で学習したことだった。
息を切らして走ってくる天璃を見て、菅が嬉しそうに手を振る。
思った通りだった。
両手に買い物袋を提げている菅を見て、天璃は顔を顰め、言い訳を張り巡らせる。
まったく取り合うつもりがない菅に対し、ほとほと困り果てていると、突然クラクションがならされ、二人の押し問答が中断される。
車から顔を出したすばるが大声で天璃に、車へ乗るように促す。
腕時計に目を落とし、天璃は顔を顰める。
「おい。こんな所で」
「つべこべ言わないで、早く乗って」
緊迫した声に促され、天璃は助手席へと飛び乗る。
急発進させられた車を呆然と見送る菅の姿が小さくなり、自ずとため息を漏らす天璃に、すばるは呆れた顔で呟く。
「こういうことですか」
「何がだ。それより今日ってライブじゃ」
「ライブですよ。18時30分開場、19時開演。大きな会場っすよ。俺等の夢が詰まっているおとぎの世界っす」
「何を言っているんだ? そんな流暢なこと言っている場合じゃないだろ? 今から戻って間に合うのか」
蔑むような目ですばるに見られた天璃は、口ごもる。
「何だよ」
「やっとですよやっと、夢が叶って、そこそこ売れだして、大きな会場でライブ出来る様になったばかりなのに、解散なんて言い出しやがった」
「解散?」
「天璃さん、何で美希さんと別れちまったんですか? あんたたちさえうまくいっててくれれば、こんなことにはならなかったんだ」
顰め面をするすばるに、天璃は何も言えなくなる。
気まずさが漂う車中、引っ切り無しにすばるの携帯が鳴り続けていた。
「出なくて大丈夫なのか」
「大丈夫なわけ、ないじゃないですか。悔しいけど、俺じゃ、今の瑠璃を説得はできないんです。あんたじゃなきゃ、瑠璃の心は動かせない。もうごちそうさんだ。どっか遠い国でも行っちまいなよ。もう二人見ていると痛い。痛すぎる」
「すばる君?」
「俺、瑠璃がめちゃくちゃ好きなんです。あんたになんか負けないくらい好きで好きで、だから瑠璃が歌う歌、心にズキズキ来ちゃって、参っちまうんですよ。ギター弾いてても、曲作っていてもさ、ああまたこんな思いを乗せてって。分ります俺の気持ち? 分かんないでしょ。俺ははっきり言いました。男らしく。だから天璃さんも堂々と男らしく俺と勝負してください。それで負けたのなら、俺、きっぱり諦めます」
所々言葉を詰まらせるすばるの横顔を、天璃はまともに見ることができずにいた。
「何のことを言っているんだか?」
絞り出すように言う天璃に、すばるは冷ややかな視線を送る。
「惚けないで下さい。二人を見ていれば分かります」
「だから、何が言いたいかはっきり言ってくれよ」
半ばキレ気味に言う天璃に、自ずとすばるの声も大きくなる。
「あんたら惚れあってんだろ」
一瞬、間を置いた天璃が、ゲラゲラと笑い出す。
「何を言い出すかと思えば、俺たちは兄妹で恋人なんかじゃない。ちなみにさっきの女性は会社関係者。美希と別れたのは、すれ違いでお互いのモチベーションが保てなくなったから。後、たぶん瑠璃から聞いていると思うが、近々別の女性と婚約することになったんだ。だからきみが話すようなメルヘン童話のような真似は出来ない」
「まじっすか」
「まじまじ大まじ。あああそこで車止めて。俺が運転するから、君は電話に出なさい。煩くて適わない」
ハンドルを握った天璃は、傍らから聞こえてくる会話に耳を澄ます。
不破からの電話だった。
開演を遅らせる措置がなされたことが読み取れ、天璃は申し訳なく、すばるを見る。
二人の到着を待っていたスタッフに取り囲まれ、押されるように、瑠璃が待つ控室へと連れて行かれる。
ここから先は天璃に委ねられ、一人、瑠璃が居る部屋へと入って行く。
瑠璃は部屋の隅に、膝を抱え蹲っていた。
「瑠璃」
そっと声を掛ける天璃に、瑠璃は顔を上げ小さく微笑む。
「やっちゃった。もうダメだうち。歌えなくなっちゃった」
「どうして。瑠璃の歌、みんな待っているぞ。チケット、完売だって、不破社長が嬉しそうに言っていたぞ」
「もう無理だよ。こんな気持ちで歌えないよ」
「でも、歌うのがプロなんだろ?」
「りっちゃん、りっちゃんは何も分かっていない。私が歌うのは、全部りっちゃんの為だよ。みんなのためじゃない」
「だったら、だっだら、俺に囁けばいい。俺、知っていたよ。前に比呂美さんに言われたことがあったんだ。瑠璃ちゃんの歌は全部、俺に当てられたラブレターだって。だからちゃんと受け取って、返事をしてあげなくちゃだめだよって。俺、ちゃんと受け止めるから、だから俺の為に歌ってくれ」
こんなことで、瑠璃の心が動かされるものなどと思ってはいない。だが、術が分からないのだ。
瞳を真っ赤にして潤ませる瑠璃に見詰められ、駆り立てられるものがあった。
強く抱きしめた天璃を見上げ、瑠璃の瞳が大きく揺れる。
幼い頃、ふざけてキスをしたことがあった。
瑠璃が黄色い声を上げて喜ぶのを見て、天璃は嬉しさに何度も唇を寄せた。それがいけないことと気が付いてしまったのは、いつ頃だったろう。
強く抱きしめた天璃は、瑠璃の髪に口づけをする。
それが精一杯だった。
「りっちゃん」
「歌ってくれるかい?」
瑠璃がコクンと頷き、ドアを開けて出て行く。
呆然と佇む天璃へ、比呂美が声を掛ける。
「乳井室君、大丈夫?」
青ざめた顔でうなずく天璃だった。




