13、ラプソディ
美希と別れてしまったことは、しばらく瑠璃には伏せておきたかったのが本音である。
こんなにも取り乱すとは思わなかった天璃は、呆然としてしまっていた。
「どうして……どうしてよ。どうしてりっちゃんはそうやって私の心ば取り乱すこつばかりしゅるの?」
「瑠璃、話を聞いてくれ」
「嫌っ」
満足いく理由を話せない天璃に、瑠璃は子供のように泣きじゃくり過呼吸を起こしてしまっていた。
瑠璃を抱き上げた天璃は、その細さに驚かされてしまう。
考えてみれば、ここ最近、瑠璃と食を共にしていなかった。
ベッドに瑠璃を寝かそうと思った天璃はそのままバランスを崩し、わずかだが唇が触れてしまう。
鼓動が高まり、瑠璃の腕が首に回される。
そこに言葉はなかった。
瑠璃がそっと瞳を閉じる。
もう限界だった。
このままどこまでも落ちてしまっても良いと思った。
だが、寸前のところで、辛うじて自制を図った天璃は、瑠璃の部屋を後にする。
---白々と朝の光がカーテン越しから、部屋を照らして行く。
天璃は一睡も出来ずにいた。
微かに瑠璃が出かけて行く音が聞こえ、それに合わせる様に天璃はリビングへと向かう。
夕べのままにされたテーブルの上を片し、脱力感に襲われた天璃は、ソファーへ身を投げ出す。
「りっちゃん、どうして……どうして瑠璃やいけないの。酷いよ。酷過ぎる」
背中に瑠璃の言葉が突き刺さる。
全てを振り切るように立ち上がった天璃は、バスルームへと向かう。
越してはいけない境界線を、越してしまいそうな自分が恐い。
重雄や美璃を裏切る訳にはいかない。分かっているが、愛おしい気持ちに負けそうになる自分を否めないのだ。
どうしようもなく、瑠璃が欲しくなる。
「……何してんだ、俺」
独りごちり、コックを捻る。
吹き出した熱いシャワーを頭からかぶった天璃は、壁を拳で一つ叩く。
流せるものなら、全て洗い流してしまいたい。
いつ頃だったろう……、この感情が愛だと気が付いたのは……。
もしと、気が付くとそんな言葉が頭を支配し、瑠璃を奪い去り、誰もいない世界へ飛びたちたくなるのだ。
決して許されない関係。
噎び泣く瑠璃が脳裏をよぎる。
天璃は頭を大きく振る。
決して侵してはいけない過ち。それだけは避けなければならない。悲しむ両親の顔だけは見たくはない。それでももう一人の自分が呟く。
黙っていれば誰にも分からないと。
苦しくて堪らなかった。だから天璃は一人、あの時も故郷を離れることを選んだ。
だが、その考えが如何にくだらないことだったのかと、天璃はすぐに思い知らされてしまった。
離れて募る思い。そんなものがあるとは、天璃は知らなかったのだ。
そんな自分のことを解ってくれる唯一の女性、美希を傷つけてしまった。
その罪悪感は計り知れない。
美希の愛を拒み続けることができず、天璃は彼女を抱いたのはつい最近のこと。どんな時でも、瑠璃が頭から離れないのを知っていて、美希はそれでも天璃に抱かれたいと望んだ。複雑だった。心が拒むのに、躰が反応してしまっている。悲しいほど男である自分を思い知らされてしまった瞬間だった。
幾度なく、天璃は美希を抱いた。
しかし、心はいつも遠くにあることを、誰よりも美希が一番感じていたはず。
だからこそ、終わらせなければならないと思った。
静かなレストランの片隅。
沈黙を保った二人の姿がそこにはあった。
話がある。
天璃のその言葉で、美希は何となく悟っていたように見受けられる。
事件のことを一つも聞いては来なかった。だから、なぜ節子の病室を訪ねてたのか、訊くことを躊躇われた。
それに、これからしようとしている話に比べたら、何でもないことのように思えた。
グラスを傾ける美希は、とても美しかった。
赤いドレスが眩しいほど、白い肌に合っている。
瑠璃への思いとは違う、愛おしさが天璃の目を細めさせる。
二人が初めて訪れたレストランだった。
ここを指定したのは美希の方。
そしてこの眩い赤いドレスにも、天璃は見覚えがある。
食事を終えた美希は、いつもと変わらない穏やかな笑みを天璃へ向けている。
一瞬、気持ちが揺らぐ。
意を決し、一言一言を噛みしめるように別れを切り出したのだった。
事件後、自分のあり方が分からなくなってしまったことや、本気で消えてしまいたいと考えてしまっていたこと。そして、颯大の純真無垢な笑顔が、どれほど救いになったかをありのまま美希に伝えた。
少し驚いたようだったが、美希は優しく微笑み、良かったと呟く。
逆に驚かされてしまっている天璃を見て、もう一度同じ言葉を繰り返し微笑む。
それから少し、仕事の話をした後、真っ直ぐ天璃の目を覗き込んだ美希が、尋ねる。
「節子さんと、一緒になられるんですか?」
颯大の幸せを考えると、それが一番かもしれない。
水をガブリと飲む天璃を見て、美希がクスッと笑う。
「そのドラマの登場人物として、私は居てはいけなかったのかしら?」
耳を引っ張りながらぎこちない笑みを見せる天璃だった。
颯大と自分。その隣にはどうしても瑠璃が立ち並ぶ、絵が頭に浮かんでしまっていた。
「もうそんな顔をして。分っているわよ。ちょっと意地悪を言っただけ。さあ話は終わったのかしら?」
頷く天璃を見て、美希は微笑む。
「今日は、私がお支払いしますね」
「それは」
「私に、最後のお祝いをさせてください」
美希の笑顔に、天璃はハッとさせられてしまう。
天璃と知り合うきっかけになった口紅を塗った美希は、あの頃よりも数段、大人びえて見える。
先に席を立って歩いて行く、美希の後姿を天璃は目で追う。
胸が、ざわめいていた。
男に裏切られ、家族を思い、泣いていた美希はもう、どこにもいない。
凛と伸ばされた背。それは女優、最上美希の姿だった。
忘れように忘れられない。しっかり目に焼き付いてしまった光景に、天璃は頭を振る。
きっと自分は恋愛不適合者なのかもしれない。いっそのこと、このまま誰も愛さずに生きたほうが……。
本気でその時思ったのだった。




