12、浸食
玄関を開けた途端、飛びついて来た瑠璃に面を食らった天璃がたじろぐ。
家じゅう、香ばしい匂いが漂ていた。
テーブルには不慣れな手つきで何時間もかけて作ってくれたのであろう、数種類の料理が並べてある。
「まるっきし参ったね。変な事件に巻き込まれちゃって。でも良かったとよ。マンガやないけど、真実は一つ。ばいね」
上機嫌で話す瑠璃を、天璃は思わず強く抱きしめてしまう。
「りっちゃん?」
「すまん」
ホテルでの一件が頭から離れずにいるのだ。
心配して滞在中のホテルにやってきた瑠璃と、些細なことで言い争ってしまっていた。怒りに任せ、瑠璃は部屋を飛び出し、それっきり気まずさから連絡を取らずにいたのだ。
今まで押し込めて来たものが溢れかえり、どうにも止められない自分がいるのだ。早く、手を打たなければと思う反面、心のどこかで成行きに任せてしまえと悪心を抱いてしまっている自分がいる。
ハッとなり、瑠璃を解放すると、その場から逃れるように自室へと向かう。
着替えを済まし、呼吸を整えた天璃は、鼻歌を歌って料理を合ったため直している瑠璃へ声を掛ける。
何とかしなければならない。
はやる気持ちが、言葉を縺れさせる。
預かりたい……?
天璃の言葉を聞いた瑠璃は、目を見開いたまま動けずにいた。
「だからさ、颯大はまだ4歳でそんな施設なんて行ったら、甘えることすらできないだろう。なんか不憫で放って置けないんだ」
段々ぼんやりとしていた思考がはっきりとしてきた瑠璃は、怒りが込み上げてきていた。
「りっちゃん、なんば考えとるん?」
「待て、落ち着け瑠璃。まず、鍋の火ば消してみようか」
火を消した瑠璃が、怖い顔で睨む。
「預かるって、なんば言っとるの? 仮にも、りっちゃんば犯罪者へ陥れようとした女の子ばい。可哀相なんて、じゃんじぇん意味が分からんけん。りっちゃん、考え方、おかしすぎるよ。ああじゃんじぇん理解できん。意味不明。りっちゃん、バカすぎでしょ」
「言いたいことはよーく分かるとよ。分るんやけど。これもなんかの縁とゆうか、ボウズには罪がないと思うんやけん。これ以上、颯大ば、傷つけたくない。あん子はもう充分、傷付いとるとよ。やけん。瑠璃のゆう通り。俺でもバカな考えばしとると思うとよ。やけど、どうしても放って置けないんやけん。理解して欲しい。手続きとかいろいろしろしかで、申請が通るかも定かやない。最悪、父しゃんたちに頼もうかとも思っとるとよ。そん件で、今度、井手しゃんと会う約束もしてきたとよ。ひょっとしたら、瑠璃にも協力ば、わあああああああ。暴力反対。母親が迎えに来るまでやけん」
「そぎゃんこと言って、ずるずるするんでしょ。いったい、りっちゃんはなんばしたいの? 可愛そう? やけんなん? そうゆう問題やないと思うとよ。中途半端な優しさが、傷付けるってこともあるの。不憫に思って中途半端な優しさば掛けられたそん子ば、本気で救われると思っとるの? いずれ母親の手元に戻され、彼はどう思うか冷静になって考えてみて。優しくされた分、辛くなるんばい。分る? りっちゃんがしようとしとることは偽善で、優しさなんかやない。もし本気でそん子ば救うとなれば、相当な覚悟がいるんばい。りっちゃんに、そん覚悟ある? 母親だって黙っていないよ。狂言まで使って、りっちゃんば引き留めようとしたんばい。りっちゃん、じゃんじぇん分かっていない。それって、彼女のかけひきやったんばい。それにまんまと騙されてんやけん。どうしてそぎゃん簡単なことに気が付かないのよ。美希ちゃんとは話したの? こんこと聞いていっちゃん傷付くのは、美希ちゃんばい。もうよか。社長も公認なんだし、こん際、二人きちんとした手続きしなよ。そうすれば隙がなくなって、そぎゃんバカげた考え、浮かばなくなるからさ、なんなら今からここへ美希ちゃんば呼ぼうとよ。しっかり話し合いばしようとよ。絶対、そん方がりっちゃんは幸せになれるんやけん」
クッションで殴られながら、壁際まで詰め寄られ逃げ場を失った、正にその時だった。
部屋のチャイムが鳴らされ、瑠璃が顔を顰める。
「誰よ、こぎゃんときに」
インターフォンを覗いた瑠璃が、目を吊り上げ、天璃に顎をしゃくる。
「菅さん?」
画面を覗き込んだ天璃は、目を瞬かせる。
「誰?」
「出張先で、お世話になった人」
瑠璃にどすの効いた声でオウム返しをされ、天璃は嫌な汗を掻きはじめる。
それにしても……。
天璃は眉を寄せる。
菅は下関に居た時よりも、少し様相が違っていた。
やたら明るいのだ。
インターフォンに手を振り、ドアを開けた途端、グイと躰を前のめりにして来ていた。
下関ではスーツを着こなし、キリっとした凛々しさを醸していたが、柔らかい素材のワンピースに黒髪もハイライト色に染められ、ゆるくカールされた毛先を時折、手で払い口元を緩めて見せる。
同一人物に思えないほどの変身ぶりだった。
「来ちゃいました」
無理矢理中へ入ろうとする菅を押し戻し、天璃は慌てて後ろ手でドアを閉める。
その行動が納得いかないようで、菅は少し不服そうに小首を傾げる。
「来ちゃいましたって、どうやってここが分かったんですか」
「下塚さんって、いい人ですよね。事情をお話をしたら、すぐ、ここを教えてくれました」
「下塚……」
古だぬきのような顔をした下塚の笑顔を思い浮かべた天璃は、顔を顰める。
「いろいろ大変でしたわね。て言うか、水臭いじゃありませんか。一言、相談して下さったら、お力になれたのに。私、何度もホテルへ伺ったんですよ。フロントでお聞きしませんでした。お電話だって」
確かに、菅は何度も足を運んでくれていたのは知っていた。電話も、気が付いていたが、人と話す気分になれず、無視をしてしまっていたのだが……。
隠れ家のおかみも商売しながら、子供の面倒は無理と言われ、仕方なく天璃が颯大を預かることにしたものの、初めての経験で勝手が分からず、観光巡りで大半の時間を潰すことにした。しかし、三日目になって颯大が急に熱を出してしまい、音を上げた天璃は病院へ連れて行ったその足で、福岡の実家へと舞い戻ったのだ。
いささか躊躇はしたのだが、颯大の熱がどんどん上がり、怖くなってしまった天璃は、すぐさま、美璃に電話を入れた。
「考えるより行動しろ」
電話脇で言う重雄の声が聞こえた天璃は、即決だった。
一時間以上の旅をさせていいものなのか、悩まなかったわけでもない。
体調がすぐれない重雄だったが、珍客に張り切り出し、それはそれは大騒ぎで颯大を迎い入れてくれたのだった。
比呂美の子でさえ、あれだけの喜びようだ。想像はついていたが、少し、猫かわいがりしすぎている傾向に思えたが、颯大にはそのくらいの愛情が丁度良い。甘えることも出来ずに今日まで生きて来たのだ。多少は大目に見る。などと悠長な考えをした自分を、天璃は思いっきり反省せざるを得なくなる。
下関に戻ろうとする天璃を重雄たちは先延ばしにしたがり、颯大も重雄の膝から離れようとはしないのだ。
困り果ててる天璃に助け舟を出したのは、美璃だった。
お弁当を見せ、車の中で食べてねと頭を撫でられる。
「ここばあんたの家だと思って、いつでも遊びに来てもよかのよ。一人で来るのが難しかったら、お母しゃんと来なさい。それでもダメやったらこんおじちゃんに頼めばよか。それでもダメやったらね、電話しなさい。いつでも迎いに行ってあげるから。いっぱい美味しいもの作って待っておるから、安心してお帰り。約束」
天璃に教わった指切りをした颯大は、顔をくしゃくしゃにして笑ってみせる。
颯大は天璃の広げる腕の中へと飛び込み、バイバイと言って手を振ったのだった。
ホテルに戻った天璃は、思わず顔を顰めてしまう。
あり得ないほどの数のメッセージである。思わず、菅が訪ねて来ても自分はいないと言ってくれと頼んだくらいだった。
外出する時もあらかじめフロントに連絡を入れ、菅がいないことを確かめてから行動するようにしていた。
分単位で入れられるメールや着信も気味が悪く思えた。
どうしても事務員を責め立てている時の菅の顔が、頭から離れずにいるのだ。
にわかに楽しんでいるような横顔に、今でもゾッとなってしまう。
天璃はニコニコと見ている菅の顔を見て、引きつり笑いで言葉を選ぶ。
「わざわざありがとうございます。いろいろとご心配をおかけしました。おかげさまでなんとか、けりがつきました。東京へは用事か何かで?」
やっと絞り出した言葉に、菅は赤い口紅を引いた口を大きく横に引き伸ばし微笑む。
「ええそうなんですの。こちらで少しお勉強をしようと、研修に参りました」
「研修……ですか……」
「はい。それよりもわたくし、天璃さんに元気出してもらおうと思って、沢山材料買って来たんです。結構料理、得意なんですよ。天璃さんて、嫌いなものってあります。分からないから、いろんな物買っちゃったんです。あったら早めに仰ってくださいね。もう、そんなところに突っ立っていたら中に入れないじゃありませんか。ほら、退いてくださいな。私も、おなかペコペコ。天璃さんと同じ新幹線に乗れるかなって思ったんですけどね。会えませんでしたね。もしかして、飛行機で帰られてきました。それともご実家へ寄られてからだったのかしら」
その口ぶりを聞いて天璃はゾッとなる。
「菅さん、今日は勘弁してください。俺も今帰って来たばかりで」
無理矢理中へ入ろうとする菅の躰を、天璃は慌てて押し戻す。
「天璃さん、やっぱり九州男児ですね。その喋り方の方が断然いいです」
「ちょっと、本当にダメなんです。部屋とかも散らかっているし」
「もうそんなこと気にする間柄じゃないでしょ。早くそこをお退きになって。いい加減にしないと、本気で怒りますよ」
笑みを崩さないまま言われ、天璃は困り果ててしまう。
「本当に困ります」
そんな押し問答がしばらく続いた末だった。
「あっ。いたたた」
急に脇腹を押さえ、菅にしゃがみこむ。
「どうしたんです」
「スイマセン、急にお腹が、トイレ、お借りしてもいいですか」
縋るような目で言う菅だったが、天璃は頑として中へ入れることを拒み続ける。
「痛い。もうダメ」
「エントランスにコミュニケーション用のスペースがあっ」
一瞬の隙を狙って、菅が天璃の脇をすり抜け、菅が中へと駆け込んで行く。
「菅さん。待って」
強行突破した菅は、リビングへ飛び込んで行き、何も知らない瑠璃と遭遇してしまっていた。
「りっちゃん、お客さんかえっ……誰?」
何の気なしに振り返った瑠璃と菅が目が合い、一瞬の間が出来る。
「瑠璃、これは」
慌てて後を追ってきた天璃を瑠璃はぎろりと睨む。
「えっえっえっ。どうして。何でいるんですか? ローズヒップスの瑠璃さんですよね」
口に手を当てた菅が、目を輝かせ、二人の顔を交互に見る。
「妹です」
肩を竦めた天璃に紹介された瑠璃が、会釈する。
「うっそー。本当ですか。私、大ファンなんです。福岡のライブ、行きました。CDも全部、持っています。ええどうしよう」
「あの」
きょとんとする瑠璃を見て、菅は居ずまいを直す。
「申し遅れました。わたくし、乳井室さんと正式にお付き合いさせていただいている、菅芽衣子と申します。わたくし達、きっと友好的な家族になれると思うんです。不束者ではありますが、末永くよろしくお願いいたします」
口をあんぐり開ける天璃に向かって、瑠璃は絶叫する。
「りっちゃん、どうゆうこと」
「知らんたい」
ぶんぶん頭を振る天璃の首根っこを掴かんだ瑠璃は、自分の部屋へと引きずって行く。
「あの」
小首を傾げる菅に対し、瑠璃は手振りを付けながら苦笑いでそこで待つように伝え、部屋のドアを閉める。
振り向きざま、怖い目をしている瑠璃に、天璃は胸の前で小さく両手を上げ、首をぶんぶん横に振る。
怒りすぎて、もはや言葉が出て来ない瑠璃は、勢いよくベッドへ腰を下ろす。
「瑠璃?」
ギロリと睨まれ、天璃は身を縮める。
「りっちゃん、隙あり過ぎ。どうしたらこん短期間に、こぎゃんことになっちゃうわけ?」
まったく形無しである。眉を垂れさげ壁に背を任せた天璃は、目を宙に泳がせる。
「たぶん俺、女難の相があるんだと」
「ふざくんなっち。こんこつ、どげん美希ちゃんに説明しゅる気? しゃっきん件ばってんね、絶対に怒るっち」
「そいはなか」
「なして言いきれるん」
一瞬、天璃は黙り込む。
「あの」
顔を覗かせた菅を見て、二人は顔を見合わせてしまう。
「何、しているんですか」
目をひん剥かせ訊く天璃を見て、エプロン姿の菅がにこっとする。
「何か作ってあげようと思って、いろいろ材料、買い込んで来たんですけど、必要がなかったみたいなんですけど」
「菅さん?」
テーブルに目を向けていた菅が、一呼吸置いてから、視線を戻し微笑む。
「天璃さん達は座っていて下さいね。わたくし、このお料理、パパッと温めちゃいますから。あと、栄養バランスが良くないみたいなので、何か野菜料理をもう一品、お作りしますね」
当然のように振る舞い、キッチンを使い始めた菅を見て、瑠璃の怒りは頂点へと達する。
「ちょっとあんた」
今にも殴りかかりそうな勢いで言う、瑠璃の肩を天璃は阻止させるため、後ろから抱き押さえる。
「菅さん、今日は申し訳ないけど、本当に帰ってもらえないだろうか」
「あんたね、非常識過ぎるでしょ。勝手に人の家に上がり込んで、図々しいのにもほどがある」
二人の姿を見て、菅の表情が一瞬硬くなるが、すぐ手元へと視線を戻し、取り合おうとしなかった。
手際よく料理を温め直し、野菜を切り始める菅を、天璃を振り払い瑠璃が掴みかかる。
「人の話を聞いているの?」
ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしていた菅だったが、ケラケラと急に声を出し笑い始める。
「何がおかしいのよ」
「瑠璃さん、どうしてそんなに熱くなるんです? 高々お兄さんの女が来て、料理しているだけですよ。まるでヤキモチを妬かれているみたい」
「なんば言っとるの」
「もうお願いですから、今から小姑根性出さないで下さいよ。わたくし、きっと良い嫁になりますから。天璃さんもボケッと見てないで、何か仰って下さいな。これじゃ先が思いやられちゃうわね」
「あんた知らんけん。りっちゃんには付き合っとる人が居るばい」
「あああの女なら大丈夫。まったく子持ちでで図々しい」
「はぁ? やけんやめろって言ってるでしょ。どこまで馬鹿にしとるの」
「菅さん、何か勘違いされているようだから、はっきり言っときます。あなたと俺は仕事関係者で、それ以上でもそれ以下でもない。あなたが言うような関係は、この先絶対ないと思って下さい。とにかく、こういうのは困ります」
一瞬、言葉が理解できなかったようできょとんとした菅だったが、何がそんなにおかしいのか、クスクスと笑い始める。
「少し、急ぎ過ぎたようですねわたくし。そうですよね。お付き合いして間もないのに、図々し過ぎました。ごめんなさい」
分かって貰えたと思った天璃は、ホッと胸をなでおろす。
「今日のところは、お暇させていただきます」
エプロンを外した菅がさっさと部屋を出て行くのを、瑠璃はあんぐりと口を開けたま見送る。
先程の態度とはうって変わって、潔く玄関を出て行こうとする菅に、戸惑うように天璃は声を掛ける。
「菅さん?」
「はい?」
「大丈夫ですか?」
「はい。道は覚えました」
「そうじゃなくて」
「ごきげんよう。ゆっくりお休みくださいませ」
にこやかな挨拶と共に自らドアを菅が閉め、立ち去って行ったのだった。
何がどうなっているのかさっぱり分からないまま、部屋へ戻ってきた天璃を待ち構えた瑠璃の尋問が、夜通し執り行われ、ついにすべてを白状することになってしまったのだった。




