五話目
「スティールか。よく知ってるとも」
村長の湯飲みを持つ手に、力が入る。
「あれは魔力を盗む魔法なんだよ。毒や麻痺で弱らせてから使うと、効率的に奪えるらしい。魔力が空になれば……あとは、どうなるかわかるだろう?」
様々な体調不良に襲われて、魔力はゼロ。そんな命も危うい状況で、助かる確率がどれだけあるだろう。いや、ない。なるほど、確かにえげつない魔法だ。悪党の代名詞だというのも、頷けるな。
「そうして、抵抗できなくしてから殺めるのですか」
「……そういうことだね」
「貴重な情報を、ありがとうございます」
囲炉裏の火がはぜる音だけが響く。
「アンタ、生活魔法やスティールをどうやって習得したんだい」
いや、待て婆さん。俺はスティールを覚えてるなんて、一言も。
「ミズキ。その顔じゃ、スティールを覚えているとバカ正直に告白してるようなものだよ」
「あーー……どうせバカですよ。また、カマをかけられましたか。白状しますが、わかりません。気がついたら覚えていました」
この世界の年寄りは、煮ても食えそうにない。俺はもっと、こう……クールなナイスガイを目指してるんだけどな。
「その魔法だけど、少し不可解な点があってね。魔法の発動方法は、二種類あるんだ。一つは、魔法言語を詠唱して発動させる。もう一つは、魔法言語を魔法陣に置き換えて発動させる」
あぁ、そういうことか。俺は。俺が使う魔法は。
「ところが、あんたは魔法名を言っただけで発動させた。その直後に倒れたのも驚いたが……あんな発動方法、私は初めて見聞きしたよ。スティールも名前だけで発動できるのかい」
「はい。あの魔法で果実を入手しました。そんなに珍しいのですか」
「珍しいなんてもんじゃないよ。魔法学史上に残る大発見さ。そんな人物がスティールを習得している。おまけに身体能力は並外れているときた。その力を正しく使えば、魔獣なんて子犬みたいなもんだろうね」
異世界。チート。成り上がり。まるで俺が主人公の小説だな。
だが、二つだけ欠点がある。俺が一介のサラリーマンであること。もう一つは、魔力の少なさ。俺は村長に意見を求めることにした。
どんなに生活魔法を覚えていても、魔力は十五しかない。スティールの消費魔力は五。生活魔法は三だ。魔力を使い切らずに弱らせ、さらにスティールを使うには一つしか解がなかった。スティールを一回と、魔法を三回。マッチ程度の炎を、たった三発。とてもじゃねぇが、勝てるとは思えない。
「人を食い殺すような化け物に、それだけの魔法で勝てるでしょうか」
「ミズキ、アンタは魔法使いなんだろう。魔法使いは、魔法使いじゃないと倒せないんだよ」
「どういうことですか。あの狼……魔獣は、狼の突然変異だと仰っていましたよね」
朝食のときに、そう言ってたじゃねぇか。
「そうとも。魔獣というのはね、魔法が使える獣のことさ。この辺りは辺境だからね。魔法使いが、いつでも滞在してるわけじゃないんだよ」
「この村に、魔法使いは——」
「今のところアンタだけだね。あの狼が現れてから、もう村が四つは壊滅した。昨日、強面の大男がいただろう。彼も二週間前に逃げてきたんだよ。大きな街に救援を求めてはいるが……近日中に来るかどうかってところだね」
「あの人だけ、ですか」
「親友が一緒だったらしいが、途中で足をくじいたそうだ。彼が左耳に噛みついて時間を稼いでくれたんだと、泣きながら教えてくれたよ」
そんな奴に立ち向かえってか。
俺だけなら、いますぐ逃げ出せる。だが。
あの、すがるような目を忘れろというのは、無理な注文だ。ここで村を見捨てたら、俺は本物の悪党になっちまう。
それに、いつか元の世界に戻ったとき、勝ち気な幼なじみに間違いなく殴られる。いや、マズい料理を吐くまで食べさせられたあげく、蹴り潰されるかもしれない。それは困る。
俺は勝てない戦に挑むほどバカじゃない。まずは情報収集といこう。
彼を知り、己を知れば、百戦危うからず、ってな。
「散歩がてら、村の様子を見てきます。どうせなら、有効に魔法を使いたいですからね」
「——ありがとう。ありがとう、ミズキ。だが、アンタは村の人間じゃあない。敵わないと思ったら」
「私だけじゃありませんよ。みんなで、ここを防衛するんでしょう?」
俺の傍らで、ウィスプが元気よく赤色に染まる。
こいつもやる気らしい。鍋の中で暇そ……楽しそうに遊泳してたが、話しは聞いていたようだ。
「では、行ってきます」
「気をつけるんだよ」
「はい」
太陽は、少し高い位置にあった。まだ昼じゃねえと思う。そこまで話し込んでねぇはずだ。とにかく、歩きながら考えるとするかな。
まず、地面。舗装もされていない道は、まさに田舎そのものだ。堅く踏みしめられた土は、よく乾いている。石は、あまり落ちていない。今なら、石ころすら武器になりそうなんだが、こればっかりは仕方ねぇな。
特に広い道は、真っ直ぐ村の出入り口へと続いているようだ。昨日も、真っ直ぐ歩いた記憶しかねぇや。ここは後回しでいい。村の中に入って来られたら、どのみちアウトだしな。
村を囲う柵は、ほぼズァイトッカイと同じ造りだ。よって、柵に接近されてもアウト。うーん。難しいな。
村の周りは土と草しか……いや、武装して畑を耕している人たちがいるな。村の男たちは、日頃から鍛えてるんだっけか。……どう見ても農作業だが、訓練には最適だと昔の漫画に書いてあったな。
近くでは、畑を耕してる人もいるな。川も流れてるし、農業さえしてれば、そうそう食いっぱぐれることもないだろう。逆に言うと、畑に接近されてもアウト。これなんて無理ゲー。
ここにたどり着くまでお世話になった川は、広く深い。俺が泳いでも足はつかないだろう。村の生命線だが、そこから侵入する意味は無い。ここは除外するか。
「なぁ。お前なら、どうするよ」
ウィスプは、目をぱちくりさせている。そして可愛らしく身体を傾けたまま、そよ風に流されていった。お前は風船かっ。
追いかけること、数分。ウィスプは一軒の屋根に引っかかっていた。不規則に弱々しく、青い点滅を繰り返している。まるで、この家から漏れ聞こえる泣き声に同調しているかのようだ。
俺はウィスプ救出のために、ハシゴを探してるだけだ。そっと民家に近づく。聞こえてきた嗚咽は、少女のものだ。
なるほどな。腰を痛めたというのは方便だったらしい。客がいちゃ、泣くに泣けねぇよな。俺もリサちゃんも、お互い相手に知られちゃ都合が悪かったってことか。あの村長、本当に読心術が使えるんじゃねぇの。
突風が砂埃を巻き上げる。口の中に砂がっ。必死で声を押し殺し、なんとか壁から離れる。ちょうどウィスプが、きりもみ状態で落ちてきた。目を回してふらふらしている身体を、そっとすくいあげる。
「埃だらけじゃねぇか。あんまり飛ばされてたら、泥団子みたいになっちまうぞ。お前はしばらくポケットに入って——」
けたたましい笛の音が、辺りに響き渡った。
「南東より、魔獣が接近中! 繰り返す、南東より」
「女子供は村長宅へ! ゆっくり、落ち着いて避難しろ!」
三頭の馬に乗った兵士たちが、呼吸を合わせて北西へ走り去ってゆく。南東っつうと、村の出入り口か。あんまりいい案は浮かんでないが、やるしかねぇ。
胸のあたりが、じんわりと温かくなった。つぶらな瞳でこちらを見上げるウィスプと、目があう。——こいつなりに、励ましてくれているらしい。
「そんな顔すんなって。なかなかのクソゲーだが、ここでゲームオーバーになる気はねぇよ。手伝ってくれるか?」
力強く頷いた小さな相棒は、とても頼もしかった。