四話目
誰かが、泣いている。あいつ……また近所の悪ガキとケンカしたのか。
お前も女の子なんだから、あんまり無茶すんな。
あぁもう、怪我してるじゃないか。跡が残ったらどうする気だ。
尻拭いするのだって、大変なんだぜ。本当に、お前といると——
「俺の人生、ハードモードなんだか……ら?」
天井が高い。ヒノキっぽい匂いがする。——そうだ、眠くなって。
だんだんと頭がさえてくる。寝言で起きるとか、久々だ。
俺は囲炉裏の近くにいたはずだが、布団に寝ているな。
シャツも着てる。どうやら、なし崩し的に泊めてもらったらしい。
ところどころ、壁に穴があるようだ。
そこからもれた、わずかな灯りが室内をぼんやりと照らしている。
近づいてみる。それは丸く加工され、はめ込まれた障子だった。もともと、そういう設計らしい。障子紙が破損したら大変そうだな。
あれは街灯、いや松明なのか。そういえば、寝ずの番をすると男たちが息捲いていたな。不規則に光が行き来している。持って見回りをしているのだろう。
思考していたせいで、目の前の目に、気づくのが遅れて。
心臓が口から飛び出るそうなくらい、びっくりした。
「おまっ……もう少し存在感を出してくれよ。幽霊かと思ったじゃねぇか」
宙にふわふわ漂うオレンジ色の火の玉——いや、ウィスプ——からは、楽しそうな感情が伝わってくる。まるで、イタズラに成功した子供だ。
そういえば、こいつも変な奴だよなぁ。火の玉っつたら、ふつうは怨念とか、おどろおどろしいものだろ。なのにウィスプ……いわゆる、光の精霊だなんてな。ゲームかっつうの。
いや、ウィスプがこっちでも光の精霊なのか知らねぇけどよ。昨日の言われようだと、善良な性質みたいだしな。それに認められる……ねぇ。なにもしてないぞ。桃はやったけど、俺にも見返りはあるしな。
障子から差し込む光は、柔らかく暖かい。日の出のようだ。鶏が朝を告げる鳴き声がやかましい。かすかにいい匂いがしてきた。ドスドスと不機嫌そうな足音が近づいてくる。襖が乱雑に開けられて。
「起きろ、疫病神。飯だ」
「おはようございます。すぐに伺いますね」
「……ふん」
昨日つっかかってきた門番が、床をきしませながら立ち去る。好印象をもたれるはずもねぇが……なんで村長の家にいるんだ。監視か。まぁ、考えても仕方ねぇな。いい加減、まともな飯を食わねぇと倒れそうだ。いや、倒れたけどよ。
ウィスプを伴い、廊下を進む。寝室は、囲炉裏のある部屋の傍だったらしい。奥の台所では、孫娘のリサちゃんがめまぐるしく働いている。それにしても、視線が痛い。門番が、親の仇のように睨みつけてくる。いや、仇みてぇなもんか。
「おはようございます。昨日はすみません。ご迷惑をおかけしました」
「おはよう、ミズキ。具合はどうだい」
「ぐっすり眠れました。おかげさまで、ピンピンしてます」
「さすがに、若いと回復も早いね。さぁ、朝食にしよう」
「はい」
寒いし囲炉裏をはさんでキヨ村長の対面に座るかね。たぶん、ここが下座だろ。
火にかけられた鍋からは、煮立つ音が聞こえてくる。この香りは味噌汁だろうか。さすがにインスタントとは、匂いの質が違うな。
この世界で、初めて他人と摂る朝飯は、とても重苦しいものになった。
とにかく気まずい。リサちゃんも門番も、終始無言だ。いや、飯食ってるときは無言になるけどよ。たまにキヨ村長が、有益な話題を振ってくれるのが救いかね。
柔らかく炊かれた、薄味の粥。魚のすり身とじゃがいもに、ほうれん草の味噌汁。そして箸休めのお新香。俺と門番の胃を労るようなメニューは、とてもうまかった。
淹れたばかりのお茶に浸かるウィスプは、気持ちよさそうだ。お前は目玉の親父か。桃といいお茶といい、こいつが重なると旨味が増す気がする。どういう仕組みになってるんだろうな。
「ご馳走様でした。おいしかったです」
「……お粗末様でした」
おぉ、初めてリサちゃんがしゃべった。そのまま、逃げるように食器を集め、洗い始める。迷惑そうな表情は妹そっくりだな。さすが姉妹。まぁ、こんな状況じゃ仕方ねぇよな。
「おい、疫病神。なにリサに色目使ってんだ」
「色目だなんて、とんでもない。おいしいご飯を提供して頂いたので、感謝の意を伝えただけですよ」
「……チッ」
それは、聞き逃してしまいそうな、小さな舌打ちだった。俺がなにをしても、なにを言っても気にくわないというやつだろう。もし、俺も同じ状況に置かれたなら……彼のように自制できるだろうか。
「村長、リサもご馳走様。じゃあ俺、訓練の時間だから」
「ハルト、気をつけるんだよ」
「行ってくる」
「待って、ハルト」
戸を開け、まさに出ようとした門番を呼び止めたのはリサちゃんだ。スカートの裾を、ひるがえしながら駆け寄るリサちゃんの生足が眩しい。腰まで届く髪が、軽やかに跳ねている。そういえば、村長は着物だけど他の人は洋服なんだよな。おかげで、俺もあまり浮いてないけどさ。
「あの。これ、お守り。……あげる」
「ウサギのしっぽじゃないか。いいのか、もらっても」
「うん。厄除けのまじないをかけたの。だから、その……怪我しないでね」
「おう! ありがとう。じゃあ、またな」
「行ってらっしゃい」
ちりり、と清らかな音が駆け足とともに遠ざかっていった。名残惜しそうに、小さく手を振るリサちゃんの耳は真っ赤だ。ウサギのしっぽと鈴は、ともに魔除けのアイテムとして重宝されてるが、こっちでも同じらしい。
ウサギは、子孫繁栄や愛情の意味もあったはずだ。つまり彼氏と妹と姉の三角関係だった、ということなのだろうか。まだ若いのに、昼ドラみたいな展開だな。
ウィスプが、ピンク色になってリサちゃんの手にすり寄る。リサちゃんの肩が、大げさなくらい跳ねた。
「——洗い物、してきますね」
少し戸惑ったような声が、台所に戻ってゆく。
あとには、食器を洗う音だけが響いた。
「村長。今、お時間よろしいでしょうか。いくつか、お伺いしたいことがあるのです」
「私に答えられることなら」
「質問は四つです。まず、一つ目は、ウィスプのことについてですね。これは、どういう生き物なのでしょうか」
「ウィスプは神の使いと言われているよ。神に認められた、善良な死者の魂という説もあるね。それに懐き、好かれる……つまり、澄んだ心の持ち主だという証拠だよ」
「なるほど。では、次に二つ目です。昨日、魔力がゼロになって昏倒したのですが、あの症状をご存知ありませんか」
「それは魔力切れだね。魔力は、魔法を使うための力さ。原因は不明だが、それが空っぽになると、アンタみたいに気絶したり、頭痛や吐き気に襲われたりするんだよ。だから、魔力を使い切らないようにすることだね」
ゲームでそういう値がゼロになると死ぬゲームがあるが、それと似たようなものか。まぁ、死なないだけマシだな。一昨日も昨日も、魔力切れで寝たということらしい。だが、計算があわねぇな。一昨日は二回、昨日は三回しか魔法を使ってねぇぞ。どういうこった。
「ありがとうございます。三つ目ですが、その魔力消費を調べる方法はありますか?」
「ステータスを呼び出してごらん」
「スライドさせて……はい、出ました」
「魔法名を、なんでもいいから長押ししてごらん。それでポップアップウィンドウが出る」
おおっ、こりゃ凄い。パソコンみたいだな。
「こういう仕組みなのですね、よくわかりました。最後の質問なのですが……」
果たして、これを聞いてもいいのだろうか。
だが、疑問を抱えたまま仕事してミスをしては、目もあてられない。なぜ聞かなかったと雷が落ち、危機管理能力を疑われ信用も失う。そんな社会人を、いやというほど見てきた。こんな殺伐とした異世界では、生死を左右しかねない。
「リサ。仕事を頼まれてくれないかい? キリエが、腰を痛めてね。立つのも辛いとこぼしていたんだよ」
「わかりました。行ってきますね」
「頼んだよ」
あまり人に知られたくない内容だ。そんな俺の心中を、見透かしたようなタイミングで、この采配。この婆さん、読心術でも心得てんのか。二人きりになった部屋は、やけに広く感じられる。
「しばらくは帰ってこないよ。それで? なにを聞きたいんだい」
「…………スティールという魔法を、ご存知ですか」