玉出商店の妄想劇場⑤ 元気を出して
宴会、という社内行事が嫌いだ。
どこに座っていいのか、わからない。なによりも致命傷的に、ああいう席でどんな話をしたらいいのかわからない。
それなのにどうして。
きっちりと会費を払い、こんなところにいるのだ自分。職場の皆さん、そろって「ご歓談」を堪能しているご様子。
なんだって、こんな飲み会に参加するって返事しちゃったんだろう。
畳敷きの部屋の隅っこで、じくじくと自問自答する。月末に支店長が交代したのよ。ほぼ同時期、前支店長が引き抜いてきた社員が何人かいて……。
今夜は彼らのお披露目も兼ねた「決起大会」って名目だ。わたしはというと、再赴任してきた支店長に、以前は何かと迷惑かけてたし。気持ちをあらためてがんばります、って一言が言えたらそれでいいかなあって。
それにしても。わたしみたいなコミュ障、こんな場が一番似合わないんだよ。電話応対だったら、いわゆる一発勝負、一期一会。なんとかなる。でも、こういう宴席は心底から苦手。仲の良かった子は辞めちゃったばかりだし。
非常に居づまりな気分で、うつむいていた時。
「玉出さん、お久しぶり。また、よろしくお願いしますね」
あっハゲ課長。いやいや、以前に田中をネチネチといたぶっていたそこの貴方! ってか新支店長!
「こちらこそです、よろしくお願いいたします」
額に吹き出した汗をハンカチで拭いながら、支店長にお辞儀をする。
「そういえば田中くん、元気にしてますか?」
「ああー田中ねー」
新支店長は含み笑いを浮かべて、首を横に振った。
「そんな顔しなくてもいいじゃないですか」
思わず笑い出しそうになったところ、支店長は顎をちょいちょいと動かす。
「ぼくと一緒に来た、あそこにいる成田と同じ部署だったんだよね」
「へー」
成田と呼ばれた男子社員は大きな図体を持て余すみたいに、ここから対角線の隅っこに、ちんまりと座っている。連月、内勤営業ランキング上位に名前が載る有名人だ。彼の両隣に佐々木さんと倉岡さんがいた。三人で楽しそうに、お話ししているじゃありませんか。
いいなあ、横に行きたいなあ。……でも、わたし、あの三人と接点ないしなあ。共通の話題もないし、無理か。
あっちの男三人は、すっかり出来上がっているっぽい。色白でクールな倉岡さんが赤くなって、滅多にみせない白い歯をこぼしていた。紺のネクタイをゆるめて微笑む姿がたまらない。
倉岡さんに見とれてしまいそうになったと同時、佐々木さんと目が合った。
「あっ玉出さん。そんな端っこにいたら、わかんないでしょうが。もうー」
佐々木さんはビール瓶を持って、すいすいとこちらに向かってやってきた。それを見ていた支店長が、サラッと話し相手を変えていく。
「ささ、飲んで飲んで。そのグラス、まず空けちゃって?」
急にそんなことを言われてもですね。そうは思いつつ、言われるがままにグラスを空けている。
「ダメでしょ、せっかくぼくが隣に来たのに。そんな固い表情してたら」
いつものあなたじゃないみたい。というか、こういうサービス精神あふれる気遣いが、たぶん佐々木さんの本領なのだろう。
「えー、そんな固い顔してますか」
「してるしてる」
砕けた笑顔で、わたしのグラスに並々とビールを注いでくれた。
「いただきます」
「いい飲みっぷりですねえ」
佐々木さんは愉快そうに目尻を思いっきり下げている。日中、オフィスに立ち寄るときの表情とは全く違って、その落差にキュンキュン来ますよ。わたしは無条件に笑顔になって、話しかけていた。
「そっちも、いつもの感じと違いますね」
「こういう席ですからねえ」
中腰だった佐々木さん、わたしの横に座り込む。
「そんなことより、玉出さん最近元気ないじゃないですか。そっちの方が心配」
「そ、そうかなあ……」
わたしの心に、ふっと影がよぎって消える。しかし、この場でヘビーな言葉を吐くのは似つかわしくないし、止めておいたほうがいいに決まってる。
しかし佐々木さんは、こっちの戸惑いを見透かしたように口を開いた。
「ぼくね、来週から一旦、内勤業務をするんです。チーム編成もするんですけど」
「変則的、っていうか急ですね」
「まあね。数字のテコ入れのためです。玉出さんにも手伝ってもらいますからね」
バイトが社員の手伝いなんか出来るわけないじゃん。言いかけたけど、それは我慢。
「なにをですか」
「ラック」
「あ」
忘れてたよ、この人と組んだラックはいつも大口で、しかも成約キャンセルがない良質なものばかりだということを。
「玉出さん自身も、この頃ぜんぜんラック出してないでしょう?」
「ええ、まあ」
佐々木さんは口元をゆるめ、更にビールをすすめてきた。
「でもわたし、佐々木さんがおっしゃるようなことはできませんよ? それならもっと数字を上げてくるバイトさん、いっぱいいるし……」
しょんぼりしかけたとき、彼が畳に座りなおした気配がする。
「けど……ぼく、一番ラックを組みやすいのは玉出さんなんですよ」
わたしは言葉に詰まった。ここは社内の酒の席だし、気の利いた返しをするべきだろう。そしたら、ひとときでも場が和む。いろんな気持ちが交錯した末、みずからの唇から出た言葉はというと。
「うーん」
だめじゃん自分、この返し。
全然まったく、宴会の場にふさわしくない。そんなふうに、さらに気持ちが沈みかけたとき。
佐々木さんのふわっとした声が聞こえた。
「顔を上げてくださいよ」
「あ、はい」
彼の両目は、きらきらと光っている。くっ、これって佐々木営業マジックですかい。
「とりあえず飲みましょう玉出さん」
「えー」
無理にフザケようとしたがダメだったみたい。佐々木さんは、こちらの目を見たまま笑う。そして自分も空のグラスを取り、こちらのグラスにもビールを注いだ。
「ぼく、ちゃんとわかってますからね」
「なにを」
「玉出さんが目標にしていた人が次々に辞めちゃって、元気ないんだもの」
やっぱり、佐々木さんにはかなわない。
「バレてたか」
「ぼくにはね」
それから彼は、少しだけ深く息を吸った。
「それに玉出さんってコスト意識がない内勤営業担当にムカムカしているの、ぼく、ちゃんとわかってますよ」
さすが営業ランキング上位ホルダーであらせられる。感嘆していると、あちらは「そうでしょ?」とイタズラっぽい笑顔を浮かべた。
「よく見てますね」
「よく見てるでしょ」
わたしはスカートの裾を直して、佐々木さんに尋ねる。
「素朴な疑問なんですけれども」
「なんでしょう」
「あなた前職の営業でもランカー上位だったでしょ。推測だけど」
「当たりましたね。さすがです」
「なんとなく、ですけれどもね。そんな感じがしてましたよ」
聞いてみると何度も海外表彰も受けていたり、様々な大会も前職入社以来、誰にも優勝の座を渡していなかった、とのこと。
「そんなにすごいのに、どうして辞めちゃったんですか」
「内部告発でした」
佐々木さんらしいなあ。しかし、なぜまた、こんな会社に。
「前は名前の通った大手だったでしょ、だからかな。ベンチャー企業でやってみたくなったんですよね」
「なるほどですね……」
返事をしながら、ためいきをついていた。人には色々あるものなのね、理屈ではわかっているつもりでも、なかなか自分の身に引き寄せられない。
「でもそこまでの経歴がある人なら、余計にもったいないなって思うんですけれども」
「ぼくね、ここに来る前のことは全部捨てて、一からやりなおそうって思ったんです。だから、いいんですよ」
「そう……」
「玉出さんもね、一生懸命に仕事していることは、ちゃんと伝わってますからね。また一から、やっていきませんか」
くらっとした。
飲みすぎなのかな。
(了)
新しい環境に畏れを抱く気持ちを持つ、すべての人に贈ります。