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「アズサさん、ハンカチありがとうございました」
課長宅を後にして、駅へと向かいながらアズサさんへ頭を下げる。
「返さなくていいから、それあげる。咄嗟の時に見せる用のハンカチだから使ってみて」
咄嗟の時って何? とは思ったけど、確かに上品なレースがあしらわれた如何にも高そうなハンカチだった。
「身に付ける物なんて、お金さえ出せばある程度どうにでもなるわ。後は本人次第よ。日々の積み重ねによる自信、後は資質の問題。私はミリーならやれると思う」
歩きながらさらりと語られるには重い言葉。何もかもが、私だけ置いて先に進んでいってしまう。
「……まだ、成田さんを好きかどうかも分からないんです。藤堂、なんて大き過ぎて尚更考えられない」
「好きかどうか分からない、ってことは、嫌いじゃないんでしょう?」
嫌い、ではない。信じられない、という気持ちはまだあるけど、嫌いじゃない。腹黒で強引で子供みたいなところがあって、だけど彼はいつでも私に真っ直ぐだ。
「それだけで凄いと思うのよ。そりゃ玉の輿だし、イケメンだけど、一般人にとってはハードル高過ぎでしょ? 成田くんの母親とか、もう想像通りの「おほほ」とか笑うような人だし、周りの人たちも上流階級ざます、って感じよ。それを聞いても、成田くんを見捨てられないよね?」
おほほ、と、ざます、か。予想通りと言うか何と言うか、きっついです。
でも、成田さんの捨てられた子犬みたいな目を思い出してしまったら……
「見捨て、られませんねぇ……」
大好き、構って! と全身で表現する彼を可愛いとどこかで思ってしまうのだ。
「成田さんが私のこと要らなくなるまでは、嫌いにはなれないでしょうね」
「私もね、それなりにお付き合いしてきたけど、それはいつも条件をクリアした人から選んできたの。その時その時で真剣ではあったけど、いつも「あの時みたいな失敗はしない」って想いが消えなかった」
あの時みたいな……それはきっと私たちの前世のこと。
私が彼を信用できないように、アズサさんも嫉妬に狂った前の自分を忘れられないんだ。
「私だって、少女漫画に憧れはあるし、ハッピーエンドが好きなのよ? それに、ミリーが成田くんを選んだら、次は私も前世を超えられる自分で恋愛が出来るかもしれないし」
「アズサさん……」
気付けば駅に着いていた。こんなに長く、真面目に彼女と話したのは初めてかもしれない。
「アズサさんの美貌も邪魔な時があるんですね。でも、私、素のアズサさんもちょい悪で素敵だと思ってますから」
「ねえ、ちょっとそれ褒めてないからね?」
わざとムッとした顔も可愛いですよ?
すぐにニコッと笑ったアズサさんは、手を振って駅へと歩き出す。
「どうするか決めたら連絡して。もし覚悟決めたんなら、私がミリー史上最強のレディに変身させてみせるから!」
最強って、どんなレディにするつもりですかね?
思わず1人で笑ってしまう。何だか不思議な程心が軽くなった気がした。
成田さんと歩む道。
考えるだけならタダかもしれない。そう思えただけ大進歩で、そして、その道を選ばない可能性が低くなったことを理解する。
その日の夜、週刊誌発売以来に母親から電話があった。
『藤堂宰さん、って方から電話をもらったわよ』
さすが私の母親。余計なことは挟まない単刀直入さ。ありがたいです。
「……何だって?」
『あんたに惚れてます、って。さすが我が娘、深海魚釣り上げてきたってお父さん大騒ぎよ』
何で深海魚……突っ込むと長いんで放置するけど、なんかごめんね成田さん。
「お母さん、どう思ったの?」
『そうねぇ、その歳まで待ってあえて苦労する相手選ぶのねぇ、と思った』
「だよねー」
さすが真っ当な一般人。それが普通の感覚ですよね。だって、苦労が目に見えているのだ。
『でもね、自分の片想いだってはっきり言ったのよ、あのイケメン。あんた以外考えられないからこれからも迷惑掛けるかもしれないけど、全力で守ってくれるってさ。あんたが大事に思ってる物全部』
その言葉に今日の出来事を思い出す。
大事に思っている物全部。私には何も言わないくせに、選ばないかもしれないのに。
胸の奥がじんわりと熱くなる。
『苦労はね、誰と結婚してもあるよ。まあ、あの人選べば普通の人の何十倍の苦労だろうけど。でも、旦那の愛が感じられるなら、女は乗り越えようって気持ちになるもんよ。これは絶対間違いないから。だから、あんたが彼を選んでも何も心配しない。それに、ミリは出来る子だからね。ざますーの世界にも負けたりしないって』
アズサさんと似たようなこと言ってるし。
思わずプッと笑ってしまう。涙まで出てくるし、本当涙腺弱くて困る。
「……ありがとう、お母さん」
『あんたの良いように決めなさい。お父さんもそう言ってたよ』
良い家族に恵まれて今世は幸せだ。
「……もう一つの幸せに挑んでみますかねぇ」
電話を切った後、あんまり幸せな気分だったので、今なら何でも出来そうな気がしてしまった。




