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非常に乗り心地の良い車に乗せられて、連れて来られた場所は予想通りの場所だった。
藤堂グループの一つである会社の自社ビル。外から見上げただけで、高給取りの人が勤める会社だと分かる面構えだ。
残念なことにここを訪れるのはもう数回目で、裏口からコソコソ入るのにも慣れてきてしまっている。
「ミリ! 大丈夫でしたか!?」
専用のエレベーターで高層階へ。これまた大層立派なドアを開けると同時に、成田さんが飛びついてくる。運動神経が人並み以下な私が避けれるはずもなく、当然のように腰に回された腕をぴしゃりと叩いた。
「セクハラですよ、成田さん。それと、水をかけられただけなので大丈夫です」
名残惜しそうに外された腕が次に伸びたのは私の髪。濡れた髪を人房手に乗せて、ひどく辛そうに顔をくしゃりと歪めた。
「オレのせいで……あなたを守れなくてすみません」
「そんな水くらいで大袈裟な。ご丁寧にハンカチまで投げて行かれたんですよ、余程良いところのお嬢さんなんでしょうね」
あんなに綺麗でお嬢様とか、天は二物与えずってのはやっぱり嘘ですね。って、彼らを見たら分かっていたことだけど。
「人に危害を加える人物が良いところのお嬢さんとはとても思えません。そうやって、許せるミリの方がずっと素敵です」
さりげなく取り出したハンカチで、生乾きの私の髪をそっと押さえる。その言葉もその仕草も何だか恥ずかしくて、助けを求めようとちらりと後ろに目をやればそこには誰もおらず。
あいつら! 逃げやがったな!
大体いつもそうなのだ。成田さんに会う時は気付けばいつの間にか二人きりになっている。
「もう片付けますので、とりあえず座って待ってて下さい」
心の中で盛大に文句を言っている内にさらりとエスコートされて、断る暇なく上等なソファーへと腰掛けることになっていた。
「成田さん、本当にここまでしてくれなくていいんですよ? 警備の方たちも私についてもらうのは勿体無いと思っています。でも、身の安全の為ということなのでお言葉に甘えようと決めたんです。だから、これ以上の事は必要ないですし、どちらかと言えば、週刊誌に誤った情報を流したお詫びを載せてもらった方が良いと思うんですけど」
「遅かれ早かれぶつかる問題ですから、今から動き始めた方が後々の為です。これはオレの我侭だから、ミリは気にせずに全部こっちに問題を押し付けて下さいね?」
「……週刊誌に訂正の依頼は?」
「その方がまた注目を浴びると思いますよ?」
にっこり眩しい笑顔で押し切られる。最近こういうことが多い気がする。
基本的には私の意見を尊重してくれるけど、譲れないことはまったく譲ってくれない。でも、私のことを考えてくれているのも分かるので強く言えない。
「オレはあなただけは諦める気はありませんので、それに付随する問題は全てオレに任せて下さい」
諦めてくれたら全部解決するのに。でも、それを譲らないと言っているのでこれ以上お願いできることがない。
本当に、私のどこがいいのか。それはあの二人にも言えることだけど。
「生きる世界が違う人を選ぶと苦労しますよ?」
目の前の机で仕事らしきことを始めた成田さんに、つい話し掛けてしまった。
だって、それはいつの日も繰り返されてきた問題だ。同じ世界の人を選べばあっさり上手くいくことなのに。
「オレはミリと同じ世界で生きていきたいんです。その為の苦労なら喜んで買います。あなたは何もしなくていい、そこで笑っていてくれるだけでいいんです」
華やかな笑顔に少し影が見えるのは、薄ら浮かぶ隈のせいだと思う。
仕事プラス私の問題で、最近休んでいないと聞いた。絶対成田さんには黙っていて、と二人がこっそり教えてくれたのだ。私が一緒ならご飯も食べるだろうから、たまには一緒に食事に行ってやってほしい、って。
まあ、その時の写真を撮られてまたその対応に追われている訳で本末転倒なんだけど。
「……明日は仕事ですか?」
「ええ、っと、その質問の意味を聞いてもいいですか?」
期待に目をキラキラさせる姿は子供みたいで、歳相応なその顔は可愛いと思う。頑張っている青年にはご褒美あげたくなるのだ、こんな私でも。
「外で食べるのは疲れるだろうから、成田さんが良いのなら家にお邪魔してご飯を作ろうかと思って」
「も、もちろん大歓迎です! 明日は仕事は午後からにします。お願いしてもいいですかっ?」
日曜でも仕事なのか。そう思うと、何か精がつくものを食べさせてあげたくなる。
この気持ちが何なのか。ミリファの気持ちなのか、情が湧いたのか、それとも……
「安心して下さい。ちゃんと約束は守りますから」
いつの間にか考え込んでいた私がやっぱり迷っていると思ったのか、成田さんは安心させるようにそう言って微笑んだ。
ミリが逃げないなら、あなたの気持ちがこちらに向くまで絶対に手は出しません。
前回の反省を元に、彼はそう約束をしてくれた。そして、私は全面的にその約束を信じている。彼は、いや、彼らは、二度と私の気持ちを裏切らないだろうとそう思えるから。
「その点は心配してませんよ。成田さん、仕事はまだかかりそうですか?」
それなら、先に行って作ってた方がいいかもしれない。そう思いながら立ち上がれば、成田さんは合わせたかのようにパソコンをぱたんと閉じた。
「ミリが来てくれたんですから、もちろん終わりますよ」
いちいち言うことがクサイ。でもそれが似合うから何も言えない。
「はいはい、じゃあ、さっさと帰りましょう」
「はい、一緒に帰りましょう」
それはそれはキラキラした王子が、蕩けそうな瞳で私を見つめて微笑んだ。