10
何だか息苦しくて目を覚ますと、ぼんやりとした視界の中で金髪碧眼の美形と目が合った。
「……ロード様?」
「やっぱりミリだ」
甘い声が私の名前を呼んで、ギュッと抱き締められる。その力の強さにこれが夢じゃないことに気付いた。
「成田さん、離して下さい」
「冷静沈着な今の山田さんも好きだけど、ミリにロード様って呼ばれるのも捨てがたい」
「早く離して下さい。それとここはどこですか?」
感情を含ませずに意識して冷たい声で尋ねると、彼はもう一度私を抱く腕に力を込めた後ゆっくりと離れていった。
私はふらつく体を何とか起こして辺りを見回す。とりあえず広い部屋の広いベッドの上にいることだけは分かった。
「ここはオレの家です。山田さんが寝てしまったんで連れてきました」
「成田さんが潰したんでしょう? 何を飲ませたんですか?」
まだ頭が少し痛いし、体もふわふわしている。明らかに酔いが回った状態だった。
でもノンアルコールで酔う訳がないし、例えあのカクテルにアルコールが入っていたとしても、あの量でこんな状況に陥るだろうか?
「アルコールを感じさせない美味いカクテルもあるって言ったでしょう? 飲んでみてほしかったんです、一緒に酒が飲みたかったから。黙ってオーダーを変えてすみません」
「謝ることはそれだけですか?」
じっとその目を見つめると彼は小さく笑った。苦さを多分に含んだその笑みは、ぼやける視界の中でも充分に綺麗だ。
「アルコールを回りやすくする薬を少しだけ。体に害はありません。こうでもしないと山田さんがオレに時間を取ってくれないのは分かってましたから。どんな手段を使ってもあなたと二人になりたかった。卑怯な真似をしたことを謝ります」
彼は素直に罪を白状した。誤魔化したり逃げたりしないだけ誠実だと言えるのかもしれない。
だけど、それとこれとは別問題。
「私、騙す人嫌いなんです。後、平気で人を利用する人も」
私の言葉に成田さんが小さく息を飲んだのが分かる。私が何を言いたいのか理解したんだろう。
「眼鏡、返してもらえますか? はっきり見えないと疲れるんで」
「眼鏡は後で返します。ねえ、山田さん。自分に興味のない女性を振り向かせるにはどうしたらいいと思いますか?」
またこちらに近付きながら成田さんが聞いてくる。
「相談にはもう乗りませんよ」
彼はゆっくりとベッドに乗り上がり、私に覆い被さってきた。逃げたくても酔いに動きが鈍る体では上手くいかない。
「そんな冷たいこと、言わないで下さい」
「男ならキッパリ諦めるべきじゃないですか?」
「そんな簡単に諦められるならとっくの昔に諦めてます。オレはずっとあの日からあなたに囚われたままだ」
それを言うなら、こっちもそんな簡単に許せることじゃないと思う。
ミリファは淡く色付き始めた想いを無惨にも踏みにじられた。彼女の命と共に。
私の中で多分彼女はずっと泣いている。そして、その癒えない傷は今の私の恋愛観にも深く影響していた。
「私は穏やかな人とささやかでも平凡な幸せを手にしたいんです。成田さんとでは到底無理です」
彼の両腕に囲われながらもしっかりと伝えると、その瞳が悲しみに染まったように見えた。
「オレはあなたをこの手にできるなら、あなたが孕むまで犯し尽くしてもいいと思ってます」
「それで私が永遠に許さなくても?」
「……はい」
「そうやってまた私を愛人にしようとでも? それとも、また邪魔な婚約者の方でもいらっしゃいますか? 藤堂様」
「知って……?」
知っていましたとも。敵の情報を手に入れるなんて常識でしょう?
なんて格好をつけてみましたが、実際はあのストーカーによる濡れ衣騒ぎの時に上司から聞かされただけなんですけどね。どうか今回のことを大事にしてくれるな、外部に漏らすなって。
成田という名前は彼の母方の名前、本当の彼は藤堂グループの御曹司だ。
今は武者修行中だそうで、名前を変えて子会社の子会社で勉強しているらしい。だから、彼の経歴に少しでも傷をつけたくないんですって。
まあそれにしても歴史は繰り返すのね、と思いましたよ。現世でも身分違い甚だしい。
前世ほどではないにしても、日本を代表する大企業の御曹司と三十路一般女性。良くて愛人、悪くて利用されて捨てられるってところだろうか。
「私はもう権力のある人はこりごりなんですよ。成田さんが一番知ってるでしょう?」
「……オレは今世はあなたを幸せにする為に生まれてきたと思っています」
…………おー、スゴい。どっかの歌みたいなこと言ってる。
これは王子レベルの顔じゃないと言えない言葉ですね。
「もう他には誰も要らないんです。……昔のオレは自分にできないことは無いと思っていた。道端で見つけた名もないような可憐な花を、自分の傍で咲かせ続けられると信じて疑わなかった。そして愚かなことに、野に咲くから美しい花を手折り、その花を連れて帰ることで毒花を庭園から追い出そうとした。毒花でオレの可愛い花が枯れることになるなんて夢にも思わずに」
野に咲く可憐な花か……
元王子の告白を聞いて正直なところホッとした。ミリファは利用されたけど裏切られた訳じゃなかった。
それは素直によかったと思うんですが、今の私ならそれだけで許したりしません。
でも、残念なことに私の中のミリファが喜んでいる。だから涙が止まらないんだ。決して私が泣いている訳じゃない。
「愛してます。初めてあの食堂で出会った可憐な君も、真面目で優秀で、でもどこか抜けていて甘い今の君も、ミリだけをオレは愛してます。この人生を終えて生まれ変わったとしてもオレはまた君を探す。もうミリしか欲しくないんだ、だからお願いです。オレと共に、オレの傍で生きて下さい」
あまりに熱烈な告白に目眩がしそうだった。いつの間にか私の涙を拭っていた唇が自然と私の唇に重なりそうになり、慌てて手のひらで彼の唇を押さえ込んだ。
「そこまで許してません」
危ない危ない、流されそうになった。
しゅんと落ち込む美形を見て一瞬胸が痛むがそこは甘やかさない。
「……さっきの言葉は本当ですか?」
今は茶色の、でもあの頃と同じ輝きを放つ瞳を見上げて尋ねる。
「もちろん」
私の手をゆっくりと外し、彼は指先にキスを落とす。まるでの誓いの口づけのようだった。
「なら、証明して下さい。あの頃も今も本当に私だけだと言うなら、今世私を幸せにできる自信があるのなら、目に見える形でそれを私に示して下さい。それができたなら、その時あなたとのこれからを考えてみることにします」
彼が本当に本気だと言うなら、どうせいつかは向き合わないといけなくなるだろう。それなら自分で選び取りたい。決して流された訳じゃなく、自分でこの道を選んだと納得したい。
私の言葉をじっと聞いていた彼の瞳が目に見えて輝き出した。そこまで素直に嬉しさを表されるとこっちが恥ずかしくなる。
「3年、いや2年。必ず証明して見せるからオレを待ってて下さい」
「他に良い人がいたら待ちませんから」
「……ちょっとかなり不安なんで、前払いでもらっていいですか?」
ベッドの上でまた抱き締められて身の危険を感じる。慌てて身を捩って抵抗しても成田さんはびくともしない。
「ミリを気持ち良くさせるだけですから」
「無理です」
「触るだけも?」
「だから無理です」
徹底的に拒否したら、彼はベッドの角で小さくなった。
「……じゃあ、一度だけでいいんで、宰様って呼んでくれませんか?」
ちらりとこっちを見ながらそんなことを言ってくる。
「変態ですね」
私の一言で彼はがっくりと肩を落とした。
こんな人だったんだろうか? もしあの日あんなことが起きなくて、王子をもっと知る機会があったなら、こんな情けない一面をミリファは目にしていたんだろうか?
「まあ、せいぜい頑張って下さい。藤堂宰様」
溢れ出す感情に自然と口元が緩む。バッと起き上がり、私を見た成田さんはぽかんと口を開けた。
美形はぼやけていても間抜け顔でも美しい、なんて観察している間にその顔はみるみるうちに赤くなり、止める暇なくまた抱き締められる羽目になったのだった。