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私が高級ストッキングを履くようになって数日、伝線大作戦はどうやら終わりを告げたようだ。私の予想ではあの三人が何かしら裏から手を回したんじゃないかと。あまり深くは考えないことにしよう。
ここへ通うのも残すところ一週間、余ったストッキングはお返ししようと思っています。
それにしても、あの大量のストッキングはそれぞれ3人が別々に購入した物のようで(その姿を想像すると怖い)、色んな種類の物が買い揃えてあった。
その中でも無難な物を選んで履けば必然的に成田さんが選んだ物を履くことになり、あれ以来何となく部下1と2の機嫌が悪い。
出社と同時に二人の視線が私の足に向けられるので多分間違いないかと。一つ間違えばセクハラですよね? ていうか、履いてほしけりゃまともな物を選びなさい。
まあこの程度の波風はあってないようなものなので、このまま後一週間を無事に過ごしたい、そう思っていたけど。
今日は珍しく雪野さんがお休みだった。朝その連絡を受けた時から何となく嫌な予感がしてました。そういう予感って得てして当たるものなんですよね。
「あ、そうそう山田さん。この前、雪野と飲みに行ったらしいですね?」
後1時間程で定時、しかも明日は休み。そんなウキウキした気分を掻き消すように成田さんが話し掛けてくる。
「……はい。相談に乗ってほしいと言われて」
「そうなんですね。じゃあ、オレの話も聞いてもらえませんか?」
相変わらず綺麗だけど押しの強い笑顔ですこと。
この笑顔でお願いされて断れる人はどれだけいるだろうか? さすが元王子様。
「私じゃ成田さんの役には立てませんよ。仲井さんか今屋さんに話した方がいいんじゃないですか?」
「女性の意見が聞きたいんです。それに、山田さんは大人で理性的ですから信頼してるし。お願いします」
頭まで下げられてしまった。困った、とホワイトボードに目をやったら、そこには信じられないことが書いてあった。
今屋、直帰。仲井、午後休。
何だ、これ。つまり今日は誰もここには戻らないってことで、私の逃げ道はほぼ塞がれたってことですか……
あなたと行きたくない、とはっきり断ってもいいけど、それは社会人としてどうかと思う。後少しなんだから穏便に済ませたいし。
でもだからと言って遠回しに断っても、何だかんだ了承するまで話が終わらない気がする。
成田さんは優秀な営業マンだ、交渉はお手の物だって姿を何度も目にしてきた。
仕方ない、腹を括ろう。きっとこれが最後の山だ、乗り越えなければゴールは見えない。
「……分かりました。だから、頭を上げて下さい」
「ありがとうございます! じゃあ、オレが良く行く店を予約しておきますね」
「え、っと、それはもしかして今日、ですか?」
「はい、善は急げって言いますし」
私の最高な週末ゴロゴロ計画が……別の日じゃダメなのかと聞こうと思ったら、その前に眩しい笑顔を向けられた。
「そこは卵料理がお勧めなんですよ。山田さん、プリンは好きですか?」
「え……?」
プリンと聞いて思い浮かんだのはもちろん部下1の顔だった。
「そこの店、デザートのプリンが美味しいって女性に人気なんですよ。そう言えば、少し前の話になるんですけど、今屋にプリンを買ってくるように金を渡しておいたのにあいつ買ってこなかったんですよ。話を聞いたら買ったけど人にあげたとかで、でもあいつ誰に渡したのか口を割らなくて。それで……」
「成田さん、今日行きましょう。定時までに仕事終わらせないとですね」
「ありがとうございます。そうですね、オレも残りの仕事、片付けてきます」
……撃沈しました。
まさかあのプリンで脅されるとは。部下1のバカタレめ、何でよりにもよって成田さんに頼まれたプリンを渡すんだ。絶対今度復讐してやる。
成田さんが席に戻るのを確認して一人小さく溜息を吐く。
まあいいや、切り替えよう。嫌なことは早く終わらせるに限るし。
それにしても、王子様はプリン好き。
つい吹き出しそうになったのを咳で誤魔化して、私は目の前の仕事に取り掛かった。
成田さん行き付けの店はこれまたお洒落なバーだった。
「成田さん、私飲めないんですけど大丈夫ですか?」
これは本当の話だ。無理をして飲むと具合が悪くなるし、大体その前に眠くなる。まだ若い頃、友達と飲んだ時にその場で寝てしまって以来、飲酒は控えているのだ。
「ノンアルコールもありますよ。それにここは知り合いがやってる店なんで、アルコールがほとんど入ってないカクテルも作ってくれます。後でちょっと飲んでみませんか?」
「そうですね……」
半分上の空で返事をしながら飲み物を選んでいると、待ちきれなかったのか半ば押し切られるような形で成田さんが選んだノンアルコールカクテルを注文することになった。
それにしても、何だか雰囲気ありすぎて落ち着かない。適度に落とされた照明に静かに流れているのは良い感じの洋楽。席は観葉植物や壁でさりげなく半個室になっていて、人気店なのかまだ早い時間だって言うのに客はそれなりに入っている。
卵料理以外も美味いんですよ、という成田さんの言葉通りに、目の前に並んだ料理はすごく美味しそうだった。
よし、一先ずは食べることに集中しよう。で、変な緊張を無くして戦いに挑まなくては。
「このオムレツ、オレの大好物なんです。食べてみて下さい」
成田さんがにこやかな笑顔でさっとオムレツを取り分けてくれる。
「あ、すみません。自分で適当にしますのでお構いなく」
「オレ、こう見えて尽くすタイプなんですよ?」
目の前に置かれた皿には、綺麗に盛り付けられたオムレツの一部。私が取り分けてこの出来になるかは疑問です。
「そうなんですか。意外ですけど、女性にとっては嬉しいでしょうね」
「山田さんも嬉しいですか?」
なんか非常に攻められている気がするのは気のせいだろうか。
前途多難、とりあえず笑って誤魔化して本題に入ることにした。
「あの、それで相談っていうのは?」
「あ、そうでしたね。じゃあ、食べながら聞いてもらっていいですか?」
そうでしたね、って忘れてたんですか。
という突っ込みはせずに、お言葉に甘えて食べながら聞かせてもらうことにした。
「実はオレ、前世の記憶があるんです」
まさかの発言に、口の中で蕩けるオムレツを味わう前に飲み込んでしまった。
平然としている成田さんを、フォーク片手にまじまじと見つめてしまう。
「嘘だと思いますか? 頭がおかしいって思いますか?」
「……そんな風には思いませんけど」
一気に喉が乾いた気がして注文したカクテルもどきを喉に流し込んだ。
まさかこんなストレートに話すとは思ってなかった。
「……前世の記憶が本当かどうかは置いておくとして、成田さんの悩みはなんですか? その記憶があること自体が悩みなんですか?」
「違います。記憶があることに関しては感謝しているくらいです」
「じゃあ、何が……」
「許されないことをしたのは分かっているけど、何でもするから、何年掛かってもいいから許してほしい。いや、違うな、許されなくていいから傍においてほしい。そんな気持ちを相手に伝えるにはどうしたらいいと思いますか?」
これは、気付いてるのか。それとも雪野さんのことを言ってるのか。
考えすぎのせいか、何だか頭がくらくらしてきた。
「……まずは面と向かって謝る。その後許す許さないは相手の判断ですからね。どうしても許してほしくても、そこは相手に委ねるしかないと思います」
「そうですね、その通りだ」
数回頷きながら目を伏せる成田さんを見ながら、残りのカクテルを飲み干した。
なんて緊張感に溢れる会話なんでしょうね。本当心臓に悪い、そう思いながら一息吐いた瞬間急激に体がカッと熱くなった気がした。それと同時に強烈な眠気に襲われる。
久々でもこれは酔っていると分かる。ノンアルコールで酔う訳ないしどうしたんだろう? 考えを纏めようと思うけど、頭がどんどん前に傾いていくのを止められない。
「山田さん、大丈夫ですか?」
大丈夫な訳ないでしょう。
突っ込み虚しく、私は完全に机に突っ伏しそこで意識が途絶えた。