旅立ちは計画的に!5 王子様とお兄様
「ルイ様、妹に逃げられましたね」
「…アルフ、リアは授業だから仕方なく行ったんだよ」
「そうですか?俺の目には、大分嫌がっているように見えましたけどね」
マリアベルの後ろ姿が見えなくなると同時に現れたのは、マリアベルの兄であり、グラディウス家長子カテラント伯爵であるアルフだ。
母譲りのストロベリーゴールドの髪に、紫水晶の瞳。少し吊り上った目元には、色気が満ち溢れている。ルイが神々しい清廉な美貌ならば、アルフは現実的な、男性的魅力に溢れた美貌だ。こと、色気という観点においては、ルイを上回っているといっても過言ではない。
今も、チラリチラリと学院内の女生徒が遠巻きにこちらを見ては頬を赤く染めていた。
「君の目がおかしいだけじゃないかな?君には照れたようにはにかむ、あの可愛いリアの様子がわからなかったなんて」
「いえ、俺の目はマリアベルのことに関してだけは絶対的な正確さを誇っていますからね。…それにしても、ああ!今日は貴重な学院でのベルの様子を見ることができて俺は幸せです」
うっとりと、それだけで何人の乙女を夢中にさせるのであろう笑みを浮かべ、アルフが力説する。
毎日、仕事がどんなに忙しくても這ってでも屋敷に帰り、愛しい妹の顔を最低1日に1回は見ないと気が済まないこの宰相補佐殿をはじめ、グラディウス家の者は全員マリアベルを溺愛している。
『魔力が無ければ何もできない』、そういわれるほど、日々の生活の末端にまで魔道に支えられているこのフェルトリーリエ国において、魔力を持たず生まれてきたマリアベル。
フェルトリーリエ国においても、上位の魔力を有し、出来ないことはほとんどないといわれているグラディウス家の面々には、何もできないマリアベルはそれだけで庇護欲をそそる対象なのだろう。
加えて、あのマリアベルの愛くるしさ。自分たちとは似ても似つかない小動物を思わせる顔立ちに、家族たちはメロメロなのだ。
もっとも、マリアベルの一番の魅力は、あのどこまでも真っ直ぐな性格なのだが。
「まあそのことには同意するけどね。あーあ、いっそのこと本当に学院に無理やり編入しようかな」
「…殿下、それなら俺も一緒に入ります」
「却下。どうせ四六時中リアにべったりするつもりだろう」
「それ以外に何をしろと?」
「することないね」
ここにマリアベルがいたら、全力で他にすることあるだろ!と内心突っ込んでいたに違いない。マリアベルにとっては、許嫁のルイ様はもちろん、何かと過保護すぎるこの長兄も頭痛の種なのである。
学院の女生徒の制服は、短めの紺色のキュロットワンピースと、三角帽だ。どちらもおそろいの白と紺のストライプリボンがアクセントとして使われている。その可愛らしい制服を着たマリアベルが、隣の席で一生懸命ノートをとったり、一緒にお昼食べたり…。
「なんて愛らしいんだベル!!」
いたるところで小さな悲鳴が上がる。それもそのはずで、アルフの美しい鼻からは赤い雫が滴り落ちている。
それを心底嫌そうにチラリと見やると、ルイはさも当たり前のように言う。
「僕のリアはこの世界で一番愛くるしいに決まってるだろ」
「…まだ殿下のベルではありませんよ。私たちの、私の可愛らしい妹です」
それに、ムッとしたようにアルフが答える。顔の鼻血は、まるで最初からなかったかのように消え去っていた。
「それも時間の問題だけどね、義兄さん?」
「殿下が義弟とは恐れ多いですね。さて、それはそうと、殿下。私の言いたいことはわかりますよね?」
今までの空気を一変させ、アルフが至極真面目な、険しい顔つきをする。それに応じるように、ルイも先ほどまでの柔らかい雰囲気から、研ぎ澄まされた氷のような表情となった。
「もちろん、もう愛しいリアに悲しい顔なんかさせるつもりないよ。ああ、さっきの馬鹿どもの処分は既にしておいたから」
「手が早いですね」
「…君も既に手を回していたくせに何をいってるんだか」
今頃、あの少女たちは青い顔をしているだろう。自分たちが何に手を出してしまったのか悔やむといい。いや、あの馬鹿そうな娘たちだ。悔やむことができるような頭を持ってないかもしれない。
だいたい、マリアベルの真の価値に気が付かない馬鹿共がこの国には多すぎる。
不釣り合い?そういうならば、確かにそうだ。この僕にはマリアベルはもったいなさすぎる。そう心の底からルイは思う。
今日は本当にたまたま、学院で新しい魔道研究の報告会があり、その分野に詳しいアルフと共に来ていた。そして、あの場に出くわすこととなったのだ。
いつだって、太陽のような笑顔をしていたマリアベル。それが、あんなにも悲しそうな顔をして、曇っていた。
(リア、僕は君を笑顔にしたいんだ)
いや、笑顔だけではない。悲しむ顔も、怒る顔も、苦しむ顔さえも。全て僕の手で君に与えたい。
今はなかなか会うことが出来ないが、それもあと一か月の話。あと一か月我慢すれば、リアは僕のものになる。
「殿下、何か危ないことでも考えているんじゃないでしょうね?」
「そんなことはないよ。ただ、リアのことをね?」
2人の美しすぎる、かえって恐ろしい微笑に、そこだけ空気が凍り付いていた、などという事実を知らず、当のマリアベルは薬草学の授業で頭を抱えていた。