愛剣の名前はフロランスです。2
(フ、フロランス!!)
何時だって共にいた、頼りになる相棒はもういない。
…初めて剣を手にしたその時に、大切な相棒となるのだから名前をつけなさい、と剣の先生に言われた。
そうして、三日三晩悩みぬいて“フロランス”と、当時愛読していた乙女小説のヒロインの名前をつけたのだ。
うん、まあ自覚があったのですよ。剣を振ること自体を恥じたことはないけれど、女の子らしくはないかもしれない、と。
だからこそ、小説の中で一際乙女チックなヒロインだった“フロランス”の名前を貰った。
それから6年。ずっと愛用してきたが、まさか折れるなんて考えもしなかった。
うう、かなりショックかもしれない。だが、嘆き悲しんでいる暇はない。
(今、まさしく絶対絶命って奴だよね)
目の前の獣さんの一挙手一投足を見逃さないようにしながら、どうやって戦略的撤退を図ろうかと考える。
張りつめた空気に、ピリリと肌が刺激される。
獣さんは、そんな私の様子が面白いのか、ニヤリと口角をあげて笑った。
そして、私にチェックメイト、と言わんばかりに剣先を向けてくる。
「加護も何もないタダの剣にしてはよく持ちこたえた方だ。使い手がよかったんだな。だが、俺の神剣フェルアウストラには敵わない。さぁ、どうする?」
獣さんが手にしているのは細身の剣。特に華美な装飾等も見当たらない。
ごくごく普通の剣に見える。だが、今彼はなんて言った?
(神剣…だって!?)
それは、神々が使用したという伝説の剣だ。
かつて、この世界が人も魔も無かった時代。神々はごく当たり前のように隣にいた。
だが、魔が人を襲うようになったときに、神々は牙を持たぬ人に、自らの力の一部である剣を分け与えたのだという。
勿論数は極めて少ないし、通常は各地の迷宮の奥深くに封印されており、普通の人が手にすることはまずない。
だが、獣さんが嘘を吐いているようにはとても思えなかった。
それに、と自分の手元にある2つに折れた大剣を見る。
愛娘の手にする剣だからと、“フロランス”はロストン商会が持てる力全てを尽くして手に入れた名剣だ。
それにも関わらず、結果は見ての通り。
(強い、とは思ったけど、この男は何者なの?)
改めて、上から下まで獣さんをよく観察する。
一部の隙もないその立ち姿は、剣士としては称賛に値するものだ。
…そして、堂々とした、傲慢にすら見えるその態度は、支配することに慣れた支配階級特有のもの。
いくら服装を粗末なものに換えたとて、隠せるはずもない。
(けれど、私はこの男を知らない。…フェルトリーリエの貴族ならば嫌という程頭に叩き込まれているのに)
となれば、他国の貴族ということだろうか。
さすがに、他国の王族がこんな路地裏にいるとは…けれど、私のような“公爵令嬢”もいる訳だし。
この場を上手く切り抜けられるかは、私の一言にかかっている。そんな気がした。
「…他国で問題を起こすのはよろしくないんじゃありませんか?」
「どうして他国だと?」
動揺はまるで見えない。もしかして失敗した?急速に不安が広がるが、ふと、シャーナ姉様に叩き込まれた社交術を思い出した。
『動揺は顔には現れないわ。むしろ動揺がないことが動揺なのよ』
その言葉が本当ならば、少しも驚いたところの見せない獣さんは逆におかしいのではないだろうか。
落ち着いて、と自分に言い聞かせる。
絶対などとありえない。自分じゃない“自分”というものには、必ずどこか綻びがあるはずなのだ。
そうして、ふとあることに気が付いた。
この国の民ならば、絶対にありえないその事実に。
「…あなたからは、剣への絶対的な信頼が見て取れる。残念ながら、この国の民は魔力に馴染みきっているせいか、いくら剣の鍛練を積んだとしても、どこか剣への不信が一滴残っているのに」
真にこの国の民ならば、神剣相手に幾たびも切り結ぶことのできた“フロランス”の価値に気が付きもしなかったはずだ。
魔道具ではない、ただの剣だからこそ折れてしまったのも当然。そう考えるに違いない。
そして、神剣がいくら価値のあるものだとしても、最高の杖には叶わないと考えるだろう。
何より、高位の魔女・魔法使いのように相手の魔力を感知できないにしても、相手に魔力が無いとは思わないはずだ。だからこそ、こう言う。
折れた剣に関して『使い手の腕がよかった』、ではなく、魔法を使用していれば折れなかったのに、と。
私は推測した事実を元に、真っ直ぐ獣さんの目を見つめながら、はっきりと告げる。
すると、獣さんは一瞬大きく目を見開いた後に、盛大な笑い声をひとしきりあげると、剣を鞘へとしまった。
「っくはは、お前、本当いい女だな。ますます気に入った」
「気に入られても困ります…って、ああ!」
ふと、極度の緊張状態が少し緩和して、ようやく気が付いた。
先ほどから、獣さんは『女』って言っていることに。
…私、今一応少年の格好をしているんだけど。
長い黒髪は編みこんで、茶色の短い鬘を被り、元よりほとんど無い…いや慎ましやかな胸も念には念を入れさらしを巻き、よくある街の少年風の服を着ている。
結構自信があったのに!というか今まで誰にも気が付かれなかったのに。
「わ、私は、女じゃ」
「明らかにわかる嘘をつくな。一目見ればわかるだろ」
「なんで…」
「骨格とか違うしな。それに、俺が欲しいと思ったのに間違えるはずがない」
ぐいっと、片手で腕を引き寄せられる。ギラギラとした獣の目。逃がさない、とそれは言外に強く主張していて、本能的な恐怖を感じる。
やはり、男女の力の差、本気で抑え込まれれば…逆に獣さんを引き寄せ、背負い投げをしてやった。
油断していたのか、背中をしたたかに打ち付け苦悶の表情を浮かべる獣さんに、出来る限りの笑みを浮かべる。
「それでは先を急ぐので」
「っ、く、待て!今国境は両国が封鎖していて通れないぞ」
獣さんのその言葉に、愛剣を回収し立ち去ろうとしていた私の足が止まる。
両国共に封鎖?それはかなり不味い事態なのではないだろうか。
国境を封鎖してしまえば、人だけでなく物の移動も出来なくなってしまう。
最悪、フェルトリーリエ王国側が国境封鎖に踏み切るとしても、まさかアリスティシャ帝国側が国境を封鎖することはないと考えていた。
アリスティシャ帝国側が国境封鎖をしても、何のメリットも無いからだ。
(考えていた以上に、関係の悪化が急速に進んでいた?)
フェルトリーリエ王国側の国境は、いざとなれば強行突破でもしようと考えていた。
だが、アリスティシャ帝国側は…後々外交問題にされる可能性がある。
(今から他のルートを…ってそれはかなり難しいよね。ここまでたどり着けたのだって、奇跡的かもしれないのに)
目の前が真っ暗に、絶望で足元が崩れ落ちそうな気がした。
結局、私は、『運命の赤い糸』に負けるのだろうか。
いやだ。そんなのはいや!
少しでも現状を打開するために、情報を、と倒れこんでいた獣さんの上に馬乗りになる。
もちろん、先ほどみたいに斬りかかられたりするのを防ぐためだ。きっちりと、関節を押さえて獣さんが動けないようにする。
それにしても、獣さんは何故私が国境を越えようとしていると思ったのだろうか。
「…どうして、私が国境を越えようとしていると思ったのですか」
「俺が訳ありのように、お前にも何か訳がありそうだったからな。本当に勇者になるつもりがあるなら、とっととこの街にある教会に駆け込んでいるだろ?それなのに、お前はこの先に用があった」
確かに、街の教会は通り過ぎている。この先には、国境しかない。
そして、開き直ったように自分も訳ありだという男。
…やはり、この男油断ならない。思いがけず、関節を押さえる手に力を込める。
私が圧倒的優位に立っているはずなのに、どうしてか気分は蛇に睨まれた蛙のようだった。
すぐにでも、この下に組み敷かれてしまうのは私となってしまうかもしれない。
沈黙は肯定となるというのに、私はどうしても次の言葉が思いつかなかった。
黙り込む私に、獣さんは満足そうに目を細める。
それから、とびっきりの甘い甘い声で、
「なあ、俺はお前のことをとても気にいっている。だから、お前を助けてやってもいい」
私を惑わした。
獣さんとの話は2話で終わらせたかったのですが、ついつい3話まで伸びてしまいそうです。
次回いろいろと動く…はずです。