愛剣の名前はフロランスです。
カラリ、と乾いた晴天。時折吹く風には、かすかに砂が混じっている。
砂を固めて作った特殊な煉瓦を使用した建物が立ち並ぶこの街は、西の大国との国境にある街だ。
独自の文化を築いているとはいえ、全体として洋風のフェルトリーリエ王国において、異国情緒溢れるこのローデスの街は、異端な存在ともいえる。
だが、それだけに観光地として人気の街であったし、それなりに大きな宿場街でもあった。
しかし、現在は近年関係が急速に悪化しているアリスティシャ帝国と接しているだけあり、人の姿はさほど多くはなかった。
(…誰かいない、かなー…)
先ほどから、ぐるぐると同じような景色ばかりが続いている。
大通りの整備された街並みから一歩中に入れば、無計画に増設された建物により、複雑な路地が出来上がっていた。
ほんの少し前、軍属の魔剣士が大通りを歩いてくるのを見て、咄嗟に路地に入ったのが運の尽きだったと思う。
それから道に迷うまでにさほど時間はかからなかった。
あれから既に3日が経過している。その間、木の上で野宿をしたり、荷馬車の中に潜り込んだりと、公爵令嬢ってなんだっけ、というような生活を送ってきた。
なんとか今日まで盗賊に襲われたり、破落戸に絡まれたり、ましてや追っ手に見つかったりもせず、ついに国を出る一歩手前までやってきたのである。
そう、私は3つの選択肢のうち、この西を選んだ。
理由はただ一つ。私が公爵令嬢だから。
公爵令嬢として育てられた私が危険な道をわざわざ選ぶはずがない。さらに、父様の教えはわざわざ危険なところにはけして近づいてはいけないという危険回避論。
そのことをよく知っている家族は、私が西を選ぶとは夢にも思わないはずだ。
だが、こっちは半ば死ぬ気で家を飛び出したのだ。危険があるからといって、成功する可能性を検討もせず排除する訳がない。
(一つ解らないとしたら、ルイ様。奴がどう判断するかがまるで読めない)
私が大人しく北を選ぶと思うのか、それともあえて西を選んだと思うのか。もしくは、そのどちらも裏切って東を選んだと思うのか…。
まるで読めないからこそ、私は家族の予想を一番裏切るという点を重視した。少しでも、成功率を上げるために。
(それに、敵対国とまではいかないものの、仲の良くないアリスティシャ帝国にまで捜索の手はなかなか出せないはず)
この街を抜けてしまえば、さらに私が捕まる確率は下がる。
まあ、その前にこの迷宮のような路地裏を抜け出さなきゃいけないんだけど。
破落戸でもなんでもいいから出会わないだろうか。
―なんて、思っていたのがいけなかったのだろうか。
「っ、ひぃぃぃ命だけはどうか…!」
「あぁ?!俺のものを盗った奴の命乞いなんか認めるはずねぇだろ」
日の光も余り届かない、路地裏の奥の奥。薄汚れた空間にその二人はいた。
やっと人がいた!と喜んだのもつかの間、薄暗い中でも一瞬の光を放つ剣を見て、即座にうんざりする。
なんだかめんどくさい場面に出くわしてしまったらしい。
怯えたように後ずさる痩せこけた男と、まるで獣のような男。
獣のような男―以下獣さんと呼ばせて貰おう―は、太くくっきりとした眉に、筋の通った鼻の野性味溢れる美丈夫で、褐色の肌に覆われた見るからに筋肉質の身体は、男らしくたくましい。そんな中で、一点の汚れもない真っ白な髪が、男の高貴さを物語っているようだった。
(私には関係ない…けど)
既に見てしまった。そして、恐らく獣さんは気が付いている。
今ここで逃げ出せば、怯えた男を始末した後、目撃者である私も始末しようとするかもしれない。
それならば、と背中の大剣に手を伸ばす。
そして、獣さんが剣を振り下ろしたその瞬間に、大剣を振り投げた。
ギィイインと鈍い音がする。
丁度狙い通り2人の間の壁に上手く突き刺さったようだ。
何か奇妙な叫び声をあげて失神した、怯えた男を尻目に、獣さんがこちらを強く睨んでくる。
正直ものすごく怖い。今すぐ逃げ出したいです、はい。
「なんで邪魔した」
「邪魔、といわれても。私はこのまま去るので、私がいないところでご自由に、というのは駄目ですか?どうせ、目撃者は消すつもりなんでしょう。安心してください。私はそれどころじゃありませんので」
こんなことに巻き込まれている暇などないのだ。
私は一刻も早く国を抜け出し、教会に駆け込んで、勇者登録しなければならない。
けど、自分がやったこととはいえ、どうやって大剣を取り戻そう。今襲い掛かられたら丸腰ですからね。
一応、剣を持った相手に対する格闘技とかも習ったりはしたけれど、ものすごく不利な状況であることに変わりはない。
「…俺の命を狙ってる訳じゃないのか?」
「はぁ?!どうして私が知らない人の命なんか狙わなきゃいけないんですか。私はただの勇者志望ですよ」
こちらを探るような鋭い目付き。迸る殺気が痛い。
鍛練だけは飽きるほど積んだけれど、こうして生の実戦経験は今が初めてだ。
やばい、これが生きるか死ぬかとかいう世界なんですかヴァレント教官!
そうして、永遠とも思えるような、長い睨み合いの後、ふいに獣さんが口元を歪めた。
「まあいい。答えは剣に聞けばわかるよな?」
ぐいっと、壁から剣を引き抜き、親切にも私の足元へと剣を投げてよこす。
一瞬、不審げに眉根を寄せたのは、きっと大剣が驚くほど重かったのだろう。
(私にとっては軽いんだけどね)
まさに怪力さまさま、と言いたいところだが、他のことを考えている余裕などない。
剣を手に取ってすぐ、獣さんの剣が閃いた。
それを間一髪で避けると、すぐさま次の一撃が繰り出される。
今度はそれを剣で受け流すと、こちらもすぐさま反撃にでた。
攻撃は最大の防御。まさにその通り。
「っ、へぇ、なかなかやるな、お前」
「ええ、ですからこれでも勇者志望ですから」
何度か斬りあいを結び、近づいては離れる。その度に、重く鈍い音が辺りに鳴り響いた。
「それによく見るとお前、なかなか可愛い顔してるじゃねぇか」
「…お世辞は結構です。全く嬉しくありません」
「照れてんのか」
「照れてませんよ。自分のことはよくわかってるんで、見え透いた嘘なんかやめて欲しいだけです」
渾身の力を込めた重い一撃を打ち込む。だが、上手く力を流されてしまい、逆に反動を利用して斬りこまれた。
この男、力の使い方とでもいえばいいのだろうか。その豪胆な見た目に反して、剣の技はとても繊細で、力の配分が上手い。
(これは長引けば不利、かもしれない)
今まで剣においては敵無しだった。
だが、世界は広いのだと実感した。
緩急をつけた攻撃。実戦に手馴れている、そう思わせる剣捌き。
経験の差がありありとみてとれる。しかし、焦りは禁物だ。勝機は必ず―…。
「決めた。なぁ、お前俺の女になれ」
「はぁあああ?!嫌ですよ」
真顔でそう言ってのける獣さんに、こいつ何馬鹿なこと言ってるんだ、と思った次の瞬間。
長年愛用していた大剣は、おかしな音とともに、真っ二つに折れてしまっていた。
恋愛です。あくまでテーマは恋愛なんです。