閑話 ある日のグラディウス家 後編
美人って…いや、ものすごい美人って怒ると本当迫力とかが違うよなぁ、なんて目の前のシャーナ姉様を見てしみじみと思う。
私が怒っても、アスコット曰く『せいぜい小動物が威嚇している感じだわ』等と言われてしまうのに。
この差は一体なんなんだろう。全く失礼な話ですよ!…はい、現実逃避です。
私にはいったい何がいけなかったのかさっぱりわからないが、どうやらシャーナ姉様はたいそうご立腹らしい。
おろおろする青年ズと、私をよそに、シャーナ姉様は手元の花に素早く魔法をかける。
小さな花は一瞬青白く光った後、あっという間にかき消えてしまった。
「双子を呼び出したわ。じっくりと話があるのよ、じっくりとね」
伏し目がちに、にっこりとほほ笑むシャーナ姉様。
ああ、なんだか嫌な予感しかしない!そう思ったのもつかの間、エル姉様とレル兄様が揃って温室へと現れた。
「あら、ずいぶん早いのね」
「近くにいたから」
「私たちもマリアベルとお茶するの」
濃い金髪が温室の光を反射して輝く。違いは髪の長さと性別だけ、という鏡合わせの双子は、これまた濃い青の瞳をじっとこちらに向け、身内にしかわからない程の微かな変化で微笑んだ。
美しすぎて怖い、というのは、ルイ様をはじめ、母様や兄様、姉様、弟に共通するものだと思うが、特にエル姉様とレル兄様は無表情に見えることが多いから、よく言われる。
実態ははいたずら好きの、父様によく似た守銭奴なんだけれど。
「そう。それなら席へ、と言いたいところだけど…双子、あなたたちマリアベルにしょうもない嘘を教えたわね」
「嘘とは?」
「どれのこと?」
「…わからないほど嘘を吐いているの。全くあなたたちは…」
怒りを通りこして呆れたわ、とでもいうように、シャーナ姉様が額に手をあてクラリ、とする。
それを慌てたように青年ズたちが介抱をしていた。
「もうっ、ルイ様との、その…初夜でマリアベルが困ると思わなかったの?」
「ルイ様なら平気」
「それより、他の不埒な男に効果的だと思った」
「それは…まあそうかもしれないわね」
「それに、マリアベルを導くのも夫の仕事」
「それができないならマリアベルを嫁になんかやれない」
ぎゅっとエル姉様とレル兄様に抱きしめられる。うう、息が苦しい!
どうやら、初夜?の話で何か間違いがあったようなのだが…ルイ様は王太子だから、殴っちゃいけないとかそういう話なのだろうか。
はぁ、というかいずれルイ様との初夜もやってくるんだよね、憂鬱通り越して絶望すぎる。
あんな奴と朝まで二人っきりなんて耐えられん、まじで。
美女と野獣、まさにそんな感じですよね。もちろんルイ様が美女である。
「はいはい、わかったわ。本当双子はマリアベルが大好きね。もちろん、私もマリアベルが可愛くて仕方ないのだけれど」
ほっといたら獣に食べられてしまいそうなところにキュンときてしまうのよ、とシャーナ姉様がうっとりとした顔をして言う。
薄らと赤らんだ頬に、恍惚とした眼差し。あ、なんか今すごくぞくぞくっとしましたよ!
「さて、とベル。お勉強の続きをはじめましょうか?」
「いや、あのシャーナ姉様。私はそろそろ剣の素振りを…」
「シャーナ姉様、私も手伝う」
「マリアベルは危機感がなさすぎるから」
なんでエル姉様とレル兄様も乗り気なの!?助けを求めるも、青年ズは端から役に立たないし(シャーナ姉様を見つめて実に幸せそうですね!)、アルフ兄様は未だにぐるぐる巻きでふごふご言ってるし!
「ほら、諦めるのよベル。私が持てる技術の全てを叩き込んであげますからね」
本当に、あれはスパルタだった。というかシャーナ姉様の話の半分もまるで理解できなかったよ…。
酷く疲れた身体を、ぐったりとカウチに沈めていると、姉様ぁああああ!という叫び声が扉の外から聞こえてくる。
ああ、もう起き上がるのでさえだるくて仕方ない。
こんなことじゃシャーナ姉様に怒られちゃうなぁ、などと思いながら、ゆっくりと顔だけを動かした。
「姉様っ!あの、酷くお疲れだと姉様たちに聞いて」
「あー…うん、本当疲れた」
「その、ベル姉様の好きな月夜草のパイを作ってきたんだけど」
「ユーベ君!ありがとう!大好き!!」
ああ、ユーベの月夜草のパイは最高に美味しいんだよね。月夜草はただでさえ入手困難だし。
なんだか一気に疲れ(主に精神的な)が吹き飛んだ気がする!
「んー、美味しい!どうしてこんなに美味しく作れるの」
「あははは」
「ルイ様と結婚しても作ってくれる?」
「…むしろ嫌という程食べられるんじゃないかと」
「あー美味しいっ!もう一切れ食べてもいい?」
あと一口、一切れ、ついつい食べてしまう。この口の中で蕩ける爽やかな甘み。
王都で一番美味しいと噂のお店のパイなんかよりもはるかに美味しい。
なんかさっきユーベが何か言っていたような気もしたけど、このパイを食べているとそんなこと気にしてる余裕なんかなくなってしまう。
「姉様が全部食べていいよ」
「うそ!?本当に!?ユーベ、君は最高の弟だよ」
ううん!ほっぺが落ちる!
夢中で月夜草のパイを食べる私を優しい笑顔で見つめるユーベに、ちょっと姉として恥ずかしい気持ちになりながら、あっという間に私はパイを完食してしまった。
「…元気になった?」
「うん!最高に元気だよ!そういえば、ユーベはいつも私が疲れて落ち込んでいるときとかパイを作ってくれるよね。ありがとう」
「いえ…それより、今日はどうしたの?」
「ああ!ユーベ、聞いてよ!実はね、シャーナ姉様に社交の秘訣~夜会での遊び方~とかいうのを教わったんだけどね、その…どうやら私今まで色々間違っていたみたいで」
「色々って?」
興味深そうにユーベが軽く身を乗り出す。なんだか目が怖いような気もするが、…弟に、その教えてもいいことなのだろうか。
でも、ユーベだってあと少しで社交界デビューする訳だし、知っておいた方がいいのかもしれない。
「あのね、男女で二人っきりになった場合、朝まで殴りあいはしないらしいの」
だからといって、他にどうするかはよくわからないけれど!
私は初夜までルイ様以外の男の人と二人っきりになるなとは何度も言われてきているし、その初めて二人っきりになるということは、つまり初夜という訳で。
殴り合いをしないなら、一体何をするのかと聞いても、シャーナ姉様とエル姉様、レル兄様は、ルイ様に任せておけば大丈夫、としか言わないし。
固まるユーベに、やっぱり衝撃的だよね、と同じ気持ちを味わった者として、ユーベの気持ちが痛い程よくわかる。
「いや、本当混乱するよね。自分の信じていたものが壊された、というか」
よしよし、と普段めったに自分からは触れない弟の髪を撫でる。
…何この滑らかな指通り。私の髪と明らかに違うんですが。これも美形特殊効果とかいう奴なんですか。
「…やっぱり、僕は姉様が大好きです。ずっと、今のままの姉様でいて」
「はいはい」
なんか今日のユーベ、いつもより可愛いなぁ。
「で、ルイ様。いつになったら自分でベル姉様にパイを届けるんですか」
「…残念だけど、僕が届けたらリアは食べてはくれないと思うよ」
王城の片隅で、栽培するのがとても難しいとされる月夜草を育てているのは、世にも類まれなる美形の王子様。
真っ白な、穢れないその花びらが彼女に似ているな、と思いながら優しくその花弁を撫で上げる。
風が吹く度に、ふわりと甘やかな香りが辺りに漂った。
「今回もひどく喜んでいましたよ。美味しいって」
「そう、ならよかった」
しかめっ面をした彼女の弟がいうのだから間違いないだろう。
きっと彼女は、本当に幸せそうに笑っていたのだ。
それだけで、この空虚な胸が一杯になるような気がする。
早く、早くこの手に抱きしめたい。
その願いを嘲笑うかのように、『甘い夢』という花言葉を持つ月夜草が、ゆらりゆらりと揺れていた。