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第二話 単純

 ・・・幸せ・・か。

 僕は、今、幸せなのだろうか。僕はこの瞬間に幸せという実態のとらえどころのない観念を少しでも感じているのだろうか。得ているのだろうか。

 歩くことで得られる高揚とした今の気分はこの瞬間、幸せと呼べる種類のたぐいだろうか。時間だろうか。わかるような、わからないような曖昧とした気持ちだ。僕はそんな感情を自認させる人間的で前向きな姿勢を忘れかけている。ただの感情の起伏だ。そんな気がした。

 なにやら背筋に薄ら寒いものが込み上げてきた。

 僕、僕、僕である。つまるところ考えるに至る過程や思いの収束する結果にしても、僕は自分のことしか頭にない。そこに他人の入る余地がまるで無い。人は人と接して成長していくものだと観念としてあるのはあるのだが、僕は今のところ自我と対峙することで自分自身の向上なり生長を計ろうとしている気配がある。向上という言葉には、なにやら野心めいたうさんくさい臭いが漂うが、僕の自分に課しているひとつの約束事として、己と向き合う、己に深く知る、ということにばかり興味を覚え、そこになんら抵抗を感ずることもなく、そして、そこに恥という概念すらも覚えないのである。もちろん意識的にそれなりの社会性を発揮している自覚もあるが、そこに僕という主体性に自我がはっきりと食い込んでいるから、僕は僕の眼でしか内と外の世界を観ることができない。第三者的な客観視を失いつつあるのだ。それには常に自己嫌悪が僕の背後に付きまとっているが、なんら今の時点で自己嫌悪を経路に自己否定する悪夢の様を払拭できずにいる現状が、僕をさらに精神的に追い込む形になる。追い込まれずにはいられない僕の狭い領域だ。

 切ない空気を含んだ木枯らしの風が僕の心の内をヒュウ、と通り抜けた。

 ただひたすら苦しい。

 僕は誰もいないから両手を首にまわし、絞める真似をした。

 苦しい、などと呟いてみた。くだらなくなってすぐやめた。

 投げやりになりかけている感情を持て余し、僕はすこぶる支離滅裂だ。統一されない思考がぶんぶん五月蝿く飛び回る。ぶんぶん。

僕は頭ぶんぶん振ってみるがみごとに言葉の羅列は思考にこびり付いて離れない。

ぶんぶんぶん、僕はみごとに凝固して離れない。

 この阿呆らしさは何なのだ。

考えれば考えるほど僕はアホである、とボンヤリとした感覚が我が身にまとわり付いてくる。阿呆と馬鹿はどっちが上だろう。僕の場合はやはり馬鹿だろうか。可愛げぶってバカにしとこうか。まさに自己愛だ。鬱陶しい。

 ひとりごちて、またとぼとぼと歩き始めた。歩くついでに天空でも仰ぐ。

 重苦しい灰色の絨毯が空間を覆い尽くしていて、それは一言でいうなら混沌だ。白くも黒くもない。 

街の明かりやらネオンやらの影響で見上げる夜空はビル群に囲まれて薄ら明るいのだ。今、僕が仰いでいる空には潔さがない。軽くため息を吐く。 

 それは自分だろう。白か黒になれないのは今の空と自分と一緒であるが、決定的に違うのは空は街の明かりに照らされているが、僕は照らされてないということだ。まったくもって自分は照らされる資格がない。この徹底した差はいったいどこから来るのか。 

 僕は天を恨んだ。潔くないのに照らされるなんてどういう了見だ。まぁ、仕方の無いことか。空に当たってもしょうがない。だいたいにおいて僕は周りの情景に自分を置き換えて一致させようとする短絡的傾向がある。そして僕は自分で自分をバカと認めてもそれは仕方の無いことなのだ。

 多少、気が楽になった。僕はアホではなくバカだ。それも可愛げのないバカだ。バカの許せるところは可愛らしさにあると思うが僕には愛嬌すらない。愛嬌が・・ない。愛嬌が・。だから何なのだ。人間には居直る、という能力があるが、僕はその術を今から使うべきだ。そしてその能力を恥じらいもなく居直って利用する素質が僕にはあると思う。

 ああ、なんだかすこぶる寂しくなってきた。この気持ちの根源はなんなのだ。人は生まれても死んでも孤独なのだ。僕は自己憐憫に感情を支配されそれに抵抗できずに、ただ流されるままだ。自分の気持ちを他の人と分かち合う、共有できない瞬間があるのは人はやはり孤独な生き物であるという証拠なのではないか。僕はバカですと声を大にしてに公言したい。そして「確かにそうだね」と言われてみたい。確認して確信したい。そうすれば僕は僕らしくバカなりに慎ましく生きていけそうな気がする。結局はそれだけの人間だと判れば自分の可能性など探さずに淡々と生きていくしかないのだから。その中に一片の潔さを見つけてそれに従って頼っていくしかないのだから。絶望の淵に何もこの世に残しえない人間として生きていくしかない。

 ここでまた、ふ、と思った。

 なぜ人に頼る?誰かに何かを言ってもらって僕は自分の生き方を決めるのか?お前はそんな奴なのか?

 ・・全然潔くないではないか!

 僕は僕のことしか思わないと言いながらなぜ甘える時だけ他人の入る隙間の余地があるのか。僕はまさにそこに人間のご都合主義を垣間見た気がした。人間の性能はある意味すばらしい。都合のいい時だけその嫌らしい部分を引き伸ばすことができるのだ。とりあえず認めるべきか、これは弱さだ。弱者であり卑怯者、あるいは怠慢に通ずるとでも言おうか。だからこそ人は弱さを強く持ったまま生きていけるのか。怠慢といえば、この足だ。先ほどから僕の足は基本的動作が少し鈍くなってきている。だが家は近い。怠慢という言葉を惰性に置き換えて、僕はひたすら油の切れかけた機械のように惰性で動く。膝を振り上げて、歩く。我が家を目指して。

 いや、目的は家ではない。歩くことだ。歩くことで得られる知的興奮を経路に僕が何者であるかを知ろうとする実験的試みを試したのだ。それによってわかったのは、自己否定とそれに通ずる自己愛、そしてそこから微かに滲み出てくる肯定的居直り。莫迦らしい。僕は以外と他の人間と変わらない、単純な人間なのだ。


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