表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雪解けの空に羽ばたいた。  作者: 津森太壱。
【それはいつかの閉ざされた扉。】
8/14

01

懲りずに描いております。

アノイとレムニスの物語、楽しんでいただけたら幸いです。





 叫び声が、部屋中に響く。

 眠っていた者を起こすその声は、ひどく悲しい泣き声。

 なんだか一緒に泣いてしまいたくなる、そんな悲痛な叫び声。


 ここから出して。

 暗い、寒い、怖い。

 母さま、父さま、兄さま。

 お願い。

 ここから出して。

 ひとりにしないで。

 一緒にいて。


「だいじょうぶ……だいじょうぶですよ、アノイさま」


 泣き叫ぶ声には誰もが耳を閉ざしたくなる。

 それはあまりにも悲しいから。

 あまりにも寂しいから。

 もう一緒に泣いてしまおうと、誰もが思うだろう。

 だから一緒に泣く。


 ここは暗いね、寒いね、暗いね。

 悲しいね。

 寂しいね。


「ひとりに…っ…しないで」


 ひとりはいやだね。


「おねがい……っ」


 縋りついてくる手を、どうして突き放せるだろう。

 そんなことできやしない。


「だいじょうぶ、僕がいます……僕を思い出して、アノイさま」


 ぎゅっと、抱きしめてやりたい。

 だから強く抱きしめる。

 頬をいくつも伝って落ちていく涙をそっと掬い、落ち着かせるようにゆっくり撫でる。虚空に見開く目を覗き込み、じっと、光りが戻るまで待つ。


 ああどうして、こんなことになったのだろう。


「アノイさま……」

「……れ、む」

「はい、アノイさま」

「いっしょ、に……いて」

「ずっと一緒にいますよ」


 離れてしまわないように抱き込んで、苦しいくらいに腕に力を込めて、いとしい人を自分の中に閉じ込めた。











 誰かがアノイを「バケモノ」と言った。それは呟きにも近い小さなものだったが、レムニスには確かに聞こえた。レムニスの隣にいたアノイにも、きっと聞こえただろう。


「だいじょうぶですか、アノイさま」

「……なにが」


 それは虚勢なのか、そうでないのか。

 アノイは飄々と、景色を楽しんでいるように見えた。


「アノイさま、手を」

「ん?」

「手を繋ぎましょう」

「……うん」


 差し伸べた手のひらに、アノイの小さな手のひらが乗る。ぎゅっと握りしめて、前を向いた。


「行きましょう」

「ああ……温かいな」


 笑ったアノイにほっとして、レムニスはその手を引く。

 アノイがあちこち見ながら歩くので、足許が疎かになって、ときどき躓いた。そのたびレムニスも巻き添えになって、ふたりして転びそうになる。笑い声を上げたアノイに、レムニスは微笑んだ。

 アノイはほとんどを王城内か魔導師団棟で過ごすせいか、城下をあまり知らない。王城内でも迷うことがしばしばあるらしく、城下は迷路だと言っていた。それでどうやって地方任務についていたのかというと、方角と街の名前だけ憶えて、空路を移動の主としていたという。土の道を、あまり歩いたことがないらしい。


「石の道は、よく歩いたが」

「石の道?」

「城内のほとんどが、石の道だろう?」

「ああ……そういえば、そうですね」

「城は、もともと岩窟だった場所に、切り開いたうえで増築という手法が用いられている」

「聞いたことがあります。城が上段にあるのは、基盤にもともとあった岩を使っているからだと」

「だから、地下には石の道しかない。壁も、天井も、石……岩なんだ。わたしが自由に歩ける道は、それしかなかった」


 アノイが語った過去に、レムニスは眉をひそめた。

 なんともなさそうに話しているアノイだけれども、その過去はつらいものであるはずだ。つらいことはすべて、忘れて欲しいと思う。今を、幸せに生きて欲しいと思う。


「これからはたくさん、僕と土の道を歩きましょう」

「ん? うん、そうだな」

「あと少しで僕の実家です。父は少し前に身体を壊して、今は兄が跡を継いでいますが」

「……レム」

「はい、なんです?」


 立ち止まったアノイに合わせて、レムニスは視線を少し下げて振り返る。上位貴族にある最高位の魔導師は、まっすぐな双眸をレムニスに向けてきた。


「わたしはわがままになる」

「……はい、どうぞ」

「いいのか?」

「いくらでも」

「本当に?」

「お忘れですか、アノイさま。僕がアノイさまに、求婚したのですよ?」

「わたしは……長くないぞ」


 それを言葉にするために、いったいどれだけの勇気を振り絞ったのか、それは握った手のひらが伝えてくれる。アノイの手は、小刻みに震えていた。それが恐怖なのか、それとも悲哀なのか、どちらもなのか。

 レムニスはアノイを軽く引っ張った。


「僕はあなたと一緒にいます」

「……レム」

「やっと、あなたを手に入れた……僕の気持ちが、わかりますか」

「でも、レム……」

「これは僕のわがままです。僕はあなたが、アノイさまが……どうしようもなく、好きなのです」


 だから囚われてくださいと、捕えてくださいと、レムニスは微笑んだ。

 あなたが持つ恐怖、悲哀、愁嘆を、すべて分け与えて欲しい。そうすることで、あなたが幸せに笑ってくれるなら、すべて与えてくれてもかまわない。


「あなたは、僕の魔導師……僕だけの、いとしい人」

「レム……」

「あなたが消えるというなら、僕も消えましょう。あなたと共に」


 繋いだ手を持ち上げて、指先にそっと口づけを贈る。ぎゅっと握ってきたアノイは、その双眸を潤ませていた。


「レム……レム、わたし、泣きたい」

「ええ、どうぞ」


 レムニスはアノイをさらに引き寄せて、小さな身体をいとも容易く抱き上げた。

 ぐすぐすと泣き始めた魔導師は、必死な力で、レムニスにしがみついてくる。

 この瞬間が幸せだと思うレムニスは、おかしいだろうか。

 自分の腕の中で、幸せだと泣く魔導師を、いとしいと思うのはおかしいだろうか。

 おかしくてもいい。

 狂っていてもいい。

 レムニスはそれでも、ただ、ひたすらに、アノイがいとしい。



 それだけなのに。


「ばかを言うな、レムニス!」


 アノイの目の前で、レムニスは父に殴られた。


「レム!」

「アノイさまはそこで。動かないでください」

「でも、レム……っ」

「だいじょうぶですよ、アノイさま」


 殴られた頬をさすりながら、レムニスは怒号する父、リクスン・オルシアを見据えた。


「なにを言われようと、もうこれは、済んだことです」

「命の狂った魔導師を、言われるがままもらい受けたというか!」

「いいえ。自ら望んで、妻に、迎えたのです」

「ばかを言うな!」


 二発めが飛んでこようとしたとき、それを、兄ミクニが止めた。リクスンの体調を慮ってのことだった。


「父上、それ以上はお身体に障ります。それに……魔導師どのに失礼な発言かと」

「そんなこと、わたしには関係ない!」

「父上、これは陛下からの勅命です。レムニスは、楽土の魔導師どのを妻に迎えた。これは変えようのない事実、そうではありませんか」

「わたしは認めん! 命の狂った魔導師など……そんな、バケモノを……っ」

「父上」


 ミクニはリクスンの言葉を遮り、落ち着かせるように椅子へと促した。そのあと、レムニスを見やって、部屋を出て行けと暗に伝えてくる。

 だが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。


「取り消してください」

「レムニス、父上を刺激するな」

「兄さん、僕は父さんに話をしているのです」

「レムニス!」


 言うことを聞け、と牽制してくるミクニを無視して、レムニスはリクスンを睨む。


「アノイさまを侮辱する言葉は、許せません。今の言葉を、取り消してください」

「それはバケモノだろうが!」

「……なにも知らないあなたに、罵れる言葉があるとは不思議です」

「なんだとっ?」

「アノイさまのなにを、父さんは知っているのですか。なにも知らないくせに、アノイさまを侮辱しないでください」

「おまえ……っ」


 レムニスは、状況に怯えを見せるアノイを引き寄せた。


「アノイさまは、申し分ない、わが妻です」


 いつものように抱き上げると、アノイは意外にも、しがみついてきた。レム、と舌足らずにレムニスを呼び、首許に顔を埋める。

 込み上げたいとしさに、レムニスは頬を寄せた。


「わがままになってくれて、ありがとうございます」


 ああどうして、この人を手放せるだろう。こんなにも自分を求め、必要としてくれる人を、どうしてひとりにできるだろう。


「レムニス」

「……なんですか、兄さん」

「あとで話がある」

「僕にはもうありません。アノイさまを侮辱した言葉を取り消してくれるなら、別ですが」

「それも含めて、話がある。今日は泊まれ」

「帰ります」

「レムニス。ここはおまえの家だぞ」

「父さんは、もうそう思っていないようですよ」


 顔を真っ赤にし、肩で息をするほど興奮しているリクスンは、もはや目を回す寸前だ。


「とにかく、今日は泊まれ。父上、よろしいですね」

「そんな奴のことはもう知らん!」

「父上」

「勝手にしろ!」


 怒鳴りつけたのを最後に、リクスンは、宥めようとしたミクニの腕を振り払って、部屋を出て行った。

 その姿に、ミクニはため息をつく。


「どうも、頭が固い……」

「兄さんも、充分ですよ」

「……そうらしいな」


 リクスンを見送ったミクニの双眸は、リクスンと同じだった。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ