01
懲りずに描いております。
アノイとレムニスの物語、楽しんでいただけたら幸いです。
叫び声が、部屋中に響く。
眠っていた者を起こすその声は、ひどく悲しい泣き声。
なんだか一緒に泣いてしまいたくなる、そんな悲痛な叫び声。
ここから出して。
暗い、寒い、怖い。
母さま、父さま、兄さま。
お願い。
ここから出して。
ひとりにしないで。
一緒にいて。
「だいじょうぶ……だいじょうぶですよ、アノイさま」
泣き叫ぶ声には誰もが耳を閉ざしたくなる。
それはあまりにも悲しいから。
あまりにも寂しいから。
もう一緒に泣いてしまおうと、誰もが思うだろう。
だから一緒に泣く。
ここは暗いね、寒いね、暗いね。
悲しいね。
寂しいね。
「ひとりに…っ…しないで」
ひとりはいやだね。
「おねがい……っ」
縋りついてくる手を、どうして突き放せるだろう。
そんなことできやしない。
「だいじょうぶ、僕がいます……僕を思い出して、アノイさま」
ぎゅっと、抱きしめてやりたい。
だから強く抱きしめる。
頬をいくつも伝って落ちていく涙をそっと掬い、落ち着かせるようにゆっくり撫でる。虚空に見開く目を覗き込み、じっと、光りが戻るまで待つ。
ああどうして、こんなことになったのだろう。
「アノイさま……」
「……れ、む」
「はい、アノイさま」
「いっしょ、に……いて」
「ずっと一緒にいますよ」
離れてしまわないように抱き込んで、苦しいくらいに腕に力を込めて、いとしい人を自分の中に閉じ込めた。
誰かがアノイを「バケモノ」と言った。それは呟きにも近い小さなものだったが、レムニスには確かに聞こえた。レムニスの隣にいたアノイにも、きっと聞こえただろう。
「だいじょうぶですか、アノイさま」
「……なにが」
それは虚勢なのか、そうでないのか。
アノイは飄々と、景色を楽しんでいるように見えた。
「アノイさま、手を」
「ん?」
「手を繋ぎましょう」
「……うん」
差し伸べた手のひらに、アノイの小さな手のひらが乗る。ぎゅっと握りしめて、前を向いた。
「行きましょう」
「ああ……温かいな」
笑ったアノイにほっとして、レムニスはその手を引く。
アノイがあちこち見ながら歩くので、足許が疎かになって、ときどき躓いた。そのたびレムニスも巻き添えになって、ふたりして転びそうになる。笑い声を上げたアノイに、レムニスは微笑んだ。
アノイはほとんどを王城内か魔導師団棟で過ごすせいか、城下をあまり知らない。王城内でも迷うことがしばしばあるらしく、城下は迷路だと言っていた。それでどうやって地方任務についていたのかというと、方角と街の名前だけ憶えて、空路を移動の主としていたという。土の道を、あまり歩いたことがないらしい。
「石の道は、よく歩いたが」
「石の道?」
「城内のほとんどが、石の道だろう?」
「ああ……そういえば、そうですね」
「城は、もともと岩窟だった場所に、切り開いたうえで増築という手法が用いられている」
「聞いたことがあります。城が上段にあるのは、基盤にもともとあった岩を使っているからだと」
「だから、地下には石の道しかない。壁も、天井も、石……岩なんだ。わたしが自由に歩ける道は、それしかなかった」
アノイが語った過去に、レムニスは眉をひそめた。
なんともなさそうに話しているアノイだけれども、その過去はつらいものであるはずだ。つらいことはすべて、忘れて欲しいと思う。今を、幸せに生きて欲しいと思う。
「これからはたくさん、僕と土の道を歩きましょう」
「ん? うん、そうだな」
「あと少しで僕の実家です。父は少し前に身体を壊して、今は兄が跡を継いでいますが」
「……レム」
「はい、なんです?」
立ち止まったアノイに合わせて、レムニスは視線を少し下げて振り返る。上位貴族にある最高位の魔導師は、まっすぐな双眸をレムニスに向けてきた。
「わたしはわがままになる」
「……はい、どうぞ」
「いいのか?」
「いくらでも」
「本当に?」
「お忘れですか、アノイさま。僕がアノイさまに、求婚したのですよ?」
「わたしは……長くないぞ」
それを言葉にするために、いったいどれだけの勇気を振り絞ったのか、それは握った手のひらが伝えてくれる。アノイの手は、小刻みに震えていた。それが恐怖なのか、それとも悲哀なのか、どちらもなのか。
レムニスはアノイを軽く引っ張った。
「僕はあなたと一緒にいます」
「……レム」
「やっと、あなたを手に入れた……僕の気持ちが、わかりますか」
「でも、レム……」
「これは僕のわがままです。僕はあなたが、アノイさまが……どうしようもなく、好きなのです」
だから囚われてくださいと、捕えてくださいと、レムニスは微笑んだ。
あなたが持つ恐怖、悲哀、愁嘆を、すべて分け与えて欲しい。そうすることで、あなたが幸せに笑ってくれるなら、すべて与えてくれてもかまわない。
「あなたは、僕の魔導師……僕だけの、いとしい人」
「レム……」
「あなたが消えるというなら、僕も消えましょう。あなたと共に」
繋いだ手を持ち上げて、指先にそっと口づけを贈る。ぎゅっと握ってきたアノイは、その双眸を潤ませていた。
「レム……レム、わたし、泣きたい」
「ええ、どうぞ」
レムニスはアノイをさらに引き寄せて、小さな身体をいとも容易く抱き上げた。
ぐすぐすと泣き始めた魔導師は、必死な力で、レムニスにしがみついてくる。
この瞬間が幸せだと思うレムニスは、おかしいだろうか。
自分の腕の中で、幸せだと泣く魔導師を、いとしいと思うのはおかしいだろうか。
おかしくてもいい。
狂っていてもいい。
レムニスはそれでも、ただ、ひたすらに、アノイがいとしい。
それだけなのに。
「ばかを言うな、レムニス!」
アノイの目の前で、レムニスは父に殴られた。
「レム!」
「アノイさまはそこで。動かないでください」
「でも、レム……っ」
「だいじょうぶですよ、アノイさま」
殴られた頬をさすりながら、レムニスは怒号する父、リクスン・オルシアを見据えた。
「なにを言われようと、もうこれは、済んだことです」
「命の狂った魔導師を、言われるがままもらい受けたというか!」
「いいえ。自ら望んで、妻に、迎えたのです」
「ばかを言うな!」
二発めが飛んでこようとしたとき、それを、兄ミクニが止めた。リクスンの体調を慮ってのことだった。
「父上、それ以上はお身体に障ります。それに……魔導師どのに失礼な発言かと」
「そんなこと、わたしには関係ない!」
「父上、これは陛下からの勅命です。レムニスは、楽土の魔導師どのを妻に迎えた。これは変えようのない事実、そうではありませんか」
「わたしは認めん! 命の狂った魔導師など……そんな、バケモノを……っ」
「父上」
ミクニはリクスンの言葉を遮り、落ち着かせるように椅子へと促した。そのあと、レムニスを見やって、部屋を出て行けと暗に伝えてくる。
だが、ここで引き下がるわけにはいかなかった。
「取り消してください」
「レムニス、父上を刺激するな」
「兄さん、僕は父さんに話をしているのです」
「レムニス!」
言うことを聞け、と牽制してくるミクニを無視して、レムニスはリクスンを睨む。
「アノイさまを侮辱する言葉は、許せません。今の言葉を、取り消してください」
「それはバケモノだろうが!」
「……なにも知らないあなたに、罵れる言葉があるとは不思議です」
「なんだとっ?」
「アノイさまのなにを、父さんは知っているのですか。なにも知らないくせに、アノイさまを侮辱しないでください」
「おまえ……っ」
レムニスは、状況に怯えを見せるアノイを引き寄せた。
「アノイさまは、申し分ない、わが妻です」
いつものように抱き上げると、アノイは意外にも、しがみついてきた。レム、と舌足らずにレムニスを呼び、首許に顔を埋める。
込み上げたいとしさに、レムニスは頬を寄せた。
「わがままになってくれて、ありがとうございます」
ああどうして、この人を手放せるだろう。こんなにも自分を求め、必要としてくれる人を、どうしてひとりにできるだろう。
「レムニス」
「……なんですか、兄さん」
「あとで話がある」
「僕にはもうありません。アノイさまを侮辱した言葉を取り消してくれるなら、別ですが」
「それも含めて、話がある。今日は泊まれ」
「帰ります」
「レムニス。ここはおまえの家だぞ」
「父さんは、もうそう思っていないようですよ」
顔を真っ赤にし、肩で息をするほど興奮しているリクスンは、もはや目を回す寸前だ。
「とにかく、今日は泊まれ。父上、よろしいですね」
「そんな奴のことはもう知らん!」
「父上」
「勝手にしろ!」
怒鳴りつけたのを最後に、リクスンは、宥めようとしたミクニの腕を振り払って、部屋を出て行った。
その姿に、ミクニはため息をつく。
「どうも、頭が固い……」
「兄さんも、充分ですよ」
「……そうらしいな」
リクスンを見送ったミクニの双眸は、リクスンと同じだった。