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雪解けの空に羽ばたいた。  作者: 津森太壱。
【さみしいと泣くあなたの声。】
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02





 自分の命が残り少ないのだと気づいたのは、唐突だった。それはアノイに解放の喜びを与え、同時にとても深い悲しみを与えた。

 愕然とした。

 ここまで永らえた命、それが、出逢うべくして出逢った人とは僅かな時間しか、与えてくれない。


 力なく蹲ると、近くにいた同胞が心配してそばにきた。


「どうした、楽土」


 アノイに合わせて屈んだのは雷雲の魔導師ロザヴィン、声をかけてきたのは堅氷の魔導師カヤ、ふたりともアノイと同じようにバケモノと罵られるような力を持った魔導師だ。


「力が出ない」


 項垂れながらそれを言うと、「はあ?」とロザヴィンは大袈裟に首を傾げ、カヤはため息をついた。


「だから無理はするなと言っただろうが」

「おい堅氷、そりゃどういう意味だよ」

「気づかないのか、雷雲」

「は? なにが?」

「楽土は力が弱くなっている」

「んなこたぁ知ってるよ。だって、ばーさんだしな? こんなでも」


 ばーさんとは失礼な、とロザヴィンの頭を拳で叩く。確かにロザヴィンより、カヤより、遥かに歳上だ。それは否定しない。


「いってーな。おぶってやんねぇぞ。背中貸してやろうと思ったのに」

「貸して」

「堅氷に頼め」


 ふん、とそっぽを向いたロザヴィンが立ち上がってしまう前に、アノイはその背中に飛びついた。


「ぅお! 危ねぇことすんなよ!」


 文句を言ってきたが、だからといって背中を占拠したアノイを振り落とすことはなく、きちんと背負い直してくれる。口は悪いがいい奴だ。


「……楽土」


 アノイとロザヴィンのやり取りと見ていたカヤが、森色の双眸を細め、心配するように見つめてきた。


「続けるのか」


 その問いに、なにを、とは訊かない。代わりに、ふっと唇を歪めた。


「緑には抗えない」

「その官服を脱ぐことはできる」

「これを脱いでも……わたしが、変わることはない」

「やめろ」


 もう充分だ、とカヤは言う。

 歩き出したロザヴィンの、その背に揺られながら、アノイは首を左右に振る。


「わたしは魔導師だ」

「あの宰相補佐を、悲しませるだけだ」


 レムニスのことを引き合いに出されて、一瞬だが息を呑む。


「……レム」


 その顔を、その声を、その優しさをちらりと思い出すだけで、いつも心が温まる。もうレムニスなしでは、たぶん生きられない。

 ああもしかしたら、だから漸く長い生から解放されようとしているのかもしれない。

 だとしたら、なんて、寂しいことだろう。

 あんなに長かったのに。

 こんなに長いのに。

 だから終わりがくるなんて、なんて寂しいのだろう。


「なあ、なんでオルシア子爵の末子が出てくんだ?」


 場違いな言葉を、ロザヴィンがカヤに問う。カヤは呆れたように再びため息をついていた。


「察しろ」

「はあ?」

「無粋だぞ、雷雲」

「なにが。楽土が魔導師辞めねぇのと、オルシア子爵の末子は関係ねぇだろ」

「……わかって言っているのか?」

「楽土がオルシア子爵の末子に恋慕? んなの、見りゃわかんじゃねぇか。あっちなんか明け透けだし」

「わかっているのか……紛らわしい」

「どこがだよ」

「どちらがいい選択だと思う、雷雲?」


 カヤに問われて、ロザヴィンが深々と息をつく。

 ゆらりと大きく揺れたと思ったら、ロザヴィンが大きく顔を逸らしてアノイを見やっていた。


「なんだ?」

「……あんた、どうしたいよ?」

「緑には抗えない」

「違え。おれは、どうしたいかって、訊いてんだ」

「どうって……」


 そんなの、と思う。

 そんなの、選びようがないものだ。もう自分が長くないとわかっても、魔導師は緑の法則に抗うことなどできない。抗って生きようとしても、それは本能的に封じられる。どうしたって魔導師は、緑と共に在ろうとする。

 どうしたいかと言われても、それはもう決まっている。

 変えようがない。

 選びようがない。

 けれども。


「レムと一緒にいる……レムと、一緒にいたい」


 出逢うために産まれたのなら、一緒に生きたいと、願って当然だ。それを夢見ても、間違いなわけがない。


「なら、オルシア子爵の末子なんか、関係ねぇよ」


 ばっさりと言い切ったロザヴィンは、顔を正面に戻して、歩を進める。


「なぜそう言い切れる、雷雲」

「あんたこそ察しろよ、堅氷」

「なにを?」

「魔導師って、なんだ?」


 問いに、カヤが口を噤む。ロザヴィンは「はっ」と笑った。


「あんたも楽土も、よくわかってんじゃねぇの? 魔導師が、なにかってよ」


 なあ、とロザヴィンに賛同を求められる。


 魔導師とはなにか。

 魔導師とは、なに、か。


「……ふっ」


 急に込み上げた笑いに、アノイは肩を震わせた。


「そう……だな。魔導師は、魔導師だ」


 もともと魔導師は、こうして国に仕えていても、緑に従う。それは国の意思に、女王の命令に従わないこともあると、そういうことだ。


「おれたちには、どうしようもできねぇことがある……それなら、我儘になるしかねぇんだよ、たった一つのことでも……それがどうしても欲しいもんなら、なおさら」


 魔導師だから、抗えないものがある。本能にも似たそれに、魔導師は逆らうことができない。

 それなら、抗わなければいい。逆らわなければいい。

 魔導師で在り続けることに疑問を抱く必要など、ない。


「だが、それでは……魔導師を想う者たちが」

「堅氷」


 カヤが言おうとしたことを、ロザヴィンはその名を呼ぶことで押し止めた。


「二つの選択肢のうち、一つしか取れねえ……なんて、誰が言った?」

「だから我儘になれと?」

「おれたちにはそれが必要だ。なあ楽土、そう思わねえ?」


 そうだな、とアノイは頷いた。


「我儘になって、いいんだよな……?」

「じゃねぇと人生損するぜ?」


 ははっ、とロザヴィンは笑い、背中のアノイを揺らす。カヤは複雑そうにしていた。


「なあ堅氷、だからさ……あんたも我慢すんなよ。素直になれよ、楽土とか、おれみたいにさ」

「おれはおまえのそれに賛同することはできない」

「あったま硬ぇなあ。まあいいけど。それが、あんたの選択なんだろうし」


 もうここまででいいよな、と言ったロザヴィンに、背中から下ろされる。ロザヴィンがアノイを背から下ろしたのは、目的地に着いたことと、ロザヴィンを迎えに現われたらしい小さな子どもがよたよたと走ってきたからだ。


「おまえの子どもか、雷雲」

「違ぇよ。堅氷じゃあるめぇに……孤児院の餓鬼だよ。懐かれた。行けって言っても離れねぇから、仕方ねぇそばに置いてる」

「孤児院の……そういえば、エリクはどうしている?」

「さあな。そこらへんにいんじゃねぇの」


 魔導師が揃っているのに怖気づくことなくまとわりついてきた子どもを、ロザヴィンは腕に抱いて「じゃあな」と、言いたいことだけ言って自分の住処へと帰っていった。

 カヤとふたりでその場に残って、アノイは遠ざかっていくロザヴィンの後ろ姿を見送る。


 あんなふうに、言いたいことを言ってしまえば、いいのだろうか。


「……堅氷」

「なんだ」

「わたしは、レムに出逢えて、幸せだと思う」

「……そうか」

「おまえは?」


 振り向いて見たカヤは、そっぽを向いていた。


「堅氷、おまえは陛下に出逢えて、どうだ?」

「……ここで言うことではない」

「わたしは、雷雲の言うとおりだと、思う」

「なら好きにすればいい」


 くるりと踵を返したカヤは、不機嫌そうな背中をアノイに見せる。立ち去ろうとするその背を、アノイは呼び止めた。


「おまえだって、欲しかったんだろう? 陛下が、おまえにとって、救いだったんだろう?」


 問えばカヤは、その足を止めた。


「おれにとってユゥリアは自由だ」

「じゆう?」

「夢を見る自由が、ユゥリアだ」


 なにかを求めるように、カヤが空を仰ぐ。


「おれがユゥリアに残せるものがあるのなら……ユゥリアがおれを望んでくれるなら……そのすべてをユゥリアに」

「……わたしにとって、それが、レムだ」

「悲しませるだけだ。おれみたいに」

「たとえそうだとしても、おまえは選んだ。わたしも、選ぶ」


 同じなのだと、思った。カヤも、アノイも、ロザヴィンだって、迷うところは同じで、選ぶものもきっと同じなのだ。

 だから考えて、考えて悩み抜いて、その答えに辿り着く。


「……寂しいな、堅氷」


 少しだけ、声が震えた。


「ああ……寂しいことだ」


 カヤの呟きにも似た声が、風に流される。


「わたしはこの寂しさに、負けてしまうかもしれない」

「……それを、選ぶんだろう?」

「ああ。それが、幸せでもあるから」

「寂しくても幸せなら、それでいいとおれは思う。おれはユゥリアに出逢えたことを、否定したくない」

「同じだ。わたしも、レムに出逢えてよかった……魔導師とは、厄介な生きものだな」

「……本当に、厄介だ」


 ただの人ではいられなくて、けれども魔導師で在り続けることも苦しくて、中途半端な場所に立って。

 これが乗り越えなければならない壁なら、その先にあるものをなにがなんでも手に入れなければ、人でも魔導師でもないままで終わってしまう。そんな虚しい生の中には、いたくない。


「楽土」

「ん?」


 ちらりと振り向いたカヤが、目を細めた。


「無理はするな。おれはそれしか言えない」

「……堅氷」

「おまえが生きたその時代が、どんなものであったかなどおれにはわからない。だが今この時代は、誰もおまえを否定しない。ユゥリアが作る世で存分に生きろ、楽土の魔導師」


 そう言うと、カヤは完全にアノイに背を向け、行ってしまった。


 ひとりだけ残されたアノイは、カヤに言われたことを反芻し、ふっと微笑む。


「最期まで、レムと一緒にいる……でも」


 ぽたりと、頬を伝った雫が地面に落ちた。


「寂しいよ……レム」


 魔導師として生きよう。人として生きよう。そのどちらも選んでも、寂しさだけは変わらない。

 永らえた命が、終わろうとしていることが。


「レム……レム、レム」


 出逢うために産まれてきたのだと思った。

 出逢うために生き永らえたのだと思った。

 とても幸せなことだ。

 こうして出逢って、長い生から解放されるのだから。

 それでも。

 感じた寂しさを拭うことはできない。


「れむぅ……」


 残りの時間すべて、あなたと共にあろう。

 それが、幸せなことだから。

 こぼれた涙をあなたに贈ろう。

 それがわたしの我儘だから。







読んでくださりありがとうございます。


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