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雪解けの空に羽ばたいた。  作者: 津森太壱。
【さみしいと泣くあなたの声。】
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01





「れむ……レムぅ」


 夜も更け、自分が自由にできる時間を使って読んでおきたい本に目を通していたら、自分を呼ぶ声がした。


「アノイさま?」


 本を卓に置いて立ち上がり、声が聞こえた扉へと向かう。こんな夜更けにどうしたのだろうと思いながら開けた扉の向こうには、いとしい小さな魔導師がいた。その顔は涙に濡れていて、思わずぎょっとする。


「どうしたのですか」


 慌ててその魔導師、楽土の魔導師と渾名されるアノイに手を伸ばすと、アノイも両腕を伸ばしてきた。


「レムぅ……」


 ぐずりながらレムニスの懐に入り込んできたアノイは、抱っこしてと言わんばかりにレムニスに強くしがみついてくる。

 いったいどうしたというのだろう。

 首を傾げながら、レムニスはアノイを抱き上げた。


「アノイさま」

「レム……れむぅ」


 舌足らずに名を呼ばれるのは、なんというか、身体にズンとくるものがある。それに耐えながら、レムニスはアノイを部屋に招き入れ、抱えたまま椅子に腰を下ろした。


「なにを、泣いておられるのですか?」


 静かに問うも、アノイはレムニスを呼ぶばかりで、問いには答えない。落ち着くまで待ったほうがいいかと、レムニスはアノイが泣き止むようにと背を撫ぜた。


 アノイの泣き声が落ちついたのは、レムニスの腕にあやされて一刻ほど経ってからだった。


「なにを泣いておられたのですか?」


 頃合いを見計らって訊ねると、アノイはレムニスの胸に顔を押しつけて涙を拭った。


「さみしい」


 ぽつりとこぼされた言葉に、レムニスは当然、瞠目した。


「さみしい、レム」


 ぐりぐりと顔を押しつけてくるアノイを、反射的に抱きしめる。

 なんてことを言うのだと、思った。


「寂しいから、僕のところに?」


 鼓動が早まる。この音をアノイはどう思うだろうと、考える余裕なんてなかった。


「レムのところにいる」


 ひしとしがみついてくる腕を、拒んだことは一度もない。拒もうと思うことすらない。むしろ、もっと強くていい。


「なんてことを……アノイさま」


 この可愛い生きものはなんてことを言うのだと、レムニスは本気で思った。アノイが百年以上も生きているなんて、絶対に嘘だ。アノイに比べたら一握りしか生きていないレムニスに、可愛いと思わせる歳上なんていない。

 いとしさが溢れて死にそうだ。

 このいとしい生きものをどうしてくれようと、本気で悩む。


「レムのそばにいたい。レムの……レムの、そば」


 ぎゅうっとしがみついてくる強さに、眩暈がした。

 この人は僕をその可愛さで殺す気だ。


「一緒に、いる……レムと一緒に、いるぅ」


 またも泣きだしたアノイを、レムニスは深く、強く抱きしめる。


「アノイさま……」


 寂しいと思った夜に、自分のところに来てくれて、嬉しくないわけがない。レムニスがいいと言って、一緒にいると泣くアノイを、いとしく思わないほうがおかしい。

 どうしよう、困った。

 どうすれば、この想いを、アノイに伝えられるだろう。

 愛している、なんて言葉では、伝えられない気がする。


「アノイさま……アノイさま、僕はここにいますよ」

「れむぅ」

「だいじょうぶ。あなたのそばに、僕はいます」


 わんわんと、泣くことはない。ただ静かに涙を流し、レムニスを呼び続けるアノイは、鼓動を持て余したレムニスなど気にすることもない。

 ひたすらしがみついてくるアノイに、レムニスは、早々に求婚しようと心に決めた。でないと、いつ自分が暴走するか、わからない。これは早く自分だけのものにしてしまわないと、自分がどうなるかもわからない。


「僕はここにいますよ、アノイさま」


 身体にズンとくるものに耐えながら、レムニスはアノイを抱きしめ続けた。











 あれからどうなの、と女王ユゥリア陛下に訊かれた。


「直答をお許しください」

「肩苦しい言葉は要らないわ」

「……どう、とは?」

「アノイのことよ。本人から聞いたのでしょ? アノイが、命の狂った魔導師だって」


 女王の言葉に、レムニスは眉間に皺を寄せる。


「どこが、狂っているのでしょう?」

「命の使い方よ」


 そうでしょう、と問い返されて、上手い言葉が見つからずに口を噤んでしまう。


「狂ってなど……」

「使い方は、狂っているわ。命を力の糧にするのだもの」

「……陛下は、それをどこでお知りになられたのですか?」

「カヤが言っていたわ」

「堅氷の魔導師さまが?」


 女王の夫たる堅氷の魔導師カヤ・ガディアン・ユシュベルは、この国において最強と謳われる魔導師で、それに違わず強大な力を有している。そのカヤが、アノイのことでなにか、女王に進言したことがあるようだ。


「魔導師の力は、命を糧にするものではないの。天地に与えられた、自然にも近しい力を借りるのだと、カヤは言っていたわ。それなのに、アノイはどうかしら? あの子は命を糧にしている。狂った使い方でしょう?」


 そう言われると、否定はできない。なぜ命を力にするのだと、レムニスも思う。命が狂っているのではなく、命の使い方が狂っているのだと、そういうことなら女王の言葉にも頷ける。


「アノイが長命なのは、それが原因なのよ、きっと」

「それ?」

「力に生かされている、ということよ。カヤもそう言ったわ」

「……意味が」


 よくわからない、と首を傾げれば、女王は困ったようにため息をついた。


「命を力にするから、力が命を助けようとするの。つまり循環するのね。それがアノイを長命にさせた理由よ」

「それはわかりますが……」


 女王が言いたいことは、そのことではない気がする。


「わたくしがなにを言いたいのか、わからない?」


 いや、わかる気がする。その表情を見れば、なんとなく、知ってはいけないような気がする。だから訊くことができない。

 俯いたレムニスに、女王は続けた。


「限界がね、あるのよ」


 ここに、と女王は己れの胸に手のひらを置いたようだった。


「壊れるものなのよ、人の身体というのは」

「陛下」

「あなたに嘘を言っても、詮無いでしょう? だからわたくしは言うの。アノイを、妻に欲しいのでしょう?」


 女王に進言した。アノイを妻に欲しい、だからその婚姻の許可をと、願い出ていた。

 女王はそれを許すために、レムニスに嘘は言わないと、言っている。


「カヤがね、言うのよ。レムニスがアノイを妻に欲しいと願い出たと教えたら……やめておけって」

「……なぜ」


 愕然とする。女王を友だちだというアノイだから、女王が反対するかもしれないとは、ちらりと考えていた。だが、カヤにまで反対されるとは、レムニスは予想していなかった。


「気づいているだろうって、わたくしはカヤに言われたわ。レムニス、意味がわかって?」


 なにを、と訊きかけた口が、音を発せずに咽喉を鳴らす。


「……わかるのね、レムニス」

「陛下……それ以上、は」

「目を背けてはだめ。耳を閉ざしてはだめ。現実から逃げては、だめよ」

「陛下……っ」


 やめてくださいと、願い出た。けれども、それは許されなかった。

 聞きたくないのに。

 知りたくないのに。

 気づきたくないのに。


「アノイは長命なわけでも、不老不死なのでも、ないのよ」


 ああどうして、とレムニスは唇を噛む。

 聞きたくなかった。

 知りたくなかった。

 気づきたくなかった。


「アノイは、幽閉されていたから、すべてが止まっていただけ……力を使うことがなかったから、アノイは生き永らえているのよ」


 それだけだったのよ、と女王に言われて。

 レムニスは、強く拳を握る。


「アノイさまは……ご存知、なのですか」

「子どものようだけれど、考えることを放棄しているだけだもの。あなたに出逢って、考えることを思い出したアノイは、たぶんわかっているわ」

「では、僕の願いを……叶えてくださいますか」

「……そのつもりよ」


 女王は、机に広げていた書類の中から、一枚の紙をレムニスの前に差し出した。それはレムニスが願い出たことへの返事だ。


「ただ、アノイは望まないと思うわ。カヤが、悲しそうにしていたもの」

「それは……」

「緑の法則には、抗えないのですって」


 わたくしも悲しいわ、と女王は寂しげに笑う。


「命を力の糧にしていても、アノイは、魔導師だもの……だからね、妥協して欲しいの」

「なにを妥協せよと、申されるのですか」

「アノイの自由に」


 好きなように、させて欲しい。それがアノイの、魔導師として当たり前の姿。


「レムニス、あなたが望む限り、アノイはあなたの許にあるわ。けれど忘れないで。アノイは、魔導師なの」

「……わかっているつもりです」

「ありがとう、レムニス。アノイをお願いね?」


 淡く笑んだ女王に、レムニスは深く頭を下げ、その場を辞した。


 廊下を自室へと進みながら、昨夜のことを思い出す。

 寂しいと泣くアノイの声が、とてもいとしくて。

 その意味を、きちんと理解してやらなかった自分が、情けない。

 楽土の魔導師を殺すのは自分だと、思っていたくせに。


「アノイさま……っ」


 帰っていなければ、今朝もまだレムニスの部屋で眠っていたアノイは、レムニスの帰りを待って部屋にいてくれるだろう。女王から渡された書類を握りしめ、レムニスは廊下を急ぐ。


 その、途中で。


「レムぅ……れむぅ」


 呼ばれる声にハッとして顔を上げたら、レムニスの部屋の窓からアノイが身を乗り出し、レムニスに手を伸ばしていた。


「アノイさま!」


 慌てて駆け寄り、窓から落ちてきたアノイを、レムニスは抱きとめる。レムニスがいない空は飛べないと言ったアノイは、落ちるとわかっていただろうに、翼も出さなかった。


「レム、レム」


 抱きとめた衝撃を上手く往なせず、よろめいてアノイごと地面に転がったレムニスだが、怪我をしようがかまわないといった風情のアノイにしがみつかれて、倒れた身体を起こすこともできなかった。


「……危ないことは、しないでください」


 この人はいったいどれくらい、僕の心臓を壊す気だろう。


「レム、いない……一緒にいるって、ゆったのに」

「午前は仕事があったので……」

「どうして、わたしも、連れてってくれないんだ」

「眠っていらっしゃったので、起こすには忍びなく」

「起こして。レムのそばにいさせて」


 朝、眠っているアノイを起こさないよう、そっと仕事にでかけたのが悪かったらしい。

 抱きついて離れないアノイにふと微笑んで、レムニスはゆっくりと身体を起こした。


「すみません、アノイさま」

「ん」

「今度から、ちゃんと声をかけます。ですから……」


 そんなに泣かないで、と涙に濡れた頬に口づけする。


「……レム」


 吃驚した様子のアノイに、自分が泣きそうになりながら、レムニスはアノイの手のひらを胸元に導いた。


「アノイさま」


 ぎゅっと握って、祈りを込めるように、アノイを見つめる。


「僕に、あなたの残りの時間を、ください」

「残りって……レム、知って……」

「ください、アノイさま」


 さみしいと泣くあなたの声が、耳から離れない。

 あれは、残りの時間が少なくなっていると、気づいたからだったのだ。百年以上も生き永らえた、その唐突な終わりに、恐怖したからだったのだ。

 レムニスに、逢えなくなると。

 レムニスに、そばにいてもらえなくなると。

 さみしいと、アノイは泣いたのだ。

 だからそばにいると、ここにいると、一緒にいたいと、アノイは涙したのだ。

 それを、嬉しいと思うレムニスは、おかしいだろうか。


「あなたの、最期を……僕に、ください」


 涙に震えた声を隠すように、レムニスは自分から、アノイを腕に抱きしめた。







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