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雪解けの空に羽ばたいた。  作者: 津森太壱。
【雪解けの空に羽ばたいた。】
5/14

03





 空よりも薄い、白に近い一対の翼を解放的に広げながら、魔導師の黒い官服をまとった少女が走り回る。

 転びそうだなぁと思いながら眺めていたら、そのとたんに彼女、アノイは派手に転がった。


「アノイさま」


 慌てて駆け寄って、アノイの手を取る。雪だらけになったアノイは、立ち上がるために引っ張った力をそのまま利用して抱きついてきた。


「レム、レム」


 勢いに負けて後ろに腰を落としたが、すり寄ってくるアノイに悪気はなく、またレムニスも笑ってそれを受け入れてしまえる。


「僕より歳上なんて、嘘ですね」


 アノイが、少女ではない年齢らしいというのは、本人から聞いた。もう百年以上、この姿のままだという。けれども、中身は子どもみたいだ。幽閉されていた時期があるアノイは、外界との接触が極端に少なかったらしい。そのせいだろう。


「レム」

「はい、アノイさま」


 呼ばれて返事をすれば、アノイは淡く微笑んで袂から離れていく。薄い空色の翼を広げ、ふわりと、舞い上がったようだった。


「アノイさま?」

「レム、空に」

「はい?」

「空に、行こう」


 広げた両腕に、空の散歩へと誘われる。

 レムニスは、残念ながら、と苦笑した。


「僕には翼がありません」


 翼種族であっても、平民と同じように翼を持たない貴族はいる。空を飛んでみたいと思ったことはないので、特に困りもしないことだったが、こうして誘われることがあるなら翼が欲しかったと思う。


「ここにいますから、羽を広げてきていいですよ」


 身体にまとわりついた雪を払いながら立ち上がると、宙をふよふよと飛んでいたアノイは迷う素ぶりを見せ、しかしすぐに翼を大きく広げて雪解けの空に羽ばたいた。


「レムぅーっ!」


 太陽の光りに溶け込むようなアノイの姿を眩しく思いながら、高い位置で自分を呼ぶアノイを見つめる。大きく腕を振ったアノイは、動かしていた翼をぴたりと止めた。


「……アノイさま?」


 なにをする気だ、と思ったら、翼の動きを止めたアノイの身体が、真っ逆さまに落ちてきた。


「アノイさま!」


 大きく腕を広げ、落ちてきたアノイをその両腕に抱きとめる。多少の衝撃はあったものの、小さな彼女を地面に落とさずに済んだ。


「なにをなさっておいでです!」

「ふはっ」

「笑いごとではありません!」

「もう飛ばない」

「アノイさま! って、はい?」


 怒ったのにアノイは微笑んでいて、それまで広げていた翼を消すとじっとこちらを見つめてくる。

 飛べないよ、とアノイは言った。


「レムがいない空は、飛べない」


 すり寄ってきたアノイに、いったいどうして、これ以上怒鳴れよう。

 レムニスが飛べない空は、飛べないと言っているのだ。


「アノイさま……」

「レムがいる空がいい」


 中位でも翼種族である貴族なのに、レムニスは空を飛ぶ翼がない。それはつまり、永遠に空を飛ぶことができないということだ。レムニスがいられる空は、どこにもない。


「レムのところがいい」


 ぎゅっとしがみついて来たアノイに、ふと、微笑む。


 雪解けの空に羽ばたいたアノイは、空よりもレムニスのこの腕の中に、その自由を見つけたのかもしれない。


 柔らかな彼女の身体を、強く抱きしめる。

 彼女に出逢うために、自分はこの世に生を受けたのだと思った。


「レムのところが、わたしが帰るところ」

「……そう、言ってくれるのですか?」

「レムがいい」


 長い生の中にあるアノイにとって、レムニスという宿り木は雪解けの空に羽ばたくための一瞬の時間だろう。

 そんな宿り木でもかまわないと、思った。


「あなたが望む限り、永遠に」


 出逢ってしまったのだから、なにも知らない頃へは戻れない。もう引き返せないところまで、レムニスは来てしまった。それを後悔することは、生きている限りあり得ないだろう。


「レム」

「はい、アノイさま」

「レムのお茶が飲みたい」

「……では、帰りましょうか」


 レムニスは小さなアノイを抱き上げたまま、その道へと歩を進めた。


 自分が生きている限り、きっと自分は、アノイを空へと返さないだろう。

 この腕からも、逃がさないだろう。

 いや、逃がさない。


「アノイさま」

「ん」


 レムニスはアノイの琥珀色の髪に、そっと顔を埋める。


 アノイは憶えていないだろうけれども、レムニスは子どもの頃に一度アノイに出逢っている。そのとき、アノイが自分に与えた衝撃を、レムニスは一生忘れない。


「宿り木は僕だけにしてくださいね」


 きっとアノイは知らない。

 レムニスが、ずっとアノイを、見ていたことを。

 きっとアノイは気づかない。

 レムニスが、ずっとアノイに、恋していることを。


 実るわけがないと思っていた初恋に、レムニスは望みを見てしまった。


「やどりぎ?」

「ええ、そうです。僕だけに、してくださいね」


 この腕に抱けるわけがないと思っていた魔導師を、レムニスは捕まえた。


 もう離さない。

 もう逃がさない。

 長い生に縛られたアノイを殺すのは、自分だ。

 囚われたのだとアノイが気づいた頃には、もう、遅いだろう。

 アノイはレムニスを見つけたのではない。レムニスが、アノイを見つけたのだ。レムニスが、アノイに出逢うために、アノイは長い生を与えられたのだ。


 レムニスはそっと呟く。

 逃がしませんよ、と。

 あなたは僕のものですよ、と。

 愛していますよ、と。


「レム、くすぐったい」


 アノイは知らないまま、レムニスに囚われ続けるだろう。

 可哀想なことだが、仕方ない。

 レムニスは、アノイを愛している。宰相補佐という地位に昇りつめたのも、すべてはアノイに自分を愛してもらうための手段なのだから。


「アノイさま」

「ん?」

「約束、してください」

「やどりぎ?」

「はい」

「……うん。レムだけ」


 よくわかっていないような顔をしたアノイに、それでいいのだと、レムニスは微笑んだ。







短編で描いたものなので、これにて完結となります。

懲りずにちまちまと続編を描きたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。


読んでくださりありがとうございました。

今後も拙作をよろしくお願いいたします。


津森太壱。

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