01
天災が多いユシュベル王国において、魔導師はその災害から国民や国土を護るべく与えられた力を使う。ときには人々よりも緑を大切にし、人を顧みないことさえあるものの、魔導師はユシュベル王国で重宝される稀少な存在だ。
アノイは与えられた魔導師の力を、練成陣という媒体を用いて駆使する魔導師で、楽土の魔導師と渾名されている。同胞の魔導師たちからは、その渾名で呼ばれていた。
「おい、楽土」
背後から呼び止められて、なんだと振り向いたら、雷雲の魔導師ロザヴィン・バルセクトがいた。
「……雷雲」
「相変わらずボヤっとしてんな……陛下捜してんだけど、なんであんた陛下のそばにいねぇの?」
「堅氷がいるから」
「堅氷? 帰ってきたのか……じゃあ仕方ねぇな。呼び止めて悪かった、じゃあな」
「雷雲」
「ああ?」
用事を済ませたらさっさと立ち去るロザヴィンを呼び止めて、アノイはその近くまで歩みを進める。
「レム……知らないか?」
「れむ? なんだ、あんたも誰か捜してんのか」
「レムニス。宰相補佐の文官。補佐室にいなかった」
「宰相補佐……休みじゃね? 宰相が休暇中だからな」
レムニスに逢おうとここまでに来たのに、とアノイはがっくり肩を落とす。残念だが今日は諦めるか、と思ったところで、ロザヴィンが「行けば?」と言ってきた。
「どこに?」
「宿舎。宰相補佐なら宿舎に部屋もらってあるだろ」
どこだそこは、と首を傾げたら、ロザヴィンに呆れられた。
「あんた、陛下付きの魔導師のくせに、王城内がどういう作りになってるかもわかんねぇの?」
あっちだよ、と方向を示されたものの、ごちゃごちゃ並んだ建物が多くてよくわからず、ただ眺める。ロザヴィンに深々とため息をつかれた。
「ついて来い」
案内してくれるらしい。
「レムニス? だっけ。家名は?」
「オルシア。レムニス・オルシア」
「オルシア……オルシア……オルシア子爵の末子か?」
「そうなのか?」
「って知らねぇのかよ、おい」
頭だいじょうぶか、と言われて、なにが、と首を傾げたら、またため息をつかれた。
「オルシア子爵の末子が、確かレムニスとかいう名前だ。宰相補佐だろ? オルシア子爵の末子が、何年か前に引き抜かれたとか、聞いたことある」
「へえ……」
そうだったのか、と感心したら、「あんた頭だいじょうぶかよ」とまた言われた。
「陛下付きの魔導師のくせに……」
「? 陛下とは友だち」
「こんなのが魔導師でだいじょうぶかよ……つか、魔導師でまともな奴いねぇのか? ああ、いるほうがおかしいのか。いたら魔導師じゃねぇな。魔導師は変人揃いだ」
「? なんのことだ?」
「なんでもねぇよ」
もういい、などと言われたが、よくわからない。ロザヴィンはアノイより歳下なのだが、言うことがときどき小難しくて困る。
「あそこが第三書庫室な。その奥の廊下を過ぎてすぐのところに、仕官宿舎の入り口がある。門番がいるから、オルシア子爵の末子がいるかどうか訊いてみろ」
「…………」
「道に迷うとか言うなよ。真っ直ぐだろ、ここから」
「…………」
「おれにそこまでつき合えってかっ?」
「…………」
「……あんた、よく陛下付きの魔導師になれたな」
「レムは宿舎に部屋があるのか?」
「考えてたのはそこかよっ? つか、おれ言ったよな? 宰相補佐なら部屋くらいもらってるって、言ったよな? おれの話聞いてねぇのかよ? どこまでなら聞いてんだ?」
はて、と考えてみるが、如何せんロザヴィンの言っていることは小難しくて、いちいち記憶していられない。
眉をひそめていたら、ロザヴィンが顔を引き攣らせた。
「なんでおれ魔導師なんだろ……」
「力があるからだろ」
「あんたに言われたくねえ」
なにかに失望して、はあ、と肩を落としたロザヴィンだったが、それでもアノイを仕官宿舎まできっちり連れて行ってくれるようで、アノイの前を歩く。
この奥だ、という第三書庫室の前を通り過ぎようとしたときだった。
「アノイさま?」
もはや聞き慣れた声に、アノイはパッと顔を上げる。
「レム……!」
振り向いた先にはレムニスがいて、第三書庫室からちょうど出てきたところのようだった。
「あれがオルシア子爵の末子か。……楽土、もういいよな?」
おれはここまででいいだろ、というロザヴィンに、ありがとうという意を込めて頷く。
「じゃ、陛下のとこに戻ったら伝えといてくれ。捕まえたからって」
「わかった」
じゃあな、と手を振って立ち去るロザヴィンを見送ってから、アノイはレムニスに駆け寄った。その腕にはいつものようにたくさんの書類があって、アノイが読みそうもない政治かなにかの本もある。書庫室で勉強でもしていたのかもしれない。
「あの方はシャンティンさまの……よろしかったのですか?」
立ち去ったロザヴィンを気にしたレムニスに、なにが、とアノイは首を傾げる。
「僕が呼び止めてしまったせいで、その……」
ああ、とアノイは頷く。
「案内してもらった。場所、よくわからないから」
「案内?」
この辺りはきちんと憶えていないから、と言えば、レムニスは首を傾げながら周辺を見渡した。
「……第三書庫室に、用事が?」
「レム」
「はい?」
「補佐室にいなかった」
「……ああ、はい。こちらにある本が資料になることもあるので、それを取りに来ていたのです。もしかして、僕をお捜しでしたか?」
うん、と頷くと、レムニスは少し驚いたような顔をして、ふっと微笑んだ。
「手間をかけさせてしまいましたね」
そんなことはないと首を左右に振れば、レムニスは笑みを深めた。
「今日はどんなお茶をご所望でしょう?」
「レム」
「僕?」
「レムのお茶。なんでもいい」
レムニスの淹れるお茶はどんなものでも美味しい。アノイに、ほっとさせる優しいお茶だ。
「……では、補佐室へ行きましょうか」
「うん」
逢えてよかった、と思いながら、アノイはレムニスの隣に並んで歩く。
縦に長いレムニスの歩幅は、アノイに比べると少し大きい。だから並んで歩くなど難しいことだが、なぜかレムニスに並んで歩ける。その理由を知ったのは、アノイがレムニスのところへお茶を飲みに通うようになってからだ。
レムニスは、自分より小さいアノイに合わせて、ゆっくり歩いてくれる。アノイを気遣って、視線を合わせるように腰を曲げて話しをすることもある。言葉が少ないアノイのために、いち早く雰囲気を察して話しかけてくれる。
レムニスは優しい人だ。いや、お人よしだ。
陛下付きの魔導師であっても、魔導師としてはでき損ないであることには変わらないアノイを、いろいろと気遣ってくれるのだから。
だから。
だからこそ。
逢いたくなる。
そばにいたくなる。
レムニスなら、アノイを、そばに置いてくれるから。