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 そもそも冥王の復活がなぜ人類の脅威になるのか。

 本来、死者の国である冥界を統べる王は、現世すなわち生者の世界には干渉しない。この二つの世界には、絶対不可侵の取り決めがあったそうだ。


 しかし千年以上前、冥王が現世に干渉した事件が起きた。

 きっかけは、彼の愛する妻ペルセポネが現世の男性を愛し、冥界から逃げてしまったこと。

 裏切りに絶望した冥王は、ペルセポネを奪った現世そのものを憎むようになり、とりわけ"男性"に限って次々と冥界へ誘拐するようになったという。

 秩序を乱した冥王に困り果てた女神ステュクスは、冥王とペルセポネに千年間の眠りという罰を与えた。


 要するに不倫した妻を責めるか、妻を誘惑した間男を責めるかという話で、冥王は後者を選んだわけで。そんなものに人類が脅かされるという世界、フィクションならまだしも実際に飛び込んでみるとたまったもんじゃない。


 そして次に冥王が目を覚まし、なお現世への憎しみを捨てきれていない場合──ステュクス神は秩序を守るため、最も適性のある男性に冥王を討つ唯一の力を与える。また冥界に愛する者を奪われた女性を哀れみ、万物を癒す“聖冠の神子”の力を持つ者を気まぐれに現世に遣わすようになった、と伝えられている。


 しかしペルセポネが千年眠っていた間に、彼女が愛した人間の男は当然いなくなっている。

 目を覚ましたペルセポネは夫の冥王を逆恨みによって刺し、またしても現世へ逃げ出したところで冥王の闇堕ちが再開する──という、千年越しの愛憎劇に人間は巻き込まれていく。



 特にグラナトゥム王国がステュクス神を祀り、この予言に怯えていたのは、どうやらペルセポネが愛した男性というのがこの国の周辺の出身であり、冥王もそれ故に執拗にこの地域を狙ったからだという。


 ステュクス神がもう一度二人を罰してくれたら済む話なのだけれど、ところが残念、千年前に冥王とペルセポネに与えた罰の代償として彼女もまた深い眠りについてしまっている。

 つまり彼女は次に問題児が動き出す時に備え、自分の代わりに人間たちにその役目を託したということになる。

 それが主人公、ラミアとオルフェンである。


 フィクションなのだから仕方がないけれど、だとして理不尽が過ぎる。何をどうして冥王と人間を戦わせようと思うのか。




「──フラウス村で亡くなった少女の名前もラミアだったが」


 聖苑の庭の東屋(あずまや)の円卓に突っ伏して現実逃避をしていた私の頭を覚ましたのは、背後から音もたてずに現れたエリマスだった。


「……偶然です」

「君の友人も同じ名前だと言っていたが、あの聖冠の神子のことか」

「いえ、それもまた同じ名前の他人です」


 あの村にエリマスも同行させたのは失敗だった。後悔してももう遅いけれど。

 しかしラミアとオルフェンのドラマチックな出会いが仮にスキップされたのだとすると、ここから先のラミアの行動が読めない。

 それに、何がどうして彼女が聖冠の神子の力に目覚めたのかも分からない。

 隣に腰を下ろし、本心を隠すように足を組んだエリマスは、しばらく沈黙したのち古びた長椅子を軋ませた。


「あれは……本物か?」


 どこか緊張したような声に、思わず私も顔を上げる。


「……え?」

「いや、アドラストス猊下がそうだとおっしゃられるなら間違いはないんだろうが、それに実際に重症の騎士を治してみせたし……」


 下を向いて低く呟き連ねたエリマスは、頭を抱えた。

 おそらく私が聖殿から退場した後に、ラミアもまた私と同じようにその力を使って見せたのだろう。


「偽物だという君の方が、よほど本物に見える」


 思わぬ台詞に、言葉を失う。


「…………教会を敵に回す発言ですよ」

「いや、癒術の場に同席したレミジオも……オルフェン殿下も同じ感想を抱いたそうだ」


 年中花が咲き誇る庭の低木が、風に靡き、葉音を立てる。

 

「実際、君のことも猊下は見抜けなかった」

「それは、……そうですが」

「なら、彼女もまた本当の聖冠の神子だという保証はない」


 その言い分は間違っていない。

 けれど原作を知る私からすれば、聖冠の神子を名乗るラミアという人間がいる時点で、それは本物でしかないのだけれど。


「優れた癒術が使えて聖殿に認められて、本人も国に従うというのであれば聖冠の神子として扱うに越したことはないでしょう」

「その重症の騎士を治した後は気を失って倒れたが」

「大司祭に聞かれていませんか? 聖冠の神子だろうと、対象の状態によっては反動はあります」

「君はないだろう」

「私は別の生き物ですから」


 エリマスの深い溜息が夜風に溶けていく。

 なるほど、彼女が気を失って意識がないから、あれから妙に静かだったのだろう。少なくとも目を覚ますまでは猶予があるということだ。


「……あの、」

「"本物の聖冠の神子が現れたら退場する"──それについては認めていない」


 まるで心を読んだように先を越されて、私は半開きの口をそのままに「えっ」間抜けな声を上げた。


「少なくともラミア・ヴェスペルが聖冠の神子として使えるようになるまでは、冥王の動向も分からない以上君に出て行かれては困る」

「いやでも彼女には私が化け物だと気付かれるかも、」

「現状はアドラストス猊下の判断の方が上だ」


 強い押し切りには敵わない。それが推しならば、尚更のこと。


「……エリマス様は、他の方に私の正体を明かしていないのですか?」

「明かして得がない」

「ですが」

「どうしても君が王家の傀儡かいらいになりたいのであれば、すぐにでも陛下にお目通りすることも可能だが」


 見事に鋭く悪意のある表現をなさることだ。肩が竦む。


「何卒ご勘弁を……」

「ならこれまで通り何ら変わりない。ただ、君が何故殿下の護衛に就こうと思ったのかについては改めて疑問には思っているが」


 顔を覗き込まれて、私は逃げるようにぐるんと首を回して視線を逸らした。

 そもそもの目的はエリマスに私の力が効いているかどうかの確認と、スムーズに舞台から退場するためだったのだ。

 前者はさておき、後者についてはエリマスに不死を知られている以上、すでにやや破綻している。他の人々については欺けるだろうけれど。

 しかも今回ラミアの登場が早まったのだから、死を以て退場するにしてもタイミングを見失っている。


「それは……」

 改めて面と向かって尋ねられると、思考が停止する。


「王家に忠誠を誓っているようにも見えないし名声にも興味がないだろう」

「そんな訳でも、」

「聖冠の神子を騙った罪滅ぼしのつもりか?」

「一理あるというか」

「それとも、」


 セレストブルー、それは神がいるという天空の色を指す。

 私はエリマスに出会うまで、そんな色の名前も知らなかった。


「私への下心か」

「違います違います違います」


 食い気味に、やや前のめりになる。「以前にも申し上げましたが、」と、身体は後ろに下げながら。


「いいえ何度でも申し上げましょう。エリマス様ご本人には何のやましい感情もございませんし、いえ当然貴方には何に代えても幸せになって頂きたいという気持ちこそあれ万一下心というかそんなものがあったら次の聖冠の神子とのご婚約の約束を陛下に取り付けるはずがないでしょう」


 ほとんど一息にそう言い切り、言葉にできない思いはうねうねと指先に宿る。


「ご安心を。私は何があろうと貴方に下心などというものを抱くことはありませんし、言うなればこの国の民はステュクス神に下心を抱きますか? 抱きませんよね? それです」


 名回答と共にエリマスを見ると、なんとも言えない苦虫を嚙み潰したような顔をした美男がそこにいた。


「…………ならいい」


 貞操の心配でもしているのだろうか。

 冷や汗をかきながら、私はこの微妙な空気を割るように咳ばらいをする。


「ただ、その、エリマス様にかけた私の力がどこまで有効かこの目で確認しておきたいという目的はありました。万一お怪我をされたら、可能な限り治したいとも……これも下心とおっしゃられるなら、それまでですが」


 今更嘘を吐くところではないだろう、とありのままを吐露すると、エリマスは綺麗な目を瞬かせて、そして不貞腐れたように円卓に頬杖をつく。


「……気持ちはありがたいが、君はオルフェン殿下の護衛なのだから優先すべきは殿下だ」

「肝に銘じます」


 ふ、と表情を緩ませたエリマスのその姿を、できればそのまま切り取って額縁に入れて飾りたかった。

 自分の中にじわりと浮かんだ下心を理性でねじ伏せ、勢いよく腰を上げる。


「お話は以上でしょうか。明日以降にはラミア──ヴェスペル男爵令嬢とエリマス様のご婚約の話が進むでしょう。今後は私がいくら化け物だとは言え、このような夜更けに二人になることは避けるべきです」


 毅然としていられただろうか。

 二歩、三歩と下がる私をエリマスは止めない。


「不出来な聖冠の神子として可能な限り尽力いたしますので、どうぞご安心を」


 頭を下げ、礼節を弁えて。

 正しい別れの挨拶を口にして、私は聖苑の庭から抜け出した。

 見上げた空には、やはり月さえ顔を出していない。




◆ ◆ ◆



 あれから数日、暦はすでに十二月も半ば。

 幸か不幸か、新しい聖冠の神子ことラミアとの再会は不気味なまでに果たされず、しかし一方で私は何事もなかったかのようにオルフェンの護衛に復帰していた。

 風の噂ではラミアは目を覚ましてから、聖殿で何やら訓練を受けているという。私にはなかったカリキュラムだ。おそらく聖なる加護の力を持つ彼女を本格的に聖冠の神子として祀り上げる準備なのだろう。


 と、訓練場を通りかかると遠目に灰色の髪が映り、思わず声を上げた。


「! ガレネ卿!」

「ノーナ様……!」


 私が会釈をするよりも素早くレミジオは土下座せんばかりの勢いで腰を直角に折った。 

「本来であればノーナ様には誰よりもどこよりも早くお詫びをしなければならぬところ、ご挨拶が遅れてしまい実に申し訳ございませんでした……!」

「いえ、むしろ私の方がお詫びすべきで」

 互いの謝罪合戦のあと、レミジオは目を伏せる。


「……お怪我の具合はいかがでしょうか? なんでもあの女の禍々しい力が影響して、癒術が効かない傷だと伺いました」


 どうやらそういうことになっているらしい。エリマスが裏でそう説明してくれていたのだろう。


「湯汲みの時に染みるくらいですよ」

「しかし……」

「護衛の役に就いた時点でこの程度のことは覚悟しておりましたから」


 それよりも、と私は今この場に来た用件でもある訓練場の方を指さした。


「随分増員されたようですね」


 王国騎士団の訓練場は、いつか見た時よりも人でごった返している。今いるだけでも二倍近くはいるだろう。


「冥王の件は国内外ですでに広まっておりますし……この混乱に乗じる人間の方も警戒せねばなりません」


 士気の高い騎士たちの動きと共に、砂ぼこりが立ち上る。

 それを眺めながらも、レミジオの顔色は未だ晴れない。


「……あの時の事も、エリマス様はおっしゃられませんでしたが、ノーナ様が私を逃がそうとして下さったのだと思っております」

「いや全くそんな大層なものでは」

「聖冠の神子として、赤い令嬢が人ならざるものだと感じ取られたのでしょう?」


 正しくは原作を読んでいるから、あるいは異形同士だからだとは死んでも言えない。不死だけれど。


「いいえ。結果がどうあれ、私が判断を間違えたというのは事実です。改めてお詫び申し上げます」


 これ以上会話を続ければ私の方にボロが出そうだ。強引に話を括って背を向けたところで、手首を掴まれ引き留められた。


「え」

「もし、」


 当然私を引き留めたのはレミジオなのだけれど、まるで戦場で覚悟を決めた兵士のようなその表情は、この穏やかな昼下がりには似合わない。


「傷が残るようであれば、責任を取ります」

「いや、責任だなんて」


 十分罰は受けただろう、と眉を顰めると、硬い肉刺(まめ)に覆われた温かい手が、そっと私の手を包んだ。


「もちろん責任というのは──」

「レミジオ」


 言いかけたレミジオの言葉を遮ったのは、例のごとく背後から無音で現れたエリマスの声だった。


「副騎士団長殿が団員の訓練中に余所見とは大した余裕だな。謹慎中にさぞ鍛錬を積んだと見える」

「滅相もございませんメレアグロス公爵閣下」


 レミジオは勢いよく身体を反転させ、数歩歩いたところで思い出したようにこちらを振り返り、深くお辞儀をした。

 そして呆然と立ち尽くす私を置いて、訓練の輪の中へと消えていく。


「……君もこの後の会議に参加するなら急いだ方がいい」


 エリマスの低い声で我に返り、私は慌ててその背を追いかけた。





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