7
──そして、今。
私の足の傷口が開いたせいでシーツにもエリマスの服にも血が滲み、部屋の中はさながら乱闘後のようになっていた。
騒ぎを聞きつけてやってきた衛兵には、目を覚ました私が少々錯乱しただけだと苦しい言い訳をして何とか逃れたものの。
「つまり何か。君はあの赤い令嬢に近い、異形の一種だと言うのか」
ちびちびと無様に自分の傷の手当てをする私の隣から離れず、エリマスからの尋問は続いている。
「……そうです」
「癒術特化型の? ……聞いたことがない」
「いえ、なんというか、結果的に癒術に見えるだけで実際のところはそんなにきれいなものではないというか」
「なるほど。戦闘には向かない認識で相違はないか」
面接のようになってきていた。この男、思っていたよりも相当ネジが飛んでいる。
「そうですね……斬るとか殴るとかそういうのは得意ではありません」
とは言ってもどこまで話すか──わずかに逡巡したのを見抜かれたのか、エリマスの鋭い視線に囚われた。
「手の内を隠そうものなら、」
「とんでもない。この期に及んでまさか」
腹の底から大きな溜息が出た。
ここで無理に嘘を吐けば後から辻褄が合わなくなるだろう。
「……言うなれば私は、不死身です」
「は?」
「私に死というものはございません」
しばらくエリマスは呆然として、けれど我に返ると椅子を蹴飛ばすようにして立ち上がった。
「……つまり、」
「そうです。先ほども私は別に死のうと思ったわけではありません。そこから飛び降りて逃亡しようとしていました」
「……」
思わず私は目を逸らす。
一世一代のエリマスの名台詞を陳腐なものにしてしまった罪だ。こればかりは本当に申し訳ない。
「…………本当に、とんでもない生き物だな」
色んな意味でだろう。分かっている。自覚はある。
「それで? 逃げてどうするつもりだった」
「一旦アルカヌム家に寄って、夜逃げの準備でも頼もうかと」
「……神経が図太すぎるだろ」
新しい包帯を巻き終わった私の足を見下ろし、エリマスはよろよろと腰を下ろしながら寝台に頬杖をつく。
「不死である代わりに癒術は効かないということか」
「……そうですね、それに近いです。ですが死ぬとHP……あ、いや、体力が全快します」
あまりにエリマスが淡々と全てを受け入れるせいで久しぶりに脳が現代に戻ってしまった。
「なら、私にかけたという聖なる加護の力のようなものとは何だ」
すっとその目が細められる。
「あの右目の失明はこの世界のどんな癒術を以てしても治らないと言われた。それこそ聖なる加護の力でなければ」
「……」
「それだけじゃない。神官はもちろん、アドラストス猊下ですら私にかかった力が偽物だとは見抜けなかった」
私が先ほどまで手をかけていた窓枠が、沈黙の中かすかに鳴った。
「これほど強烈な力なら代償があるだろう。何だ。寿命が半分になるとか、」
「そんなわけないでしょう」
やはりこの人は誤魔化せない。
しかし彼が本当に、私を新しい武器として扱ってくれるのであれば──私の指は自然と傷跡に伸びた。
「その力をかけられる対象は一人だけなのか?」
「同時に二人以上には不可ですね」
「……試したことがあるような言い方だな」
「いえ、貴方にかけた段階で、一人が限界であることは分かったので」
そう。
私という中ボスは『ペルセポネの冥戦』における憎めない悪役、そしてお涙頂戴担当。
あの物語の中で、そういう役回りだったのだから。
「ただとりあえずエリマス様が何か代償を払うことはありませんのでご安心を」
「……その言い方だと君には何かあるようだが」
「多少の不便は可愛いものでしょう」
「言え。私に力を与えたことで君は……何の代償を払った」
そうだった。私は彼の、エリマス・メレアグロスの、こういうところも好きだったのだ。
「代償、と言えば、そうなのですが」
正面から見つめられると、言葉に詰まる。
味方の防御力を無尽蔵に底上げするチートスキル。
心から信じた相手にしか使えない力。悪役のくせにそんな洒落た設定を背負っている。
息を吸う。まるで愛の告白でもするように。
(図らずも、ティシポネに言った通りになっちゃったな)
「……貴方だけ──エリマス様だけは、不死身の私を殺せます」
エリマスはまた固まったまま、言葉に迷っているようだった。
「……なんだ、それは」
「そういうものなんです」
「今、自分がとんでもない弱点を言った自覚はあるか」
「ありますよ」
頭を抱えたエリマスを前に、私はまだ暗闇の中にある窓の外へと目をやった。
信頼して力を授けて、しかし裏切られれば死ぬ。
原作で“私”を討ったのは、オルフェンでもラミアでもない。
信じた相手に殺される──そんなドラマチックな演出のために作られた中ボス。
そうでなければ私の力だけが強すぎる。
「あ、でも私を殺せるとは言っても条件があるので大丈夫です」
「は?」
「ただ流石にこれは申し上げられません。なので実質チートみたいなものです」
「君、」
呆れ、そしてエリマスは俯くとふつふつと肩を揺らす。静まり返った部屋に、押し殺した笑いがかすかに滲んだ。
眉間を指先で揉みながら、エリマスは数えるように指を折る。
「ちなみに君がよく使う癒術もどきに制限、制約は? 一般的には体力を消耗するが」
「特にありません」
「……なるほど」
また目が合った。
僅かに空気が張りつめ──エリマスは少し嫌そうに眉を下げた。
「つまるところ君は、……敵に回すと最悪の生き物ということか」
低く、淡々とした声。
しかし、さすがは王族。話が早い。
「そうですね」
「そうですねって」
「ご心配なさらなくとも、エリマス様の敵になることはありませんよ」
「私に命を救われた、だったか? ……不死身の君が?」
あ。
ぎくりとして、思わず背筋が伸びる。
「……物の喩えと言いましょうか、こう、命というか気持ちと言うか」
「まあいい。人類にとって今は化け物だろうが猫の手だろうが借りたいほどの窮地であることに変わりはない」
エリマスもまた姿勢を正す。その視線は先ほどまでとは異なる鋭さを帯びていた。
「悪いが手放しに君を信じるわけにもいかない。当面私の監視下に置かせてもらう」
「それは全く問題ないのですが、……え、ということは私の職務はこれまで通りと……?」
「無限に癒術が使える不死身の味方を野放しにするほど私が阿呆に見えるか?」
言葉にしてみれば改めてチートキャラすぎる。私は慌てて頭を振った。
「いえ、ですが私は本物の聖冠の神子が現れたら退場するつもりで」
「何故? "力を失いし神子に代わり、新たな聖冠の神子が間もなく舞い降りる"──君が吐いた嘘があれば誤魔化せるだろう」
「うーーん……」
そうなのだが、そうではない。
本物の目にはおそらく、私の正体は誤魔化せない。
まだラミアには会ったことがないけれど、こんな生き物が聖冠の神子を騙っていたら即座に糾弾したくなるに違いない。
相当私がしかめっ面をしていたのだろう。エリマスはぱん、と手を叩き「今はその話はいい」と、肩を竦めた。
「とにかく今回の件は話の辻褄を合わせるために、現場での判断を誤った君とレミジオは帰国まで謹慎処分とする。後のことはそれから話そう」
ギ、とエリマスの腰掛けが軋む。ゆらりと立ち上がったその背を、思わず目で追う。月明かりが差し込み、エリマスの骨ばった手の甲を淡く照らしていた。
その光景だけが妙に鮮明に目に焼きついた。
「不死身とはいえ、」
振り返った顔は、困ったような、笑みと呼ぶには弱すぎる表情だった。
「ああいう真似はあまりするものじゃない」
(そんなの、)
化け物に向けるものではない。
憐憫とも違う、ただの人間を相手にするかのような反応を。
その正しさが痛くて、私は思わず視線を逸らした。
「……はい」
◆ ◆ ◆
フレゲトン王国の次期国王陛下の即位式は、騒ぎの影響もあり半日の遅れが生じたものの滞りなく行われ──やはり帰国後は、息つく暇もなく。
何せ冥王の印を残して去った赤い令嬢の出現、冥王復活の示唆まであったのだ。
聖冠の神子を騙ったツケだろうか。エリマス監視の下あちらこちらへと振り回され、各地でそれっぽいことを言っては逃れ、祈りだなんだと聖殿に缶詰めになるわ大司祭に尋問されるわで、気づけば心も体もすり減っていた。
「…………頭がおかしくなりそうでした。本当に」
「大嘘を吐いた自分を呪え」
落ち着いたのは、帰国から3週間ほど経った頃。
色々あったレミジオともまだ顔を合わせていない。
そんな中で無理やり取り付けた休みの日、馬車の揺れに身を任せながら、私は貴族令嬢の装いで行儀よく座っていた。向かう先はグラナトゥム王国の中でも辺境の地、フラウス村。
そんな私の向かいには、腕を組んでいるエリマスがいる。
ここに至るまでもまた本当に長かったのだ。
時間の話ではなく、エリマスとの終わらない応酬がとにかく長かった。
『化け物とは言え私だって疲れるんです。怪我だってほら、まだ治りきってないですし、ちょっと自然豊かな田舎まで羽を伸ばすくらいお許し頂けませんでしょうか』
『駄目だ。君の場合本当に羽を伸ばしてどこかにいなくなってもおかしくない』
『さすがに羽はないです』
あなたの未来の妻にちょっと早めに会いに行くんです、とでも言ってやりたかったけれどそうはいかない。
私の尋ね人は本物の聖冠の神子、ラミアだ。
フラウス村は彼女の故郷、つまり『ペルセポネの冥戦』の始まりの場所でもある。
物語は、主人公ラミアが最後の肉親である母親を不治の奇病で喪うところから始まる。
心が深い孤独に吞まれかけたその時、ラミアは天から降り注ぐ謎の声を耳にする──それがまさに、聖冠の神子として受ける最初のお告げだ。
高い癒術の力を手に入れたラミアは村の人々を救うようになるが、その評判を聞いた悪い貴族にラミアは誘拐される。しかしそこに偶然通りかかったお忍び旅行中のオルフェンが彼女を救う──それが第1話。
(よく考えたら母親の死だけが、彼女を聖冠の神子にしたとは限らない)
全てが予定調和なのであれば、彼女は時が来れば聖冠の神子の力を手にする可能性がある。
しかしそれは博打がすぎる。
だからこそ、今回はまだラミアには接触しない。
まずは原作通り、彼女がフラウス村に存在することを確かめるだけ。
「何の用があってこんな辺鄙な村に……」
ブーツに隠れたエリマスの足首に思わず視線が向かう。
今は見えないけれど、そこにはつい最近までなかった契約の紋がある。
世にもおぞましい、私の行動制約のための契約紋。
「心身を癒しに行くだけだと申し上げたはずです。ここの特産の麦湯が美味しいと評判で」
「伯爵令嬢が現地調達か」
「……現場主義なんですよ」
エリマスとの契約内容はいたって単純。
私が彼に行き先を告げず、自らの意思でグラナトゥム王国の領地から出た場合──私ではなくエリマスが罰を受けるというもの。
さすがの切れ者はどうやら、私を罰するよりも自分を罰した方が効果があると踏んだらしい。大正解だ。
さながら私は長いリードに繋がれた飼い犬になり果てたわけで。
「大体、エリマス様は休日の私のことを見張る以前にオルフェン殿下の護衛筆頭ではないですか。……冥王が復活したかもしれない状況で、殿下を置いてきて大丈夫なんですか」
「5日空けたくらいで殿下と王城が消し飛ぶような危機なら、君も遥々こんなところまで来ないだろう」
「……どういう信用の仕方ですか」
何か見透かされているようで思わず身じろいだちょうどその時、馬車が止まった。
外へ降り立つと、まず目に入ったのは水平線まで続くほど広大な畑。それは自然の美しさを感じさせるより先に、どこか寂しく映る。民家はぽつりぽつりと、遠くにいくつか見えるだけ。
「ちなみに麦の収穫時期はとっくに過ぎている」
「ぞ、存じ上げております」
あらかじめ調べておいた村長の家は今にも崩れそうな古い屋敷だった。
目立つエリマスを馬車の傍に置き去りにし、そうっと戸を叩けばしばらくしてから軋む音とともに扉が開く。中から姿を見せたのは、腰の折れた老齢の男性だった。
「ご貴族様がこんなところに、どんな用件でしょう」
不遜というより、どこか疲れが滲んだ声音。じろじろと私を上から下まで見やると、眉を顰めた。
「ご挨拶が遅れました。私はアルカヌム伯爵家のノーナと申します。……突然お尋ねしてしまい申し訳ございません。実は幼い頃身体が弱くて、この村の麦湯を飲んだことがありましたの。今日も旅の途中、偶然通りかかったもので……懐かしくて」
台本通り。きっと世間知らずの可憐な貴族令嬢に見えているはずだ。
「麦湯ねぇ……麦もここ10年はずっと不作だよ。それに季節が悪い。村唯一の卸しも今は休業中だ」
「そうでしたか。せっかくですし、少し辺りを見学させて頂いても?」
「お好きに。悪いが宿もない、陽が暮れる前に隣の町まで出た方がいい」
捨てるようにそう言い放つと村長は背を向け、ぴしゃりと扉を閉めた。
風が吹くと、取り残された私を嗤うように砂ぼこりが舞い上がる。
(……良いか悪いかは置いといて、原作通りだ)
麦の不作、この村の荒廃。ラミアは母親を病院に連れていく余裕などあるはずがない。
「で。成果は」
「ですから、何も用事なんてないですって」
さすがにあの村長に突然ラミアの居所を尋ねるわけにもいかない。来客など少ないだろうこの村でそんなことをすればあまりに目立ちすぎる。
もしも彼女とその母親をこの目で見てしまったら──胸の奥のざわめきを振り払うように、再び馬車へと乗り込もうとしたその瞬間、私は間抜けにつんのめった。
「ご、ご貴族様……!」
私のスカートの裾を引く小さな手が、目に入る。
振り返るよりも先に、その子供は地面に額をつけて小さく蹲っていた。
「いきなりごめ、も、申し訳ございません! あの、うちに妹がいて、その、怪我をしてからずっと具合が悪くて、飯も食べられなくて」
たどたどしく絞り出す声。小さな影に思わず手を伸ばす。はっとエリマスを振り返るけれど、止められはしなかった。
続かない施しは時に毒となる。
分かっている。
「……そう。お医者様にはかかったの?」
「医者なんて……村はこの有様で今日食うものにだって困るのに」
ギリ、と私を見上げるその瞳に差すのは鈍い光。痩せ細った頬に対して、腹部は膨らんでいる。典型的な栄養失調の姿だ。
「可哀そうだけど、対価もないのに貴方に何か渡すことはできない。ごめんなさいね」
「対価って」
「ああ、だけど」
膝を折り、目線を合わせる。
彼もまた、漫画のコマの片隅にいたのかもしれない。
「この村で大地を割くほどの落雷に耐えたという、偉大な大樹があると聞いてここまで来たのだけれど……場所が分からなくて困ってはいるのよ」
このやりとりが陳腐なことも、分かっている。
「あ、案内する、ここから走っていけるところにある。だから」
「無事に着いたらの話ね。あと走らなくていいから、危ないから」
今にも駆け出しそうな小さな背中に、思わず溜息が漏れる。
背後でくつくつと笑う気配がしたが、振り返る気にはなれなかった。




