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 時間はない。

 ただ一方で、確実に核心へと近づいている。

 その高鳴りは誰にも悟られてはいけない。


「──君の昨日の作戦は良い伏線になりそうだ」

「び、っくりした……それは、一体どういう、」


 厠を出た瞬間、物陰からエリマスが低く囁いた。

 気配を完全に殺していたせいで、心臓が跳ねる。


「早々に君と私で殿下の元に行っても、レミジオの目には不自然に映らない」


 言われてみれば、その構図はまさに、婚約者に手を出されて怒り狂うエリマスと、同席させられる私、そして詰問される王太子。

 きっとけじめをつけるための時間だと、そう思わせるには十分だ。


「……方々への罪悪感が……」

「言ってる場合か」


 作戦の一つとして、今日はエリマスとの会話を極力最低限にしている。

 視線も合わせず、いかにも気まずそうに振る舞い続けるのが役目だ。


「あとで声をかける」

「……承知しました」


 その横顔は妙に近くて、私は思わず仰け反った。 




 作戦通り、私が仕事を終えて詰め所を出る間際、険しい顔をしたエリマスがつかつかと歩み寄ってきたかと思えば、耳元で「三十分後に私の部屋で」とだけ言って先に出て行った。

 タイミングは完璧だ。確実にレミジオの視界に入っている。


 私もわざとらしく大きな溜息を吐き、背中を丸めて荷物をまとめていると、その声はかかった。


「ノーナ」


 おろおろとしているレミジオに、私は渾身の苦笑いを浮かべてみせる。


「……実はこの後話し合いなんです」

「話し合い?」

「殿下が目を覚まされたので、エリマス様と三者で」


 頬を引きつらせ、固まっている。

 この表情の豊かさに、以前は救われていたのだけれど。


「本当に大丈夫……?」


 視線はちら、と私の手首に映る。何がなんでも昨日は治さずに維持した甲斐あって、袖の隙間から赤い痕はまだ見え隠れしている。


「誰かを騙すようなことは、したくないですから」


 敢えて直接的に刺しにいったつもりだけれど、その瞳は揺れない。


「それに、エリマス様もさすがに殿下相手にどうこうなさるとは思えませんし」

「だけど君のこととなったら……」

「大丈夫です。また明日、話を聞いてくださいね」


 人を疑うというのも、楽ではない。



(今レミジオが疑わしい根拠は、)


 エリマスの背後を取り、そして傷までつける実力があること。エリマスがそこに彼や団長の癖を感じたこと。 

 マテルの一件の後処理に疑念が残ること。

 総じて彼の立ち位置は、これまでの誘拐事件などにおいてもあまりに都合が良いこと。

 そしてこれはややこじつけに近いけれど、『ペルセポネの冥戦』における彼がティシポネの標的になったこと。


 あとは──


(……そういえば、)


『どちらかと言うと私の好みはレミジオ様ですし』

『それで実は、護衛にレミジオ様がついてくださることになって』


 あの頃、ラミアは妙にレミジオを気に入っていた。


 彼女の言動は私の願望が元になっていたとケイロンは言っていた。

 確かに、私の心の奥底ではラミアがエリマスに近づくことをよく思っていなかったことは間違いない──しかし本当にそれだけだっただろうか。


(いや、だとしたら他にも)


『幼馴染なんだ』


 レミジオはそう言って、血の海の中のグレアムに縋った。

 しかし人喰いことラミアが事切れ、同時にグレアムが動かなくなった後こそ確かにレミジオは悲しんでいたように思う。


(そうだ、だって、あの後みんなの記憶はすり替わって、ラミアもアーテに操られていたことになって、つまり共通敵であることは確かで)


 仮に、常に死と隣り合わせの騎士だからといって、どこまで割り切れるだろう。

 あれからレミジオは、私との会話の中で、一度でもグレアムの話をしただろうか。

  瀕死の身体に縋るほどの幼馴染を死に追い詰めたはずのアーテへの憎しみを、口にしたことがあっただろうか。


(……駄目だ、これも疑っているから怪しく思えるだけかもしれない)


 騎士たるものかくあるべきと言われれば、納得せざるを得ない。




 何か、決定的な証拠がなければ。

 



「──お二人にはご心配をおかけしました」

「……とんでもございません」


 昨日ぶりのオルフェンの顔色は悪くない。

 寝台の上に腰かけ、にこやかに微笑んでいる。 


 あれから粛々とエリマスと合流し、部屋に保管していた赤い実を持ち出し、オルフェンの部屋へと向かった。

 やはりただの果実の類ではないようで、腐ることもなく、また何か香りが出るようなこともなく、まるで作り物のように佇んでいる。


 オルフェンと顔を合わせる上での心配事は二つ。


 一つは、どこまでオルフェンに打ち明けるか。

 王太子に騎士団の重鎮を疑わせることへの懸念ではない。彼の中にアーテが潜んでいる──その一点が問題だった。

 オルフェン本人は良いとして、仮にもし中にいるアーテが何らかの方法で私たちとの会話を傍受でき、かつ外部に共有できるのなら、事態は一気に悪化しうる。


 二つめ、私の防音の術は一対一でしか成立しない。

 裏切り者について直接話すつもりはなくとも、城内で誰に何をどう聞かれているか分からない以上、会話は気を付けなければならない。


 よって、ここで私はオルフェンに自分のこの能力の開示をしておくことになった。


「……へえ。随分いかがわしいことに使えそうな能力ですね」

「殿下?」

「つまり今のこのやりとり、エリマスには聞こえていないと?」


 ちら、とエリマスを振り返る。ジェスチャーを送ると、首を横に振った。

 その視線の冷たさだけで吹雪を呼べそうだ。


「……ご覧の通り、聞こえていないみたいです」

「え、ならこの場にエリマス要らなくないですか?」

「思い当たる節なら無限にありますよね?」


 オルフェンはくつくつと笑った。

 その表情がどこか以前より和らいで見えて、私はほっと息を吐く。


「……殿下、単刀直入に申し上げます。あの場で処分した手紙を、こちらでも同じように処置したく、ここに参りました」


 オルフェンは顔を上げ、まずエリマスへ視線を移し、それから私へと向き直った。


「ああ、そうか。ノーナには言っていませんでしたね」

「? 何を」

「あの手紙のことも、そこに書いてる内容も、エリマスは知っていますよ」

「え」


 きっと私は、間抜けな顔をしていた。

 つまり──そういうことだ。


「知った上で私を王太子として担ぎ上げているんです。恐ろしいでしょう」

「……いえ、」

「なのでどうぞ。同じ場所にありますから、貴女に託します。鍵も開いてますし、エリマスに話してもらって構いません」


 思わず振り返り、エリマスを見る。

 言いたいことはいくつもあったけれど、しかしここで言及することではない。


「エリマス様」


 私の声が届いたことに、ぱっと表情を変える。


「もういいのか?」

「はい。殿下から許可を頂いたので」


 躊躇っている場合ではない。

 私はエリマスに頷き、先に立ち上がって金庫へ向かった。

 背後では、私に何か言いかけたエリマスと、自分が許可したことを短く説明するオルフェンの声が交錯する。


(……あった、)


 全く同じ封筒だ。ただ、オルフェンの言った通り、確かに何度も読んだ痕跡がある。

 張りのあった上質な紙はよれ、角は折れ、その萎れた姿が胸に刺さる。

 喉奥がぐっと絞るように締め付けられる。けれど──その感情を表に出すのは、私の役目ではない。


「殿下。ご確認頂く必要はないですか」

「もちろん」


 さすがに、同じように切り刻んで窓から投げ捨てるわけにはいかなかった。


「ノーナ」

「これを処分しなければならない理由は、戻ってからご説明します」


 エリマスにとっては、私の一連の行動が突拍子もなく見えるだろう。

 季節外れの暖炉へ向かい、膝をつく。

 常備されていた薪を少しだけ入れ、火種を起こすと、生まれたばかりの小さな炎が、湿度の高いの空気の中で誘うように揺れた。


「……構いませんね?」


 振り返ると、オルフェンは変わらず穏やかな表情をしていた。

 手紙をそっと炎に差し出す。 触れた部分から紙が黒く縮み、細い煙が暖炉の奥へ吸い込まれていく。


「ありがとうございます。助かりました」


 たった一通の手紙の処分など、紙の焼却など、数秒で終わる話だ。

 一国の王太子に礼を言われるほどのことではない。


「それがなくなっても、事実が消えるわけではありませんし」

「……」

「しかしひとつ、けじめをつけることができました」


 あのまま、あの箱庭の中にいられたら──オルフェンは幸せだっただろうか。


「それで? 二人はこの件のためだけにいらしたんですか?」

「いえ、……エリマス様」


 暖炉の炎をじっと見つめていたエリマスに声をかけると、彼は思い出したように包みから赤い実を取り出した。

 私は一歩下がり、オルフェンの反応を観察する。しかし、赤い実が目の前に差し出されても、彼の表情は変わらない。


「? 何かの果物ですか。野菜?」

「見覚えはないですか?」

「いえ……?」


 一通り眺めて、オルフェンは首を傾げた。


「何かの球根にも見えますね」


 思いつくのは、やはり私たちと同じ程度だ。エリマスと私は思わず肩を落とす。

 急いでも、答えは近づいてこない。


「食べたらこの身体が治るとかなら、全然得体が知れなくても食べますよ」

「……毒だと困るので」

「よく分かりませんが、これが何か知りたいということなら切ってみればいいのでは?」


 エリマスが眉をひそめる横で、オルフェンはあっけらかんと言う。


「切るとしても、殿下の前ではちょっと」

「遠慮しなくてもいいのに」


 私は赤い実を包みに戻しながら、ちらりと二人の顔を見やった。


(……王族って、簡単じゃないんだな……)


 まるで子供のような感想が浮かび、自分の稚拙さに頭が痛くなる。


「ああ、そうだ」


 思い出したように、オルフェンは声を上げる。


「私の……偽物が城内に現れたそうで。エリマスから今朝方聞きました」


 声や顔色に、動揺は見られない。

 おそらくエリマスも丁寧に、揺らさないように説明したのだろう。

 一方で、マテルの件についてはまだ話していないようだった。


「裏でそんなことが起きているとは知らず……ノーナにもご迷惑をおかけしました」

「そんな、私は全く」


 むしろあの異空間での滞在時間を引き延ばしていた側だという自覚がある。


「当面はいついかなる時も必ず誰かが就くことになりましたし、一人で歩くようなことはないので。もし一人で歩いていたら、今度こそそれは偽物だと思って下さい」

「はは……」

「エリマスにも痛い思いをさせてしまったみたいで」


 オルフェンの声色は、敢えて事態の深刻さに触れないような柔らかさだった。

 その正体が何者か──人間か、それ以外か。きっと彼もまた、恐怖と疑念の中にいる。

 それでも、犯人探しが自分の役目ではないことを理解しているのだろう。

 この状況では、オルフェンは当面、自由に動くことすら許されない。


「殿下がご心配なさることではありません。エリマス様は私のおかげで頑丈なので」

「……ん?」

「あははっ、そうですね、ノーナのお陰でね!」



 私も、揺れてはいけない。




◆ ◆ ◆


 オルフェンの部屋を出た直後、エリマスに短く問われた。

 なぜあの手紙を処分したのか。そして中身は読んだのか、と。

 それに対し、私は中身は見ていないこと、ただあの手紙がオルフェンの心を削っていたこと、そして今回の一連の事件のきっかけになっている可能性があることだけを伝えた。それ以上は踏み込まなかった。

 エリマスが、オルフェンの出生の秘密を知りながら何を思い、どんな結論に至ろうとしているのか。

 それは私が問答する領域ではない。




「──よし」


 その夜、私はエリマスの部屋で果物ナイフを握っていた。


 卓の中央には赤い実。その前でナイフを構える女と、隣にはいつでも剣を抜ける体勢のエリマス。

 どう見ても異様な光景だ。


「……待ってください。よく考えたら室内はまずいのでは? それこそ屋上とか」

「部屋が破壊されたらされたで、どうとでもなる」

「ならなくないですか?」


 冗談なのか本気なのかが分からない。だがエリマスの表情は至って真剣だった。


「中から、ネメアの獅子みたいなのが出てきたら」

「それこそ屋外では他の人間に被害が出る」


 妙に説得力があり、私はナイフを持ち直す。

 本来なら、この赤い実を斬る役目はエリマスのはずだった。しかし彼の場合、斬った瞬間に中の"何か"を見る前に抹殺してしまう可能性を考え、第一刀は私が担当することになった。ここでも五分ほど口論したが、私が勝った。


「参ります」


 大きく息を吸い、止める。

 ひと思いにナイフを実に突き立て、ぐっと手前に引いた。

──何も出てこない。

 少なくとも感覚はトマトよりも玉ねぎか、リンゴか、カブに似ている。

 ばつん、と音を立て、それはあっけなく真っ二つに割れた。


「……何も、出てこない……ですね」

「ああ」


 そろ、と目を開け、断面を覗き込む。

 種子も皮もない。表面の赤が中にも充填されているようで、それは果肉と呼ぶにも違和感がある。

 言ってしまえば、子供のままごと道具のような、積み木のような。


「おもちゃ……?」


 汁のような液体も出てきていない。さらりとした表面は、いっそ不気味だった。


「少なくとも食べ物には見えないな」

「匂いもないです」

「歯では嚙み切れそうだが」


 キーアイテムを一刀両断したにしては、あまりに拍子抜けする結果だった。

 しばらく眺めてみても消滅する気配はなく、片割れにエリマスが剣先をそっと立てても、ただ傷がついただけで何の変化もない。


「なんか、逆に怖いですね」

「無駄に分割して増えただけか……」

「半分は私の部屋に置いておきましょうか」

「いや、いい」


 ぎこちなく断面同士を合わせ、包みに戻し、さらに元の硝子の器へと仕舞い込む。

 今日ここまで踏ん切りをつけたのは、やはり騎士団長とレミジオの証拠探しが難航していたからだ。


 それとなく治療室に向かい、それとなくヘメラに声をかけ、私も一度マテルに会いたいと打診してみたものの──『では手紙で段取りをつけましょうか』という親切な提案を受けただけで、当然ながらすぐに会える気配はなかった。

 改めて、ランパスでひとっ走りする案も考えた。しかし聞きたい内容からしてマテルに不審がられるのは目に見えているし、嫌な記憶を掘り返すのも間違いない。タラッサ侯爵家経由でレミジオに報告が上がっても厄介だ。


 一方、エリマスもまた昨夜の騎士団長とレミジオの動きを探っていたようだけれど、昨日エリマスを襲ったその一瞬のアリバイなど証明できるはずもない。

 背後でオルフェン失踪の異常事態が起きていた中、捜索に関わっていた二人の姿を見ていなかったとしても何も違和感はない。


「あの、エリマス様」

「なんだ」


 聞いたところで、とは思っていたけれど、一瞬迷いつつもやはり口を開いた。


「以前亡くなった……騎士の、グレアムの件なのですが」

「……ああ」


 ぱっとエリマスは眉を顰める。


「彼のご婚約者様は、あれから回復なさったと聞き及んでいるのですが」

「ああ。しばらくして、実家に帰られたとは聞いたが」

「……当時のことって、もうお聞きできる状態なんでしょうか」


 誰かを傷つけるかもしれないが、小さなピースからかき集めていくしかない。



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