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「──誰もいない王城に、しかも時間の経過も違う……」


 とはいえ、エリマスにはある程度話を通しておかなければならない。


 国王への報告を終え、しなしなになりながらエリマスの部屋に戻る。

 用意されていた遅めの夕食に、ようやく手を伸ばした。


 いきなり戻ってきたせいで、事前にオルフェンと話のすり合わせができなかったのが痛い。

 あの手紙がきっかけになっている可能性までは言えず、突然異空間に飛ばされた”という事実だけを説明するしかなかった。


「関連性は分かりかねますが、ゴルゴンの森で私が体験した現象にかなり近いかと。殿下も一年ほど前に、お一人で同じ状況になったそうです」

「……」


 エリマスはカトラリーに手も付けず、深く考え込んでいる。

 食事の湯気だけが静かに立ちのぼり、部屋の空気が重く沈んだ。


「……ちなみに、私の偽物は現れてないんですよね?」

「それはない」

「では殿下だけ、ということですか」


 ゴルゴンの森と王城の共通点がまるで分からない。


「そういえば、殿下も成人になられた時にあの石碑で弔いの儀に参加されたんですよね?」

「ああ」


 この世界での成人はニ十歳。

 私が聖冠の神子として王城に転がり込んできた一昨年、オルフェンは成人を迎えている。


「その時に何か起こりませんでした?」

「いや、特には」

「ですよね……」


 日本にいた頃、例えば神社や河原の石を持って帰るとバチが当たる──そういう話はあったけれど。

 

(結局は元の世界に返してくれているという点を見ると、よく分からないな……)


 ともかく、オルフェンに関してはあの手紙がきっかけである可能性が高い以上、こちらの世界でも処分しなければならない。


(これも、私に糸績みとしての記憶があればもっとさくさく解決できたかもしれないのに)


 思考が邪魔をして、上品に並ぶ色とりどりの食事の味がぼんやりとする。


「エリマス様、大丈夫ですか?」

「ああ、」


 そこでようやくエリマスは、目の前の食事の存在を思い出したように手を動かし始めた。


「殿下の偽物も二度目ですし……今回は陛下や他の方もご覧になったということですから、」

「……そうだな」

「……あの、どう見ても大丈夫じゃないですよね?」


 やはり明らかに様子がおかしい。

 一瞬、まだ私とオルフェンの仲を疑っているのではと脳裏をよぎったけれど、もしそうなら今の彼は遠回しな物言いなどしない。


「何かご懸念が?」

「いや」


 カトラリーを置き、組んだ両手に額を預けるように俯く。


「……普通、」

「はい」

「私が背後を取られるなんてあり得ない。普通の人間に」


 ただ落ち込んでいる訳ではないことは明らかだった。


「では……やはり何か異形の、」

「武器の扱いには癖が出る。歴が長ければ長いほど」

「え」


 それは、すでに結論を持っている人間の言い方だった。


「……王城の、騎士か兵、ということですか」

「……」

「でも、だとして、それこそ並みの人では」


 模擬戦でさえ、エリマスと刃を交えたがる者は少ない。

 オルフェンの姿をしていたことも、背を向けていたエリマスには知りようがない。

 単純な殺意なら、彼が気取らないはずがない。


「……ノーナ」

「え、あ、はい」


 据わった青い瞳は、私の向こうの何かを見ていた。


「今から騎士団のダリオ・ケブレンとレミジオ・ガレネを拘束する」 

「…………え?」

「どちらかしかない」


 立ち上がったエリマスは、椅子に掛けていた上着を手に取ると迷いなく扉の方へと向かっていく。


「ちょ、え、エリマス様、それはどういう」

「先に言ったのは事後では君が動揺すると思ったからで、」

「お二方のどちらかが、殿下に成りすまして……と、おっしゃられるんですか」


 思考が追い付かない。


「何のために……」

「さあ」

「ですが」

「この二人のどちらかだとすれば納得がいく。あるいは両方か」


 声は冷ややかで、当然止める余地などない。

 エリマスは根拠のない勘で、こんな決定をする人間じゃないことは分かっている。


 ただ、もし、違ったら。


「……参考までに聞く。君が以前言った、一度経験した世界ではどうだった」

「え、」

「あの二人について」


 『ペルセポネの冥戦』で、ダリオについてはほとんど出てこない。

 ただ、レミジオは──


「…………、あ」


 九巻。

 レミジオ・ガレネは、冥王軍配下のティシポネに討たれる。


『彼女は無作為に命を奪うわけではありません』

『人を殺めたことがある者の中でも、特にその命を奪うことに……大義があると判断されれば、対象になるかと』


 エリマスに説明した自分の声が、鮮明に浮かぶ。


「いや、でも、あれは、」

「何だ」

「……レミジオさんは……ティシポネに、命を、取られました。騎士団長は……分かりません」


──あれは、漫画の中の話であって。



「……そうか。参考になった」



 端から確信があったのだろう。

 そしてその確信ごと、否定したかったのも彼だろう。

 彼の性格なら本来、背後を取られた自分にもっと憤っていただろう。

 

 私が何を言ったところで、意味はない。

 けれど。


「悪いが私はもう行く。君はここで、」

「私も行きます」


 分かりやすく怪訝な顔が向けられる。


「エリマス様を止めるためではありません。万一のことがあるので」 

「何を……」


「貴方に仇なすなら、私が鋏で切り落とします」


 すでに覚悟をしているエリマスの前で、私がぐずぐずしているわけにはいかない。


「……君、」

「なんですか」

「いや……久々に、鳥肌が立った」




◆ ◆ ◆




 エリマスがそう判断したとしても、二人を拘束するのは容易ではない。

 相手が一兵卒ならまだしも、ダリオ・ケブレンは国王直属の騎士団長、レミジオは伯爵家令息にして騎士団副団長、しかも今はオルフェンの護衛だ。

 ここで彼らを疑うということは、万が一事実が異なれば、王城の信頼関係そのものを揺るがしかねない。


 確固たる物的証拠はない。

 だが、それを集める時間もない。


 エリマスが急ぐ理由は明白だ──時間を与えれば与えるほど、証拠隠滅の猶予を与えることになる。


「しかしエリマス様の実力も、加護の効力があることも、お二人が一番よくご存じのはず……その上で、リスクを犯してまで刃を向けた理由は何でしょうか」


 ほとんど手を付けていない食事を使用人に下げてもらい、パンを齧りながら護衛の詰め所へ向かう。


「確かに、殺すつもりなら心臓を一突きするだろうな。あれでは甘い」

「……」

「……怖い顔をするな」


 僅かだが、エリマスの表情から陰りが消えた。


 誰もいない詰め所は、灯りも落ちて真っ暗だ。壁に掛けられた武具の影が揺れ、静けさがやけに耳に刺さる。私は急いで防刃服に着替え、靴紐を結び直した。


「でも、犯人の捜索で騎士団員も護衛も出払っていますよね。どうやってお二人を……」

「ケブレン団長は今陛下のお傍に就いている。レミジオは殿下の護衛に」


 エリマスは服装こそ変わらないものの、首元につけた防具(ゴルゲット)から、その警戒ぶりが窺い知れる。


「他の誰がついてきたところであの二人に対応できない。陛下や殿下を人質に取られれば終わる」

「そ……そんなに、強いんですか」

「団長相手なら私も勝てる気がしない。レミジオは互角が良いところだな」


 だからこそ疑うのだろう。

 事実として淡々と口にするエリマスを前に、指先が冷えていく。


「疑わしいのはどちらか、それとも、……両名ですか」

「動機が分からない以上両方疑うしかない」

「……ランパスとか、冥界の誰かなら、偽物の正体が分かるとか」

「駄目だ。連中は信用できない」


 分かってはいたけれど。


 オルフェンに成りすましたその手口は、明らかに人間だけのものじゃない。


「……って、あれ、私、張り切ってましたけど……戦力外の可能性ありますよね?」


 もし相手が何らかの神の力を借りているなら、私の鋏は意味をなさない。

 討てるのはエリマスだけだ。

 指を鋏の形にして見せると、エリマスは目を瞬き、僅かに笑った。


「相手の状態によっては、確かに」

「何かあっても絶対私のこと庇ったりしないでくださいね、こっちは不死身で──」


 言いかけた口が、薄い唇でまんまと塞がれる。


「……なぜ、いま?」

「なんとなく」


 癪に障ったわけではないのならいいか、と、肩を竦めた。





(……しかし、動機か)


 詰め所のレミジオの席にはやはり怪しいものは特になく、次に訪れた騎士団の詰め所は人がまばらに残っていて検めることはできなかった。


 仮に証拠となる剣を見つけたとて、私物を使うほど無計画ではないだろう。

 それにこの世界には鑑定する技術もない。かろうじて指紋くらいだけれど、手袋をつけられていれば意味がない。


 今ある証拠はエリマスに気取られずに背後まで近寄り、そして斬りつけることができる実力者であるという事実だけ。

 あとは癖だというけれど、これも形の残るものではない。


 騎士団長はさておき、レミジオの普段の言動には疑わしいものなんてなかった。


(大体、マテルの出産の時だって……)


『逆算するに、何かあったとすれば昨年のおよそ六月末から七月くらいですかね』


「……あ」


『前回はいつ頃、どういうきっかけでこの空間に?』

『一年くらい前ですかね。夜、裏庭に出たらいきなり』


 オルフェンが前回、同じように異空間に飛ばされたのは今から一年くらい前の夜。


「……エリマス様」

「? なんだ?」

「元癒術師のマテル・イノ男爵令嬢……彼女が殿下の"偽物"と関係を持った日にちって、調書に記録が残っていませんか」


 怪訝な顔をして、しかしエリマスは足を止めた。


「そんな特別な夜、女性なら……きっと何月何日かまで、覚えていたはずです」

「……」


『不能なんだよ随分前から。……侍医の診断書もある。エリマス様も知ってる』


 それは何よりもインパクトがある、レミジオの無実の証明だった。

 でも。

 

「疑いを晴らすなら普通、その夜その場にいなかったことを、真っ先に証明しませんか。身体のことはその後でしょう」


 あの同僚が、そんな下種なことをするとは思いたくないけれど。

 どの癒術師なら御しやすく、オルフェンに特別な感情を抱いていたか、きっとレミジオならごく自然に聞き出せただろう。


「それに、」


 マテルの、揺れるような瞳を思い出す。

 彼女は本当に、打算だけでレミジオを指名しただろうか。

 

「……女の勘って、当たる時は死ぬほど当たるんです」


 



 そのまますぐに向かった先は、マテルの出産に対応し、かつ王城を出るまでの間に彼女とのやりとりを担当した侍医の元だ。


──けれど。


「残ってない……?」

「いやぁ、記録は絶対取ったはずなんだけど……あの時はばたばたしてたし、事件性もないからって」


 のんびりとした口調でそう言われ、頬が引きつる。


「どこで保管を?」

「も、もちろんここ、錠付きの戸棚ですよ」


 エリマスの硬い声に侍医は慌てるけれど、しかし隠しているようには思えない。

 かといって出産日からの逆算では正確ではない。


 侍医の元を後にし、時間を確認する。

 時刻はもう二十三時前。私たちの足は止まる。


「本人に聞くとしても時間がありませんね……」


 確かタラッサ侯爵邸で住み込みをしているはずだ。

 今そのためにランパスの監視をオルフェンから引きはがすリスクは犯せない。


 かといって実力者であるレミジオを、今日の今日で弱ったオルフェンの護衛から外せば不自然だ。


「もし仮に両方ともあの方がやったのだとすれば、その動機は殿下の名誉を落とすこと……でしょうか」


 オルフェンに成りすまし、私生児を生ませる。

 しかし結局、外部に噂は漏らしていない。

 国王の目の前でエリマスに斬りつけ、重鎮たちからの疑いの目を向けさせる。

 エリマスが致命傷を負わないことは分かった上でだ。本人ではないと分かっても、そうしてもおかしくない人間だと思わせることはできる。


 しかし。


「悪質ですが、もっとこう、他にやりようがあるというか」


 エリマスの表情も曇っている。


「もっとこう、殿下の悪い噂を流布するとか……どちらも周りがどうこうというより、殿下ご本人が知ったらショックを受けそうというか……」


 いや、そもそも。

 仮に何らかの仕組みで、オルフェンがあの世界に閉じ込められる間だけその姿に成りすませるとして──どうやってそのタイミングをコントロールしたのかだ。

  

(しかもこの一年でたった二回だけ……)


 そんなに便利で悪質な能力なら、もっと乱用するだろう。


「エリマス様。時間的にも、今日できることは限られています。取り急ぎ、私がレミジオさんのところに行った方が良いかと」

「……理由は」

「少なくとも、生身の人間かどうかは分かります」


 生身の人間なら、やりようはある。


「陛下から殿下への接近禁止が出たのに?」

「レミジオさん宛てに訪ねる分にはセーフですよね。あとは理由か……」

「……」

「あ」


 私の思い付きが悪質であることを察知したかのように、エリマスは嫌な顔をした。


「……殿下には申し訳ないですが、最悪の案があります」



◆ ◆ ◆



 なお、エリマスは最後まで抵抗していた。


『いやもう絶対にこれです、私も性格が悪いので何が刺さるか分かるんです』


 現在、私の手首にはロープで縛られた痛々しい痕がある。隠すように、わざとらしく上着を羽織った。


『あ、それか、このへんに噛み痕とかつけていただくのもありですが。どっちがいいですか』

『……』


 信じられないものを見るような目で、それは流石に断られたけれど。






「──……ノーナ?」


 作戦は順調だった。

 オルフェンではなく、オルフェンの護衛をしているレミジオに護衛の同僚としてどうしても急いで会いたい──私の暗い雰囲気を察知してか、簡単に関門は突破できた。


「どうしてこんな時間に……エリマス様は?」

「……、顔を合わせられなくて……あの、殿下のご容態は」

「侍医も診てるし、他にも護衛がいるから大丈夫」


 その声色はどう穿ってみても、私を労わっているようにしか思えない。

 疑いたくはないけれど──止むをえない。


「今日は大変だったとは聞いてるけど……謁見で何かあった?」


 下を向き、ふるふると首を振る。


「……またエリマス様と喧嘩した?」

「……」

「私に会いに来てたら余計悪化しない?」


 レミジオはまるで、幼い子供を宥めるように腰を屈めた。

 それでもそこにはいつでも抜けるように、剣が刺さっている。


「……実は、」

「うん?」


 もったいぶるように、そっと袖を捲る。

 赤く縛られた痕に、レミジオがはっと息を呑んだのが分かった。


「これは……」


 この硬い声や険しい雰囲気は、どこまでが演技なのだろうか。


「まさかエリマス様が?」

「……いいえ」


 わざとらしく、泣き腫らしたように鼻を鳴らす。


「実は、殿下に……」

「え」

「……だから、エリマス様のお顔も、これ以上見れなくて」


 そして、さめざめと。


「二人がいなくなったとは聞いていたけど……」


 あの殿下がそんなことをするはずがないと断じても良い。

 傷ついた私に同情したふりをしても良い。


「もう、こんな身体では、エリマス様と結婚なんて」


 顔を手で覆い、壁に寄りかかり、崩れ落ちるように。

 床にへたり込んだ私に、レミジオも腰を下ろす。


(……焦るな、)


「ノーナ……」

「誰にも、言えなくて」


 絶望を纏いながら、床に手をつく。



──答え合わせを。




 そして、鋏は──


「……え」


 彼の頭上に、正しく浮かんだ。





「……どうした?」

「あ、いえ、」


 動揺が(かわ)しきれず、不自然に顔を逸らしてしまった。


「だけど女性の身体のことだし、私だけでは……」



(……じゃあ、レミジオは、ただの人間……?)



 



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