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「……先程の教育係を処刑なさった陛下のお話。あれは、陛下がエリマス様と似ているとおっしゃられたかったんですか?」

「……」


 言葉を慎重に、選ばなければならない。


「私は陛下のことはあまり存じ上げませんし、エリマス様のことも正直よく分かりません。為政者としてどうかと言われたら理解も及びませんが、陛下のそのご判断に私は異論ありません」

「……どうしてそう思います?」

「幼い殿下は教育係の方を庇うでしょう。その方がどれほど憎かろうが、推薦なさった王妃殿下が頭に浮かぶはずですから。殿下を傷つけないためにも、話を聞かなかったのではないかと」


 静かな瞳は私を見ている。


「エリマス様は良くも悪くも、陛下のようにはなさらないかと。……確かにお二人とも少々、極端な節はありますが」


 エリマスはあの夜、ケイロンを斬らなかった。

 事実、私が隠し部屋でオルフェンに襲われかけていた状況を見ても、彼に必要以上の暴力は振るわなかった。


「……この国の女王になります?」

「なりませんよ」


 オルフェンはふっと笑うと、視線を床に落とした。


「ちなみに陛下がどうして、無名の子爵令嬢である王妃殿下を娶ったのかご存じですか」

「……いえ、存じ上げません」


 意図が読めない。

 

「では前正妃殿下……エリマスの母君のお顔をご覧になられたことは?」

「いえ、」

「公爵邸に飾られているので見てみてください。そっくりですから」


 混乱して、思わず首を傾げた。


「? それは、どういう」


 オルフェンの父、国王とエリマスは異母兄弟。

 その国王の妻たる正妃が、エリマスの母とよく似ている。


「……ご血縁で?」

「まさか。他人の空似ですよ」

「つまり?」

「つまり陛下は、自分の義理の母親に横恋慕していたんです」


 ん?


「……ん?」

「陛下は前側妃の子。エリマスは前正妃の子。で、陛下は、前正妃殿下に」

「いや、確かに前国王陛下と、前正妃殿下は年の差がおありでしたが……だとして陛下と前正妃殿下も……」 


 家系図を頭の中に引き、しかし矢印を引きかけたところで、フリーズする。


「まさか、いえ、だとして、それだけってことは」

「いえ、それだけですよ。ほんとに」

「え?」

「陛下はある夜会で生涯叶わぬ初恋の人に瓜二つだった私の母を見初めて、周りの反対を押し切って妃に据えてしまったんです」


 呆気に取られて、言葉が出ない。


「となると、陛下はエリマスの横暴にも中々強く出られないわけです。何せ自分も恋に狂った男です、耳が痛いことでしょう」

「……」

「彼、現国王の実弟でメレアグロス公爵家の当主ですよ。普通あんな簡単に婚姻誓約書なんか認められませんからね」

「……」


 数日前、一文字だけ書いて封印された書面が頭に浮かぶ。

 確かに、おかしいとは思っていた。思っていたけれど。


「あ、でも陛下と王妃殿下はすぐ結ばれましたよ、貴女がたと違って。まあ普通断りませんし」

「……ですよね」

「貴女がエリマスを振り回すせいで、私も結構とばっちり食らってるんですから」


 あっけらかんとした軽口を前に、頭が痛い。


 壁から離れたオルフェンは私の方に向かってくると、思わず身構える私を見下ろして腕組みをする。


「で、楽しい裏話は終わりとして……どうやって出るか考えないと」


 改めて、何故私がここにいるのかと訝しがられているのだろう。

 私だって聞きたい。


「……寝て起きたら戻ってたりしませんかね。殿下だけじゃなくて、私も同時に寝てみるとか」

「眠れそうですか?」

「……」


 とてもじゃないけれど、眠れそうにない。頭はしっかり覚醒している。


「殿下、前回脱出できた時のことをよく思い出してください」

「いや……誰もいないことに驚いて、走り回っていたら、気絶しただけなので」


 私はどうだっただろうか。

 とにかくあの世界の異物感が恐ろしくて、一刻も早く抜け出したくて──


「そうですよ殿下。ここから出たいと願うんです!」

「え?」

「前回思われませんでしたか? 目が覚めたら一人ぼっちで、誰もいなくて……ここから出してくれって叫んだりしませんでしたか?」


 オルフェンは目を瞬いて、逡巡する。


「ああ、それはそうかも」

「でしょう!」

「確かに、だとすると今は別にそんなに困ってないから出られないんですかね」

「? 何故、」

「貴女がいるので」


 駄目だ。

 絶望のあまり、足元がぐらりと揺れる。


「……ずっとこのままじゃどうしようもないでしょう殿下、死にますよ。飢え死にです。一国の王太子が餓死です」

「ここだと飢えとかないかもしれませんよ」

「では、気が狂います。私の」


 確かに、私も話がまともに通じるオルフェンがいるせいで危機感を失くしているのは間違いない。

 しかしそれはそれ、これはこれだ。


「二人が厳しいなら増やせばいいですし」

「は?」


 にこやかにオルフェンは自分と私を交互に指さした。


「子供を作るとか」

「……私が短剣をお預かりしたのをもうお忘れで?」


 忘れていた。この王太子も少々ねじが飛んでいることを。


「では私は改めて脱出のヒントを探す旅に出ます。元の世界でお会いしましょう。殿下、どうかお元気で」

「ノーナ」

「…………なんですか」


 オルフェンとの距離を取りながら、しかし無視はできずに振り返る。


「ちなみに気づいておられないかもしれませんが、私、結構体調戻ってきまして」

「え? あ、それはよかったです」

「追いかけっこしましょう」

「? はあ」

「三十秒待つので、その間に逃げて下さい」

「いや、何の話ですか?」


 王太子が屈伸している。

 鮮やかな色の髪の間から、澄んだ瞳が覗く。


「で、捕まったら」

「嫌ですよ疲れるのに、」

「キスします」

「…………はい?」

「じゃあ数えますね」


 三十、と、オルフェンが明るい声で高らかにカウントを始める。

 理解は到底及ばない。私が呆けている間に、二十九、二十八と──


「いや、な、ふざけ、」

「二十七」

「……ックソ王子!!!」


 不敬だろうが関係ない。

 脱兎のごとく走り出す。

 しんみりと会話していたはずなのにどうしてこうなったのか。


(さては私を疲れさせて眠らせようという作戦!?)


 そこまで考えているかは分からない。

 どこまで本気かも分からない。追いかけてこない可能性だってある。


 だだっ広い王城、走り続けるよりどこかに隠れた方が早い。

 体力勝負では勝てるはずがない。


 鬱々と頭を抱えているよりはましか、と、私は背後に誰もいないことを確認しながら階段を駆け下りる。


(いやまあ別に捕まったところで、)


 オルフェンも本気ではないだろう。……おそらく。


 扉を開けて滑り込んだのは見慣れない倉庫だった。高さは一メートルほど。

 リネンや布がぎっしりと詰まったそこに身を縮こませ、尻をついて溜息を吐いた。


 そして気づく。

 時計もなく、制限時間もないこの場所で、このゲームは成立していないことに。


 永遠に逃げ続けろということだろうか。

 上がった息を整えながら、暗い倉庫で山積みのリネンに凭れかかる。

 隠れ続ければオルフェンは一人になる。その孤独から、ここから出たいと願ってくれればいいのだけれど。


「……はぁ……」


 どうだろうか。

 戻れば彼には、向き合いたくない現実がある。


 この世界ではこれ以上誰もオルフェンを傷つけない。

 傷が治らない呪いに怯えることもなければ、体調不良を隠さなければならない相手もいない。

 

──どこまで本気なのか。


 目を閉じる。

 何はともあれ、元に戻る前提で考えなければ。


 確かゴルゴンの森では、異常な世界で過ごした体感時間より、現実世界の経過時間はずっと短かった。

 つまりこちらでこんなにぐだぐだしていたところで、実際には数分しか経っていないケースもあり得る。


 オルフェンは前回一年ほど前に経験したと言っていた。

 容易に人間の心を壊す効果がある割に、頻繁ではないことが引っ掛かる。

 何らか人外の力が働いているとはいえ、成立する条件があるはず。


 前回は、夜うなされて。

 今回は部屋にいたら、突然。

 

(いや、じゃあやっぱりあの部屋になんかあるんじゃ……)

 

 こんなところでかくれんぼしている場合じゃない。


 もしオルフェンが私を追いかけているなら、もうあの部屋にはいないはず。

 狙うなら灯台下暗し。


 身を潜めながら、オルフェンの部屋へと戻る。

 かといってヒントがあるとすれば元の世界の彼の部屋である可能性が高い。


 鉢合わせせずに部屋の前まで戻り、そっと扉を開け、隙間から覗く。

 いない。

 本人には悪いけれど、くまなく漁らせて頂く。


 そして周囲を見回して──


「え」


 足が見えた。


 悲鳴出なかった。ただ息は止まる。

 寝台からぶら下がる足は間違いなくオルフェンのもので、恐る恐る近づくと、そこには仰向けに転がるオルフェンがいた。


「……戻ってくるの、早すぎませんか……」

「いや、」


 つまり、撒かれたのは私の方だったということだ。

 

「だから体調悪いなら休んでて下さいって百回くらい言いましたよね私」

「……百回も言ってないです」

「それはそうなんですけど」


 いつか私がこの追いかけっこの違和感に気付いて戻ってくることは考えていたのだろうか。

 オルフェンはどうやら、私を追い払いたかったらしい。


「もう無駄なので寝てて下さい。勝手に漁ります」

「……さっき何て言ったか忘れたんですか?」

「キスですか。本当にそんなことして嬉しいですか? 別に私のこと好きでもないでしょう」


 容赦なく、机の上の本のタイトルを見ながら捲り、読んだ順に床へ下ろしていく。


「どうしてそんな確信めいてるんです」

「いや分かりますよ」

「結構行動に示していると思うんですが」

「それこそ行動だけなので」

「?」

「感情が乗っていないことくらい分かります」


 本を全て床に下ろし、引き出しを開ける。


「感情ですか」

「本当にそういう意味で好きだと言うなら、相手を素っ裸にしておいてああいう態度は取れません」


 隠し部屋での会話を思い出す。あれは最早身体検査、命のやり取りだった。


「知ったような口ですね」

「殿下はどちらかというと、どこまでやったら嫌われるか試しているのに近いかと」


 寝台に目を向ける。身体が沈んでいて、顔は見えない。


「いわば、幼い子供と同じです」


 戻ったら、不敬罪で処刑されるかもしれない。


「結構言いますね」

「孤児院にいた頃同じような子がいたので。あと」


 引き出しの中はほとんど空っぽだった。


「言動の割に殿下からはあまりにも、欲を感じないというか」

「欲?」

「…………、性欲というか」


 最後の引き出しを、勢い余って音を立てて閉めてしまった。


「……」

「いや、これもなんとなくですよ」

「……」

「……何笑ってるんですか?」

「……っ、いえ、」

「何ですか? こっちは忙しいんですよ」

「ぎ、逆に、それ、っエリマスからは、感じるということですよね……っ」


 近くにある一番分厚い本を、大きく振りかぶって投げそうになる。


「そうですが?」

「はは、開き直ってる」

「別にお互い子供じゃないのでおかしなことではないです」

「でもエリマスのこと拒否してるでしょう?」

「……なんで逆にそれ知ってるんですか? エリマス様に聞いたんですか? 申告制なんですか?」


 ギシ、と寝台が軋む音がする。睨むと、オルフェンは寝転がったままこちらを向いていた。


「いえ、だってあの人分かりやすいじゃないですか」

「……」

「貴女を完全に手に入れきった安心感がないから、私ごときに牽制してくるんです」

「……次、こっちの戸棚開けますよ」

「どうぞ」


 真面目に脱出の糸口を探しているというのに、何故にこんな生々しい会話をしなければならないのか。


「どうして嫌なんですか?」

「まだ続けます?」

「王族の成人男性としては興味深くて」


 戸棚にもめぼしいものは見当たらない。


「……この国にもいくつか、国の宝と呼ばれるものはあると思うんですが」

「? はい」

「それを、床掃除をして洗っていない手でべたべた触ります?」

「まあ、許されないでしょうね」

「つまりそういうことです」

「エリマスは国宝だと?」

「私にとっての話ですよ」

「……本当に彼のこと好きなんですよね?」


 放課後の高校生か、と言いたくなって、しかし世界が違うことを思い出してぐっと飲み込む。


「ご本人にも都度お伝えしています」

「ほう。不覚にも同情心が湧いてきました」

「あとなんかこう、」


 過った言葉を、脳内で蹴った。


「うわ、言いかけてやめるの卑怯ですよ」

「……言ってもエリマス様も、今年で二十八じゃないですか」

「はい」

「当然そういうことに慣れているとは思うんですけど、というかまあ、普通だと思うんですけど、何かそれが嫌というか」

「……」

「あの、……腹抱えて笑うの、やめていただいて」


 オルフェンは声にならない声でお腹を抱えて身を捩っている。


「……っこ、殺す気ですか……」

「もういいです。じゃあ次こっち開けます」

「や、む、無茶苦茶なことを……くく、」


 笑いすぎで体調不良を悪化させているのではないだろうか。


「つまり貴女は、国宝に手垢をつけるのも嫌だけれど、元からついているのも嫌だと」

「……そこまで言ってないですよ」

「エリマスが、っかわいそうすぎて……」


 机側の戸棚は全て見た。やはり何もない。


「公爵家に嫁ぐなら子供を産む努力義務を果たせとはエリマス様にも言われたので、それは従いますし」

「……」

「正式に結婚した後については最低限というか、拒否するつもりはないです」

「……」

「というか殿下が脅してくるからですよ。エリマス様が万一王位に就くようなことがあったらさすがに私は身を引きます。となると、唾をつけられた令嬢なんて嫁に行けなくなりますから、己の商品価値を下げるようなことはできません」


 腰を上げ、例の箱を素通りし、洋服棚を無断で開ける。

 ちらりと見やったオルフェンは何か憐れむような、穏やかな表情をしていた。 


「帰りましょっか、ノーナ」

「は?」


 あまりに予期せぬ一言だった。




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