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◆ ◆ ◆




「──ステントール侯爵閣下が?」

「ええ。なんでも昨晩から高熱が引かないそうで……先ほど城内で倒れてしまわれたようで、今からこちらにお見えになると」


 治療室に僅かに緊張が走る。

 王妃の実兄、評議会の筆頭議員、かつ"嫌な人間"という共通認識があることは癒術師の井戸端会議で散々聞いている。

 私も逃亡生活から戻って早々、凝縮した嫌味を浴びた記憶が新しい。


「以前骨折なさったときも頑なに癒術師には頼らないと豪語されてらっしゃったのに」

「余程お辛いんじゃない?」


 あのヘメラが口を歪ませて笑っている。

 しばらくすると、仰々しい担架に乗せられたステントール侯爵が運ばれてきた。

 どうやらヘメラが担当するようで、淡々と症状を聞いているのが聞こえてくる──が。


「ッ医者でもないくせに何の問診だ、黙ってさっさと術を施せ!」


 高熱があるとは思えぬほどの怒号に、キンと鼓膜が揺れた。

 静まり返った治療室で、響くのはステントール侯爵の文句だけ。

 しかしさすがはヘメラ、冷静に対応しているらしい。


「これ以外大した能もないくせに、人外が」


 無視して動かしていた筆が、思わず止まった。


「中途半端に貴様らのような人間がいるせいで、医術が発展しないんだ」 

「おい、私は忙しいんだ、いいか、ここの予算なんて私の一声で──」


『お前みたいな女、何の取り得もない、社会に下駄を履かされただけの──』


 誰かが制止するような声は、確かに聞こえた気がした。



「恐れながら、侯爵閣下」



 手が出なかっただけ褒めてほしい。

 頭から()()()になったステントール侯爵は、はくはくと私を見上げていた。


「まあ、この皮膚の赤い発疹、他国で多くの死者を出したかの有名な薔薇疹ではございませんこと? となれば非力な癒術師では到底どうにもなりません。ほら皆さん後ろに下がって」

「貴、様……ッ」

「今閣下にかけたのは私特製の消毒液ですよ。ああ、触らないで下さい。感染(うつ)ると嫌ですもの」


 寝台から起き上がって掴みかかろうとしたステントール侯爵がぐらりと姿勢を崩す。

 空になった水差しをヘメラに預けると、侯爵は真っ赤にした顔を歪めた。


「こ、の、お飾りの、……無能の、売女(ばいた)が、」

「売女なんて最近は民草(たみくさ)でも口にしない忌語ですのによくご存じで。それとも──よほど親しみがあるとか?」


 振り上げられた手の動きは子供のように遅い。

 ここで一発殴られておいた方が、後々の証拠にもなるだろう。

 制することなく黙って構えていたが、いつまで経っても痛みは飛んでこなかった。



「──やりすぎだ」



 聞きなれた声に顔を上げると、飛んでくるはずだったステントール侯爵の腕を掴むエリマスがいた。


「え」

「……侯爵、ここは引いて下さい」


 割って入られるには、あまりにも微妙なタイミングだった。

 渋々私が二歩下がると、やかんのように沸々と顔を赤らめたステントール侯爵がカッと口を開く。



「ッ死に損ないが、お前のような、見てくれと血筋だけの半端者──」



 それは死ぬほど嫌いだった上司と、顔が似ていたせいかもしれない。



 人間の歯が飛ぶ瞬間を始めてみた。

 そして、体重をかけて顔を殴ると、ここまで拳が痛むことも。



「……お前が死ねよ」



 おそらく、聞こえていないだろうけれど。

 

 すっと波が引いたように、治療室は静まり返る。


「ちょうどよかったです、エリマス様。ご覧の通り、感情に身を任せて尊いお方に暴力を振るいました。処分が決まるまで一旦謹慎でしょうか?」


 一部始終を見ていただろうに、何故かびっくりしたように固まっていたエリマスが目を瞬いた。


「何を──」

「まあ! 驚きましたねノーナ様!? ステントール侯爵ったら、不慣れな高熱でまさか()()()()()()傷つけられるほどだなんて、ねえ皆!?」


 ヘメラの大声に、私も思わず振り返る。


「さ、偉大なる聖冠の神子様のお身体に何かあってはいけませんから、皆~気絶している間に、こちらの尊いお方を別室に運んで差し上げて~! 大病よ~!」


 引き剥がすように、ヘメラの細い手に肩を抱かれる。


「……目を醒ます前にご退場なさって」

「っですが、」

「大丈夫。立場はさておき、ここの全員、貴女に惚れましたから」


 返事をする前に強引に方向転換させられ、背中を押される。


「……メレアグロス公爵閣下、ぼうっとしておられないでノーナ様をお連れしてくださる? 私たち忙しいので」



──一体どこに向かうのか、まるで刑務官と囚人のように、ひたすら無言で歩いていた。

 

 ヘメラに握らされたリネンの切れ端で右拳はぐるぐる巻きにされ、顔が見えないエリマスの半歩後ろを維持し続ける。

 あの場はヘメラの機転で強引に収められたけれど、とはいえやった事実に変わりはない。

 というよりステントール侯爵が許さないだろう。


(むしろここで私が処分を受けた方が、体よくエリマスとの仮婚約状態を破棄できるのでは?)


 曲がりなりにも王妃の実兄、爵位は格上。

 そんな相手をぶん殴った令嬢なんて外聞が悪すぎる。

 強いて言うならなんとかアルカヌム伯爵家への影響だけは回避したいけれど、そこはなんとか守ってもらえると信じたい。


 床の模様を見すぎていて、たどり着いたのが自分の部屋の前だと言うことに気付いたのは数秒遅れてのことだった。

 頭は妙に冷静で、あぁ、謹慎するなら一旦自室ということかと納得して、自分の手で扉に手をかけようとして──


「えっ」


 やましいものでも隠すような勢いで部屋の中に放り込まれて、後ろ手に鍵をかけられた。


「いや、あの、私もあれで逃れられたとは当然思っておらず、己の罪を真摯に受け止めて」


 視線はエリマスの胸元へ。

 壁際へと物理的に詰め寄られれば、言い訳が滑り落ちる。 


「ですから、」


 その判断はコンマ二秒。


 殴った勢いで私は今右手に怪我を負っている。

 エリマスは当然知っている。

 機械的に、治してやらねばと思っている。

 つまり、


──まずい。


 近づいてきた顔を、思わず左手の平で遮った。


「結構です!!」


 それは最早、防衛本能に近い。


「加害の証拠保全という点でこの傷は残さなければなりませんし、というか見張られなくてもここで大人しくしていますし、エリマス様は早急にステントール侯爵のところへ──」


 遮った左手首を掴まれる。

 針の先端から逃げるように、自分の顔を逸らした。


 瞬時に反芻(はんすう)するのは、エリマスのかつての言葉だ。


『私はその時自分に加護が効かなくなったことで、君が他に誰かを見つけたと気づくことになる』


 あの時、素直にエリマスの言うことを聞いて、力を解除しておけばよかった。

 ここで義務のように口付けられたとして、この右手の傷が癒えなかったら。


 相当、高度なお笑いだ。


 しかし当然、力勝負で勝てるはずがなく。

 落ちた影からは逃れられず、掠めるようにほんの一瞬唇が触れた。

 

 右手から痛みが消えた感覚に、思わずほっとした自分の浅ましさに、しばらく顔を上げられなかった。


「……今のが最後だ」


 頭の処理が、追いついていない。


「……何を、」

「君の提案が正しかった。……加護は私から殿下に移してほしい。何か必要なものがあるなら用意する」


 エリマスの声は静かだった。


「え、あ、……分かり、ました……?」


 まだ理解できていない。


「あの、ではまた後日、改めて詳細を……」

「……」

「いえ、あ、強いて申し上げるとしたら私、一応聖冠の神子なので、何かうまい言い訳を」


 顔を覗き込もうとして、失敗した。

 壁に貼り付けていた背を剥がされて、圧死しそうなほど腕に締め付けられ、呻き声が上がる。エリマスの顔は私の右肩に沈んだ。



「……その代わり、加護を移したらすぐに私と結婚してくれ。婚約期間はいらない」


「………………え?」



 くぐもっているのに、やけにはっきりと聞こえた。


「? それは、な、何のために……?」


 必死に考えるのは、政治的意図と、王城内の勢力図だ。

 しかしどうパズルを組み合わせても、エリマスに利がない。


「あの、加護の対象を変えるだけで、以前のように殿下の側妃に収まろうとなんて思ってませんよ」

「……」

「あるいは私の知らない王族の規則か何かがおありとか?」

「……」

「! ステントール侯爵に罪を問われた場合に備えて公爵家に入っていた方がとか、」

 

 まずい、このままでは肺が潰される。

 エリマスの柔らかい髪が耳元に触れ、思わず身を(よじ)った。


(さっきのあれで傷が治ったということは、嫌われたわけではないんだろうけど)


 噓発見器のようで恐ろしい。

 溜息を吐くと、肩に埋まるエリマスの頭が一層重くなる。


「君があんな風に人を殴れるとは思わなかった」

「人だと思ってたら殴りませんよ」


 耳元で小さく噴き出したのが分かった。


「……本当なら私が始末すべきだった」

「いいえ政治的にアウトです。エリマス様は正しい。間違っているのは私とあのクソジジイだけです」


 むしろ王弟のエリマスがあそこで手を出していれば、誤魔化すに誤魔化せなくなる。

 いらぬ疑惑をでっちあげられるだけだ。


「……エリマス様、」


 それにしても、いつまでこの姿勢なんだと異議を唱えようとするけれど、びくりとも動かない。


「先に返事を」

「? どれについてですか」

「まあ、今更どう返事をされたところで私が書類一つ書けば済む話だが」

「……まさか結婚のお話の方ですか? どういう戦略のおつもりですか」


 やっと離れたかと思えば、今度は影を帯びた青暗い瞳が同じ視線の高さに下りてくる。

 ゴミを見るような目とはまさにこのことだ。


「……定期的に記憶喪失になる呪いでもかけられているのか?」

「本来物覚えは比較的良い方だと……」


 エリマスは私を囲い込むように両手を壁につき、俯いた。

 胸の奥に溜め込んだ空気を、床へ叩きつけるように吐き出す。その重さに、思わず肩が跳ねた。


「私は、」

「はい」

「今の君が私をどう思っていようが、持ちうる全ての権力を行使して君を妻にしたい」

「? ええ、急ぎで、ということですよね」

「聞け」

「すみません」

「……事実さえあれば、感情は後からついてくればいい」


 低く押し殺した声は、まるで誰かを殺める直前のようで。


「君が殿下に移すのはあくまで加護の力だけだ。それ以外一切の権限は殿下にはない。ただ口約束だけでは信用できないから君の方を法的に縛る。強いて無茶を言うなら用が済んだら殿下への加護は解除してほしい、私もできる方法を探す」

「あの」

「むしろ殿下の毒さえ解け次第、即エイレネ王女と正式に婚約を結ばせる」


 私ではない何かに怒っていることは分かるのだけれど、一向に話の筋が見えてこない。


「エリマス様は一体何の心配を……? 時間がない中で、今は殿下に加護の力を移すのが最適解だと思っただけで、さすがにそれを笠に着て私も殿下とどうにかなろうなどとは、」

「……どうにか?」

「そこ怒るところですか?」

「大体、」


 どうやら怒りの矢印が、こちらの方向を向きかけている。


「……ッ散々、()を好きだ何だと言ってきた割に釣った魚に一切餌をやらないどころか釣ったことも覚えてないだろ君は」

「え」

「そのくせ他の男には気を許して楽しそうに、何がレミジオさんだ、挙句殿下には全裸まで見られて襲われかけてもなんともないような顔するくせに合理的な理由があっても俺には指一本触れさせないどころか君の方からは触れてくることもない、結局君が俺に対して抱いているのは度を越した忠誠心だか敬愛だかで、それも君の中の大義を前には劣るわけで、だから加護の力を殿下に移すなんて案の採決を俺にさせても涼しい顔ができる、オルフェンでも力の成立条件を満たすから問題ないと!」


 呆気に取られて、声が出なかった。


「君からすれば逃亡先から強引に連れ戻された挙句望んでもいないのに俺に束縛されて良い迷惑だろうが、何度も言うようにこっちは金も地位も権力もあれば今はよく分からない神まで味方についている、君が今更人並みに生きたいと言っても俗世に帰すつもりはないし別に君から同じ感情を寄越されなくてもどうってことはない、君のおかげでもう十分耐性はついたし、よくよく考えれば俺は一度も君に好きだと言われたことはなければ欲しがられたこともない、……だとしても、以前言った通り君には責任を取ってもらう」


 今、何の尋問をされているのだろうか。

 怒られているのか、脅されているのかすら分からない。


「……し、承知しました……」


 処理落ちした結果、このざまだ。


 エリマスはもう一度深く溜息を吐き、よろよろと後ろに下がる。

 そして「今日は一歩も部屋から出るな」と謹慎命令だけ告げ、静かに部屋を出て行った。


 扉が閉まる音が、妙に遠く聞こえた。



 つまり、何だ?



「……愛の告白みたいだったな……」



 しかしその前、口付けたあとに『今のが最後だ』と言われたのも間違いない。


(俺がお前の傷を治してやるのは最後だって意味? それともお前に触れるのは最後だと?)


 どちらにせよ、突然結婚を急ごうとした理由は結局ひと言も説明されなかった。


(まあ、多分、まだ嫌われていないんだろうけど)


 考えるのを放棄して、あれからヘメラ達は無事だっただろうかと、治療室へと思いを馳せた。









「──え、お咎めなしですか」


 数時間後。言われた通り大人しくしていた私の部屋の扉を叩いたのは、完全に仕事モードのエリマスだった。


 ご丁寧にステントール侯爵本人だけでなく、国王の直筆の署名まで入った書面を目の前に掲げられ、思わず肩の力が抜ける。

 文面には癒術を侮辱したこと、そして私に対する非礼の詫びまで入っている。


(この数時間で何が?)


「ご多忙のところ大変お手数をおかけしたようで……」

「……夕食は?」

「謹慎ということでしたので、ちょうどどなたかにお願いしようと思っていたところです」


 どうやら怒りは鎮まったらしい。

 けれど私の恰好を見て怪訝な顔をしたのを察知して、慌てて言い訳をする。


「やることがなく、先に湯浴みに……。申し訳ございません」


 まさか湯浴みも駄目だとは言われないと思っていたのだけれど。


「いや、……問題ない」

「とはいえ明日にでもステントール侯爵にはお詫びに伺った方がよろしいでしょうか。私にも非はありますし」

「なくていい。当人からも断りが入っている」


 そのあたりのセオリーには疎い自覚がある。そういうものか、と頷いた。


 それにしても、さっきのエリマスは何かの幻覚だったんじゃないかというくらい平常運転だ。

 書面を受理したことを残すために私も署名し、エリマスに返す。


 用を済ませてさっさと出ていくかと思えば、扉に手をかけようとしたところで止まった。


「? どうされました」

「……私の部屋に夕食を持たせる。あとで呼びに来るから、着替えておくように」

「……かしこまりました」



 延長戦か。 




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