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◆ ◆ ◆




「──斬ってよかったんですかね……」


 王城へ戻り、調査の結果は"特別な成果なし"とだけ報告した。

 今はエリマスの部屋で、卓上に置いた赤い実を前に頭を抱えている。


「跡形もなく消えた時点であれがただの石碑じゃなかったことは確かじゃないか?」

「それはそうなんですけど」


 山を下る途中、糸を括りつけていた石をもう一度確認したけれど、やはりただの石のままだった。


 叩き斬った本人は隣で涼しい顔をしている。

 石を壊すという行為が罰当たりに思えるのは、価値観の違いだろうか。


「……これ、食べた方がいいんですかね。それとも何かの種でしょうか」


 近づけても無臭だ。球根のようにも見える。


「割ってみるか」

「な、なんでもかんでも切ればいいというものでは」


 慌ててエリマスから遠ざける。

 異物を倒して出現したアイテムは貴重──そんな感覚を持っているのは、どうやら私だけらしい。


 こうして日常に戻ると、あの川辺でのやりとりだけがざらりと脳裏をかすめた。


(あれも幻覚……? いや、でも──)


「……どうした?」


 セレストブルーに覗き込まれて、思わず仰け反った。


「っいえ、その、かといってこのまま保管しておくのも危険かなと思って」

「確かにそれはそうだな」


 代物によっては、迂闊(うかつ)にランパスや大司祭に共有しない方がいい可能性もある。


「陛下に報告に上がった時にさりげなく石碑の話をしたが、やはり私が斬ったあの石のことを石碑だと認識されていた」

「……ではやはり、」

「今日私と君があの森に到着した時点では、あの石に辿り着けないように何らかの力が働いていたのは間違いない」


 人ならざるものの力だ。

 あの異様な森の気配は、やはり勘違いなどではありえない。


「となると、そんなところに残されたこれはただの実ではないと思ったほうがいいだろうな」


 身を乗り出して、エリマスは赤い実を手に取った。 


「ちなみにこの国には、国王が崩御してから十日の間、王族は赤い果実を口にしてはならないという慣例がある」

「……赤い果実、全部ですか?」

「ああ。魂が冥界へ渡るまでのあいだ、赤い果実のどれかが"仮の心臓"になるからだとか」

「つまりそれを誰かに食べられてしまうと、冥界へ行けなくなると」


 その感覚は分からなくもない。

 はっと見やると、エリマスがペティナイフを赤い実に刺そうとしているところだった。


「ちょ、あっぶな、何考えてるんですか!?」

「これが化け物の心臓の可能性がある」

「な、なくはないかもしれませんが、もうちょっと考えた方が良くないですか!?」


 真顔で恐ろしいことを言う。


「中から何か出てくるかもしれないじゃないですか……!」

「? ならその場で始末する」


 チート特有の脳筋すぎる。

 

「……不本意ですが、ここはやはりケイロン・テルクシノエに問い合わせた方が確実だと思います」


 エリマスからペティナイフを奪いながらそう言うと、明らかに表情が曇った。


「召喚する方法があると?」

「い、一応」


 前回、例の羽根を使わずに再会できてしまった。

 つまりまだ一回分は有効ということだ。それにゴルゴンの森へ行った結果は共有しておきたい。


「奴の目的が端からその実だったらどうする」

「……それは……」


 うまく操縦されただけだという可能性は、確かに否めない。


「現時点、一番確かな情報をくれたのは彼です。……良くも悪くも、私に対する忖度は、なかったと」

「オフィオタウルスの檻が何かについては知らなかったんだろう」

「ですが、」

「話を聞くのは良い。ただし、その後については私はあの男を野放しにするつもりはない」


 エリマスの瞳に、声に、温度はなかった。

 ひくりと喉が震えた。


「正体が何だろうが目的が何だろうが、この国の王太子に不治の毒を与え、神罰の塔から脱獄したことは事実。どこまでテルクシノエ家が奴のことを承知していたかはさておいて、ここまで分かった以上、家門の廃絶は避けられない」


 反論の余地も与えないほど、空気は冷えていた。


「かつ、城内の極秘事項まで知り得ていて、今回は君をオフィオタウルスの檻まで的確に誘導してみせた。それでいて人間ではないとまで言われたら、私からすればアーテよりも先に始末したい」


 全て正しい。

 なのに飲み込み切れないのは、きっと私の記憶というノイズのせいだ。


 それに。

(結局あの森に入っても、オフィオタウルスの檻らしきものを見ても、記憶は取り戻せなかった……)

 ケイロンの目論見は外れたのだ。


「……以前申し上げた通り、ケイロンは私と同じ不死ですよ。捕縛も通用しません」

「なら、いつでも逃げられた奴がご丁寧に数か月大人しくしていた理由は? まるで君が戻ってくるのを待っていたかのように神罰塔から抜け出したのは何故だか聞いたか?」

「……」

「聡い君なら、真っ先に聞くと思ったのに」


 ギ、と長椅子が軋む。

 耐えきれず、視線は逃げてしまった。


「大体、地下牢でケイロンを前にした時の君の反応は明らかにおかしかった」


 二度とも、エリマスは同行していた。

 気づかれていないわけがない。


「知り合いだとして隠す性質でもないだろう。なのに、あの場で庇うそぶりもなかった」

「……」

「ラミアのことですら正体が分かった後もラミア()と呼ぶ君が、仮にも公爵家次期当主だった男の名を敬称もつけず随分気安く口にする」


 視界の端で、足を組み直したエリマスの革靴が映る。

 むしろ今はそれしか目に入らなかった。

 迂闊だった。全てにおいて。


「何か弱みでも握られているのか?」

「……いえ」

「で、今君はおそらく、どうやって私に気付かれずにケイロンに接触するかどうかを考えている」


 逃げ場はない。

 私にも、彼らのようにその場からすぐに消え去る手段があればいいのに、中途半端に人間であることが嫌になる。


「……大司祭が、おっしゃっていました」

「ほう」

「て、テルクシノエの血筋の者は、何代か前の糸績みと深い関わりがあったと、それで」

「魂が覚えていると? ケイロンは人間ではないと言っていなかったか?」


 もう終わりだ。

 こんなロジック破綻にも気づかないなんて。


「そ、そうですね……」

「いっそ昔の男だと言われた方が納得が──」


 ひくりと、反射的に手が跳ねた。



「…………あ?」



 駄目だ、怖すぎる。


「あ、ああああり得ません、接点なんて一度もございません、疑うならどうぞ実家にご確認ください」

「目を見ろ」

「仮にそうならそれこそ最初の時点で庇っているはずでは!?」


 手首を掴まれて、短く悲鳴が上がる。


「っそもそも、今の話の中で彼を見逃してくれなんて私は一度も申し上げておりません」


 鮮やかすぎる瞳を前にして、これ以上嘘は吐けそうになかった。


「私とあの男の間に何があろうとエリマス様のご判断が変わるわけではないですよね? ケイロンは罰を受けなくてはならない、事実を見ればそれ以外ありませんし、私もそれが正しいと思います」


 なら、論点をすりかえるしかない。


「あるいは、私が彼の脱走の手助けをしたと疑われるなら、どうぞ地下牢でも神罰塔でもお連れください」


 痛いほどの沈黙が突き刺さる。

 痴話喧嘩にしてはあまりに鋭すぎて、頭がひりひりと熱い。


「…………」


 手を離したエリマスは、何かを放棄するようにぐったりと背もたれに身を預け、灯りを避けるように手首を目元へ当てた。

 

 分かっている。

 彼の立場も、年齢も、責務も、今、エリマス自身の行き場のない怒りを、強引に押し沈めていることを。

 

 思わず、溜息が零れた。

 

「……分かりました。あの男には接触しません。赤い実のことも忘れます。その上で現状──実現可能性が高く、かつ合理的な判断をするなら……私の加護の対象を、エリマス様から殿下に変更することです」


 自分への加護を外してほしいと言い出したのは、元々エリマスの方だった。

 今更嫌だとは言わないだろう。


「私の加護はヒュドラの毒を無効化できると証明されました。これがあれば癒術が効かない殿下の今の身体も改善されますし、精神状態も安定するはずです。ステュクス神がエリマス様の中から退く可能性はありますが……アーテを殿下から引き剥がせるかもしれません。いずれにせよ、時間の猶予は生まれます」

「……」

「強いて言うなら、やったことがないので成功する保証がないことですが。試しましょうか」


 エリマスは何も言わない。

 

 大体、今日の今日で、こんな話をするには互いに頭が疲れすぎている。

 癒術で身体は癒せても、思考までは休まらない。


「……今日はもうお休みください。時間を取ってしまい、申し訳ございませんでした」


 目の前を通り過ぎた瞬間、微かに衣擦れの音がした。


 呼び止められることは、結局なかった。




◆ ◆ ◆



 翌朝。

 詰め所で書類整理をしていた私の元に、神妙な顔をしたレミジオが身を屈めながら近づいてきた。


「──……今度こそエリマス様と喧嘩でもした?」

「え? してないですよ」


 確かに詰め所には朝からいなかったけれど、別に珍しいことではない。


「何かありました?」

「数か月前に君がいなくなった日の翌朝と同じくらいの殺気の立ち方してたから思わず書類出し損ねて……」

   

 レミジオのその手には、今日中にエリマスに提出しなければならない報告書があった。


「いえ、まあ、お疲れではあるかもしれませんが」

「ほら、二人で昨日一日、調査だとかで出かけてたから、てっきりそこで何かあったのかと」

「何かお気に障ることがあったとしても、翌日まで引っ張るほどではないかと」


 私の足元で小さくしゃがみこんだレミジオは頭を抱えている。


「確かにエリマス様は感情の起伏が少ない方だし上官としては有難いんだけど、だからこそ何かあった時の異常事態感……あ、ほら、彼もさっき持っていった書類そのまま持って帰ってきた」


 十分ほど前に書類を手に出て行った護衛の一人も、妙な表情で行きと同じ量の荷物を持って席についている。


「我々が職務を全うするためにも、君が鎮火に行くしかない」

「でも私、心当たりないんですよ。逆に火に油を注ぐことになりませんかね」

「ああいう人ほど言葉なんかより、適当に抱き締めるなり──」


 こそこそと声を潜めていると、ふと手元に影が落ちた。

 コントのようにレミジオと同時に顔を上げると、そこには冷めた目で私たちを見下ろす公爵閣下がいた。


 そしてレミジオの手から無言で書類を抜き取ると、そのまま何も言わず背を向けて去っていく。


「……終わった」

「終わってましたね」

「君、何したの?」

「いや本当に何もしてないですよ」


 むしろ、昨日のどれがエリマスの何に刺さっているのか分からない。


(……にしても、会社で職場恋愛が禁止だった理由がやっと分かった)


 幽霊のようなレミジオの背中を見送りながら、短く息を吐いた。








 それから三日、まるで何かを察したように太陽は顔を出さず、降り出した雨は止む気配を見せない。夜には雷鳴が遠くで低く唸るほどだ。


 エリマスも私も互いに子供ではない。職務上必要最低限の会話はする。

 ただ恐ろしいほど公私の線引きが徹底されていた。

 

 詰め所にはほとんど姿を見せず、夜も部屋に帰っている様子はない。何やら忙しそうにしていると人伝に聞くばかり。

 私自身も、昨日から癒術師の応援に就いている。


(……赤い実も、あっちの部屋に置いたままだしな……)


 窓の外の豪雨を眺めながら、私はのんびり昼食を摂っていた。

 時間がないというケイロンの言葉が頭の奥で反響する。

 隣ではヘメラが王都での流行を熱く語ってくれているけれど、ほとんど耳に入ってこない。



 険しい雨音を聞きながら、ここでひとつの()()に気付く。

 それはエリマスの特別な感情が、こちらを向かなくなった場合のことだ。



 私のご都合主義的ロマンチック能力には、エリマスとの関係性が必要不可欠となる。

 ここに至るまで他の懸案事項が多すぎて、彼から向けられる感情を維持する努力をすっかり忘れていた。


(まあでも、それで困るのは私の回復が効かなくなることと、強いて言うなら不死を──)


「絶対私の話聞いてないですよね?」


 割って入ってきたヘメラの目は据わっていた。


「……誠に申し訳ございません……今一度ご指導ご鞭撻のほど……」

「ご婚約式のドレスのお話です。そろそろ発表なさるんでしょう? いつもお召しになっているエレクトラ工房のものになさるんですか?」

「え、な、なんの話ですか?」


 今度こそ聞いていたはずなのに、言葉の全てが右から左に流れていった。


「ですから、ご婚約式の」

「い、いやいやいや、しません、一切そんな段階ではないですし」


 恐ろしいタイミングで話題を振られたものだ。一瞬、目の前が暗くなった。


「ご謙遜を。オルフェン殿下のご婚約が決まってからだというお噂は聞き及んでいますが、そんな律儀に順番待ちって必要です? ご兄弟でもありませんのに」


 そんな設定になっていることも今初めて知った。


「だとしてもメレアグロス公爵家ご当主の婚約式ですから盛大になさるでしょう? ドレスの仕立てにもお時間は必要でしょうし、そろそろお考えになられては?」

「いえ、もう、全然……」


 口に手を当てて楽しそうにしているヘメラの隣で、私は完全に食欲を失っていた。


「……いっそのこと既成事実を作ってしまわれては?」

「ヘメラさん」

「まあお堅いこと。ああ、そういえば」


 すっと身を屈め、ヘメラは声を落とした。


「先日マテルに会ってきたんですが、元気そうでしたよ。ご子息も」

「! 本当ですか、よかった……」

「ええ。来月からタラッサ侯爵邸で住み込みの侍女として働くそうで」


 レミジオが手を回したのだろう。どこまでもそつがない。


「全く、真っ当な乙女を騙す不届き者がいたものですよ……あの子たちには幸せになってほしいです」


 大粒の雨が勢いよく窓にぶつかり、ヘメラの声に重なる。

 まだ当分、止みそうにない。





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