52
「──そういう訳で、私の故郷らしいゴルゴンの森とやらに探索に行きたくて」
「待て待て待て」
誘拐騒ぎはひとまず収まり、使節団の帰国は当初の予定より二日延びることになった。
実行犯の処分はグラナトゥム王国に委ねられ、フレゲトン王国からも後日、専門の官が数名派遣される手筈だという。
手引きした者が捕まらない限り一件落着とは言えないが、同盟そのものが揺らぐことはないとの見込みだ。
そしてその夜。
「話せば長くなるので、明日でも構いませんが」と前置きしたうえで、私はエリマスの部屋を訪ねた。
ケイロンから聞いた話の大筋を、できるだけ感情を挟まずに並べていく。
罪人、ケイロン・テルクシノエに再会したこと。
彼の正体、言い分、思想。
隠したのは、私が異界から来た人間であるということ、そしてオルフェンの生い立ちについてケイロンが断言したことだけだ。
「……分かった、君の話は一旦受け入れる。つまりこの窮地を脱するためにはそのオフィオタウルスの檻とやらが鍵になると」
「ご理解助かります。ありがとうございます」
「いや、突っ込みどころが……なんというか、君は本当に……」
しばらく黙り込んでいたエリマスは、息を吐いた。
「確かに奴の……ケイロンの話は全て辻褄は合うし違和感はない。奴が人間ではないのなら、その突拍子もない行動も納得できる」
かつて私が『不死です』と言った時も、エリマスは恐ろしいほどあっさり受け入れた。
その度量を信じて、今回は情報の取捨選択をやめた。
今のエリマスも、おそらくその選択を理解している。
「だとして、何故ケイロンに城内の情報がそこまで全て筒抜けなんだ」
「それは教えてもらえなかったんですよね」
人ではない時点で、理解の及ばない領域はあるのだろう。
ただケイロンは精霊の力だ、などと安易にごまかしはしなかった。
つまり、何らかの仕掛けはあるはずだ。
「とにかくあの彼女……癒術師の子供の父親が殿下ではないというだけでも助かったが」
「だとして少なくとも悪意をもって殿下に成りすました人間がいて、彼女がその被害者であることには変わりありません」
エリマスは髪をかき上げると、眉を顰めた。
「それで? 散々その、オフィオタウルスの檻が兵器だなんだと脅しておきながら、結局はそれを君に見つけてこいという結論なんだろう?」
「……そうなりますね」
「王族がゴルゴンの森の場所を知っていることも承知の上で、しかも自分は森の精霊と通じて情報を掴んでいるのに?」
言われてみればその一点だけ妙にきな臭いことは確かだ。
「そもそも、ゴルゴンの森ってどういう場所なんですか?」
オフィオタウルスの檻と共に、当然ながら『ペルセポネの冥戦』にも出てこなかったワードだ。
エリマスは一瞬だけ言葉を選ぶように黙し、声のトーンを落とした。
「私も一度しか行ったことがない」
卓上の茶器に手を伸ばし、空のカップへ静かに茶を注ぐ。
「え、あるんですか」
「入口の石碑までだ。王族が成人する時、そこで必ず弔いの儀に参加する」
意味は分かるのに、文脈が追いつかない。
「弔い……?」
「戦が絶えなかった時代に、癒術でも治らない傷を負った兵士を生贄と称して置き去りにして、口減らしに使った場所だ」
僅かに息を呑む。
「確かに、あそこで置き去りにされれば二度と戻れないでしょうね」
「…………それで、子供の頃の君もそこに置かれていたと…………」
「あの、大丈夫です。あ、いえ、大丈夫ではないんですが、その傷はもう大分癒えたので……」
ここでエリマスに気落ちされている場合ではない。
「むしろ信憑性が増しました。迷い込まない限り人間が寄り付かず、かつ入ってしまえば化け物だらけでそうそう生きては帰れないような場所……となると、何らかヒントはあるかもしれません」
「だとして簡単に行ける場所じゃない。それこそ下手をすれば死……」
そして何かを思い出したような顔をして、エリマスは目元を覆った。
何を思い出したのかは分かる。私が不死であるという事実だろう。
この反応を見るに、今まで忘れていた可能性すらある。
「……。考えるべきはここでランパスを頼るかどうかです。冥界の彼らが私があの場所に行くことをどう思うか……下手に邪魔をされても厄介というか」
「どのみち君の場所が常に知られているなら、その点も織り込み済みなんじゃないか」
「まあ確かにそう……でも、なんか、こう、利用しておきながら、やっぱり信用できないというか、」
『得体の知れない君が恐ろしいからだ』
言われてみれば、腑に落ちる。
ティシポネもメガイラも、決して友人ではない。
断罪という大義名分があれど、彼女たちは容赦なく人間の命を削ぐ側だ。
分かっている。
「……彼らが必ずしも味方ではないことを改めて実感して、ショックというか……」
あの数か月の小さな家での生活で、心を壊さずに済んだのは彼らのお陰だった。
それも、私という危険因子を管理するためだったのかもしれないけれど。
「……、だとして馬や人間の足で簡単に行ける場所じゃない。まともに足を踏み入れようと思ったら陛下の承認が必要になる」
「え、そうなんですか」
「それに君だけに行かせるわけにはいかない。私も同行するとして……」
「いや、流石にエリマス様は、」
「…………君、自分の武器が三回までしか使えないのに、四体以上遭遇したらどうする? それにオフィオタウルスの檻とやらが何かもわからないのに」
鋭い視線から逃げるように目を泳ぐ。
「かといって陛下に、殿下や君の事情を詳らかにすればややこしくなるし……」
「ですが"時間がない"というのがどれくらいなのかが分からない以上、……殿下と長い時間離れるのは、得策ではないかと」
こんなことを言いたくはない。しかし、万一に備えてだ。
言外の意図を理解したように、エリマスも口を噤む。
「大体なんなんだ、ケイロン・テルクシノエも。そこまで分かっておきながら、随分対策やら懸念事項がふわふわしてないか?」
「……まあ、なんというか、人間とは物事の尺度が少々違う感じはしますね……」
「乱暴な言い方をするなら、結局は殿下の気の持ちようという話になってくるだろう」
(……私が戻ってきてしまったこと、そして正体を知ったことがオルフェンの精神状態を悪化させたのは間違いない)
かといって私が励ましても、ここで私が行方を眩ませても事態は改善しない。
(いっそオルフェンの望むように、一時的にでもエリマスから加護の対象をオルフェンに変更するか……)
ぐるぐると考え始めたところで、正面から頬を掴まれた。
「……君が突然無言になるときは大体碌なことを考えてない」
「す、すみません」
「殿下にはこの程度のことは乗り越えて頂かなければ」
冷たく言い捨てるようで、しかしそこにはオルフェンへの確かな信頼が滲んでいる。
「……あの、少々話が逸れるんですが」
「なんだ?」
「朝おっしゃっていたじゃないですか。殿下はエイレネ様とお会いしたことがなく、今回紛れていらっしゃることにも気づかれていないと……婚約の話が進んでいるのに、何故ですか?」
エリマスは僅かに眉を上げる。
「王族同士なら正式な婚約式まで顔を見ないことなんてざらにある」
「だとして、今回の使節団は良い機会ですし……あんなこともあったんですから、親睦を深められてはと思うのですが」
「……私もそれは、エイレネ様に進言はした」
苦い顔をして、カップに口をつける。
「あ、エイレネ様の方から拒否されたんですか」
「……殿下も相手がフレゲトン王国だから余計に気が進まないんだろう。ただでさえ愛想が悪いのもあるが」
確かに『ペルセポネの冥戦』でも、オルフェンの台詞からはあまり好意的な表現は出てこなかったけれど。
「過去に何かあったんですか?」
「殿下が立太子される前にフレゲトン王国のジジイ……いや、前王と嫌な思い出がある。新しく即位した国王陛下はまだましだが」
余程嫌な人間だったんだろう。顔が雄弁に語っている。
「でもエイレネ様とオルフェン殿下、仲良くなれそうな気がするんですけどね」
「……君の恋愛観は歪んでいるからあまり参考にならない」
「そんな……」
ぷ、とエリマスは噴き出し、小さく肩を震わせた。
ひとしきり俯いて笑うと、今度は大きな溜息を吐く。
「……以前の君なら、また訳の分からない自己解決をして、私に何も言わずにゴルゴンの森に向かっていただろうな」
ぎくりとして、誤魔化すようにカップに口をつける。
「……冥界の住人を脅してまで追いかけてこられる方に、もうその手は通用しないと理解したので」
「良い心掛けだ」
空になった茶器を揺らし、エリマスは立ち上がると扉の外に下げに行った。
私はほっと息を吐き、窓に映る自分の顔を見やる。
(後悔して鬱々として、思考を閉じるのは簡単だけど)
過去の私の選択は、確かに間違っていたかもしれない。
ただ、もうそれらは全て取り返しがつかない。
(強いて言うなら──私が表に出てこなければ、この世界は原作通り進んだのだろうか)
巻き戻ることができない以上、そんなことに思いを馳せても意味はない。
なら、自分が持ちうる能力で責任を取るしかない。
◆ ◆ ◆
そのやり取りから二日後。
予定より遅れていたフレゲトン王国の使節団は、ようやくグラナトゥム王国を発つことになった。その間、幸いにも大きな問題は起きることなく。
エリマス曰く、結局エイレネは最後までオルフェンに正体を明かさず、代わりに何故か私にだけ異様な興味を示していたらしい。
あれ以上接触していたら、どこかで必ずボロが出ていただろう。徹底的に距離を置いた甲斐があった。
使節団の馬車が城門をくぐり、ゆっくりと遠ざかっていくのを見送りながら、ようやく肩の力が抜けた。
一方でこの二日間、私とエリマスは平常業務の裏で情報収集に勤しんでいた。
しかし、禁書庫を調べたエリマスは難しい顔をして戻ってきた。
『確かに君の言う通り、聖冠の神子やこの国の成り立ちについて核心めいた書物が一切なかった』
『では誰かが、知られたくないものを処分しているとか』
『禁書庫から持ち出すのも持ち込むのも、陛下ですら簡単じゃない。唯一あるとすれば管理している聖殿関係者だが──』
最初に疑いの目が向いたのは、アドラストス猊下失脚以降、禁書庫を管理している大司祭ラダマンティスだった。
【ラダマンティス様は冥界の方とはいえ、公平公正なお立場ですから】
ペルセポネの制約で冥界の関係者が王城に入れないというなら、どうして大司祭はしれっと出入りしているのか──そうランパスに尋ねた時の答えだ。
『つまり、冥界の味方でもないと?』
【あの方がこちらにいる目的は、あくまでステュクス様の再生のため。それ以外に不要な力には制約を受けておいでです。人間の命を奪うことも禁じられておりますし】
大司祭の身内であるランパスの言葉をどこまで信用するかはさておき、理屈としては納得できる。少なくとも、禁書庫の書物を改竄するメリットは大司祭にはなさそうだ。
そして今日、使節団が去ったのを機に、禁固塔に封じられたままのアドラストス猊下と副司祭、その一派の元を、エリマスと共に訪ねたのだけれど。
「──人形か何かかと思いました」
元聖殿関係者たちは、禁書庫のことについて何を投げかけても一言も反応せず、視線も表情もほとんど動かなかった。
瞬きと僅かな胸の上下の動きで、生きていることだけは確認できたけれど。
「ずっとあの状態だそうだ。まあ端から期待はしていなかったが」
「……あのまま一切語らず、処罰も受けず逃げ切る算段なんでしょうか」
あるいは何らか、見えない力がかかっている可能性もゼロではない。
「やはりゴルゴンの森には本当にほとんど前情報がない状態で挑むことになりますね……」
「この誘導自体、あの男の罠かもしれない」
今あるのは、ケイロンからの一方通行な情報だけだ。
実は彼こそがアーテ復活を何より望んでいて、それを邪魔する私とエリマスを封じたがっている可能性もある。
「となると、まずは私が一人で調査に行くしかないでしょう」
エリマスは鋭い目で睨みつけてきたが、否定の言葉は返ってこない。
状況を考えれば、そう結論づけるほかない。
──そう思っていたのだけれど。
【ゴルゴンの森と言われれば、確かに存じ上げてはいるんですが……精霊は中に入れません。それは山の精霊も、森の精霊もです】
「え? 嘘?」
まさかここで出鼻を挫かれるとは思わなかった。
詳細を詰めようと呼び出したランパスは、困ったようにゆらゆらと揺れる。
「中というのはどこからだ」
【森のある山の麓から弾かれるかと……しかしなるほど、ノーナ様がゴルゴンの森でお育ちになられたとなると、納得はします】
エリマスの圧に気圧されたのか、ランパスの火は控えめに小さくなる。
「納得?」
【え、ええ。普通の山や森でしたら、ノーナ様はすぐ精霊に救い出されていたでしょうし】
「そもそも何故精霊が入れない」
【そういうものなのでとしか言いようがなく……】
火の玉相手に容赦なく尋問している。
つまり、中に入ってしまえばランパスの助けは求められないということだ。
(だとすれば、ケイロン自身が確認できなかったことにも、やたらとヒントが少ないことにも繋がる)
「尚更エリマス様の同行は不可ですね。命を落としかねません」
行けたとしても、入口への案内までだ。
全てにおいて奥の手であるエリマスに万一のことがあれば、本末転倒が過ぎる。
「……他に何か方法は。冥王の隠れ兜をつけていれば気取られないとか」
【見えなくはなるでしょうが存在が消えるわけではありませんので、例えば業火を浴びれば灰になりますし……】
沈黙。
「あ、入口の木に縄を結んでおいて、それをこう、私の身体に巻けば戻っては来れますよね」
「切れたら終わりだろ」
「そ……」
おっしゃる通りだ。
天井を仰ぐ私の隣で、ランパスが居心地悪そうに低空飛行している。
【で、ですがそれは妙案かもしれません。確かに普通の縄は切れてしまいますが、ノーナ様には測りの糸がおありではないですか】
「? 何それ」
【え?】
「え?」
目も顔もないのに、確かに今、私とランパスは目を合った気がした。
「……もしかしてこれのこと?」
それは以前、王城から逃亡するかどうかという瀬戸際で使おうとしたものだ。
能力として深く考えたことはなかった。
羽衣のような白い糸を手の平から引き出してみせると、ランパスは頷くように上下に跳ねた。
「これにそんな名前があるとは……」
【そうですそうです、それならお二人とも触れられるはずで、】
エリマスが糸に恐る恐る触れようとして──しかし、すり抜ける。
【えっ】
「……見えてはいるが、触れている感触は全くないな」
まるで映像に手をかざしているだけのようにしか見えない。
もちろん私は自分の糸に触れることも、掴むこともできる。
そしてランパスはぴたりと動きを止めた。
【あ、……なるほど】
「なんだ」
【いえ、その、なんと言いましょうか、ええ、妙だとは思っていたんですけれども】
エリマスの眉間に皺が寄る。ランパスは床すれすれで縮こまる。
【ノーナ様とエリマス様のご関係が不完全というか……】
「……不完全?」
【恐れながら、人間の表現をお借りするなら──男女の関係ではないが故かと……】
言葉の意味が脳に届くまで、一瞬、時間が止まった。
「えっ、な、何、どういう、え? そんな理由? 本当に言ってる? ここに来て急にそんなエロゲみたいな設定ある?」
【えろげ?】
「いや、ごめん、そう。なるほど。理解しました、神々的仕様ね」
そして顔を覆った。
「……で? 妙というのは、他に何を見てそう思った」
エリマスの声は恐ろしく冷静だった。
【その、ノーナ様の霊液がずっと半分のままなので……】
「? それはアーテが持って逃げたままだからじゃないのか」
【もちろんそれもそうですが、……お二人が交わればノーナ様の霊液は徐々に回復するものですし】
妙だとは思っていた。
まず霊液が半分になった代償が"子を為しづらい"こと、そして冥界の関係者が誰一人、奪われた霊液の行方については心配していても、私自身の心配は一切していなかったことを。
大体そうだ。
私の回復条件がキスであるという時点で、ふざけているのだから。
「ノ、」
「ええ、何も言わないでください。大丈夫です。完全に理解して今、全ての意味を咀嚼しています」
できればこのまま、砂になりたい。




