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 今更ながらレミジオの人気の理由が分かる。彼は作中とこの世界とで印象があまり変わらない。

 二十九歳独身、次期騎士団長。派手さはないけれどその印象をより穏やかにする灰色の髪に、灰色の瞳。すでに実力は団長クラスとの評価もあり、国一番の槍の使い手だ。

 精神年齢でいけば一番私と歳が近いのだから、話していて違和感がないのも仕方ないだろう。


「ガレネ卿も伯爵家でしたっけ」


 この世界で貴族の、特に子爵以上の令息が騎士団に入る場合、現代で言う警察のキャリア組のような扱いになる。団員の多くは平民で、その場合よほど実力の叩き上げか功労がなければ役付にはなれない。


「私にもご関心を持ってくださっていたなんて、光栄の極みです」

「何故、敢えて騎士団への道を選ばれたんですか?」


 レミジオが子供のような表情で目を瞬き、そして何か言おうとした時──会場の方から甲高い悲鳴が上がった。

 瞬く間に貴族たちが慌ただしく、散り散りに走り出していた。私とレミジオは同時に彼らの進む方向とは反対側に、縫うように悲鳴の発信源へと向かう。真っ先に頭に浮かんだのは王太子オルフェンだが、そこには護衛のエリマスがいるはず。


(なら一旦そっちは置いといて、)


 まさか王城の晩餐会でいきなり何かが仕掛けられるとは想定外だ。走りながら天井、壁、あちこちに視線を飛ばすものの、火や煙は立ち上っていない。

 逃げる人々の間を縫って辿り着いた先には、そこだけぽっかりと穴が開いたように人影が消えていた。取り残された中央には、なるほどこの場に相応しくない長剣を持ってよろめく男が立ち、そして左の腕から血を流す真っ赤なドレスの令嬢がこちらに背を向けて蹲っている。赤褐色の髪もまた斬られたのか、不自然に短くなっていた。


「お前のせいで……ッ!」


 暴漢か。男の表情に正気の色は見られない。服装は貴族然としているが、どういう経緯だろうか。

 とはいえ他国の王城の晩餐会での揉め事に、私やレミジオが介入すれば事態はややこしくなる。衛兵が辿り着く前にあの男の意識を奪ってしまおうか──髪留めの忍ばせた針に伸ばした手が、思わず止まる。


 ゆらりと立ち上がった令嬢。その異様に、目が奪われた。


 傷を負っている左腕から赤い血がつうと滴り、美しい絨毯に黒く滲む。周囲から人は消えていた。取り残されたのは私とレミジオ、そして中央の二人、駆け付けたフレゲトン側の衛兵達。


「私のせい? どうして?」


 幼女のような頼りなく細い声が、広大なホールにぽつりと落ちる。


「だって仕方ないじゃない」


 彼女の血を吸った絨毯に、どろりと黒い何かが(うごめ)き、渦巻いている。

 しかし隣のレミジオは眉一つ動かさない。対岸で距離を詰めかねている衛兵達も、その場の空気に呑まれて立ち止まったまま。

(……まさか見えてない?)


「先に手を出したのは貴方のほう」


 歌うような彼女の声に合わせるように、羽虫の束のような(すす)が舞い上がり、それは令嬢の足元を埋め尽くしていく。


 赤褐色の髪、赤いドレス、血を吸って舞い上がる黒いうねり。

 原作九巻表紙、第八十一話。

 だとしてあり得ない。今こんな場所で、こんな形で遭遇するなんて。


 この場で本来加害者であるはずの男は青ざめ、震えている。

 いくら副騎士団長とはいえ、レミジオには得物もない。だとすれば戦えるのはあの衛兵達だ。けれど今にも前に立とうと足を踏み出しかけるレミジオに、思わず私は腕を突き出して制止した。

 あり得ない。まだ物語は始まっていないはずなのに──


(ティシポネ……!)


 隣のレミジオの命を奪う、あの女が目の前にいる。


「ノーナ様、何故止めるのです!?」

 殴れば何とかなるとでも思っているのか、レミジオが噛みつくように囁く。だが今はそれどころではない。

 仮にあれが本物のティシポネなら、今この場の面々では敵わない。


──オルフェンがいない今、勝ち目はない。


 かといってこの場で私が化け物バトルを繰り広げるわけにもいかない。

 どうする。


「ガレネ卿。お願いです」

「何を、」

「死ぬ気で走ってエリマス様を呼びに行って下さい」

「は?」


 賓客であるオルフェンとその護衛のエリマスは、おそらくこの会場から一番離れた場所まですでに避難しているはずだ。レミジオを走らせるしかない。時間を稼ぐために。


「早く!!」


 社会人八年目の圧が効いたのか、レミジオは一歩退き──走り出した。理由も伝えていないのによく聞いてくれたものだ。

 私の声に何か気づいたのか、赤い令嬢はこちらを緩慢な動きとともに振り返る。

 背中を駆け上がる悪寒。視界の端で、レミジオが会場の扉の向こうへと消えて行った。

 

「……あら」


 その髪に似合いの瞳の色に光はない。

 原作通り、不気味なまでに可憐な少女は私の姿を認めると、にったりと微笑んだ。


()()、どうしてこんなところに?」

「……」


 興味は完全にこちらに向いたらしい。男はほっとしたのだろう。音を立てて剣を落とし、ふらふらとよろめくと腰を抜かし絨毯に転がった。

 衛兵に目で合図をすれば、思い出したように衛兵たちは男を取り囲み制圧した。

 しかし場はそれどころではない。


(思い出せ思い出せ思い出せ思い出せ)


 口が乾く。瞬きができない。

 原作九巻、アレクトに誘われて冥王についたティシポネ。

 彼女の能力は決してチートではない。

 その本質はあくまで殺戮への報復。

 つまり人間の命を奪ったことがある者にしか適応されない。


 ただし、その条件が適応された場合──彼女の血に触れた者は、彼女の好きなタイミングで心臓を握りつぶされて"断罪"される。

 だからこそ騎士団や護衛、兵士の類が相手になった場合、皆殺しが可能になる。


 それはレミジオも例外ではなかった。


「……ご令嬢。貴女の怪我を治したいのですが」


 頬が引きつる。笑えているはずがない。

 ティシポネは目を瞬かせると、かわいらしく小首を傾げた。


「まあ。私を?」

「ええ。酷いお怪我です。早急に止血をした方がよいかと」

「貴女も酷い汗よ」


 喉が焼けるように痛い。

 人間の命を奪った、という条件に今の自分が当てはまるのか見当がつかない。

(不死の化け物の自害はカウントされる?)

 仮に殺されたとしても別に私は生き返ればいい、しかしこんな番狂わせがあることが分かった以上、尚更こんなところで死ぬわけにはいかない。


 彼女がその気になれば、その血が滴る腕を振り回した瞬間、この場にいる衛兵のほとんどを死に至らしめることができるだろう。


「だけど驚いた。なあにその格好、まさかあの高名な──」


 ティシポネはまだ動かない。

 なら賭けるしかない。

 後ろ手にシャンパングラスを手に取り、卓で叩き割る。ほとんど砕けたそれを太腿に突き立てると、衛兵のどよめきがこちらまで伝わってくる。

 ティシポネの瞳だけが、わずかに揺れた。

 痛いどころの騒ぎではない。全身の毛穴という毛穴から汗が噴き出て、声を上げそうになるのを食いしばる。

 不死を授けるくらいなら無痛までお願いしたかった。

 刹那、暴漢もどきの男と衛兵たちが一斉にぐらりと姿勢を崩し、意識を失ったように倒れ落ちていく。

 まずは先手。


「あら」

「二人っきりに、なれましたね」


 ティシポネの能力の適用にはまだ条件がある。

 それはフィクションならでは、端から彼女を倒すために作られた隙だ。


 至って単純、ティシポネを見ていない間は発動されない。

 つまりその場にいない者、意識を失っている者には効かない。


「観衆の有無はどうだっていいんだけど。……貴女一体、何をしているの?」


 呆れたようなティシポネからは、まだこちらへの敵意を感じない。


「自分の太腿を刺しました」

「ええ、そうではなくて」

「できればここで貴女と喧嘩はしたくないんです。……ミス・ティシポネ」


 赤褐色の瞳に、シャンデリアの光が反射する。それを美しいと思ってしまった自分が憎い。私も私で、きっと自分の不死身に甘えているのだろう。


「まあ。貴女ほどの方に名前を知られているなんて光栄だわ」


 赤いドレスが揺れる。嫌味なほどに赤が似合う。ぞっとするほど。


「そちらこそ、どうしてこんなところに。その男と何があったんです?」

「ちょっとした痴情の縺れよ。野暮なこと聞かないで」

「なるほど、それは……ご愁傷様でした」


 時間がない。本当にレミジオがこの場にエリマスを連れて戻ってきたら、ここまでの努力が水の泡だ。

 さすがにあの二人の意識を同時に奪うとなると、一旦失血死しなければならなくなる。


「どうかこの場は退()いて頂けませんか。後片づけは私がやりますので」

「どうして? 寂しいことおっしゃらないで」

「それはその、」


 痛い。うっかり太い血管まで傷つけたかもしれない。自分の血が体内から容赦なく逃げていく音がする。


「……私、好きな人がいまして」


「は?」


「今日、この後、告白する予定なんですよね」


 本当にティシポネが今の私に敵意がないのであれば、目の前の彼女を信じるしかない。

 思わず口角を引きつらせると、ティシポネは一瞬絶句したのち──天を仰いで大声で甲高く笑った。


「驚いた。本気でおっしゃってる?」

「本気も本気です」

「……いいわ。これ以上の騒ぎはそれこそ野暮というもの」


 彼女が一歩一歩、優雅に歩み寄ってくるのを、私はただ待ち構えることしかできない。

 化け物バトルをするとして、さすがに会場はここじゃない。


「最後に教えて。貴女の好きな人ってどなたのこと?」


 長い赤い爪の冷たい指先が、頬をゆっくりと這う。傷をつけられているわけではないのに、触れた場所がキンと痛む。


「内緒です」

「ええ? 私たちもうお友達じゃない」

「まだそんな仲ではないかと……」


 薄い唇が、愉悦の弧を描く。


「そう」


 優雅に、しかしどこか恭しく傷を負った私の太腿に手を添えて──その血を掬い取ると、まるで甘い果汁を吸うように赤い舌で舐めとった。


「ではまた会いましょう、」


 妖艶な微笑みが、眼前に迫る。



「……糸績(いとう)みの魔女」



 黒い渦が足元から巻き上がり、視界をひと撫でしたかと思えば、次に瞬きをしたときにはティシポネの姿はもうどこにもなかった。

 支えを失ったように力が抜け、私は卓に手をつく。そのまま崩れ落ちるように腰を下ろした。太腿から落ちる血だけが、静かに床を濡らしていく。


 奥の扉が勢いよく開き、レミジオの叫び声が遠くに響いた。

 こちらへ駆け寄ってくる多勢の足音が近づくのを聞きながら、私は短く息を吐いた。


(ここはひとつ、)


 失血のあまりぶっ倒れた淑女のふりでもしておいた方が良さそうだ──視界をゆっくりと傾け、私は床へ身を沈めた。


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