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 使節団との会談中、エリマスやレミジオがオルフェンの傍にいる間、私は日陰で騎士団の訓練を眺めていた。剣戟(けんげき)の乾いた音と砂ぼこりが、風に乗ってこちらまで流れてくる。

 緊急時の治療係として置かれているが、訓練で怪我をする騎士は滅多にいない。

 だからこの時間は、考え事ばかりが増えてしまう。


(本当は問題だらけで休む暇なんてないのに、こういう時に限って動けない……)



「──お隣いいですか?」

「……ヘメラさん?」


 いるはずのない彼女が、いそいそと隣の椅子に腰かけた。


「本当は休みだったんですけど、観劇に行く予定だった友人が仕事入っちゃって」

「ああ、別日に替えられたんですね」

「そうなんです。治療室も手が足りてるみたいですし、つまり暇なんです」


 上着を脱ぎながら笑うヘメラの声に、つられて頬がゆるむ。

 砂ぼこりの向こうで、騎士たちが真剣な表情で剣をぶつけ合っている。

 あの中に混ざれば私は即死だろう。……死なないけれど。


「昨日のパーティー、愛しいご婚約者様の正装はご覧になられて?」

「お見かけしましたよ。眩しすぎて目が潰れるかと思いました」

「そこはもうちょっと照れるところじゃない?」


 侍女たちが騒ぐから私も見に行ったんです、とヘメラは笑う。


「あの方の隣には誰が並んでも委縮するでしょうけど、ノーナ様ならお似合いになりますよ」

「……そうでしょうか」

「貴女と働いたことのある癒術師たちの総意です」


 風がそよぎ、大木の葉が影を落とす。


「今でこそ言えますが、はじめは皆、ノーナ様に委縮していました。私もです。ほら、感情の起伏が少なくて、怒っているのかどうか分からないところがあって」

「それはその、……すみません」

「途中で現れた──親しみやすいラミア様との対比で、余計にそう見えてしまったんだと思います」


 その名が出た瞬間、胸の奥がひやりとする。

 けれどヘメラの声はどこか温かかった。


「ノーナ様って、いつも一歩引いて周りを見てらっしゃるでしょう? でも本当は困ってる人を放っておけないところ、皆ちゃんと知ってます」


 そう言って薄く、嬉しそうに微笑んだ。


「もっとこう、偉そうになさっていいんですよ」

「偉そうに?」

「例えば廊下の真ん中を歩くとか」


 鼻を鳴らすヘメラを前に呆気に取られて──思わず噴き出した。


「ろ、廊下の真ん中……っ?」

「だってノーナ様、いつも端っこを歩かれてるでしょう? あのエリマス様に見初められたんですから、堂々と真ん中をお通りあそばせ」

「っいや、もうちょっと他に……ふふっ」

「そうだ。私たち、二人で遊びにおでかけしたことってありませんでしたよね? 王都におすすめのブティックがあるんです。今度の休みに行きません? あらやだ苦い顔。え? お金の心配? まあ面白い、ご安心なさって? 公爵家の財力なら王都のブティックを店舗ごと買えますから」


 遠慮なく背中を叩かれ、思わず身体が揺れる。

 その拍子に、張りつめていた緊張がふっとほどけた気がした。




◆ ◆ ◆




 ところで私は今、誘拐されている。




(神は神でも疫病神とか憑いてるんじゃないかな……)


 トラブル続きでもうお腹いっぱいだ。



──遡ること数時間前。

 ヘメラと別れ、詰め所で着替えと机仕事を片付けた帰り道。

 フレゲトン王国の使節らしい女性が、城内の廊下で明らかに道に迷っていた。


 聞けば、会談途中で体調を崩して退席したものの、戻ろうとしたら部屋が分からなくなったという。場所を知っていた私は、介抱しながら案内をしていた──その時だった。


 ざわり、と背筋を撫でる嫌な予感。

 次の瞬間、足元が掬われ、視界が暗転した。


 目を覚ますと両手両足を後ろで縛られ、荷台の床に転がされていた。

 木の軋む音と容赦ない揺れ。四方は木板で囲まれ、灯りひとつない。湿った木と黴の匂いがこもり、息を吸うたびに肺にまとわりつく。


 目隠しも猿ぐつわもない。

 制服から普段着に着替えたばかりだったせいか、護衛職とは思われなかったらしい。


 暗闇に目が慣れると、向かいに同じく拘束された使節団の女性が見えた。


「……大丈夫ですか?」


 声をかけると、彼女はゆっくりとまぶたを持ち上げた。


「ここは……?」

「私にも分かりません。どこかに移動しているのは確かだと思いますが」


 その瞳には怯えがあるものの、けれどどこか落ち着いている。


「巻き込んでしまったようで……申し訳ございません」

「いえ、全然。何かお心当たりが?」

「……、グラナトゥム王国と我が国の友好関係をよく思わない派閥は多くおりますので」


 肝は据わっているが、得体の知れない私には多くを語らない。

 役職は分からないけれど、使節団として同行しているだけのことはある。


(確かに、王城内で使節団の一員が誘拐されたとなれば……国家間の大問題か)


 となると、誘拐の目的はこの女性である可能性が高い。

 ぼうっとしている場合ではない。


「私は……王城の侍女で、フローラと申します。恐れながらお名前を伺っても?」

「……エレニです。使節団の書記官です」


 私と同い年くらいに見えるけれど、その冷静さにはこちらも救われる。


「体調は大丈夫ですか?」

「ええ。お気遣いありがとうございます」


 芋虫のように這い、荷台の出入り口に近づくと、さすがに外側から鍵がかかっているようだった。そうっと耳を当てると、男の低い話し声はするけれど内容までは聞こえない。


(ランパスを呼べば脱出自体は簡単だけど、この人を連れて火の玉で逃げるわけにもいかないだろうし……)


 同じ被害者とはいえ、他国の官だ。どこまで口止めが効くか分からない。


「外に見張りはついているようです」

「……随分落ち着いていらっしゃるんですね」


 確かに一介の侍女にしてはおかしな反応をしていたかもしれない。頬がひくりと引きつった。


「グ、グラナトゥム王国では侍女もそれなりに色々防災訓練を……」

「いいんです。貴女が冷静な方で助かりました」


 そう言ったかと思えば、エレニの腕から縄がはらりと落ちた。


「え?」

「よかった。雇い主はさておき、実行犯は素人のようです」


 その手には、どこに隠していたのか刃の欠片が握られている。

 慣れた手つきで自分の足の縄を切り、続いて私の拘束にも刃を入れる。


「フレゲトン王国の使節の方も素晴らしいご訓練を受けられているんですね……」

「個人的に誘拐され慣れてまして」

「そんな馬鹿な」


 よく見れば、整った顔立ちの奥に場慣れした影がある。

 彼女がこれまで背負ってきたものが、少しだけ垣間見えた。

 エレニは荷台の隙間に身体を寄せ、外を覗き込むように目を凝らす。


「……月の位置からして、まだグラナトゥム王国内ですね。国境を越える前に止めたいところです」


 本当に誘拐され慣れているのかもしれない。


「フローラさんにはこれを。いざという時のためです」

「え? いや、でも」

「私は大丈夫なので」


 刃先を私に持たせると、隅に座っていろと顎で示す。

 その顔つきは、もはや書記官ではなく手練れの護衛だ。


 止める間もなく、エレニは鍵のかかった戸を蹴り開けた。

 乾いた破砕音。外で背を向けていた男が、悲鳴もなく地面に転がる。


「……すっご」


 男の喚き声と馬の嘶きが重なり、馬車が急停止した。

 その衝撃で私は前に投げ出され、床に頭を打ちつける。視界が揺れ、手のひらに触れた血がじんと熱い。


 襲い掛かってくる剛腕の男たちを前に、エレニは私を(かば)うように立つ。奪った剣を迷いなく振るい、二回りも大柄な男たちを、まるで重さのない影のようにいなしていく。


 何もできずに呆然としている間に、男たちは全員地面に転がっていた。


「ご安心ください。重要な証人ですので殺しはしておりません」


 月明かりの下で振り返ったエレニには、傷ひとつない。

 フレゲトン王国民特有の柔らかなアーモンド色の髪が、風に揺れた。


「……お、見事です。助けて頂きありがとうございます……」

「それはいいんですが、馬が逃げてしまったようで。申し訳ございません」


 眼下からは男たちの呻き声。

 外を見ると、どうやら山中らしい。 


「おい」

「ヒッ」


 荷台から飛び降りたエレニは、転がっている中でも一番がたいの良い男の喉元に剣先を向ける。


「ここはどこだ。貴様らの雇い主は?」

「い、今はクトニア山の中腹あたりで、……雇い主は俺たちも知ら、ッ本当だ! 目的地に着けば報酬の残りを受け取る約束で!」


 エレニの読み通り、ここはまだグラナトゥム王国内ということになる。


「貴様のその(なま)り……旧アチェルシア領の人間か」

「旧アチェルシア領って、」


 数十年前の戦でフレゲトン王国に編入された土地だったはずだ。

 思わず声を上げると、エレニは一瞬だけ目を伏せ、静かに頷いた。


「ええ。今はフレゲトン王国の領地です。……つまり、この者は我が国の民ということになります。……申し訳ございません」


 馬車に残された荷物を漁り、麻縄を取り出すと、エレニは慣れた手つきで彼らを木に縛り上げていく。

 捕まった誘拐犯は四人。いずれもフレゲトン王国の人間だという。

 男たちの話では、御者は脅されて雇われたらしく、馬と一緒に逃げたようだった。


「あ、松脂(まつやに)ありました」


 どうやら火も(おこ)せるらしい。火打ち石で火花を落とし、松脂の染みた布に火を移す。

 たちまち灰色の煙が夜空に立ち上った。


「ああ、酷いお怪我が……フローラさんはお休みになってください。助けはすぐ来るはずです」


 言われて触れてみると、頭の傷はもうほとんど血が止まっていた。

 じんとした痛みだけが残っている。


「大丈夫です。私も一緒に待ちます」


 笑いかけながら袖で汚れを拭う。

 荷台の端、エレニの隣に腰かけると、ほぼ同時に二人分の溜息が落ちた。


「我が国のせいで、怖い思いを……この弁済は必ずいたします」

「え? あ、ああ、とんでもございません。彼らにとっても、私は予定外だったことでしょうし」


 むしろ私がいたせいで問題をややこしくしているのは間違いない。


「……」

「……? エレニ様、どうなさいました?」


 端正な顔がじっとこちらを覗き込んでくる。

 思わず仰け反ると、彼女は目を瞬かせた。


「やっぱり」

「やっぱり?」

「二日前に城内でオルフェン王太子殿下と話していらっしゃったの、貴女ですよね」


 ヒュ、と喉から音が漏れ、胸が跳ねた。


「え」


 特に忍んではいなかったけれど、あの場はほとんど人もいなかったはず。

 まさかフレゲトン王国の関係者に見られていたとは思わなかった。


「外廊で、ですよね? あの時は殿下が私の落とし物を拾って下さって……」

「殿下がああやって笑って会話されているところなんて初めてお見かけしたので、驚いたんです」


 そんな馬鹿な。


(いや、確かに外交中のオルフェンはそんなにニコニコしているタイプではないけれど!)


「……まさか、」

「あの時の殿下は、拾われた私の手巾の刺繍が笑いのツボにはまっておられました」

「手巾の?」

「ええ。犬のお尻の柄です」

「おしり……」


 目を瞬かせたエレニはしばらくぽかんと口を開けて、意味を理解したのか勢いよく噴き出した。夜空に響くほどひとりきり笑った後、エレニはまた溜息を吐く。


「……不思議な方ですね。私のあんな姿を見て、こんな状況で、それでも平然としていらっしゃる」

「いえ、そんな」

「騎士団や軍部にお身内が? 普通の女性なら怯えて腰を抜かすか、今頃気絶しておられますよ」


 観察されている、というより、何か見透かされているような視線だ。

 曖昧に笑ってかわすと、エレニはふと何かを思い出したように目を伏せた。


「……失礼しました。母国の不手際の渦中でお話することではありませんでしたね」

「とんでもございません。私もやはり己の弱さに甘えず、鍛錬すべきだと再認識しました」

「王城付きの侍女が鍛錬を?」

「……女性書記官の方があそこまで強い方が衝撃ですが……」

「ぷ、それはそうですね」


 くく、とエレニは口元に手を当てて肩を揺らす。

 笑うとやはり若く見える。その柔らかさにつられて私も口角を上げると、エレニがはっとしたように息を呑んだ。


「……貴女やっぱり、もしかして──」


 エレニの瞳が静かにこちらを捉えた、その瞬間。


 荷台ごと押し流されるような強風が叩きつけ、思わず腕で顔を覆う。

 風というより、見えない何かが強引に通り抜けたような衝撃だった。

 木々が軋み、括りつけられた男たちが悲鳴を上げる。

 空気が一瞬、薄くなる。


(一体何、)


 そうっと顔を上げ、隙間から風上の方を見やり──



【ちょうどよかった】



 子供のような声が、頭の内側に直接響いた。

 独特の浮遊感。それはまるで、ランパスに掬い上げられる時と同じような。


「え」


 気づけば、荷台ははるか下にあった。


「ッフローラさん!?」


 エレニの叫びに手は届かない。


 声も出ないまま、内臓をひっくり返されるような感覚に意識が攫われた。







(……誘拐ついでにもう一回誘拐されるなんてそうそうないよな……)



 現実逃避がてら目を閉じる。

 全身を包むのは葉だ。しっとりとした感触が肌に貼りつき、ぎっしりと詰められた葉の匂いが鼻を刺す。

 ランパスでいきなり飛んだ時と同じ、強い吐き気が込み上げたのをぐっと堪えた。


「目が覚めたか」


 そして現実逃避したくなる理由はもう一つある。

 私を覗き込む、この男だ。起き上がる気力が一瞬で萎える。


「……準備ができたら呼べって言ったのそっちですよね? しかも昨日。昨日ですよ」

「すまない。森の精霊が気を利かせたらしい」


 あのランパスが距離を置きたがっていた森の精霊か、なるほど。


「しかも今、持ってないですよ隠れ兜……」

「いや、ここなら姿を隠す必要がないから問題ない」


 ケイロン・テルクシノエ。

 罪人との華麗なる再会である。できれば一週間くらい間を置きたかった。


 見回せば、小さなログハウスのような部屋だ。

 けれど置かれた装飾や小物はどれも見たことがないデザインで、現実味がない。

 目の前のケイロンも椅子ではなく、妙に折れ曲がった木の上に座っている。

  

「先に言っておくが、君の居場所は冥界の連中には筒抜けなんだ」

「は、」


 確かに、ランパス達がいつでもどこでも呼べば現れるというのは、不思議ではあったけれど。


「前回も今もそれを精霊の力で遮断しているだけ。そう長く持たない。今は森の精霊の領域にいるから多少ましだが」

「……そう急がれても、思い出してないんですよ、オフィオタウロスの檻のことは」


 ケイロンの黒い瞳がこちらを向く。


「悪いが順を追っては話せない。結論を急がせてもらう」


 その静けさに、思わず息を呑んだ。 



「いいかよく聞け。──あの王太子は、このままではアーテに魂ごと喰われる」





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