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◆ ◆ ◆



 その翌日。

 使節団の歓待パーティーの場で、私はドレスでも護衛の制服でもなく、給仕係に扮していた。


 ふざけているわけではない。

 これは私の提案──貴族たちの会話を拾うには、この装いが最も都合がいいとエリマスに訴え、許可を得た結果だ。

 今日この場にいるのは、王家から招待状を受けた家ばかり。政治的にも外交的にも重要な顔ぶれが揃っている。情報収集にはうってつけだ。


 通りすがりに見えたエリマスの正装は、これまで見たことのないものだった。

 貴族令嬢も男性も、一瞬その姿に目を奪われる。

 王太子の護衛でありながら、王弟としての格式を示すための装いなのだろう。華美すぎず、しかし装飾のひとつひとつが上質で、要所にあしらわれた青い宝石は彼の瞳と同じ色をしていた。


 輝きから視線を逸らすように、婦人たちの談笑の輪を通り過ぎようとしたとき。


「──テルクシノエ()……ああ、いえ、今は伯爵家ね。このような場にあの方がいらっしゃらないのは不思議なものだわ」


 足が止まる。

 近くの卓の花を、自然を装って手直しする。


「本当に。あの広大な領地もテューロ侯爵に下賜(かし)されて、邸も明け渡されたとか」

「外務卿の? まあ」


(……結局領地まで取り上げられたのか、妥当といえば妥当だけど)


「ご夫人は生家に帰られたそうよ」

「いい気味だわ。何人あの方に泣かされたことか」


 家族もまた嫌われていたらしい。

 長居しても怪しまれるだろう、と、ついでに下げたグラスを持って先へ進もうとして。


「だけど、まさかあの誠実なケイロン様があんな……ご当主ならともかく」

「まあ、こんなところでおよしになって。ご令嬢に謀られたのがよほどショックだったのでしょうよ」


 他人からの評価というのは、やはりそう単純なものではない。




 パーティは大きな混乱もなく進んでいく。

 貴族たちの会話はどれも表面的で、深い話は出てこない。無作法な者はそもそも招かれていないのだから当然だ。

 空いた食器を抱え、会場を一時離れようとしたところで──ふと、背後に影が落ちた。


「エリマス様に言われるまで気づかなかったよ。あんまり手際がいいから」


 緊張感のないレミジオに足を止められる。彼はきっちり護衛の正装だ。


「どうもこの格好の方が肌に馴染みます。万一異動になっても大丈夫そうです」

「みんなが気を遣うからやめてね」


 背後から壮麗な音楽が流れ、振り返れば会場の中央に人の輪が開き始めていた。ダンスタイムが始まるらしい。


「……持ち場を離れてよかったんですか?」

「エリマス様がやたらと君の方を気にしていてね。私が様子見てきますって抜けてきたんだよ」


 レミジオの向こうで、弦の音に合わせて回る人々の輪がゆっくりと形を変えながら流れていく。


「どうかした?」

「いえ、ふと思い出して。フレゲトン王(あちらの)国での晩餐会のこと」

「……思い出さないようにしてたのに……」


 もうお互い、苦笑いできるほど昇華されている。当時はよもやあのティシポネと半ば共闘することになるとは思いもしなかった。


「エリマス様にはよろしくお伝えください。今のところ皿の一枚も割っておりませんと」

「どこでもやっていけそうだと報告しておくよ」


 扉を開けてもらい、廊下に出る。

 音が閉ざされると、胸の奥がふっと軽くなった。


(ああいう貴族社会に溶け込むにはまだまだ時間がかかるだろうな……)


 零れ落ちるのは溜息だ。

 私はしがない元オフィスワーカー。

 この世界の貴族文化やマナーを頭に叩き込んだのはアルカヌム伯爵家に引き取られてからだ。

 食事の作法ひとつとっても、当然ながらオルフェンやエリマス、レミジオたちの振る舞いは一級品。野菜の細い茎をすくい損ねて無になっているところなんて見たことがない。


「よいしょ……っと」


 それにしても、ほとんど誰にも気づかれずに給仕をこなしてしまった。私がいかにオーラがないかが良く分かる。 強いていうなら馴染みの侍女にすれ違って『何の罰です!?』と目を丸くされたくらいだ。

 

 厠に向かう途中、遠くで閉会を告げる楽団の終奏が響いた。

 今日の仕事は終わりだ。ご馳走を眺めるだけだったせいで、お腹が悲鳴を上げている。


(……詰め所戻るか)


 借り物の服も返さなければならない。

 人が引けて静まり返った廊下を歩きながら、ぼんやりと足を進め──違和感に気づく前に、影が迫った。


「あ、申し訳ございま……」


 角であやうく誰かにぶつかりそうになり、慌てて顔を上げる。

 そして、声を失った。



「えっ」



 人が本気で驚き竦んだ時、悲鳴なんて出ないということがよく分かる。


 叫ばなければ、助けを呼ばなければ、応戦しなければ。

 脳にはいくつもコマンドが浮かぶ。ただまるで壊れたように、どれも選択できずただ戦慄く。


 それはほんの一秒の思考。


 開いた口を手のひらで塞がれ、すぐ傍の扉が押し開けられた。

 強い力で引きずり込まれ、床に倒れ込む。ひっくり返った視界に広がるのは、狭く暗い衣装室だ。



「──落ち着くんだ。君に何かするつもりは全くない」



 黒い髪に、黒い瞳。

 追われるべき大罪人が、(かせ)もなく目の前にいる。

 肩で息をする私を前に、彼の声だけが妙に静かだった。


「……一体、どうやってこの王城に……」


 呼べば助けは来るだろう。ただこんなチャンスはそう来ない。

 ぐらぐらと、判断が揺らぐ。

  

「説明したいが時間がない」


 神罰塔から逃げ出したはずのケイロン・テルクシノエその人が、私の前で膝をついた。


 よくよく見れば使用人の服を身に纏っている。だとして顔はそのままだ。

 歩けば即座に捕まるはずの男が、堂々と。


「……私に、何の用です」

「分かった、端的に言おう。君が……いや、糸績みという存在が代々継いできた"()()()()()()()()()()"の在処を知りたいんだ」


 檻の中でオルフェンを罵倒した男と同じとは思えないほど、纏う空気が違う。


「……は?」


 頭が追い付かない。

 何故私の正体を知っているのか。

 何を言っているのか、何も理解できない。


 逃げなければと思うのに、身体が動かない。

 今この男を前にして背を向けるのは得策じゃない。


「……まずその、何とやらですが、存じ上げません。聞いたこともありません」

「まさかそれも記憶がないと!? いやむしろ……そういうことか」


 その表情に焦りが滲む。


「そもそもどうやって神罰塔から出たんです。説明はそちらが先でしょう。私が叫んだら、貴方本当に終わりですよ」

「それも説明したいが今は本当に時間がないんだ。いいか俺は君の敵じゃない。だけど信じてくれと言って信じられないだろう、君、記憶がないんだから」


 ケイロンは苛立つように頭を抱えた。


「じゃあ分かったこう言おう。君たちが困っている罪神アーテを封じる方法を、俺は知っている。ステュクスの力を借りずにだ」


「え?」

「そのためにはオフィオタウルスの檻の場所が……ああ、せっかく今回の糸績みは奇跡的に話が分かる相手だと聞いていたのに、最悪だ、もう全部台無しだ」


(……本当に、同じ人間……?)


 天井を仰いで唸る姿は、大罪人というよりただの追い詰められた男だった。


「いえ、待ってください。アーテを封印……? どうやって? オフィ……なんとかザウルスの檻が何だと?」

「オフィオタウルスの檻」 

「だとして、どうして貴方がそんなことを」


 ケイロンは小さく呟き、深く息を吐いた。


「君、冥王の隠れ兜を持っているだろう」


 この男はどこまで、何を知っているのか。


「何故そこまで……」

「図星か。……顔に出ている」

「……!?」


──はったりだ。

 動揺のあまり平静を繕えなくなっている。

 立ち上がろうとした足が、床に縫い付けられたように動かない。


「あと数十秒でラダマンティスに気取られてしまう。……この羽根を渡す。俺と話ができる状況が整ったら、僅かで良いから君の血で濡らしてくれ。その時、必ず隠れ兜を持ってくるように」


 細い鳥の羽根のようなものを一本、私の手に押し込むと、ケイロンは息を継ぐ間もなく言い切った。

 次の瞬間、彼の輪郭が砂のように崩れ始めた。

 髪も、影も、光の粒にほどけていく。


 手を伸ばす暇もなく、そこにいたはずの男は跡形もなく消えた。



「……は……?」



 何が、起きた?




 足元が覚束(おぼつか)ないまま扉を押し開ける。

 廊下は静かで、誰も異変に気づいた様子はなかった。さっきまでの出来事が、私だけの幻だったかのように。



 罪人を逃がしたという後ろめたさと、胸の奥に刺さったままの動揺が混ざり合い、どうやって詰め所まで戻ったのかあまり覚えていない。


 あの場には五分もいなかった。

 しかし頭の中はぐるぐると混乱して、まずは早急に一人にならなければという強い使命感だけで機械的に業務を片付けていく。


 給仕係の服を返し、震える手で報告書を書き殴り、エリマスの執務室の扉に押し込んだ。

 侍女には「今日は絶対に誰も入れないで」と念押しし、湯浴みで熱い湯を肩に浴びせながら、ただ呼吸を整えることだけに必死だった。

 そして逃げ込むように自室へ滑り込めば、ようやく頭が冴えてくる。


(……夢?)


 ではないことは、懐に忍ばせた羽根が証明している。

 

 オフィオタウルスの檻。

 アーテを封じる方法。

 跡形もなく消えていった男。


「……頭おかしくなりそう……」


 額を抑えながら、よろよろと、もはや見るのが日課になっている硝子の器を覗き込み──


「え?」


 ない。

 朝までまだ残っていたはずの、到底乾ききるはずのない水が、一滴も。


 慌てて器を持ち上げ、底に触れると、まだひんやりと湿っている。

 今朝見た時の残量からして、乾ききったはずがない。


「……っあの、私の部屋にあったこの器の中の水って……!」


 慌てて部屋の前にいる女騎士に声をかけ、更に侍女にも尋ねるけれど、当然ながら誰も触れていないという。

 分かってはいた。

 触らないようにと、彼らには通達していたのだ。勝手に捨てるはずがない。


(次から次へと、一体なに……)


 器を握る手が小さく震える。

 深く息を吸っても、肺の奥まで空気が入ってこない。


 その場でしばらく立ち尽くしたあと、逃げるように寝台へ倒れ込み、目を閉じて深呼吸をした。



──今は、それよりも。


 どうやってケイロン・テルクシノエにもう一度接触するかを考えなければならない。


 罠の可能性だってある。

 逆に言えば、こちらが生け捕りにする準備をして迎え撃つこともできる。

 

 彼は私の正体を知っていた。

 記憶の欠落すら把握していた。


 あの男は、下手に刺激していい相手ではない。


(二人きりでとは言われなかったし、誰か同席させる? でも、あの様子だとケイロンにとっては冥界サイドが味方とも限らない)


 これまでであれば何とか誤魔化して脱走して、ケイロンとの密会方法を考えていただろう。

 しかし今の私の頭に浮かぶのは、不死の獅子を一撃で仕留めておきながら呼吸ひとつ乱さなかった隣人の顔だった。


「……社会人たるもの報連相……」


 さくっと一時間で海の精霊に会いに行くのとは訳が違う。

 相手は“アーテを封じる方法を知っている”などと宣った男だ。

 下手をすれば、うっかり私が封印されかねない。

 





「──嘘でしょ」


 やってしまった。

 窓から差し込むのは眩しいほどの朝の光。鳥のさえずり。雲ひとつない晴天。


 つまり寝落ち。

 昨日の衝撃が強すぎて心身が限界を迎えていたのかもしれない。

 どうやら、約束通り一人で寝かせてもらえたらしい。エリマスが部屋に来た痕跡はない。


 無意識に硝子の器へ視線を向け──

 中身がないことを思い出して逸らそうとして、しかし二度見した。


(……葉っぱ?)


 花瓶なんて近くに置いていない。

 中身が枯れた器を覗き込むと、やはりそこには硬い葉が一枚落ちていた。昨夜にはなかったはずだ。


 拾い上げると、葉に何かが書かれている。

 

「……読めない」


 たった一行。

 しかし何語か全く分からない。


(禁書庫に置いてあった謎の文字に似てる……? そういえば詰め所に辞書とか置いてあったな)


 羽根が一枚、葉が一枚。


 あと一つ揃ったら黒魔術でも起せるだろうか。




◆ ◆ ◆




「──……≪賢者に従え≫? なんだそれは」

「えっ」


 結局二度寝もできず、ひっそりと護衛の詰め所に早出していた私の手元に影が落ちる。

 振り返ると、そこには怪訝な顔で覗きこむ生ける芸術品こと、エリマスがいた。


「よ、読めるんですか?」

「古語だ。王族なら読める」

「王族……」


 書き写してきたメモを片手に、手あたり次第に辞書を積み上げていた自分が恥ずかしい。


「え、この文字数で、書いてるのそれだけですか?」

「疑うなら殿下にも聞けばいい」

「いやそれはさすがに」


 しかし知ったところで余計に分からない。

 水が消え、落ちていたのは葉っぱが一枚。

 書かれていたのは≪賢者に従え≫。


 人外はこういう婉曲的な言い回しが好きなんだろうか。


「で? どこでそんな文字見つけてきた」

「い、今ハマってる小説に出てきて」

「王族にしか読めない古語がか?」


 さすがに頭が回ってなさすぎた。


 とはいえ今日はフレゲトン王国の使節団の滞在最終日。

 彼らがここを発つのは明日の朝だと聞いている。それまでは私も大人しくしているしかない。


「そんなことより、今日は朝から使節団の方々とのご会談の予定では?」


 胡乱な目を寄越されるけれど仕方がない。

 何か言いたげだったエリマスは、溜息をひとつ吐いて扉の方へ向かう。


「いってらっしゃいま、」


 ぶつかりそうな距離に、その青い瞳が迫った。

 息を呑むと、しばらく間を置いてエリマスは目を細める。


「何を企んでるか知らないが、今日は大人しくしてろ」

「……暴れる予定なんてないですよ……」



 嫌なフラグの立て方をしないでほしい。




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