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今回ばかりは私も采配を間違えた。
昨夜のうちにマテルが嘘を吐いていることは分かっていたのだから、もう少し踏ん張って説得すべきだっただろう。
しかし時すでに遅し。
「レミジオさんの怒りは十分理解に足るのですが、何せ相手は満身創痍ですから、何卒穏便に……」
「大丈夫」
病や怪我を直すための治療室に、関係者といえど無断で立ち入ることはできない。
押し負けた私がヘメラに声をかけ、かくかくしかじかと事情を話し、しかし止める理由はないということで扉の前まで合法的に到達したのだ。
あのレミジオが暴れるとは、私も思ってはいないけれど。
「失礼します」
治療室は広い。急患が運ばれてくる場所がある一方、いわば入院施設のような部屋もある。今回母子がいるのはそちらだ。
中からの硬い返事を合図に中に入ると、寝台の上の彼女は明らかに顔を強張らせていた。
「……ガレネ卿、っこの度は……」
「急な出産だったとお聞きしました。お身体は大丈夫ですか」
すでにレミジオが身の潔白を晴らしたことはマテルの耳にも入っているのだろう。
体調故か状況故か、青白い顔をしている。
こうも短時間で嘘が暴かれるとは彼女も思っていなかったはずだ。今はこうして安静にしているけれど、いずれ処分は免れない。
「お気遣い、痛み入ります。あの、本当に、私……」
「嘘を吐いた貴女の罪はさておき、そのような状況に追い込んだ無責任な男がいることも確か。本来そちらも等しく責められるべきでしょう。同性としてお詫び申し上げます」
野次馬と化した私とヘメラは、思わず顔を見合わせた。
「貴女がた癒術師は貴重な人材です。午前の内に上には話を通しておきました。処分についてはいくらか酌量されるでしょうからご安心を」
「っそんな、しかし……!」
「むしろ巻き込んだのが私でよかった。……本当、とんだとばっちりですが」
そう言って、レミジオは寝台の隣に置かれた籠を覗き込む。
マテルは目を見開いて、口をはくはくとしていた。
「性別は?」
「お、男の子で……」
「小さいですね。それもそうか」
さっきまで詰め所でしおしおになっていたのと同一人物とはとても思えない。
「まずは体調回復を優先していただいて。もしご実家の許しが得られないようなことがあれば、我が家門を頼ってください」
「え、」
「これは情ではなく貴族としての合理の話です。癒術師の子息を擁するチャンスですから」
敢えてそういう言い回しをしたのだろう。
こちらを振り返ったレミジオはふっと笑う。まさに彼の言う通り、巻き込んだ相手がレミジオだったことが、何よりの幸運だったに違いない。
「では私はこれで」
一寸の隙もない。ヘメラは音も立てず、小さく手を叩いた。
「……どうかお待ちください、ガレネ卿……」
マテルの声は、震えていた。
「皆様、本当に……申し訳ございません。全ては私の浅慮が招いたこと。巻き込んでしまったこと、全てお詫びいたします」
レミジオも彼女の方を振り返る。
「都合が良いことは承知しております。ただ私ごときではとても……全てお話します。どうか、お力添えを頂けないでしょうか」
籠の中から、まだこの世界を一日しか知らない彼の頼りなく弱弱しい泣き声が上がった。
◆ ◆ ◆
海の精霊に言われるがままに汲んだ海水は何の変化もなく、陽の当たらない場所で硝子の器の中で無言を貫いている。
不思議と水が腐る様子はない。どういった形で彼女が私に連絡をしてくれるのかは分からないけれど、ただ待つのみだ。
「──次から次へと……何なんだ全く」
私と同じ感想を吐き出しながら隣に腰を下ろしたエリマスは髪をかき上げる。
その日、オルフェンの同行を終えたエリマスが帰ってきたのは随分夜が更けてからのことだった。
当然のように私の部屋にやってきたかと思えば、差し出されたのは見慣れない紙袋だった。
「え、なんですかこれ」
「王都で今流行りの菓子だそうだ」
「私に?」
愚門だとは分かっていたけれど思わず口をついて出る。
中を見ると、精巧な飾りが施された陶器の入れ物の中に見慣れない洋菓子が入っていた。コンセプトはクッキー缶に近いだろうか。
一つ口に入れてみれば、なるほどマカロンに近い味と食感。
どうぞ、とエリマスにも渡すと素直に手に取る。自分の部屋で着替えてくればいいのに、こちらに直行したせいで堅苦しい恰好のままだ。
「とりあえずレミジオさんの身の潔白が晴れたのは何よりなんですが……」
あれからマテルが明かした"事実"は、レミジオ隠し子騒動よりも大きな波紋を及ぼしている。
その日のマテルは王都の行きつけの店でひとり酒を飲んでいたという。
しかし職業柄、前後不覚になるような酔い方は絶対にしない。彼女は話の中で、何度も重ねてそう言っていた。
『そんなはずないと思ってたんです……でも』
ある青年がマテルの隣に腰かけ、声をかけた。
橙色の髪に、青磁色の瞳。甘く上品な顔立ち。
『一夜くらい夢を見てもいいんじゃないかって──』
つまり、彼女が夜を共にしたのは、何を隠そうこの国の王太子らしき人物だったというのだ。
「時期的には絶対あり得ない」
「……彼女もそれは理解していました。癒術師ですから、殿下の傷も見ていましたし」
当時のオルフェンはケイロンによって負った傷で療養中だった。
何らかの事情があってお忍びで外に出ていたとしても、そのような行為に及ぶことなどできるはずがない。
それにあの時は特に四六時中、誰かが彼についていた。王都の酒場に護衛もつけずに現れるなんて、そもそも無理な話だ。
「ともかく、マテルの話を聞いたのがあの三人でよかったです」
冷静に証言と事実を並べれば、彼女が関係を持った相手がオルフェンではないことは明らかだ。
しかし料理の仕方によっては、状況はいくらでも変わりかねない。
心を乱していたマテルにはレミジオが必死に説得し、当面その身柄をガレネ家で保護する約束をとりつけ、一方で赤ん坊の父親については決して他言しないようにと強く念を押していた。
今この話を握っているのはあの場にいた私、レミジオ、ヘメラ、そしてマテル本人と、ここにいるエリマスだけだ。
ヘメラもまた、マテルの精神的不調を理由に当面休職させる方向で動くという。
「よく似た容姿の人間が殿下を騙って、か……?」
「そんなことをすれば即、死罪ですよね」
女性を引っ掛けるためだけに、命をかけるだろうか。
「城外の貴族ならまだしも、彼女が見間違うとも思えないんですよね」
「そんなの、酒が入っていた当時の記憶なんて信用できない。そもそも嘘の証言かもしれない」
「嘘なら嘘で、彼女も職を失うどころか重罪ですよ。理解していたはずです」
相手がレミジオだと嘘を吐いたのは、時間稼ぎのつもりだったと彼女は言った。
生まれた子供に何らか特徴が出れば、あるいは抱えて逃げられるほど自分が回復すれば、そう思っていたと。
ああやってほんの数時間で暴かれたのは、彼女にとっても想定外だっただろう。
(まあ、でも、彼女の気持ちも分からなくはないというか……)
まるで夢物語のようだっただろう。
一人で入った酒場で、憧れていた人に甘く囁かれ、肩を抱かれたら。
それが例え己の身を滅ぼすほど、とんでもなく高貴な相手だったとしても。
ただそれがオルフェン本人ではないと、理性が胸を叩いたとしても。
「今回レミジオが疑われていたところまでは殿下の耳にも入っていた。だが他人事どころか面白がってすらいたし、もしお心当たりがあるならあの反応はあり得ない」
「ですよねぇ」
だとすれば。
「他人に成りすますことができる異形か何か……しかしそんなものがいるとしたら、むしろ殿下の夜遊びよりも厄介では」
そう口にすると、およそ同じ答えに行きついていたらしいエリマスが殊更に苦い顔をした。
「ですがあり得ますね」
「何?」
「逃げ出したケイロン・テルクシノエが、まさにそうではないですか」
マカロンもどきを、もう一口齧る。
「……それはあり得ない」
「え、でもあの男も幻の可能性がって」
「幻が見えるだけならまだしも……子供までできるか?」
ごくりと飲み込む。味がしなかった。
「………、確かに」
「だろ」
エリマスと顔を見合わせ、無言の時間が流れた。
「ではこういうのはどうでしょう。全く無関係の人間の男が、姿だけ殿下の幻を纏えるとか」
「そんな大層な力があって、男爵令嬢一人手籠めにして満足したと?」
「……」
納得するのは不服だけれど、しかし確かに、それはそうだ。
「ではやはり他人の空似だとおっしゃられますか? 王城勤めの癒術師が見間違うほどの?」
到底答えは見つからない。
ぐったりと背もたれに身を預けたエリマスは天を仰いだ。
「こんなことを殿下に言えば余計な心労を増やす……ただもし彼女以外に同じような人間が現れたら厄介だな……」
口にはしないけれど、しかしエリマスもきっと頭に過っただろう。
オルフェンの中に眠るアーテが何らか影響して、億が一にでも、あの赤ん坊がオルフェンの実子である可能性を。
(血の繋がりを証明するものがないのが吉と出るか凶と出るか……)
暗雲がまた、目の前に立ち込めていた。
◆ ◆ ◆
その後マテルは約束通り、子供を連れて王城を下がった。
形式的にはいわば育児休暇として、ガレネ家の領地のひとつで休養するという。相手も分からぬ妊娠をした令嬢が、実家に快く受け入れられるケースは少ない。彼女にとっても良い結果だったように思う。
オルフェンもどきが出現したことについては、変わらず四人だけが握る秘密となった。
心身が疲弊しきったマテルだけの証言だけでこれ以上混乱を招くわけにはいかない、それがエリマスが下した判断だった。
そして硝子の中の海水が乾ききるまで、あとわずかとなった。
「ノーナ」
「!?」
全力で振り返ると、そこには困ったような顔をした王太子が立っていた。
思わず目を擦る。幻ではない。
「ぐ、グラナトゥムの瑞光、」
「はは、今更いりませんよ」
今日はフレゲトン王国の使節団の歓待二日目だ。
庭園での食事会を終えた彼らを見送った後、外廊に差しこむ眩い陽光を浴びて輝かんばかりのオルフェンが何故かそこにいた。
「ではなく、殿下がなぜお一人で!? エリマス様はどちらに!?」
「いえ、貴女が浮かない顔をして離脱していたので大丈夫かなと。体調が悪いとか?」
「お心遣いありがとうございます、しかし僭越ながら理由になっておりません、大至急お戻りください……!」
私はただ庭園に自分の上着を置き忘れたことに気付いて取りに戻っていただけだ。
「ちゃんとエリマスには声かけてきましたよ」
「えぇ……」
オルフェンが目を細める。
「少しなら貴女と話をしてもいいと」
その静かな声色に、思わず瞬きを忘れた。
「……と、おっしゃられますと」
「フレゲトン王国には私より四歳年下の姫君がいらっしゃるんです」
そういえばあちら赴いた時にはティシポネのせいで晩餐会が滅茶苦茶にされたけれど、確かに挨拶の場で見かけた気がする。
当時はその後に色々ありすぎて、ほとんど記憶はないけれど。
「実はその方と縁を結ぶお話が上がっておりまして」
「えっ」
「当然ながら政略結婚です」
オルフェンはにこりと、子供のような笑みを浮かべた。
「もちろん、まだ正式には決まっておりません。やはり私の身体の事もありますし、エリマスがうまく立ち回って、話を遅らせてくれています」
それはそうだろう。
なんともうまく言葉が紡ぎだせず、私は間抜けに「それは何よりで……」貴族にあるまじき生温い応答をしてしまう。
しかしなるほど、エリマスがマテルの件で頭を抱えていた理由はここにもあったのか。
確かにこのタイミングで落胤が現れては、とんでもないことになる。
「今回の使節団も表向きは同盟国間の交流ですが、およそその婚姻について詳細を詰めるためのものです」
「そうだったんですね……」
「ですからこうして貴女に気安く声をかけるのも、今日が最後かもしれません。先方に見られれば良い気はされないでしょうし、それにエリマスも怖いですし」
久しぶりの対話。
オルフェンはいつになく饒舌だった。
「貴女にちゃんと、あの時のことを謝罪できていなかったので」
外廊に影を落とす青い木々が、風に揺れてざわめく。
「とんでもございません、お詫びはすでに頂いたはずです」
「いえ、当時はエリマスに殴られすぎて半強制的でしたから」
「えぇえ……」
思わぬ事実が明かされた。知りたくなかったけれど、想像はつく。
「酷いことをしました。本当に申し訳ない」
本来なら一国の王太子がその程度のことで臣下に頭を下げるなどあってはならないだろう。
制止しなければならないのに、けれどできなかった。
「これ以上言葉にできることがなく心苦しいですが、ただどうか貴女には幸せになってほしい」
エリマスが月なら、オルフェンはまさしく太陽だろう。
暗い表情は似合わない。身体がたくましくなっても、その顔に残る柔らかさは消えていない。
「それだけです。すみません、困らせましたね」
「わ、たしも……殿下には、当然幸せになって頂きたいです。心から」
その身の上で、自由が効かないことは多いだろう。
しかし国を背負う覚悟をしているからこそ、無茶を働いたことも理解している。
その腹の底で抱えているものが、私ごときでは想像できないほどに重いことも。
「ありがとう。貴女の存在には本当に救われました」
目には見えない一線が引かれる。
「……将来殿下のような方が治める国に生まれたことを、誇りに思います」
私たちは、友人にはなれないのだから。




