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◆ ◆ ◆
「……やっぱりないか」
王城へ戻り、その数日後の夜。
前回の反省を生かして、王城の騎士二名を連れて再び聖殿の禁書庫へ向かったのだけれど、やはりお目当てのものはなかった。
正確には、関連書物自体はある。
けれど核心を突くもの──過去の聖冠の神子についての記述は見当たらない。
ラミアが現れる前、聖冠の神子もどきになっていた間に、ある程度過去の聖冠の神子については聞かされていた。
観測されている限りでも百年ほど間が空いている。一番短くて八十年。
あくまで全て神々の尺度で決められている話だからだろう。
冥王たちの言い方からしても、次の聖冠の神子の出現はそう早くない。
冥界の住人達も、人間の倫理観や価値観から程遠い生き物だ。
ティシポネやメガイラも今でこそ協力的に映るけれど、その断罪の手段は命を奪うこと。標的となれば容赦はない。
それも結局、人間のためではない。
神々の不始末の産物であるアーテの配下となった人間が、不自然に同族の命を奪って冥界のバランスを崩すことを防ぐためだ。
失踪期間中、私の家に上がり込んだティシポネに聞いたことがある。
『以前貴女に、どうしてもっと早く人喰いを罰しなかったのかと聞いたら、人間に邪魔されたとおっしゃられましたよね』
あの時、腑に落ちていなかったやり取りだ。
『貴女ほどの方が人間に邪魔されるなんて、どういうことか分からなくて』
『? ラダマンティスが聖殿の人間に脅されて、あの女にも結界を施していたからよ』
『……今更なんですが、大司……ラダマンティス様は冥界の方ですよね? 脅されていたことをご存じなら、助けたりとか……』
ティシポネは、理解できない顔をしていた。
『助ける? どうして』
『いや、それこそ聖殿の背後には貴女がたの宿敵のアーテもいたわけで、どうして放っておいたのかなって』
『放っておいた、って。数十年程度のことじゃない』
そう、彼らにとっては何も理不尽ではない。
あの時も冥王を元に戻す交換条件としてあたかも助太刀のように現れただけで、所詮、正義の味方ではない。
この国が乱されるきっかけとなる不始末を働いた冥王にも罪悪感などない。
何せ神々を癒す唯一の医師ですら封じて、対応策として人間にその代理をやらせるほどだ。
(……つまり彼らの助けを当てにするわけにはいかない……)
首元を攫う風は僅かに冷たく、馬車の窓から覗く白い石段が月光に淡く光っていた。
「──ありがとうございました」
王城に到着したらしい。馬車から降り、騎士たちに声をかける。
この短距離で利用するのは気が引けたけれど、後で怒られるよりは良い。
収穫はなし。落胆しながら首を鳴らす。
「あっ、ノーナ様」
とぼとぼと廊下を歩いていると、前から走って現れたのは癒術師のヘメラだった。
声で気づいたものの、顔が見えないほど大荷物を抱えている。
「どちらに行かれていたんですか?」
「ちょっと聖殿の方に野暮用で……っと、お持ちしましょうか」
山のようなガーゼの量だ。
誰か怪我でもしたのか、と、遠慮されながらも半分受け取りながら顔を見ると、その額には汗をかいている。
「実は癒術師がひとり、急に産気づきまして……」
「えぇ!?」
「んもうそれが、本人が隠してたんです、妊娠してること。食あたりだと言って厠に消えたきり戻ってこなくて、見たら破水しちゃってて」
二人でガーゼを抱えて、走る。
「だ、大丈夫なんですか!?」
「しかも逆子なんですよ~」
「大丈夫じゃないですね!?」
道中で聞く限り、やはりこの世界に帝王切開なんて存在しない。
母体にも子供にも限界まで癒術をかけながら、なんとか出産を進めるのだという。
「え、ノーナ様もしかして手伝ってくださるんですか?」
「いやむしろ呼んでくださいよ」
ガーゼの間からヘメラがにこ、と笑う。
彼女は私が数か月ぶりに王城に現れて再会した時も何も聞かなかった。良くも悪くも関心がないのだろう、そのフラットさが心地いい。
向かった先は彼らの職場たる治療室ではなく、癒術師たちの詰め所隣の仮眠室だった。曰く治療室にまで運ぶ猶予がなかったらしい。
部屋に飛び込むと、叫び声と呻き声、そして慌ただしく走り回る足音が駆け巡っていた。
「ヘメラ様! と、えっ、ノ、ノーナ様……?」
「道中偶然お会いしたんです」
出産現場なんてドラマでしか見たことがない。
仮眠用の簡素な寝台の上、女性は傍らに敷き詰められたリネンを掴み、白い顔を歪めて呻いている。
何度か治療院で同席したことがある顔だ。
「ほらマテル、ちゃんと息して」
とはいえ今私にできることはない。
駆け付けた侍医や癒術師たちが声をかける中、私は片隅で固唾を呑んで見守るのみ。
「あ、逆子治ってるかも」
「嘘!」
「ほら、頭でしょこれ」
「やだよかった~! はいがんばって!」
さすが歴戦の癒術師たち。
あるいは彼女たちの中にも自身に出産経験があるからだろうか、遥かに肝が据わっているように見える。
「聖冠の神子様に出産を見届けて頂けるなんて、こんな栄誉ないわよ」
そんな大層なものではない。
獣のような低い呻き声を前に、私は成すすべもなく小さくなっているだけなのだから。
「ノーナ様、まだまだかかりそうなので本当にご無理なさらず……この調子ですと深夜を回るかも」
「全然、私は全然大丈夫です」
ここまで来て帰る勇気がなかった。
一時間、二時間と一進一退の攻防が続くのを見守り続け、赤ん坊が姿を現したのはまさしく零時を回った頃だった。
弱々しく、しかし必死に息を吸い──産声が上がる。
同時に周囲からも歓声が上がった。
ほっと胸を撫でおろし、マテルの顔色を見やる。
「初めてにしては安産よ、よかったわ」
ガーゼに包まれた、生まれたばかりのくちゃくちゃの顔の赤ん坊が彼女の隣に添えられる。
憔悴しきった手を取り、気休め程度ながら力を籠めれば、するすると素直に入っていく。出産のダメージにどこまで効くのかは分からないけれど。
「わたしのようなものに……こんな時間まで、ありがとう、ございます……」
「とんでもない。私の出る幕がなくてよかったです」
白い頬に色が戻る。ほう、と大きな息を吐いたマテルの目尻から、涙が落ちた。
生まれたばかりの赤ん坊はそのまま治療室に運ばれていき、マテルの処置のため侍医とヘメラを含めた癒術師数名がその場に残された。
私は完全に帰り損ねている。
「それにしたってマテル。今言うことじゃないのは分かっているけれど……」
ヘメラが心配そうにしながらも、顔をしかめる。
「……申し訳ございません」
「自覚はあったんでしょう? どうして言わなかったの。それに父親のことだって」
どうやら訳ありらしい。
聞いていていいのだろうかと、私は仮眠室の床掃除に勤しんでいた。
「言えません」
「だけどここの癒術師である以上、父親の分からない赤子なんて……」
それはそうだ。
王城勤めかつ、マテルは男爵令嬢だったはず。父親を明かせないとなると話は変わってくる。
癒術師は城内でも特殊な立ち位置にある。存在が希少故に多少粗相をしても無下にはされないけれど、一方で規律も厳しい。
元を辿れば一人の少女が祖だ。つまり癒術師の子はまた癒術が使える可能性が高い。
(貴族との子供であれば後継問題に関わるし、それが万一王城関係者となれば……)
「でも、言えないってことは、分かってはいるってことね」
ヘメラは肩を竦めた。
ドラマで見たことがあるやりとりをよもや異世界でも見ることになるとは。
私は彼女たちの方を見ないように、雑巾を絞る。聞き耳を立ててしまうのは人間の性分だ。
「あの子のことは……養子に出すつもりです」
「馬鹿なこと言わないで」
「でも」
相当言えない相手なのだろう。
さては既婚者か、はたまたとんでもなく高貴な身分か、あるいは平民か。
「せめて私たちには聞かれたくないんだとしても、師長官には報告しないと」
「……」
あらかた掃除は終わった。
場の空気的にも私は撤退した方が良いだろうと、バケツを抱えて立ち上がると、マテルの視線がこちらへ向いていることに気付く。
「あ、私はそろそろ戻りますので」
「ええ、ノーナ様、本当にありがとうございました」
深々頭を下げるヘメラを宥めながら、どこか後ろ髪を引かれつつ背を向けて──
「……お、待ちください……ノーナ様」
怯えたように震えるその声に、足を止めた。
「──ご安心ください。私も真に受けたわけではありませんので」
翌朝。
とんでもない剣幕で私の部屋に飛び込んできたエリマスは、顔が青かった。
それにしても次から次へとよくトラブルが起きるものだ。
「……それにしたって、癒術師の出産に立ち会うなんて聞いていない」
「急患で戻りが遅くなるとはお伝えしていましたよ」
また心配させて大捜索されても困ると、侍女経由で伝達はしておいたのが功を奏したらしい。
あるいは、あの場にエリマスが駆け付けていればまた話は変わったかもしれないけれど。
数時間前、私に縋ったマテルの発言は波乱を巻き起こしていた。
『実は、あの子の父親は──』
「でも可能性はゼロじゃないですし」
「ゼロに決まってるだろう……」
赤ん坊の父親は我らが同僚、レミジオ・ガレネだと言うのだ。
おそらくその報告が護衛の上官であるエリマスに即回ってきたのだろう。
そしてきっとレミジオは明け方に叩き起こされたに違いない。言葉通り、寝耳に水で頭を抱えているかもしれない。
「随分神妙だったので、父親はメレアグロス公爵ですと言われるのかと思って構えたんですが」
「冗談でもやめろ」
「よっぽど本当の父親のことは明かせないんでしょうね」
全くの嘘だと決めつけるわけにはいかないけれど、しかし可能性としては低いだろう。
仕事にも立場にも責任感のあるレミジオがそんな粗末なことをするはずがない。
「逆算するに、何かあったとすれば昨年のおよそ六月末から七月くらいですかね」
じとりとした目でエリマスが私を見下ろす。
「レミジオだけは絶対にない」
「ええ、私も信じてますけど」
レミジオは独身かつ決まった婚約者もいなければ、伯爵家の生まれで人徳もある。
騎士団所属から護衛に移ったが、そのどちらにいたころも癒術師とは関わりがある。相手として違和感はない。
かつ彼ならば、仮に自分に覚えがなくとも困窮する母子を前に黙殺することはないだろう。
(にしてもこの時代には当然DNA鑑定なんてないし……)
こうなってはレミジオがこの話をどう進められるか次第になってくる。
「マテル・イノ男爵令嬢か……こんな突拍子もないことをする性質には見えないのに」
エリマスの溜息は何度目だろうか。
彼女とはヘメラほど仲が良かったわけではないけれど、いつ見ても大人しく、慎ましやかな印象だった。口数もそう多くなく、私もほとんど素性は知らない。
「あの、エリマス様」
「……なんだ?」
「着替えたいので、一旦出て頂いても?」
◆ ◆ ◆
その日の護衛の詰め所に、レミジオの姿はなかった。
「ノーナ」
振り返ると、まだ一日が始まって間もないというのにすでに疲れが滲むエリマスが立っている。
「私は終日殿下の外出に同行する。君はこっちの書類仕事が終わったら、午後からは治療室の応援に行くように」
「え、あ、ああ、承知しました」
随分含みのある指示だ。
主戦力ではない私が治療室の応援に行くことは少なくないけれど。
「レミジオさんは終日お休みで?」
「……おそらく」
なるほど。それなりに大事になっているのだろう。
護衛のほとんどが出払った後、経費の書類を一通り片付けて腰を上げた。
食堂でお昼を食べたらそのまま治療室に直行しよう。鼻歌まじりに伸びをしていると──
「うわびっくりした」
知らぬ間に私服のレミジオが机に突っ伏している。今の今まで気づかなかった。
「……いつからいらしたんです?」
「さっき」
「声かけてくださいよ……」
上げた顔はげっそりとしている。
「ここまで真面目に生きてきたのにどうしてこんなことに」
朝から関係各所にさぞ絞られたのだろう、レミジオは頭を抱えている。
相手が癒術師というのが厄介なのだ。
「大丈夫ですか、ここにいて」
「休憩でもしないと頭がおかしくなる。……エリマス様は?」
「今日は殿下の外出にご同行されるそうで」
見ていられずお茶を出すと、レミジオは口をへの字にして、堪えるようにカップを煽った。
「信じてないよね?」
「何がですか?」
「私の子じゃないんだ本当に……いや彼女も大変なんだろうとは思うけど……」
やはり、とても嘘を吐いているようには見えない。
「エリマス様もレミジオさんを信じてましたよ」
「ありがとう……」
しかしそのまま放っておくわけにもいかず、正面の椅子に腰を下ろす。
「朝方から人事官に癒術師長官に侍医長に侍女長に果ては宰相閣下、身に覚えのないことで散々詰問されて死にそう」
「おお。オールスターですね」
「子供には罪はないけど、だとして私にも罪はないよ……」
このまま泣いてしまうのではないかというほどの憔悴っぷりだ。
他人事ながら同情してしまう。
「とりあえず己の矜持やら何やらかなぐり捨てて、なんとか疑いは晴れそうだけど」
「そうなんですか?」
確かにその時期には王城に不在だったとか、アリバイがあれば話は別だろう。
しかしレミジオは黙り込んだ。
「? 疑いが晴れるなら何より……」
「不能だから」
「はい?」
「不能なんだよ随分前から。……侍医の診断書もある。エリマス様も知ってる。だから絶対に私の子じゃない」
その言葉に一瞬思考が止まり、しかし理解するとはっと我に返った。
「え、あ、ああ、なるほど!?」
これまでの違和感にも納得がいく。
レミジオほどの優良物件が、まだ空いている理由が。
そしてエリマスがやたらと強い語気でレミジオの潔白を主張していた理由が。
「こんなことが無実の証明になるなんて」
「いや、よかったと言うのはおかしな話かもしれませんが、今回に限っては何よりの盾と言いましょうか」
さすがにこれについてはマテルには知る由もなかったことだろう。
となると彼女はまたひとり、矢面に立つことになる。
「何が悲しくて己の恥を長官全員に説明する羽目に……?」
レミジオの心を削ったのは、どうやら疑われたこと自体より、そちらにあったらしい。
「……元気出してください」
「エリマス様には午後も休んでいいと言われたよ。いらないそんな同情。働かせてくれ」
「私はこの後治療室に応援に行かなくちゃいけなくて、特に用事がないのであればお休みされては……?」
光を失ったレミジオの瞳がちらりとこちらを向く。
今の彼に治療室という言葉は禁句だっただろうか。
「……彼女はそこにいる?」
「え、ああ、患者としていらっしゃるかも……赤ちゃんも一緒かと」
「なら私も行く」
「えっ」
ゆらりと立ち上がったレミジオの周りにはただならぬ気が漂っている。
その目には、疲労とは別の決意が宿っていた。
当事者同士をぶつけていいはずがない。私も慌てて腰を上げた。
「しかしさすがに昨日の今日ですしマテルも体調が」
「別に尋問するつもりはないよ。単にお見舞いにいくだけ」
お見舞いの意味が違っているように聞こえる。
「いやでも、あっ、ちょ、ちょっと!」
困った。
どう考えてもろくなことにはならない。




