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◆ ◆ ◆
この王城に来て、二度目の四月が目の前に迫っていた。
いくら神だなんだと脅威が潜んでいようが、王太子の護衛をしている以上、国政にまつわる行事には同行しなければならない。
ただ、そうは言っても明らかに私の召喚頻度は減っている。エリマスの過保護が効いているのだろう。
春うららかな今日、グラナトゥム王国の沿岸防衛拠点を兼ねる港湾都市への視察に同行している。なお、その海というのは私が放浪中に討伐したカリュブディスがいた場所でもある。
あれからオルフェンとは、業務上の最低限の会話しかしていない。表面上はいつも通りだけれど、どことなく気まずそうにしているのは私の自意識過剰だろうか。
今はそのオルフェンが、この一帯を取りしきるタラッサ侯爵当主と面会中だ。
タラッサ侯爵家はレミジオの実家、ガレネ伯爵家の近縁にあたる。代々この沿岸を守り続ける家柄で、彼らの海上騎士団は国でも貴重な戦力らしい。──これはエリマスからの受け売りだけれど。
【森、でございますか】
いくらこの国で冥王の存在が容認されたと言っても、ふよふよと火の玉が飛んでいるわけにもいかない。
オルフェンのお目付け役となったランパスは王都の職人が作った特製の灯籠の中に収まり、視察に同行していた。
【よもやノーナ様がそのように過酷な場所でお生まれになったとは存じ上げず……】
「はは」
私の故郷たる闇の森は、ランパスでも知らないようだった。
落胆しながら、タラッサ侯爵邸の窓から穏やかな海辺をぼうっと眺める。面会が行われている部屋のすぐ隣だ。
この視察に私が同行しているのには当初理由があった。
それは遡るほど二時間ほど前のこと。
『──え? ……治った?』
城外では変わらず、私は特別人より優れた癒術が使える、王太子のための護衛という扱いだ。
際限なく癒術が使えることは当然明かしていない。
それは私のためを思ってのことではなく、他国との折衝リスクをなくすためだ。
そんな人間がいるとなれば、一種の兵器に近い。
国王はもちろんオルフェンもエリマスもそれを理解していて、必要な場面でしか私の癒術は求めない。
今回はそれらの事情を度外視して、難病に侵されているというタラッサ侯爵夫人を診るという役目を託されていた。
侯爵夫人はいわば卓越したマルチリンガルで、他国の商人たちとの交渉の要だという。
フォローのために王都から何名か応援を寄越したものの、とても彼女ほど仕事を裁けず手に余り、急を要して私が駆け付けた──
の、だけれど。
『ええ、実は皆様がご到着される二日ほど前に、医術の旅をしているという方が偶然診てくださり……』
『ご夫人が完治されたのであれば何よりです、タラッサ侯爵』
その後侯爵夫人に挨拶を交わしたけれど、とても病魔に侵され寝台から立ち上がれなかったとは思えないほど溌剌としていた。
タラッサ侯爵曰く、その旅人は名乗ることもなく、彼女を治療するやいなやほんの僅かな金貨だけ受け取り、風のように立ち去ってしまったらしい。
ということでお役御免となった私は、こうしてランパスを抱きかかえ、護衛然と突っ立っている。
【ちなみにその森の件、ラダマンティス様もご存じないと?】
「うん。糸績みがそこで生まれるものってわけでもないらしい」
【ええ、まあ、いくら糸績み様と言えど、人の子でございますので……】
そう、つまり根本的な話、いくら化け物じみた能力を備えていたとして、私は人間の子であり、ひとりでにあの森に降臨した訳ではないということだ。
私の本当のルーツなんて分からない。『ペルセポネの冥戦』でも、フューチャーされたのはお涙頂戴の討伐シーンだけだ。
「ノーナ」
どうやら話が終わったらしい。顔を覗かせたのはレミジオだった。
「殿下たち、このまま港の方に移動するみたいだから君も一緒に来るようにって」
「え、いいんですか」
春の入り口といえども海辺は冷える。
上着を着重ねて一行に合流すると、エリマスとオルフェン、タラッサ侯爵はまだ話を続けていた。
(……さすがは沿岸防衛拠点……)
港へ向かう道すがら、潮の匂いよりも先に鼻を刺したのは鉄と油の匂いだった。
波止場には明らかに商船よりも軍船の方が多く、黒鉄の船体がずらりと並ぶ。見上げた先の見張り台には弓兵が常駐し、海上には監視船らしい小舟が巡回している。
振り返れば、タラッサ侯爵邸もまた一面が見渡せるように高い石壁が築かれ、城塞のような造りをしていた。貴族の屋敷というより、沿岸防衛の中枢そのものだ。
ふと手の平を見下ろす。
何の武器も握らない手には、肉刺ひとつない。
「どうしたの?」
「……私も剣の練習とかしたほうがいいかなと」
「はは、向いてないよ」
レミジオの隣を歩きながら顔を上げ、前方のエリマスを見やった。
今日も今日とて公爵閣下は輝いている。
あの男が何をどうして私を気に入るというのか。
振り返れば振り返るほど、特異なプロフィール故に性癖が歪んでしまったとしか思えない。
「しかしただ癒術が使えるだけでは──」
段差を降りようとして、足元をろくに見ていなかったせいか、思い切りつんのめった。
腕に抱えた灯篭に意識が取られ、だんだんと地面が近づいていく。
が、想像していた衝撃が来ない。
咄嗟にレミジオが片腕で抱き留めてくれていたらしい。
「す、すみません!」
「まずは欲張らず、こういうところで怪我をしないっていうところからだね」
姿勢を戻すとぱっと離れていく。紳士だ。
(今は怪我をしても治るっていう甘えが、不注意を呼んでいる気がするな)
ぎゅっと瞼を閉じ、気合いを入れ直す。
「──エリマス様」
視察の道程を終えたその夜、タラッサ侯爵邸の客室を叩く。
午前零時。非常識な時間であることは分かっていた。
「……どうした」
「わ」
現れたエリマスは濡れた髪に、胸が開いたガウンを羽織るのみ。よその邸にいながらそんな恰好で出てこないでほしい。煽情的すぎて頭が痛い。私が本当に二十歳の乙女なら気を失って倒れていただろう。
「少し外出したいんです。ランパスを連れていく許可を頂きたく」
「は?」
「すぐ戻ります。一時間もあれば」
訝しがるを通り越して顔をしかめたエリマスに「違うんです」怒られる前にと先手を打つ。
「昼間にランパスと話をしていたんですが、私が冬場にカリュブディス……そこの海の化け物を倒したので、海の精霊が戻ってきているかもしれないらしくて。ちょっと挨拶に」
「待て。情報量が多い」
「海の上なので人間に襲われる心配はないかと」
「……海だと万一の時に鋏が使えないだろ」
「いや、それが、海に両手突っ込んだら使えるんですよ。地面扱いみたいで」
そうじゃない、とエリマスは扉に寄りかかって頭を抱えた。
「……突拍子がないのは百歩譲って、その海の?精霊?とやらにどうして会いたい」
「ちょっと情報を仕入れたくて……」
海の精霊とやらは私も全く未知の存在だけれど、ランパス曰く言葉が通じる相手らしい。
カリュブディスを討伐した功労を考えれば多少取り合ってもらえるのではないかという。
「先に申し上げますがエリマス様は一緒に行けません」
「何故」
「一歩間違えたら海に引きずり込まれて死にます。私は化け物退治をした貸しがありますが、エリマス様は部外者。精霊がどう思うか分かりません」
「…………それでどうして、私から許可が出ると?」
なお、ランパスにはこの交渉を止められていたのだ。絶対に許可が出るはずないと。
一周回って、殺意に満ちた目で見下ろされている。
行く前に私がエリマスに殺されるかもしれない。
「いや、まあ、許可がなくても行くんですけど」
むしろこうして丁寧に交渉しに来たところに成長を感じてほしい。
今だって、オルフェンの監視をしているランパスを連れ出すことに許可を取りに来ただけだ。
「こんな時間に失礼しました。では」
「……一時間だ」
「え?」
「一時間で戻らなかったら、抱く」
「抱………………?」
瞬きの仕方を忘れた。
その後どう、何の返事をしたか、どうやって立ち去ったか覚えていない。
気付けば私はランパスの上で正座をしていた。その下には夜の海が広がっている。
【熱烈でしたねぇ】
「あなたずっと聞いてたの? なんで? どこから?」
見上げると幻想的な星空が広がっていた。
海上で火の玉に乗っているという心許なさより、一刻も早く用を済まさねばという使命感に駆られていた。
【そろそろですよ】
月明りに照らされた先、大きな岩礁が目に入る。
どこか幻想的な景色に、私はごくりと息を呑み──その美しい歌声にはっとする。
【──まあ。冥府の小間使いがどうしてこんなところに?】
(……"人魚"だ、)
岩礁に腰かけたその身体の上半身は人間で、下半身は魚。むき出しのその背には翼が生えている。
ただそれは絵本の中で見るような美しいだけの姿ではなく、無表情で無機質で、どこか恐ろしい。人間の形をしているのも、あくまで形式的なもののように見える。
【しかもまあ、一緒にいるのは今代の糸績み? 先日は蠅退治どうもありがとう】
【お久しぶりです。実は貴女に折り入ってご相談があり……】
勢いよく水の中に飛び込んだかと思えば、眼下に顔を出しその翼で身体を浮かせる。
今まで出会ったどんな図体の大きな化け物より、得体の知れない恐怖心が煽られた。
【相談? わたくしに?】
【実はこちらの糸績み様には訳あってご記憶が欠落しており……物心ついたときに何やら暗い森にいらしたようなのですが、その場所が分からず。陸にもお詳しい貴女であれば何かお心当たりがあるかなと】
怖気づく私を前に、ランパスが的確に掻い摘んで話してくれる。なんて心強い味方だろう。
【それなら木や森の精霊たちの方が詳しいのではなくて?】
【いやあの方たちはちょっと……】
【それにしたって、随分ヒントが少ないのね】
何か見透かすように、すうっと目が細められる。
【……確かに噂通り霊液が半分欠けていらっしゃるようね。恐ろしいこと】
愉快そうに、唇は弧を描く。
なるほど、情報通だというのは確からしい。
【良いでしょう。その森の件、お調べして差し上げても】
「え、あ、よろしいんですか……?」
【ただし……そうね】
恭しく岩礁に腰かけると、下半身の鱗が月の光を浴びて艶やかに光る。
【貴女の血を少し分けて頂ける?】
「え゛」
【趣味なの。乙女の血を集めるのが】
「…………りょ、量に、よりますが……」
どんな趣味だ。
私を乗せているランパスもドン引きしている気配がする。しかし仕方がない。
差し出された貝殻を借りて、ぷつりと手の平を割いた。
言われるがまま眼下の海に数滴血を落とすと、精霊は恍惚とした表情で海に飛び込んだ。
私の血そのものには何の効能もないはず。本当に趣味なのだろう。
【承ったわ。貴女、この海の水を汲んで持ち帰りなさい。答えが出たら、その水が乾ききる前にお教えしましょう】
(……どこまでもファンタジーだな……)
とにかくほとんど無傷で目的を果たせたことにほっと安堵しながら、踵を返す。
できればあまり会いたくないタイプの異形だった。
一度侯爵邸に戻り、いそいそと自分の荷物から水筒を取り出し、海の水を汲みに出て戻る。
波打つ海水が切ったばかりの傷にじくりと染みる。思わず飛び上がりながら。
「……あの方も相当癖強くない? 大丈夫?」
【精霊は基本的に変わった方が多いので、わたしもあまり横の繋がりはないんです……】
よもや精霊から横の繋がりなどという言葉が出てくるとは。どこの社会も同じだな、と溜息が出る。
早々にエリマスには戻ったことを報告しなければならない。ランパスの力ありきとはいえ、約束通り一時間以内で済ませたのだから。
送り届けてくれたランパスと別れ、足を踏み入れた侯爵邸の廊下はしんと静まり返っていた。
先ほどのやり取りが一瞬脳裏を過ぎる。
が、意を決し、扉を叩いて──
「た、ただいま戻りました」
扉のすぐ向こうにいたんじゃないかと思うほどの速さで、エリマスが顔を覗かせた。
「早かったな」
「……お約束しましたので」
では、と踵を後ろに引くと、まんまと腕をとられる。
そのままエリマスは器用に私の背後の扉を閉めた。
雑音が消え、空間が切り取られたような感覚に包まれる。密室で二人になることにはもう慣れているはずなのに。
「で」
「で?」
「君がどうしても仕入れたかった情報とは?」
こんな時間に尋問とは、さすが容赦がない。
「……いえその私事というか、我が国の政の利になるようなものでは……」
「殿下の護衛という立場で視察に同行している最中こんな深夜に睡眠時間を削ってまで出て行っておいて、私事だと?」
綺麗な真顔がド正論をじくじくと剛速球で投げてくる。
それはそうだ。そうなのだけれど。
行かせておいて、帰ってから聞くなんてずるい。いや、ずるくはない。
「おっしゃる通りで、まさに不徳の致すところというか」
「私には言えないようなものだと?」
「ちょっと、こう、私の出生の秘密的な……」
わざとお茶らけて言ったつもりなのだけれど、僅かにエリマスの表情が揺れた。
「……君の?」
「孤児院に引き取られるより前の私の生まれについて、海の精霊が詳しいかもと思ってですね」
逸らしもしないセレストブルーは、まだ私を逃がしてくれない。
「それも記憶がないと?」
「あ、いえ、あるんです。でも物心ついたときにいたのは森なんですよ」
理解できていないような顔をしている。
「…………森?」
「孤児院には捨て子として入ったんですが、元々私、森で暮らしていて……ああ、話してませんでしたよね」
「いや待て。意味が分からない」
私の腕から手を放すと、言葉通りエリマスは頭を抱えた。
意味は分からないだろう。私も分からないのだから。
「森の中の村か?」
「いえ、人間なんてそう入ってこない真っ暗な森ですよ。太陽がほぼ差し込まないような」
「……どうやって生きてたんだ」
「どう……? どうやって生きるも何も……何回か繰り返せば食べるものは判断がつくようになりましたし」
絶句している。
それもそうだ、想像もできないだろう。
しかししまった。こんな時間に話す内容ではなかったかもしれない。
もう少し出会いの序盤に話しておくべきだっただろうか。
このタイミングで同情や憐憫を浴びる予定はなかった。
「……何年そこに?」
「五年ほどでしょうか。記憶……自分の意識している期間では。時計もないので朝が来た回数を木の幹に印をつけていたんですよ」
煽らないよう、なるべく静かに言葉を紡ぐ。
私ももっと早く自分の正体に気付いていれば、襲いくる化け物をじゃんじゃん始末できていただろうに。
『ペルセポネの冥戦』の中にいると気付かなかった十年の間、自分が不死であることしか自覚がなかったことが悔やまれる。
「君の年齢は、どうやって」
「私の証言も含めて孤児院の方が算定してくださりました。およそ外れていないと思いますが」
「……誕生日は?」
「孤児院に引き取られた日です。ベタでしょう」
エリマスが短く、縋るように息を吸った音が聞こえた。
どうやって声をかけようか迷っているんだろう。
あるいは、目の前の私が、想像していたよりも化け物だったことに恐れをなしただろうか。
私も想像力が足りていなかった。
こんな話をすれば、こうなることくらい分かっていたのに。
「……あの、」
「悪い」
ぴり、と弱い電流が胸の奥を走る。
「本当に、君のことを何も知らなかった」
その強張った声に、身体が動かなくなった。
「それは、別に、私が……言わなかったので」
「あの時君が怒った言葉の意味がやっと分かった」
私たちがちゃんと言葉を交わすのは、何故か決まって深夜だ。
正面からこの人を見るには、太陽は眩しすぎる。
「"あの時"?」
「君がいやがらせを受けて……君に、心がないふりをしていると、酷いことを言った時に」
逡巡して、そして頭に浮かぶ。
『死ぬまで何度も首を切られたことも──』
追い詰められた私が、理不尽に暴言を吐いた時のことか。
「あの時、もっとちゃんと君の話を聞いてやればよかった」
私の右薬指に、そっと触れる。
「いや、それは、」
「悪かった」
手の平が包まれ、腕に触れ、そしてひびの入った硝子を包むように抱き締められて、息がつまった。
柔らかく、エリマスの額が肩にのる。
弱った彼のいつもの癖だ。
「……何も言葉が思いつかない」
その声に、まさか泣いているんじゃないかとぎょっとする。
背に回ったエリマスの手は、きっと私の身体の強張りを正確に拾っただろう。
「わ、私も、どこか後ろめたくて、言えなかったので」
口に出してみるとストンと落ちる。
そう、後ろめたかった。
貴族令嬢らしく振舞えば、己の化け物たらしめる何かを、忘れられそうだったから。
「何か……私の欠けた記憶の手がかりがあるかもしれないと思って、それで……結局私事であることには変わりないのですが、すみません」
「いや、いい。……今日はこのまま私の部屋で休め」
(……傲慢なのは分かってるけど)
互いの鼓動の音すら聞こえそうな静寂に溜息を吐く。
私を蝕む運命をいつかこの人に終わらせてほしいと、願わずにはいられなかった。
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