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「──私の記憶にないだけで、どこかに何か重要な……突破口になる人物か、化け物がいると思うんですよね」
私はグラナトゥム王国の地図を隅から隅まで睨んでいた。
(……ただ漫画に出てきた主要な化け物は一通り始末したはずだし、出会ってないキャラもほとんどいないはず……)
やはり私の欠けた記憶の中に何かヒントがあるのだろう。
当然、その記憶とやらはオルフェンの中に潜んでいるアーテが握っている訳で、それを先に手に入れるのは不可能だ。
(私にとってかなりのキーマンだったはずのケイロンですら、顔を見て初めて思い出したわけで──)
「って、聞いてます?」
「…………」
聖殿でのオールスター会議を終えた後。
私はひとり部屋に帰され、一方エリマスはまだ仕事があると言い、夜が更けるまで帰ってこなかった。
帰ってきたと思ったらこの有り様だ。
最低限しか言葉を返してこず、何やらずっと考え事をしている。
当然ながらオルフェンの中にアーテが潜んでいるかもしれないこと、一方でステュクスがエリマスを依り代にしていることは同席した面々以外には明かしていない。
明かせば一度、王城内外がひっくり返ることは想像に易い。
それこそオルフェンが危惧していた通り、王位継承権は決定的に揺らぐだろう。
「……確かに、一国の危機をああやって神々のお戯れによって引き起こされていると知ったら、憂慮されるのも分かりますが……」
表情を見るに、そういう訳でもないらしい。
「それに殿下も私の正体については他言しないと、」
むぐ、と素早く大きな手の平で口を覆われた。
「な、なにを」
「……いや。なんでもない。私が狭量なだけだ」
ぼそぼそと言いながら、隣に座っていたエリマスの頭が容赦なく右肩に乗せられる。かかる体重はずしりと重い。
「私のあられもない姿を殿下に見られたことですか? 心配なさらなくとも、何の色っぽいこともありませんでしたし、ご本人にも聞かれたでしょう?」
「……」
「あっ、私の危機感がどうとかおっしゃられるのであれば、さすがに私も自国の王太子相手に蹴ったり殴ったりなんて──」
「……ノーナ」
掠れた、低い声だった。
「君との婚約の件だが、明日には王家より正式に告示される」
「え」
今まで王城関係者への内示で留めていたそれを、公にするということだ。
脈絡のなさに、頭が回らない。
「私の立場もあるので君にはしばらく迷惑をかけるだろうが」
「……まさかとは思いますが、殿下への牽制のおつもりで……?」
「…………」
そのまさからしい。
私は天を仰いだ。
「あのですね、ですから殿下は」
「万一、あの場であいつの手に落ちていたら、君は今頃ここにはいない」
オブラートに包まれすぎて一瞬理解できなかったけれど、つまりはそういうことを言いたいのだろう。
確かにそうなっていたら、色んな意味で私は今頃こうしていられなかっただろう。
「ただでさえ聞いたこともない妙な神に侵食されているのに、殿下がいつまで正気でいられるか分からない」
「……だとしてそれは殿下が私の力を欲しているからでしょう。それに当面ランパスがついてくれるようですし」
オルフェンには人として好意を持たれている自覚はある。
ただそれも王太子にとって、私の存在が特異だったせいで抱く感情のバグであることも理解している。
俗に言う『おもしれー女』枠である。
でないと、服をひん剥かれておきながら、手出しをされなかったことに理由がつかない。
(事実、あの時のオルフェンの目には劣情の"れ"の字もなかったし……)
「せめて殿下からアーテを引っ剥がす手立てを見つけてからとか」
「……また君は……一体何年待たせる気だ……?」
「それこそ殿下そっちのけで私たちがよろしくやっていたら、殿下が闇落ち……心が闇に呑まれてアーテに乗っ取られるかもしれませんよ」
「ならあのガキが気に入りそうな令嬢を片っ端から集めて見合いでもさせてやる」
よく分からないけれど、私が見ていないところでオルフェンと喧嘩まがいのやり取りをしたのだろう。
オルフェンもオルフェンであの性格だ。
もう少しエリマスが来るのが遅かったら云云かんぬんとエリマスを無駄に煽ったに違いない。あんなに重い拳を食らっておきながら。
「そんなことよりいかに早く問題を解決できるかに注力した方が得策です。こちらの地図なんですが、北方にある廃された修道院の──」
聞いているような聞いていないような、心ここにあらずのエリマスの前に地図を突き出し、私は懇々と当座の作戦を語り明かしたのだけれど。
◆ ◆ ◆
そんな事件から数日。
誰かが部屋に入った気配がするな、と衣装棚を空けると、ドレス諸々、衣類が全て入れ替わっていた。
昨日まであったドレスやら下着やら、何から何まで全て消え去り、見覚えのない新しい物がずらりと並んでいた。
確かに私は王城から脱走した時も身ひとつで出ていくほど薄情な人間。思い入れのある服なんてなかった。
なかったけれど。
「エリマス様」
「なんだ」
「……私の部屋に随分お洒落で裕福な妖精が侵入したようなのですが」
エリマスは執務室の奥で何食わぬ涼しい顔をしている。
あれから結局、エリマスが何が何でも通そうとしていた婚約者の告示の延長には成功したのだけれど。
「それはよかったな」
「前にあったものは一体どこに? 売れば結構なお金になったと思うんですが」
以前オルフェンからもらったドレスも消えていた。まがりなりにも王太子からの贈り物なのにどうしてくれよう。
「金?」
「違います、お金が欲しいわけじゃなくて、……いや、いいです」
そしてあれから、私の部屋の前には女性騎士が二名体制で就くようになった。
大事な騎士の人事をこんなところに割くなんてと異議は唱えたが『なら君が騎士になれるくらいまで鍛えるんだな』と凄まれて諦めた。
オルフェンだけを警戒している訳ではないのだろう。
結局、大罪人ケイロン・テルクシノエは依然として見つからないまま。忽然と姿を消した彼が、どう侵入してくるか分からない。
テルクシノエの邸には毎日衛兵がついているようだけれど、匿われている様子はないという。
(……でも、私の記憶からケイロンの存在が抜け落ちていたことに何か理由があるのだとすれば)
どんな化け物より今は捕獲する価値があるのだけれど、当然手立てはない。
メガイラやティシポネにとってもケイロンは彼女たちの断罪の対象ではない──つまり過去に他人を殺めたことはないことから追跡の対象ではないという。
すでに、何者かに命を奪われている可能性だってある。
「──随分浮かない顔だ」
護衛業務終わり、詰め所を後にした私の前に顔を覗かせたのはレミジオだった。
「……レミジオさん」
「エリマス様と喧嘩でもした?」
「そういう訳ではないんですが」
数か月の間にレミジオも誰かとの縁談をまとめているだろうかと思っていたけれど、どうやらその暇もないようで未だ独り身。
それなりの貴族男性で三十を超えて婚約者もおらずに独身のままというのは珍しいケースだ。侍女たちの噂によれば護衛から騎士団に戻るまでは当面縁談を遠ざけているらしい。
「あの」
「うん?」
「王都に、探偵っていらっしゃいますかね」
レミジオが分かりやすく眉を顰めた。
「探偵?」
「人探しとかが得意な……」
「情報屋はいるけど、貴族令嬢が直接やり取りできるような職業ではないかな」
にっこりと笑って、閉ざされる。また面倒事を言い出したと思われているのだろう。
「どうしても会いたい人がいるってこと?」
「まあ……」
「ならエリマス様に頼むのが一番だよ。君のためなら手を貸してくれるだろうし」
そのエリマスですら尻尾を掴めていない相手を探しているなんて、とても言えない。
ただ、あの牢でのケイロンの言動からして、先方も何らか私に引っかかりを感じているのは確かだ。
仮病を使ってでも、もう一度私に接触しようとしていたのだから。
それが仮に悪意から来ていたとしても。
「それはちょっと……」
「…………まさかとは思うけど、男じゃないよね?」
二秒、三秒、沈黙が流れる。
かっと目を見開いたレミジオが怖いものでも見たかのような剣幕で私を見下ろし、頭を抱えた。
「だめだめだめだめ、やめよう、やめましょう。あのエリマス・メレアグロス公爵閣下以上の人間なんてそういないんだから、仮に伯爵家にいた頃の幼馴染で~とか、子供の頃にお世話になって~とかいたとしてもそれは全て思い出補正!」
「いや別にそういう過去の想い人とかではなく」
「頼むからあの人の手綱しっかり握ってて、もう君がいない間のあの数か月どれだけ過酷だったか!」
それは先日の食事会でも散々各方面から管を巻かれたけれど。
「そういえば」
「はい!?」
「……オ、ルトシア侯爵令嬢様は、お元気でしょうか」
エリマスはああ言ったけれど、遺恨は残っていないだろうか。
私が案ずる立場ではないことは分かっていたけれど、それでも気になってしまう。
「……私が知る限りでも、エリマス様は誠意ある対応をされた認識だけど。君が彼女に逆恨みされるような終わり方はしてないよ」
「逆恨みの心配は、していないんですが」
「ならこれ以上は君が何か気にかけるのはそれこそご令嬢に対して失礼にあたるんじゃないかな」
遠慮なくそう言われて、すとんと胸に落ちた。
私より長く貴族社会に生きているレミジオが言うならそうなのだろう。
「そんなことよりさっきの人探し。万が一にでも君がコソコソ何かしようとしていたら私は我が身が可愛いのですぐにエリマス様に告発するからね」
「……しませんよ」
「いーや、あの完全無欠の鉄壁公爵のメンタルをああも振り回せる君の才能を傍目でよく見ているんだから、全く油断も隙もない──」
レミジオと別れ、城内で帰路を辿りながら、小さな事実を繋ぎ合わせていく。
『我々を騙すのに一役買っていた神や異形が力を失ったか、何らかの理由で退場するはめになったのでしょう』
『これまで奴に手を貸していた愚か者たちが、彼の存在に日和って撤退したのかもしれないな』
大司祭と冥王はそう言っていた。
(ケイロンの脱出劇に手を貸していたのもアーテなのか、それとも別の何かなのか……)
外廊から覗く月がふと視界に入り、足を止める。
──結局王城に戻ってくるとこうだ。
なんだかんだと自分から問題に首を突っ込んで、何とかしようとしてしまっている。
(あっちでもずっとそうだったんだよな……あんなにきつかったのに、最後まで仕事辞められなかったし)
転職サイトをいくつも登録して、結局スカウトメールを開くこともなかった。
こういう性分なのだろう。
そしてエリマスにもそれを見抜かれている。
石壁に凭れかかり、目を閉じる。
こんなはずじゃなかった。
しかしこうして連れ戻されて、逃げようとしても行き場はなくて、真綿のような束縛の中で砂糖漬けにされてぼうっとしている。
エリマスはきっと、私がオルフェンや神々の問題を解決することなんて望んでいない。
私が公爵夫人になる覚悟ができましたと手をあげれば、丁寧に囲って最上級の生活を用意してくれるのだろう。
(あそこまで想われたら絆されざるを得ないというか、正直未だに自分の中でこんなに抵抗しなくちゃいけない正当な理由は見つかってない……)
何より、あんな闇の森の奥で、朝が来た回数を木の幹につけて月日を数える生活になんて戻りたくない。
「……あれ、」
顔を上げると、月が厚い雲の向こうに隠れてしまっていた。
苦痛の日々を思い出したくなくて、目を逸らしていたけれど──外に出てからは一度も戻らなかった、あの闇の森。
私がこの世界に転生してきて最初に目覚めたあの場所は、一体何だったのだろう。
糸績みという生命の始まりの場所なのか。
物語のチュートリアルとしてはあまりに不親切な場所だった。
化け物退治にやってきた冒険者が入ってくるような森だったことは間違いない。
私はどうして、あの森にいたんだろう。
(でも今更あれがどこだったかなんて覚えてないし、そもそもグラナトゥム王国の中だったかどうかすら……似たような森なんていくらでもあるだろうし、当時の彼らの会話なんてもう記憶にも──)
ぐるぐると思考を巡らせていたその時、両肩にかけられたずっしりとした重みに、思わず勢いよく振り返った。
「こんなところで突っ立って、また考え事か」
肩にかけられたのはエリマスの外套だった。
「……月が綺麗だったので」
「見えない」
「さっきまであったんですよ、満月です」
風に吹かれて頬に張り付いた髪を払う指先は柔らかい。
「ほら見ろ、身体が冷えてる。用がないなら部屋に戻るぞ」
胸の奥に開きかけた昏い扉を、強引に閉ざした。




